2006年11月アーカイブ
Thu
02
11
2006
Thu
02
11
2006
![]() | フォーレ:管弦楽曲集第1集(ペレアスとメリザンド/他全12曲) シュターデ(フレデリカ・フォン)、アリックス・ボーカル・アンサンブル 他 (1999/12/08) 東芝EMI この商品の詳細を見る |
Thu
02
11
2006
辻邦生全集の目録(私家版)です。
やはり、残念ながら全著作の収録とは行かなかったようだ。目立ったところでは、朝日新聞から出版されていた「樹の声 海の声」や「雲の宴」、毎日新聞から出版されていた「時の扉」、「光の大地」などが収録されない。「江戸切絵図貼交屏風」、「楽興の時 十二章」、「夜ひらく」、「天使の鼓笛隊」、「ユリアと魔法の都」、「黄金の時刻の滴り」なども収録されず。私が注目していた「我等の渇いた河」も収録されない模様。特に「時の扉」や「光の大地」は現代を舞台にした作品ながら実にユニークで興味深い作品であると思っていただけに、残念である。
カタログによれば「著作のうち小説、評論、エッセイを精選」
と書かれているわけで、全作品の網羅はそもそも目的ではないということ。非情に残念であるが、膨大な著作を前にすればやむをえないだろう。
個人的には、所有していない「森有正 感覚のめざすもの」が収録されるということで、こちらが楽しみである。また二十巻の内容も期待できる。
Thu
02
11
2006
辻邦生著作目録
2005年1月23日現在
- 辻邦生全集についてはこちらをご覧ください。
- 「愛・生きる喜び(海竜社)」の巻末の作品目録から抜粋し、私が所有する著作を適宜加えたものです。
- 文庫は一部を除いて含まれていません。
- 若干漏れているものはあるかと思いますが、ほぼ全てだと思います。今後も引き続き精査・リファインを進めていきます。
- 書名に順次アマゾンへのリンクを貼っていきます。
エクセルで作成したものを、tableに変換しています。変換にはfrontpageを使用したため、htmlベースで少々汚くなっています。今後折りをみて改善します。無駄な要素を省くなど、改善しました。(2004/5/20)
| sq | 著作 | 年 | 出版社 | ジャンル | 関係記事 | 備考 | |
| 1 | 廻廊にて | 1963 | 新潮社 | 小説 | |||
| 2 | 夏の砦 | 1966 | 河出書房新社 | 小説 | 20040410![]() |
現在は文春文庫で読むことができる | |
| 3 | 小説への序章 | 1968 | 評論 | 河出書房新社 | |||
| 4 | 安土往還記 | 1968 | 筑摩書房 | 小説 | ![]() | 現在は新潮文庫で読むことができる。 | |
| 5 | 異国から | 1968 | 晶文社 | 小説 | |||
| 6 | 城・夜 | 1969 | 河出書房新社 | 小説 | |||
| 7 | 若き日と文学と 北杜夫・辻邦生対談 | 1970 | 中央公論社 | 対談集 | |||
| 8 | 北の岬 | 1970 | 筑摩書房 | 小説 | |||
| 9 | 天草の雅歌 | 1971 | 新潮社 | 小説 | |||
| 10 | 嵯峨野明月記 | 1971 | 新潮社 | 小説 | |||
| 11 | ユリアと魔法の都 | 1971 | 筑摩書房 | 小説 | |||
| 12 | 背教者ユリアヌス | 1972 | 中央公論社 | 小説 | |||
| 13 | 辻邦生作品(全6巻) | 1972 | 河出書房新社 | 全集 | |||
| 14 | パリの手記(全5巻) | 1973 | 河出書房新社 | 日記 | |||
| 15 | ポセイドン仮面祭(戯曲) | 1973 | 新潮社 | 戯曲 | 20040525 | ||
| 16 | 海辺の墓地から | 1974 | 新潮社 | 随筆集 | |||
| 17 | 北の森から | 1974 | 新潮社 | 随筆集 | |||
| 18 | モンマルトル日記 | 1974 | 集英社 | 日記 | |||
| 19 | 灰色の石に坐りて 辻邦生対談集 | 1974 | 中央公論社 | 対談集 | |||
| 20 | 詩への旅 詩からの旅 | 1974 | 筑摩書房 | 随筆集 | |||
| 21 | 霧の聖マリ | 1975 | 中央公論社 | 小説 | |||
| 22 | パリの手記(全1巻) | 1975 | 河出書房新社 | 日記 | |||
| 23 | 眞畫の海への旅 | 1975 | 集英社 | 小説 | |||
| 24 | 秋の朝 光のなかで | 1976 | 筑摩書房 | 小説 | |||
| 25 | 霧の廃墟から | 1976 | 新潮社 | 随筆 | |||
| 26 | 夏の海の色 | 1977 | 中央公論社 | 小説 | |||
| 27 | 春の戴冠(上・下) | 1977 | 新潮社 | 小説 | |||
| 28 | 時の終りへの旅 | 1977 | 筑摩書房 | 随筆集 | |||
| 29 | 時の扉 | 1977 | 毎日新聞社 | 小説 | |||
| 30 | フランスわが旅(編集) | 1977 | 中央公論社 | (編集) | |||
| 31 | 辻邦生全短篇 | 1978 | 中央公論社 | 小説 | |||
| 32 | 雷鳴の聞える午後 | 1979 | 中央公論社 | 小説 | |||
| 33 | 季節の宴から | 1979 | 新潮社 | ||||
| 34 | 地図を夢見る(編集) | 1979 | 新潮社 | (編集) | |||
| 35 | 雪崩のくる日 | 1980 | 中央公論社 | 小説 | |||
| 36 | 橄欖の小枝 | 1980 | 中央公論社 | 美術論集 | |||
| 37 | 森有正−感覚のめざすもの | 1980 | 筑摩書房 | ||||
| 38 | 風塵の街から | 1981 | 新潮社 | ||||
| 39 | 十二の肖像画による十二の物語 | 1981 | 文藝春秋 | 小説 | |||
| 40 | 樹の声 海の声(上・中・下) | 1982 | 朝日新聞社 | 小説 | |||
| 41 | 夏の光 満ちて | 1982 | 中央公論社 | 日記 | |||
| 42 | 雨季の終り | 1982 | 中央公論社 | 小説 | |||
| 43 | トーマス・マン | 1983 | 岩波書店 | 評論 | |||
| 44 | 冬の霧 立ちて | 1983 | 中央公論社 | 日記 | |||
| 45 | もうひとつの夜へ | 1983 | 集英社 | ||||
| 46 | 時の果実 | 1984 | 朝日新聞社 | 随筆集 | |||
| 47 | 国境の白い山 | 1984 | 中央公論社 | 小説 | |||
| 48 | 十二の風景画への十二の旅 | 1984 | 文藝春秋 | 小説 | |||
| 49 | 天使たちが街をゆく(戯曲) | 1985 | 中央公論社 | 小説 | 20040205 | ||
| 50 | 春の風 駆けて | 1986 | 中央公論社 | ||||
| 51 | 世紀末の美と夢(全6巻・編集・小説) | 1986 | 集英社 | (編集) | |||
| 52 | 雲の宴(上・下) | 1987 | 朝日新聞社 | 小説 | |||
| 53 | 椎の木のほとり | 1988 | 中央公論社 | 小説 | |||
| 54 | 夜ひらく | 1988 | 集英社 | 小説 |
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| 55 | 詩と永遠 | 1988 | 岩波書店 | 講演集 | |||
| 56 | 私の映画手帖 | 1988 | 文藝春秋 | 映画評論 | |||
| 57 | 神々の愛でし海 | 1988 | 中央公論社 | 小説 | |||
| 58 | 美しい夏の行方 | 1989 | 中央公論社 | ||||
| 59 | フーシェ革命暦(?・?) | 1989 | 文藝春秋 | 小説 | |||
| 60 | 銀杏散りやまず | 1989 | 新潮社 | 小説 | |||
| 61 | THE SIGNORE | 1989 | 講談社インターナショナル | (英訳) |
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安土往還記の英訳 | |
| 62 | 睡蓮の午後 | 1990 | 福武書店 | 小説 | |||
| 63 | 地中海幻想の旅から | 1990 | 第三文明社 | 随筆集 | |||
| 64 | スペインのかげり | 1990 | 阿部出版 | ||||
| 65 | 永遠の書架にたちて | 1990 | 新潮社 | 随筆集 | |||
| 66 | シャルトル幻想 | 1990 | 阿部出版 | ||||
| 67 | 樂興の時 十二章 | 1990 | 音楽之友社 | 小説 | |||
| 68 | 遠い園生 | 1990 | 阿部出版 | ||||
| 69 | コクトー/アラゴン 美をめぐる対話(翻訳) | 1991 | 筑摩書房 | 翻訳 |
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| 70 | 時刻の中の肖像 | 1991 | 新潮社 | 随筆集 | |||
| 71 | my Mozart | 1991 | 小学館 |
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| 72 | 遥かなる旅への追想 | 1992 | 新潮社 | 随筆集 | |||
| 73 | 江戸切絵図貼交屏風 | 1992 | 文藝春秋 | 小説 | |||
| 74 | 黄昏の古都物語 | 1992 | 有学書林 | 小説 | |||
| 75 | 天使の鼓笛隊 | 1992 | 筑摩書房 | 小説 | |||
| 76 | 辻邦生歴史小説集成(全12巻) | 1992 | 岩波書店 | 全集 | |||
| 77 | ある生涯の七つの場所(文庫・全7巻) | 1992 | 中央公論社 | 小説 | |||
| 78 | 私の二都物語 | 1993 | 中央公論社 | 随筆 |
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| 79 | 美しい人生の階段 | 1993 | 文藝春秋 | 映画評論 | |||
| 80 | 美神との饗宴の森で | 1993 | 新潮社 | 随筆集 | |||
| 81 | 黄金の時刻の滴り | 1993 | 講談社 | 小説 | |||
| 82 | 言葉が輝くとき | 1994 | 文藝春秋 | 講演集 | |||
| 83 | 生きて愛するために | 1994 | メタローグ | 随筆集 |
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| 84 | 鼎談 戦後50年を問う(辻邦生・堤清二・安江良介) | 1994 | 信濃毎日新聞社 | 対談 | |||
| 85 | 人間が幸福であること | 1995 | 海竜社 | アンソロジー | |||
| 86 | 西行花伝 | 1995 | 新潮社 | 小説 |
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| 87 | 春の戴冠 | 1996 | 新潮社 | 小説 |
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| 88 | 愛、生きる喜び | 1996 | 海竜社 | アンソロジー |
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| 89 | 光の大地 | 1996 | 毎日新聞社 | 小説 |
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| 90 | 花のレクイエム | 1996 | 新潮社 | 随筆 |
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| 91 | 幸福までの長い距離 | 1997 | 文藝春秋 | 映画評論 |
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| 92 | 外国文学の愉しみ | 1998 | 第三文明社 | 随筆集 | |||
| 93 | 風雅集 | 1998 | 世界文化社 | 随筆集 |
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| 94 | 手紙、栞を添えて | 1998 | 朝日新聞社 | 往復書簡 |
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| 95 | のちの思いに | 1999 | 日本経済新聞社 | 小説 |
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| 96 | 辻邦生が見た20世紀末 | 2000 | 信濃毎日新聞社 | 随筆集 |
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| 97 | 薔薇の沈黙 | 2000 | 筑摩書房 | 評論 |
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| 98 | 言葉の箱 小説を書くということ | 2000 | メタローグ | 講演録 |
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| 99 | 微光の道 | 2001 | 新潮社 | 随筆集 |
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| 100 | 海峡の霧 | 2001 | 新潮社 | 随筆集 |
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| 101 | 情緒論の試み | 2002 | 岩波書店 | 評論 |
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| 番外 | 辻邦生のために(辻佐保子著) | 2002 | 新潮社 | 随筆 |
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| From For Blog |
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| From DRESDEN REISE... |
Sun
05
11
2006
![]() | Beethoven: Die 5 Klavierkonzerte Ludwig van Beethoven、 他 (1995/02/14) Deutsche Grammophon この商品の詳細を見る |
Mon
06
11
2006
![]() | シューマン:謝肉祭/クライスレ 内田光子 (1994/10/26) ユニバーサルクラシック この商品の詳細を見る |
Tue
07
11
2006
![]() | シューマン:チェロ協奏曲/ピア カザルス(パブロ) (1995/02/22) ソニーミュージックエンタテインメント この商品の詳細を見る |
Tue
07
11
2006
![]() | Schumann: Fantasie: Symphonische Et醇・en (1996/12/05) Deutsche Grammophon この商品の詳細を見る |
Wed
08
11
2006
![]() | シューマン:子供の情景 オピッツ(ゲルハルト) (1991/11/21) BMG JAPAN この商品の詳細を見る |
Thu
09
11
2006
![]() | Symphonies 1-4 Schumann、Sawallisch 他 (2002/04/09) EMI Classics この商品の詳細を見る |
Fri
10
11
2006
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楽興の時十二章 辻 邦生 (1990/11) 音楽之友社 この商品の詳細を見る |
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辻邦生全集〈8〉 辻 邦生 (2005/01) 新潮社 この商品の詳細を見る |
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マーラー:交響曲第3番 アバド(クラウディオ)、ラーション(アンナ) 他 (2002/03/13) ユニバーサルクラシック この商品の詳細を見る |
それはまるで、ある音楽作品を聴くのが初めてで、その演奏がきわめて印象深かったとき、音楽作品と演奏が深く結びつき、まるで音楽作品と演奏が切っても切り離せない不可分な関係にあるかのように思えるのと似ています。実は、その音楽作品の演奏は、さまざまな演奏者によって行われていて、その演奏の解釈はそれぞれにおいて違うはずで、もちろんどれがもっとも優れた演奏であるといったような命題は陳腐な命題となるのでしょうけれども、その音楽作品を聴いた私にとっては、初めて聴いたその演奏が最も優れた演奏に思えてならないのです。
作家の作品においても、最初に出会った作品において、八分がたその作家の評価を定めてしまいかねず、それがいい方向に向かえば、その作家との良い関係を築くことができるでしょうし、それが悪い方向に向かえば、その作家との関係を修復するのは難しくなることでしょう。そして、前者であったとすれば、それは恩寵とでも言うべき幸福な関係となるに違いないのです。
私が辻作品に出会ったのは、高校2年の年で、炎暑に見舞われた京都から下る東海道本線の座席について、今は休刊となってしまった「音楽芸術」誌を開いたときでした。「樂興の時 十二章」と題された連作短篇集の第11話「桃」がそれだったのです。マーラーの交響曲第3番をモティーフにしたその作品は、老外交官が死に際して己の人生を振りかえるにつけて覚える苦い悔恨と、幼い孫の無邪気さや看護婦の若い力による諦観が描かれていました。
タイトルの「桃」は春の若々しさを想起もさせ、また二元の根源的欲求をも感じさせるモティーフで、老外交官が中国奥地へ赴いたときに、霧中から突如あらわ得る桃畑のイメージが、精神の底深いところに常に存在する若々しさや生への根源的欲求を象徴しているのでした。
マーラーの交響曲第3番では清純な少年合唱が登場しますが、幼い孫たちのイメージと重なります。少年合唱は「ビム、バムBim Bam」という歌詞で始まります。鐘の音は、ミサを想起させますし、果ては葬送をも想起させるのです。短篇中にゴシック文字で挿入されるエピソードに登場する子供たちの姿は、交響曲第3番の少年合唱でもあり、あるいは老外交官を彼岸へと導く天使たちの行進なのかもしれません。
老外交官の苦い悔恨を読んで、自分はそうならぬよう人生を生きなければならぬ、と読んだ当時強く決心したものでした。しかし、現実はそうも上手くゆかないようです。今朝方の通勤電車の中でもう一度短篇を読み返してみたのですが、老外交官の覚えた悔恨に似た人生の苦みを噛みしめたのでした。
しかし、老外交官は、幼い孫たちや若い看護婦との邂逅によって救済され彼岸へと旅だったようにも読めるのです。辻作品はどれも一遍的な解釈を許しません。答えを与えることはしないのです。そこにあるのは現前とした事実の提示とあるべき理想の姿の示唆です。読み手は、事実の提示と理想の示唆の間で、まるで解決を求める不協和音の響きのような心地よい不安定感を感じつつ、その両者を止揚する努力を決意させられてしまうのです。僕が今朝方感じたのもやはり同じ止揚への決意でした。
しかし、なんということでしょう。これまで辻作品を幾度となく読んで何度もこの止揚への決意を感じたはずだったのに、現実世界の濁流に呑み込まれて、そこをただ泳ぐことに必死で、岸辺へと向かい濁流から身を上げる努力を怠っていたことに気づかされたのです。それが、先ほど述べた悔恨に似た苦みだったのです。 ですが、次の二つの引用をもって、辻邦生作品から「生きること」の大切さを再認識したいと思うのです。 そして、また止揚への努力へと自らを奮い立たせようと思うのです。
生きると言うことに後も前もない 今があるだけだった こうして黄金にきらめく海を泳いでいるように今がすべてであり いましかなく 今に抱かれるとき 今は豊かな母の胸に変わっていた「樂興の時 十二章」/辻邦生/1991年/音楽之友社/200ページ
「サラマンカの手帖から」/辻邦生/1975年/新潮文庫/282ページ
「オレンジを齧っていたね。あれが生きるってことかもしれない」 「オレンジを齧るのね。裸足でね」 「そうだ、オレンジを齧るんだ。裸足でね、そして何かに向かってゆくのさ」
「桃」についてはまだまだ語りたいことがたくさんありますし、辻邦生作品について語りたいことはもっとたくさんあるのですが、今日はひとまずこのあたりで終わりにしておきましょう。
Sun
12
11
2006
![]() | Schumann: Liederkreis Op.39/Dichterliebe Op.48 Dietrich Fischer-Dieskau、 他 (1990/10/25) Philips この商品の詳細を見る |
シューマンの「詩人の恋」作品48と「リーダークライス」作品39を、ディースカウとブレンデルのコンビで。
詩人の恋はハイネの詩に曲がつけられています。どれもがロマン的な恋愛感情を歌ったものでです。あまりに若々しすぎて、ふつうの健康な人間にとっては女々しい詩かともとらえられてしまうおそれがあると思います。ですが、詩人や音楽家のように、常に魂と格闘している人間にとっては、アクチュアルな問題なのです。それは恋愛感情にとどまるものではなくて、たとえば真善美の追求といった問題にまで拡大できるのだと思います。解説書には、シューマンが妻(クララ・シューマン)に対して抱いていた感情がこの曲を作らせしめたと書いてありましたが、果たしてそれだけなのでしょうか、という疑問を抱いてしまいました。単なる恋愛感情を赤裸々に述べるのではなく、もっと高次なレベルにまで昇華できうるのが芸術家の芸術家たる所以の一つなのではないでしょうか。
「詩人の恋」では、歌詞が未解決の和声で終わることが多いのです。それを解決するのが伴奏のピアノなのですが、この仕掛けも、すこしうがって考えてみると、詩人が歌手でピアノがその相手だったりするのではないか、とも思えてきます。最後の解決はピアノが与えるのですが、それは、詩人にとって必ずしも望んだ解決ではないはずで、だからこそ短調の和声で曲が閉じられることが多いのです。
「リーダークライス」のほうはアイヒェンドルフの詩に曲がつけられています。「詩人の恋」にくらべて、詩の意味するところは多くのアレゴリーで覆われていて、その深い森の中に分け入っていく努力を必要とします。やはりそこには喪ったものに対する愁然たる思いが満ちているような気がします。9曲目「悲しみ」では夜鶯の歌に込められた深い嘆きには誰も気づかない、と訴える部分があります。この部分も健康的な大人にしてみれば、なんと女々しいことを!と思う向きが多いと思います。しかし、それが芸術家の栗シミなのでしょう。ただの石ころに見えるものであっても、それが宝石の原石であることを見抜き、懐でゆっくり暖め熟成さえ、いつの日か美しい宝石に磨き上げてしまうのが芸術家というものなのでしょう。
12曲目「春の夜」は、春の到来に寄せる歓喜が歌われているように思えますが、果たしてそうなのでしょうか?ここでも夜鶯が登場し、「あの人はおまえのもの!」と歌います。しかしそこに込められた真の意味は、誰にも分からないのです。それは9曲目「悲しみ」で暗示されています。春ほど美しい季節はありませんが、春ほど残酷な季節もないのです。皆が皆春の美しさを享受できるとは限りませんから。
ディースカウは低音から高音まで本当によく聴かせてくれています。低音で雄々しい詩人を歌うかと思うと、今にも消え入りそうなナイーブな高音で、嘆く詩人をも演じています。ドイツの生んだ良心がここにもあるのだな、と思ったのでした。
Mon
13
11
2006
Polygram Int'l (1993/03/16)
売り上げランキング: 26597
ヴァイオリンソナタ第1番ト長調作品78を、デュメイとピリスのコンビで聴いてみました。いいなあ、ブラームス!久々にブラームス作品を聴いて本当に癒されました。四方八方から滅多打ちにされたあとにこういう演奏に触れると、深く癒されるのを感じます。できれば、窓から暗い海岸が見える薄暗い部屋で、独りになって聴いてみたいなあ、という感じです。
このコンビは、フランクのヴァイオリンソナタやブラームスのピアノ三重奏曲第1番でも競演しているのですが、それらの録音と同じく、溶けてしまうぐらい柔らかくて甘いアンサンブルなのです。デュメイのヴァイオリンは豊かな倍音をよく響かせています。ピリスのピアノは、ソフトペダルを踏みっぱなしなんじゃないかと思うほど柔らかくて優しいタッチです。この録音ではドイツ的な厳格さではなく叙情性を楽しむことができるのです。もしかしたらこういう音が苦手な方々もいるんじゃないか、とも思うのですが、僕は幸福なことに楽しむことができるようです。
聞き始めるとピリスの静かな和音に導かれてデュメイがそっと弦に弓をおく瞬間が感じられます。最初のヴァイオリンの六つの音符でもう参ったという感じ。この演奏にひれ伏さざるを得ません。穏和な感じの主題は展開部で激しく情感的に揺さぶられます。第二楽章は陰鬱な感じに歌い上げられています。救いなのは長和声で終わることでしょうか。そして第三楽章はすこし寂しげな舞曲風な楽章です。寒風に吹きさらされているドイツの田舎の街を独りで歩いている感覚です。最後はきちんと長和音で終わってくれるのが救いでしょうか。
この曲は1878年から79年にかけて作曲されました。そのころのブラームスは作曲家としてしっかり認知されていました。苦しみながら書いた交響曲第一番も既にできあがっていましたし、交響曲第二番も完成を見ていました。このころのブラームスはとても精神的に安定しているはずなのです。なのに、この寂寥感は何なのでしょうか?北ドイツ人のブラームスが持つ憂愁感が現れている、と片づけてしまいたいところですが、もう少しいろいろと想像するのもいいと思います。
Wed
15
11
2006
![]() | Richard Strauss: Capriccio / Sawallisch, Philharmonia Orchestra Richard Strauss、 他 (2000/08/15) Angel この商品の詳細を見る |
![]() | ベートーヴェン:交響曲全集 アバド(クラウディオ) (2000/09/30) ユニバーサルクラシック この商品の詳細を見る |
Sat
18
11
2006
![]() | ラジオドラマCD 西行花伝 (2006/06) エニー この商品の詳細を見る |
![]() | 西行花伝 辻 邦生 (1999/06) 新潮社 この商品の詳細を見る |
亡霊が主人公(シテ)となって、僧(ワキ)の前に現れ、過去を語り、僧の供養を受けて成仏する松岡心平『能 狂言 風姿花伝』週刊朝日世界の文学第28巻、2000 8-230ページ という構造です。そこで何が起こるかというと、ワキが観客の代表としてシテの物語をリアリティーを感じながら聞いている、ということを演じている訳です。自ずと観客もワキと同じ立場に立って、リアリティを持ちながらシテの物語に没入していくことができ訳です。 このワキとも言うべき語り手が登場するケースが辻邦生作品の中には非常に多いと思います。いま思いつく限り並べてみると…。
- 春の戴冠(サンドロをフェデリゴが語る)
- 夏の砦(支倉冬子をエンジニアが語る)
- 廻廊にて(マーシャを日本人画家が語る)
- 西行花伝(西行を弟子が語る)
- 安土往還記(シニョーレをディエゴ・デ・メスキータが語る)
- ある生涯の七つの場所(宮部音吉を「私」が語る)
![]() | 細川俊夫作品集 音宇宙(9) 細川俊夫、東京少年少女合唱隊 他 (2004/02/21) フォンテック この商品の詳細を見る |
Tue
21
11
2006
売り上げランキング: 94998
Thu
23
11
2006
![]() | Alban Berg: Lulu Suite/The Wine/Lyric Suite Alban Berg、 他 (1991/01/14) Sony この商品の詳細を見る |
Sat
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11
2006
![]() | バルトーク:管弦楽のための協奏曲、中国の不思議な役人 ラトル(サイモン) (2002/11/20) 東芝EMI この商品の詳細を見る |
バルトーク/バレエ音楽「中国の不思議な役人」作品19を、ラトル指揮のバーミンガム市響で聴いてみました。前回に続いて憂鬱な時に聴いてはならない曲でした。
簡単なあらすじ。登場するのは少女ミミ(ボエームではありません)と三人の悪党、そして不気味な役人。悪党たちは少女ミミに役人を色仕掛けで誘惑させ、金をせびりとろうとしています。ミミを抱擁しようとする役人を三人の悪党は殺しにかかりますが、ナイフを突き刺しても首をつるしても息絶える様子はありません。ついに役人はミミを抱擁するのですが、とたんに役人は息絶えてしまうのです。
なんとも頽廃的なあらすじで、曲を聴いて心がかき乱されるのはやむを得ないですね。若きラトルがバーミンガム市交響楽団を振っているのですが、若々しいだけに激しく情熱的な演奏なのでした。
ところで、最近思うのはラトルにも当たりはずれがあるのだ、ということです。もちろん、ラトルのすばらしい演奏に当たることのほうが多いのです。ちなみにこのCDは当たりでした。
参考文献
- 箭田 昌美 「「中国の不思議な役人」の不思議な物語」
<http://www.shinkyo.com/concerts/p181-3.html>
新交響楽団ホームページ<http://www.shinkyo.com/index.html>
(アクセス:2006年11月25日) - 「バルトーク」(2006年11月15日 (水) 01:23 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%A9
Sun
26
11
2006
![]() | ロッシーニ:セビリャの理髪師 アンブロジアン・オペラ・コーラス、アンプロジアン・オペラ・コーラス 他 (1998/05/13) ユニバーサルクラシック この商品の詳細を見る |
Mon
27
11
2006
![]() | Shostakovich: Symphonies Nos. 10 & 11 Anatoli Safiulin、 他 (1999/02/05) Melodiya この商品の詳細を見る |
ロジェストヴェンスキーとソヴィエト連邦文化省交響楽団の演奏によるショスタコーヴィチの交響曲第10番を聴いてみました。一年365枚さんでカラヤン盤のショスタコーヴィチが紹介されていたので、触発されたのです。
最初に録音についてですが、残響感がとてもすばらしいです。1986年にモスクワでの録音とあるだけで、残念ながら録音場所についてのは記載はありません。
この録音はNHK-FMでオンエアされていて、中学生の頃に激しい衝撃を受けたのですが、同じ音源のCDを探していました。そんな折、メロディアレーベルが廃盤になるという噂を聞いたので、ロジェストヴェンスキーとソヴィエト連邦文化省交響楽団のコンビによるショスタコーヴィチの交響曲の録音をすべて購入したのでした。その中の一枚がこのCDだったわけです。
さて、演奏なのですが、僕にとっては交響曲第10番のデフォルト音源なだけに、本当に心から共感できる演奏です。ほとんど洗脳されていると言ってもいいでしょう。
特に第2楽章の攻撃的で緊張感のある演奏に当時感銘を受けたのを覚えています。金管の鋭くてアタックの強い音なので、時代の緊張感がそのまま突き刺さってくるようです。その時代とは、スターリン圧政時代でありソ連邦末期の混乱した時代なのです。
第3楽章の静謐な雰囲気の中にも絶望感や憂愁感が漂っているあたり、すばらしいです。ホルンが吹くDSCH音型も美しく遠くへと響き渡ります。やはり録音場所の残響感によく助けられている感じです。後半部のDSCH音型の発展系が切迫した悲痛な叫びに聞こえてなりません。それにしてもこのオケのホルン、かなり上手いです。高音域を音を乱さずに柔らかくよく響く音で吹いています。
第4楽章、木管が支配する冒頭の雰囲気、憂鬱な者の傍らに寄り添ってくれている感じ。オーボエ、フルート、イングリッシュホルンがすばらしいです。この楽章もDSCHに支配されていますが、祝祭的な様相も呈しているのです。
一年365枚さんの記事の中で、作曲家の吉松隆さんのウェブでこの曲についての紹介がなされていることを知りました。こちらも興味深いです。
残念なことに、僕の聴いているCDは今は廃盤となっているようです。
参考
- 「ロジェストヴェンスキー」(2006年10月23日 (月) 11:34 UTC版)『ウィキペディア日本語版』
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<泉:■黄色い場所からの挿話 VIII>
ある生涯の七つの場所について、少しずつ書いていこうと思います。本当は最初から書き始めるのがよいのでしょうが、僕の好きな「夏の海の色」から始めてみようと思います。
この掌編では水の描写を楽しむことができます。たとえばこんな冒頭部分など。
泉は村の広場の真ん中にあって、石に彫られた獅子の口から勢よく迸る水はきらきら光る弧を描きながら、浅い水盤の上に落ちていた。水盤を溢れた水は、もう一段下の水槽に、薄い簾状の滝になって、音をたてながら流れていた辻邦生「泉」『夏の海の色』中公文庫、1992年、11頁
水盤を溢れて、簾状に落ちてゆく水は、水と言うより、硬質の滑らかなガラスのような感じで、とくに水盤の縁をまるく、しなやかに越えていく透明な脹らみは美しかった。辻邦生「泉」『夏の海の色』中公文庫、1992年、13頁
ただ感嘆のみ…。
エマニュエルと「私」のことは、これからどうなるかを知っているだけに、複雑な気分。エマニュエルは本当に強い女性だと思います。そして、エマニュエルを産み出した辻邦生の「物語り」に深い驚きを覚えてしまうのです。物語作家は、ある種文中人物に憑依されて、文章を書いているのではないか、と思います。
この事件にもやはりスペイン内戦の暗い翳りが感じられるのです。おいおい読み進めていくことで明らかになってきます。
───これから読む方はここから先は読まない方が良いかと存じます───
あらすじ
アルプスの麓、夏の休暇にチロル地方の小さな村で暑さを避けているエマニュエルと「私」。ゆっくりとした時間でエマニュエルは論文の準備をする。
「ゆっくり時間のあった時代の仕事さ」辻邦生「泉」『夏の海の色』中公文庫、1992年、12頁
「いいえ、ここには、いまも、ゆっくりした時間があるわ」
「そうかもしれない。ここに来てから、まるで時間が過ぎてゆかないものね」
その村の泉にまつわる奇怪な出来事。人間の手首が切られて泉の中にうち捨てられていたというのだ。ひまわりの花もたくさん浮かべられていたのだという。その手首の持ち主は、マルティン・コップと言うのだそうだ。私とエマニュエルは推理を始めるが、もちろん妥当な結論に至ることはできない。
エマニュエルが論文を提出したあと、「私」はエマニュエルと実はきちんとした関係(結婚と解釈するのが妥当だろう)をしたかったのだが、エマニュエルはそれを拒むのだった。
しかしエマニュエルはそうした危険を感じながら、日々新たに情念を確かめる生活でなければ、男女がともに暮らす理由はないと考えているのだった。辻邦生「泉」『夏の海の色』中公文庫、1992年、32頁
「それは人間を過信した傲慢な態度じゃないだろうか」
(中略) 「過信?」エマニュエルはそういうときのつねで、頬のあたりがほっそり窪んだ感じの顔を俯けて言った。「私はそうは思わないわ。むしろそのことだけは、もっと信じたいと思うわ」
「しかしまるでむき出しに風の中に晒されているようなものじゃないかな」
「それに疲れて、駄目になったら、私ね、悲しいと思うけれど、安全地帯にいて、惰性的な形を保った方が良かったとは言わないと思うわ」
クリスマス休暇に入ると、エマニュエルと「私」は別々に休暇を過ごすことになった。「私」は日本人の友人とともに北フランスの小さな村で過ごすことになった。そこで出会ったニコラの家に招かれる。旧式の複葉機と男が映った写真を見つける。ニコラの父親だという。スペイン市民戦争に人民戦線側について参戦したのだという。人民戦線が敗れたのち、飛行機に乗って脱出しようとしたのだが、相棒の男に飛行機を奪われ、果てに指を切られてしまったのだという。ニコラの父親はひまわり畑のなかを自分の切断された指を探し回ったのだという。ニコラが指のことを聴くと、ひどく機嫌が悪くなったのだそうだ。「私」は、あのチロルの村での奇怪な出来事を思い出し、ニコラの父親がマルティン・コップを殺めたのではないかと推理する。エマニュエルに手紙を出す「私」。エマニュエルから返事が届く。
「私は世の中に恐ろしい偶然があり、符号があることを認めています。それでも、なぜか、それを信じてはいけないような気がするんです。その理由はいろいろありましょう。その中で有力な理由は、私が運命の力を最小のものに見なしたいと思っていることかもしれません。私が偶然の力を過小評価しなければならないと考えているからかもしれません」辻邦生「泉」『夏の海の色』中公文庫、1992年、40頁
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