また当世風日記──カプリッチョを聴きました

Capriccio Capriccio
Richard Strauss、 他 (2005/09/13)
Deutsche Grammophon

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なんだか疲れているみたいで、家に帰るとすぐに寝入ってしまう感じです。とはいえ、通勤復路には久しぶり(といっても一ヶ月前には聴いているのですが)にカプリッチョを聴いて心を休めました。ヤノヴィッツさんの"Morgen mittag um elf !!"が良いなあ、なんてぼんやりしながら聴いていました。

読書の方はというと、塩野七生さんの「わが友マキアヴェッリ」と辻邦生師の「春の戴冠」を交互に読みながら通勤中。ああ、「窖」のこと、かけていませんね。今週はかけるといいのですが、少しずつ読み直しながらノートを取らないとかけそうにはないようです。

しばし苦しい時期が続きそうですが、こういうときこそ音楽を聴いて気持ちを奮い立たせなければ!

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当世風日記

今日もあまり音楽聴けませんでした。シュトラウス先生の「カプリッチョ」の終幕の場をベーム盤で聴いて少し心を休めたぐらいです。あとは、図書館で借りてきたデル・モナコの歌う「マノン・レスコー」などなど。「マノン・レスコー」は録音時代が古いので少し古めかしい雰囲気が出ているように思います。

先だって、「葉っぱに埃がついたので水をかけて払ってやったでちブログ」さんのコメントに「色眼鏡を書けないように、耳にフィルターをかけないように音楽を聴きたい」と書かせて頂いたのですが、頂いた返答に「人間は色眼鏡をしているものだから、そうであることを忘れてはならない」という旨、書いてありました。そうなのです。その通りなのでした。色眼鏡は皆が皆かけていて、外すことは出来ないのです。かつてそう習ったことがありました。その通りです。しまった、と思いました。

ですが、それでも色眼鏡がない、という状況を求めようとする何かあるような気がしてならないのです。

それで二つを分けて考えると、

  1. 色眼鏡をかけていることを認識した上で、認識する
  2. 色眼鏡をかけないように認識しようと意志する

という風に表せるのかな、などと、事務室で仕事をしながら考えてしまいました。

おそらく前者が認識論的方法で後者が形而上学的方法なのかなあ、などと分類してみたりして。どちらがよいとも言えないのですが、1番は近代的で、2番が古典的、と言った感じでしょうか。

いずれにせよ、普通は色眼鏡をかけて認識していますので、そのことを念頭に置くと言うことがスタート地点になると言うことは言えると思います。

もう少し考えてみたいと思います。

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ショルティの振るマーラーの6番を聞く

マーラー : 交響曲第6番イ短調 「悲劇的」 マーラー : 交響曲第6番イ短調 「悲劇的」
シカゴ交響楽団 (1994/04/22)
ユニバーサルクラシック

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この一ヶ月ほどで、最も好きな曲達の仲間入りを果たしているマーラーの交響曲第6番ですが、今日はショルティ盤を聞いてみました。のっけから切れ味のある鋭い演奏。スネアドラムのキレがとても良いです。雄々しさをも感じます。だから、美しいアルマのテーマもどこか力強さを感じさせます。アルマ・マーラーの奥底まで見透かしたような演奏。シカゴ交響楽団は本当に巧いですね。もちろん、シカゴの管が巧いという先入観があるから、というのもあるのでしょうけれど、ホルンのフレージングとかいともたやすく吹いているように聞こえるのですが、本当はとても難しいのだろうなあ、と思います。いろいろと意見はあるみたいなのですが、僕個人としてはショルティのマーラーはそんなに嫌いではないな、とおもいました。今日も気づけばマーラーを聞いていました、という感じです。


今朝は5時半に起きました。この一ヶ月のなかでは一番早起きかも知れません。少し疲れていましたが、少々仕事を。途中で脱線しましたが、8時に朝食をとるまではなんとか続けられました。朝食はシリアルにレーズンを入れてミルクを注いだもの。こういう朝食はとても大好きです。

食べながらNHKの「小さな旅」を見たのですが、祐天寺界隈が取り上げられていました。その中でも感銘を受けたのが、祐天寺で戦後からパン屋を経営しているおじいさんの話。昔ながらの形をした、あのグローブのような形のクリームパンを丁寧に丁寧にラップに包んでいるのです。その真摯で優しい姿をみて感涙。途中から見たので文脈が分らないのですが、パン屋はなぜか午前1時に開店するのですが、その時点でパン屋の前には長蛇の列。しかも若者が多い。シャッターを開けるおじいさん。若者達はおそらくは深夜まで仕事をしたり遊んだりして祐天寺に帰ってきたのでしょうが、その彼らが、夜食や翌日の食事にとパンをどんどん買っていく。やはりおじいさんの人柄に惹かれて買っているということもあるでしょうし、パンももちろんおいしいのでしょう。祐天寺近くに住んでいたら絶対に買いに行きたいなあ、と強く思ったのでした。

日本もいろいろ世知辛くなっていますが、こういうあたたかい話もまだ残っているんだ、と思うと、幸せな気分になりました。きっと、あのパンを食べている人も、いろいろ大変な世の中なかで、必死に生きているのだとおもうのですが、パンを食べてひとときの幸せを感じて、おじいさんからもパンからも生きる力をもらっているのでしょうね。久々にいい話を観て良かったです。最近、ニュースを見たり聞いたりすると憂鬱になるので、あまりニュースを見ないようにしてますし、新聞も読まない感じなのですが、こういうテレビ番組でしたら何度でも観たいな、と思いました。

今日は何とか日内に更新できました。先週はいろいろあって一日遅れで何とか書きつないでいるという感じでしたが、週末休めたおかげで何とか書けた感じです。明日からの一週間も仕事的にいろいろありそうですが、更新して行ければいいな、と思っています。


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塩野七生「わが友マキアヴェッリ」

わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡〈1〉 (新潮文庫)
塩野 七生
新潮社
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ますますフィレンツェ付いているわけですが、今日はちょっと都内に出掛けたもので、軽い文庫版の「わが友マキアヴェッリ」を持って行きました。「春の戴冠」は今日はお休み。

所有しているのは、上の写真の「ルネサンス著作集」ではなく、中公文庫版でして、購入したのはおそらく10年ぐらい前。ですが、二度ほど手には取ったものの、どうにもこうにも入っていけず、書棚にしまわれたままでした。それで、最近また「春の戴冠」を読み始めたと言うこともありましたし、先日取り上げた塩野七生さんの「ルネサンスとは何であったのか」を読んだと言うこともありまして、また取り出してみたというわけです。

「春の戴冠」を一度読み通していますので、コシモ・メディチからロレンツォ・メディチへ至る大体の歴史は押さえてあったということもありますし、「ルネサンスとは何であったのか」で通史的な知識も得ているので、今回はちゃんと入っていけました。今日は、最初のマキアヴェッリの人となりについての考察を読んで、その後に続く、ロレンツォ・デ・メディチの卓越した外交手腕と、素人裸足の芸術家気質の両面性をフィレンツェの歴史に寄り添いながら考察している部分までを。相変わらずの冷静な筆にまたうなりました。今日は二時間ほど読んだ感じですね。


今日は午前中に虎ノ門でちょっとした用事、その後神保町のカフェで一仕事。午後は、神保町の鍼灸院で鍼をうってもらい、灸をすえて貰いました。身体が軽くなった感じです。それからまた神保町のカフェで仕事。夕立が来るという天気予報でしたので、曇り始めてきたのを見計らって帰宅しました。

今日は隅田川花火大会だそうですね。僕の住んでいるあたりでも、花火の鳴る音が聞こえましたので、外に出てみると、遠くで花火が上がっているのが見えました。それも別々の場所三箇所で、です。いろいろなところで花火大会をやっているのですね。最後に花火を見たのは五年前。それ以来見てないですね。花火を見ながらビールを飲むと気持ちいいのでしょうけれど。

明日こそは「窖」について書けるでしょうか? 仕事のはかどりかたからいって、少々厳しめかもしれませんね。


ブラームス:ピアノ協奏曲第2番 ブラームス:ピアノ協奏曲第2番
ポリーニ(マウリツィオ) (2002/09/25)
ユニバーサルクラシック

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今日聴いたのは、ラヴェルの弦楽四重奏とフォーレのヴァイオリンソナタ。帰宅してからはブラームスのピアノ協奏曲第二番をポリーニとアバドの演奏で。ポリーニのブラームスは、10年ほど前に発売されたものですが、当時タワーレコードで聴いて偉く感動した記憶があります。溶けるように美しい序奏に感動した覚えがあります。イタリア人の演奏するドイツもの、は良いなあ、と改めて思いました。

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辻邦生「美しい夏の行方」と「春の戴冠」

美しい夏の行方―イタリア、シチリアの旅 (中公文庫)
辻 邦生
中央公論新社
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フィレンツェずいている今日この頃ですが、新潮文庫から出ている、題名も装丁も写真も、そしてもちろん文章もとても美しいこの本を読みました。アリタリア航空南回りで東京からローマに着いた時の祝祭的な気分、ローマの暑い一日を愉しみ、アッシジで聖フランチェスコの聖蹟に親しむ。途中で天使のような女の子に出会ったり。そしてフィレンツェ。ですが、そこで辻先生を待っていたものは……。

1989年に大判本で出版されましたが、もとは「マリー・クレール」という雑誌のために書かれた紀行文です。そして、この新潮文庫版が出版されたのは1999年7月3日。おなじ7月29日に辻先生は軽井沢で倒れられ息を引き取られましたので、おそらくは生前に出版された最後の本なのではないかと思います。

さしあたっては、前半のローマからフィレンツェの部分を読みまして、後半のシチリア紀行は今回は読まずに、「春の戴冠」に戻りました。こちらでは、ジュリアーノ・メディチが騎馬槍試合で、メディチ家のライバルであるパッティ家のロドルフォを打ち倒しますが、シモネッタの病も進行して……。サンドロ・ボッティチェルリは、いよいよ「春」の構想を練り上げてゆきます。上巻の喜びと悲しみのクライマックスが徐々に迫ってきています。

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当世風日記

今日はフォーレの弦楽四重奏曲を聴ききながら辻邦生師の「春の戴冠」を読んでいました。今日は騎馬試合の模様で、ジュリアーノがパッツィ家のロドルフォと闘うシーン。騎馬試合の祝祭的な雰囲気を豊に響く言葉が色彩豊かに織り成すさまは圧巻です。もう騎馬試合のシーンを読んだだけで満腹です。素晴らしい。「窖」についての考察は週末にやれればやりたいと思っています

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塩野七生「ルネサンスとは何であったのか」

ルネサンスとは何であったのか (塩野七生ルネサンス著作集)
塩野 七生
新潮社 (2001/04)
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読み終わりました、「ルネサンスとは何であったのか」。歴史ともエッセイとも物語とも言えませんが、魅力的で吸い込まれるような文章にうなってしまいました。

ルネサンスの道行きについて、勃興地フィレンツェから、ローマ、ヴェネツィアへと辿っていきながら、語り手と聴き手の対談形式で明らかにしていくという構造。フィレンツェではダンテ、ボッカチオに始まり、ボッティチェッリ、ダヴィンチ、フィチーノやボルツァーノといった人物が、メディチ家の庇護のもと活躍していきます。当時のフィレンツェはルネサンス文化の中心地であり、多才な頭脳が集まり生まれた地なのでした。フィレンツェは、メディチ家のロレンツォの死によってその役割を終え、中心地はローマに移ります。

ローマでは教皇達がルネサンスの庇護者となる。ここで活躍するのはミケランジェロであり、ラファエロなのです。ローマがドイツ傭兵に略奪され破壊されるに至り、ローマを守る、カトリックを守るために、反宗教改革の波が訪れ、ルネサンスの自由精神は抑圧され、異端審問が繰り返されるようになるわけです。そうしてルネサンスの中心地はヴェネツィアに変わる。

ヴェネツィア共和国は、教皇や皇帝の支配から独立を守り続けた自由都市で、異端審問でさえ、聖職者だけではなく非聖職者が審問に加わることで骨抜きになってしまう。そうした反宗教改革からも守られたヴェネツィアにティツィアーノに始まり、ティントレット、ヴェロネーゼなどに続くヴェネツィア画派が勃興していく。

ルネサンスを総括して「見たい、知りたい、分かりたい」の衝動、意志の進行として捉えています。 なおも、最後には、ルネサンスとは日本的な語彙で表現すれば、その中に心眼と克己、僕なりに言い換えると、美的なものへの終わりのない執心と、人間の強い意志の発露、という形でも総括しているのだと思います。それから、ルネサンスの遺産を(1)芸術品、(2)精神の独立への執着、(3)一元論的(多元論的)思考、としているあたりもさっぱりしていますね。

最後に僕の心を捉えた一文を。

「謙虚は、創作者には必要不可欠でしょうか?」 「必要不可欠ですね。誰にも負けないという傲慢不遜も、不可欠な条件ですが」

いいですね。そうだと思います。ですが、普通の人ならば精神不安定に陥るだろう、と書いてあって、それでも双方を駆使するのが創作者なのである、と締めくくられていますが……。

この本は折に触れてぱらぱらと読みたくなる本です。明日からはまた「春の戴冠」の世界にどっぷりと浸かっていこうと思います。


今日は寝起きも良くさっぱり。往路も復路も「ルネサンス……」を読み続けました。復路はラヴェルの弦楽四重奏を聴きながら。あ、お昼休みにはシノポリ氏の「エレクトラ」を聴きました。仕事の方は、会議が多くて辛いですね。明日は朝から夕方まで会議だらけ。会議、疲れますが、それが仕事なので前向きに取り組むことに致しましょう。


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塩野七生「ルネサンスとは何であったのか」

ルネサンスとは何であったのか (塩野七生ルネサンス著作集)
塩野 七生
新潮社 (2001/04)
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塩野七生さんの著作を読んでいます。辻邦生師の「春の戴冠」を読んでいるなかで、ルネサンス全体のことを押さえようかな、という意図です。 塩野さんは本当に文章が巧いですね。そして論理的で解明です。ルネサンスの単著を、聖フランシスコとフリードリヒ二世に捉えるあたり、とても新鮮です。

全体で章は四つに分かれています。

 1.フィレンツェで考える
 2.ローマで考える
 3.キアンティ地方のグレーヴェにて
 4.ヴェネツィアで考える

今日は、2.の途中まで読み終わりました。マクロな視点でルネサンスを捉えることが出来るとても良い本ですが、塩野さんの他のルネサンスについての本も読んだ方がよいかもしれませんね。

ルネサンス著作集

気がつけば、未読は2「ルネサンスの女たち」と7「わが友マキアヴェッリ」です。これもこの先2ヶ月の間には読みたいと思っています。 「ルネサンスとは何であったのか」については、明日、読み終わった感想を書いてみたいと思います。

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仕事のこと──日記帳

いけませんね、本当に。大遅刻です。

音楽、ちゃんと聴けていませんね。ブーレーズのマーラーの6番を執拗に聴いています。ブーレーズの指揮、都会的でスタイリッシュな感じ、と書きましたが、結構速度は粘っこく動かしているような気がしています。テンポで都会的色合いを付けているのではなく、やはり響きの面でコントロールしているのですね。そういうことが分かってきました。

シノポリ盤のマーラーの9番も少し聴きましたが、うーん、なんともとりつく島がないような……。山腹に本来あるべきはしごがなくて登れないような気分。



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寝坊してしまいました──ブーレーズのマーラー6番

寝坊してしまいました。昨日の疲れがまだ残っているようです。疲れ具合は、6月30日のときよりも少ないのではないかと思っていたのですが、今日になってみると、足の筋肉の痛みが増している……。

それでも体にむち打っていつもの休日のように近所のカフェで仕事を。いつもiPodをもってカフェに行くのですが、聴く音楽によって、仕事のはかどり具合が違います。なかなか仕事に入っていけなかったのですが、ブーレーズが振るマーラーの9番を聴き始めてようやく仕事に乗れてきた感じです。

午後には帰宅したのですが、家の仕事をやっているうちにあっという間に夕方に……。それで憂鬱になるのはサザエさん症候群という奴でしょうか? 本当はやりたかった仕事が出来なくて少々欲求不満気味。それでも家の仕事をやったので、良かったかなあ、と思っています。

Gustav Mahler
Mahler: Symphonie No.6
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Gustav Mahler Pierre Boulez Vienna Philharmonic Orchestra
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今日、図書館から借りてきたブーレーズが振るマーラーの交響曲第6番をiPodに入れました。改めて聴いているのですが、こういう純粋な感じ、整理された感じ、あるいはスタイリッシュな感じ、きらいじゃないなあ、と思いました。吉田秀和さんは「はたしてこれはマーラーなのだろうか」と書いておられましたが、こういうマーラーも良いのではないか、と思います。確かに、ウィーン的なものとボヘミア的なものの混交、都会と田舎の混じり合いといったマーラーの特徴が後退しているということは言えると思うのですが、かえってそうしたすっきりとした感じのほうが良いなあと思うこともあるのです。ショルティが振るマーラーにも似たようなイメージを感じたこともあります。繰り返しますが、僕はブーレーズ盤の6盤、大好きです。

それにしても気になるレヴァインのマーラー。タワーレコードのウェブサイトではいくつか入手できそうなのですが、6番だけ扱っていません。Amazonでは6番も扱っていますね。小遣い帳とにらめっこしながら、買うか買うまいかと悩んだのですが、結局プルースト関連の本を買ってしまったので、レヴァインはお預け。月末の給料日になったらもう一度小遣い帳と相談しようと思っています。あるいは、都心に出る用事があれば、タワーレコードの実店舗でも見てみたいなあ、と言う思いも。これはきっと買うと思いますです、はい。


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