Tsuji Kunio

Haru
今日は、往路、復路ともに辻邦生師の「春の戴冠」を読むことができました。昨日は30頁弱しか読めませんでしたが、今日は40頁強ぐらい読めたと思います。サンドロ(ボッティチェルリ)と語り手のフェデリゴが徐々に大人になっていく部分です。コシモ・デ・メディチが登場し、策謀を巡らせてフィレンツェの実権を握っていくあたりまで行きました。その中で、芸術と実務の対立や、フィリッポ・リッピの華やかな生き様を賞賛するあたり、それからサンドロ現実の美しさの有限性に気付き悩み始めるところ、などを経てきました。それから謎の薬剤師トマソの登場や、コシモとの出会いなどなど、今日もいろいろあった一日でした。


今日も吉田秀和さんのビデオを見ました。桐朋学園の前身の子供のための音楽教室をつくられたり、二十世紀音楽研究会をつくられたりしたのですね。武満さんが「Ring」という作品を発表されたときにどれだけ感動したかと言うことを話しておられました。

グールドやアルゲリッチの評価の先鞭を付けられた吉田さんは、そのことを、何万もの魚の中から、これぞと言う魚を見つけるのが楽しいのだ、ちょうど釣人が、だれもつらない様な場所で魚を釣り上げたような喜びなのだ、という具合に喩えていらっしゃいました。

それから、音楽の本質は、良い機会(オーディオ)でなくても分かると思う、ともおっしゃっていました。逆に、音楽の本質をつかめないのにオーディオに投資をしても無駄だ、ともおっしゃっていました。僕自身、iPodとヘッドフォンにしかお金をかけていなくて、オーディオにはあまり頓着しない方(というか、経済的理由からできないのですが)なので、その言葉は多いに励みになりました。

チェリビダッケのチャイコフスキー5番を聴きながら、チェリビダッケは遅いというのは分かっているけれど、そこから、何が生まれてくるのか、どういう面白み、音楽の愉しみ、予想外なことが出てくるのかを見つけるのが、僕の楽しみなのだ、とおっしゃっていました。

音楽を聴かれるときは、畳の部屋で聴かれているのですが、スコアを見ながら、メモをとりながら(おそらく欧文で)聴かれていました。やはりスコアが読めないいけないなあ、と思いました。まあ何を望むかと言うことにもよると思うのですが。


また会社で少々失敗を。本当は味方にしなければならない方を敵に回したかもしれない。考えすぎはよくありませんが、まだ少々おとなしくしておいた方がよいようです。仕方がない。あすからは気持を切り替えて行きましょう。


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