2007年12月アーカイブ
FC2で運用してきたMuseum::Shushi bisですが、いろいろ考えた末、自前で取ったサーバー上のMovabletype4で運用することにいたしました。
新しいウェブログは以下の通りです。
http://shuk.s6.coreserver.jp/MSB/★リンクして頂いている皆様★
リンクの変更をお願い致します。もちろん、FC2のブログは閉鎖致しません。
ポジティブな理由としては以下の通りです。
- レスポンスが早くなり表示時間が短縮されます。
昨年まではMuseum::Shushiとして、Movabletype 3.3環境で運用していましたが、記事を静的に作成していたため、全体の再構築がタイムアウトで落ちてしまい、保守不能になりました。原因は、記事数の増加と、サーバーパフォーマンスの陳腐化が原因です。今回からは、別の性能の上がったサーバーで、記事を動的生成する方式をとることで、レスポンスの向上を図ることが出来るという判断です。 - 管理画面のユーザーインタフェースが使いやすい
この点は、ごらん頂く皆様というより、私の負荷が軽減されるというのみなので、理由とするには少々気が引ける面はあります。FC2の管理画面もいろいろ工夫があるのですが、少々動作がもたつく場面がありました。また、ログインしようとするたびに認証を求められるのが少々面倒でした。Movabletypeに変更することで、管理画面がとても使い訳すくなりました。自動保存や、入力域の拡大可能などの面でも良いと思える部分が多いです。 - 広告が表示されない
最近、FC2の管理画面に消費者金融やオンラインゲームの広告が頻繁に表示され、少々うるさく感じるようになってきたという点があります。無料なので何も言えないのですが、サーバーを取ってしまった以上、無料であるから使う、という理由はなくなったと言うことになります。 - タグとカテゴリが使える
タグを複数つけることが出来るのはもちろん、カテゴリーの階層化や、複数のカテゴリを指定できる、など記事の管理をする上での柔軟性が広がります。
- 自前でインストールから、CSSやHTMLのメンテナンスまで自分でやる必要があります。これは、もう「自分の勉強になるから」という理由で、甘んじて受けようと思います。
- デザインのテンプレートが少ないので、本当に最低限のデザインしか適用できないですね。前項にも書いたように自分でデザインしないと行けません。これは楽しい作業ではあるのですが、少々時間を取られるのが玉に瑕です。
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認証が必要のないモードがありましたので、そちらに変更します。今まで通りご自由にコメントを付けて頂くことができるようになりました。よろしくお願いします。
コメントを頂く場合、認証をして頂くことが必要になりました。コメントを頂く場合最初に少しご不便をお掛けするかと存じますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。
以下のリンクが参考となります。
http://www.sixapart.jp/pronet/developers/movabletype/mt4_comment_authentication_methods.html
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聖堂の左手奥にクープラへの上り口がある。簡単なチェックのあと、薄暗い階段を昇り始める。思ったより疲れないのは、毎日ウォーキングを欠かさなかったからかな、などと思っていると、クープラの内側の通路に出る。円錐の円周の内側に設けられた通路というべきか。ここから聖堂内が見渡せる。大きい。思った以上に大きい。頭上にはフレスコ画。これもすごい。ルネサンス的描写製を持つ絵で、ここまで書くのは本当に大変だと思う。
クープラの天頂部分への通廊と階段はまだ続いていく。あまり疲れないのがとても嬉しい。昔に比べて大分と体調が戻ってきたのだなあ、と思う。
天頂部に到着すると、一気に視界が広がる。360度フィレンツェの煉瓦色の屋根瓦と淡いカーキ色の壁を持つ建物がアルノ河の作った渓谷いっぱいに広がっているのが見える。ああ、あれがサンタクローチェ教会だ、あれがメディチ家礼拝堂だ、などと地図を見ながら風景を楽しむ幸せ。屋上に小さな庭をもつ家が見える。あんな家に住めたらどんなに幸せだろうか。
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ポリドール (1999/06/23)
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今日はヨハネ受難曲を聴いています。初めて聞いたのは中学生の頃だったと思いますが、冒頭の通奏低音と合唱の不気味さに驚愕し、これはもう「はげ山の一夜」ぐらいおどろおどろしい情景だ、と思った記憶があります。受難曲ですので、受難や磔刑の暗いイメージが冒頭からにじみ出していると言うところでしょうか。イエスという肉体が滅びる哀しみと絶望を表現するためには、これぐらい肉的でどろどろした汚濁を描いて見せなければならないと言うことなのだと思います。この曲を聴いてバッハの清純イメージ僕の中で急展開し、キリスト教の持つ肉的な部分──それは、聖遺物の展示や、聖者の遺骸がガラス張りの棺に収められていたり、という部分なのですが──をも表現することが出来る作曲家なのだ、と思った次第でした。
しかしそんな中にもオアシスのような美しいアリアがあります。フルートが先導しソプラノへバトンを渡すこの部分です。
この部分、本当に美しくて、ついつい涙ぐんでしまうこともしばしばです。
リヒターの演奏は、ピリオド的なものでは当然ないのですが、バッハの「肉的」な部分をうまく表現していると思います。それは、リヒターのチェンバロ協奏曲を聴いたときにも抱いた感想でした。リヒターは50歳半ばにして病に倒れるのですが、その後のバロック音楽演奏情勢を知らずになくなったのは少し残念かもしれません。
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ソニーレコード (2000/08/23)
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お恥ずかしながら、本日初めて聞いた「キージェ中尉」。なかなか軽妙な曲ですね。軽快でユーモアの溢れる曲想が全体を支配していますが、ロシア民謡的な旋律がバスクラリネットやピッコロなどで不気味に演奏されて、軽妙な旋律とポリフォニックに動いたりポリリズムを刻んだりするあたりがおもしろいですね。きっと演奏するのは骨が折れると思います。もともとは映画音楽のために作られた曲で、交響組曲に編曲されたそうです。
聞いていると、ブリテンの「青少年のための音楽入門」を思い出します。あれも強烈にポリリズムになるところがありますよね。ポリリズムと言えば少し苦い思い出が。かつて、先輩のバンドでサックスを吹いたことがあるのですが、私の他はみんな理系の先輩方で、リズムに対する意識が僕には分からないぐらいに凄いのですよ。ドラムは7拍子で、ベースは4拍子で、1拍目が合致するのが28小節目で、みたいなイメージ。正直ついていくのが大変でした。というよりついて行けなかったかも......。僕の才能不足だと思います。はい。
音楽を極められる方は、理系の方が多い、というが僕の持論ですが(「ド文系」の僕だからこそ言えることだとは思いますが)やはり数学的なセンスがないと、リズムを体感したり、調性の移行感覚や、コードの数字の積み上げといった記号論的な理論を習得するのは難しいです。もちろん、文系の方でも優秀な方はこうした面をクリアされておられるとは思うのですが。すこし自虐的になってしまいますので、このあたりで止めておこうと思います。
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- バッハ:音楽の捧げもの
- アーチスト: ゲーベル(ラインハルト)
- 発売元: ユニバーサル ミュージック クラシック
- レーベル: ユニバーサル ミュージック クラシック
- スタジオ: ユニバーサル ミュージック クラシック
- メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
- 発売日: 2000/05/24
- 売上ランキング: 37425
- おすすめ度

バッハ晩年の「音楽の捧げもの」を聴いています。ラインハルト・ゲーベル指揮のムジカ・アンティクワ・ケルンの演奏にて。毒々しさがなく清浄な流れのバッハ。心が安まりますね。それでいてSonata Allegroのように躍動感があって、元気付けてくれる演奏でもあります。なかなかすばらしいです。
この曲は、高校のころはレンタルCDで借りたのをテープに録音してよく聴いていました。
この曲のテーマは以下の譜面の通り。これがどんどん変奏されていくわけですが、まさに妙技ですね。同じテーマ≒同じコード進行を展開させていくあたりは、ジャズ的でもありますね。

Bach_Musicoffering.mid
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サンタ・マリア・デル・フィオーレの次は、サンタ・クローチェ教会へ。サンタ・クローチェ前の広場では欧州物産展が開かれていて、ドイツビールやオランダのチーズ、オーストリアのケーキなどの屋台が出てにぎわっている。かつて、ここで馬上槍試合が繰り広げられ、ジュリアーノ・メディチがロドルフォ・パッツィを打ち負かし死に至らしめるという故事があったことは、辻邦生さんの「春の戴冠」で取り上げられているとおり。物産展が開かれていたせいか、意外と狭い広場だな、と感じた。ここで馬上槍試合が行われたというのが俄には信じがたい感じを持つ。
サンタ・クローチェ教会には、イタリアの偉人たちの墓がたくさん。ロッシーニ、マキアヴェッリなどなど。深閑とした静寂が聖堂内に広がっている。
中庭に出たときの清浄感たるや感動的。教会前広場の喧騒も聞こえず、ただ小鳥のさえずりが聞こえるだけ。中庭をゆっくりと散策する贅沢。申し訳ないぐらい。
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「カットされていない部分が多くて全体的に長い印象だった」と書いたのですが、ちょっと間違ったことを書いてしまったかな、と思っています。
http://museumshushi.blog77.fc2.com/blog-entry-462.html
http://shuk.s6.coreserver.jp/MSB/2007/11/1983.html
拠所となったのは、マルシャリンがゾフィーに顔色のところを問いつめる場面と、マルシャリンの部屋でヴァルツァッキがオックスに自分を売り込む場面がなかったのではないか、という思いだったのですが、カラヤン盤のライナーを見ると、どちらもあることに気づきました。ごめんなさい。
しかし、やはりどうしても聞いたことのないばらの騎士を聞いた気がするのですよ......。凄く新鮮な気分で聞けた気持だったのです。あれはなんだったのだろう? 指揮のファビオ・ルイジの音楽の作り方のせいなのか、あるいは、ばらの騎士を聴き続けた僕の中で何かが変わったのか? あるいは、僕がはっきりと認識できなかったところでノーカットになっていたのか......。
ともかく、すこし安易に書いてしまったことはお詫び致します。
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- バッハ:マタイ受難曲
- アーチスト: クレンペラー(オットー)
- レーベル: EMIミュージック・ジャパン
- 価格: ¥ 3,990 (5% OFF)
- 発売日: 2002/03/06
- 売上ランキング: 1910
- おすすめ度

先だって、コンサートに行ったとき、隣に座った初老の男性に声をかけられた。よくお話を伺ってみると、その方はかつて某交響楽団付属の合唱団で歌っておられたそうだ。今日の曲目にバッハの「ヨハネ受難曲」のなかから選ばれた曲がありますね、と話を振ってみると、マタイ受難曲がお好きな風。でも、マタイは少し長いので聞くのにもなかなか躊躇してしまって、ついついヨハネを聞いてしまうんですよ、と言うと、男性は、やっぱりマタイですよ、とおっしゃる。
というわけで、今日はマタイ受難曲を聴いてみる。演奏は、ロ短調ミサ曲を振ったオットー・クレンペラー。演奏は重厚で、ピリオド楽器隆盛な今となっては古風な演奏家もしれないけれど、僕はこういう重い演奏は嫌いではない。むしろ好きなぐらい。リヒター盤も持っているけれど、いざ聴くとなると今日はクレンペラーを選んでしまった。僕にとってバッハ演奏で最大の衝撃だったのは、クレンペラーのミサ曲ロ短調の冒頭なので。
ディースカウさん、シュヴァルツコップさん、ゲッダさん、ルートヴィヒさん、といった高名な声楽家を揃えたレコーディングはやはり圧倒的。マタイのことを語るほど僕は聞き込んでいないから、何を書けばいいのか分からないけれど、とにかうディースカウさん、若いです。でも、円熟期へ至る道筋が見える。若くてもやはりディースカウさんはディースカウさんの個性を持っておられる。
今週はバッハを聴く機会が多かった。というのも、森麻季さんが出演されたドレスデン室内管弦楽団のコンサートに出掛けたから。曲目がバロック以前のものが多かったと言うこともあり、すこしバロック的なオンタイムな音楽を聴こう、と思ったのだった。このコンサートのことについてはまた後日ご報告したいと思う。
それにしても、幾ばくかの愁いはあるとしても、こうして静かな休日の午後にバッハを聴くという贅沢は、身に余る贅沢に思えて仕方がない。これこそ感謝しなくてはならないことなのだなあ、と思ったりしている。
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- バッハ:フーガの技法、他
- アーチスト: ミュンヒンガー(カール)
- 発売元: ユニバーサル ミュージック クラシック
- レーベル: ユニバーサル ミュージック クラシック
- 価格: ¥ 2,400
- 発売日: 2007/10/24
- 売上ランキング: 15714
今日も相も変わらずバッハです。どうもたまに浮かされたように作曲家にはまっていくようですね。先だってはヴォーン・ウィリアムズでしたが、最近はバッハです。
今日は、ミュンヒンガー指揮の音楽の捧げものです。ゲーベルさんがピリオド楽器でしたが、ミュンヒンガーさんの場合は弦楽合奏を中心とした現代的な響きです。とはいえ、清々しい透明感のある演奏ですね。冒頭のテーマの部分はゆっくりと弦楽合奏が奏でる感じです。大好きなのはソナタ・アレグロで、テーマのコード進行がスピード感のあるテーマで奏でられているあたり、バッハの職人芸だと思うのですが、演奏する方も素晴らしいと思います。しばらくはこの曲だけ聴いていてもいいなあ、と思うほどです
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今日は早起きです。6時からNHKのBS-3で「第76回日本音楽コンクール本選会」をやっていますね。早起きをすると良いこともあるようです。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲をやっています。やはりここまで残っておられる方は相当巧いですね。私も下手に老け込まずに頑張ろう。
※ テクノラティのブログURLを変更すると、新しい記事をポストするよう要求されたので、朝早いですが投稿してみました。
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サンタ・クローチェ広場からヴェッキオ宮殿までぶらぶらと散歩しながら歩いていく。細い路地。石畳。両側の高い石造りの建物に圧倒されそうになる。しかし、人通りはとても多く、町中が観光スポット、いや、町中が美術館であるといわれても驚かない。それぐらい魅力的な待ちである。この路地をきっと、ボッティチェルリやラファエロが歩いたのかもしれない、と思うとぞくぞくしてくる。
ヴェッキオ宮殿前広場にでると、それまでの狭い路地から景色が急に広がる感じがする。尖塔を持つヴェッキオ宮殿の壁面にはいくつもの色とりどりの紋章が描かれている。写真を見ているだけではやはり何もわからない。実際に見るのが一番良いのだろうけれど、極東から欧州へ来る機会なんて今の僕の境遇では高が知れているから、本当に幸福な瞬間なのだ、と感謝せずにはいられない。
メルカート・ヌオヴォ、つまり新市場には、ブロンズの猪の彫刻が置いてある。これに触るとまたフィレンツェにこられるらしい。トレビの泉のようなものだ。だが、そういう非合理的なものこそ積極的に受け容れていくのが大事なのだ。科学や論理だけが事実ではない。戦闘的オプティミズムと辻先生はおっしゃるが、自分にとってプラスになるものは、どんなに非科学的なものであろうとも、楽しんで喜んで受け容れるべきだろう。もちろん、それによって人生を見誤るようなことはあってはならないのだけれど。
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先だって、ドレスデン国立歌劇場(ザクセン州立歌劇場?)のばらの騎士公演に付随して、シュターツカペレ・ドレスデンのメンバーから構成されるドレスデン歌劇場室内管弦楽団 Dresdener Kapellsolisten の公演に行ってきました。僕たちが見たのはプログラム2で、曲目は以下の通りです。
- コレッリ 合奏協奏曲ト短調「クリスマス協奏曲」
- ヘンデル 「オンブラ・マイ・フ」
- モーツァルト ファゴット協奏曲変ロ長調K.191
- バッハ 「ヨハネ受難曲」より「融けて流れよ、私の心」
- バッハ 「主よ、人の望みの喜びよ」
- モーツァルト もてっと「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」
アンコールで、ヴィヴァルディの「冬」が演奏されました。
ソプラノの森麻季さんも出演されていて、透き通る高い声を愉しませてくれましたが、一番の収穫は、コンサートマスターのスザンネ・ブラニーさんのヴァイオリンでしょうか。アンコールで演奏されたヴィヴァルディの「冬」のソロ・ヴァイオリンが凄すぎでした。豊かな倍音の音に加えて、雄々しいともいうべき強烈なフレージングに、観客席が一瞬どよめいたようにも思いました。巧い方っていうのは本当にたくさんいらっしゃるのですね。ブラニーさんは、ドレスデンに生まれてドレスデンで学ばれてドレスデンシュターツカペレの第一ヴァイオリンになられた方ということで、生粋のドレスデン人でいらっしゃるようです。
個人的には、コレッリの合奏協奏曲を聴けたのも収穫でした。この曲は知らなかったのですが、いいですね、コレッリは。CD買おうかな、と思いました。
帰り間際、会場ではシュターツカペレドレスデンのCDや森麻季さんのCDの即売会を見ていたら、ばらの騎士が売っていたので、こころがゆらりと動いたのですが、何とか押しとどめました。森麻季さんのCDはAmazonで買いましたので、またレポートしたいと思います。
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ルネサンス絵画の描写性について、何度か書いたのだが、その文脈では、ルネサンス的なものとして「描写性」を挙げた。遠近法の導入などである。ローマの彫像や遠近法壁画などを復活させたのである。
しかし、改めて考えると、中世絵画には中世絵画なりの意味があって、あえてローマ以来の描写性を放棄したのである。ローマ時代には既に遠近法を用いた絵画があった(※1)のであるにもかかわらず、である。
宗教画として、イエスを大きく、そのほかの人を小さく描いたり、人間離れした表情で描いたり、といった描写や、最後の審判の厳しいイエスの表情など、現実描写ではない部分に宗教的意味を与えていたのだ、と言うことだ。そう言う文脈を念頭に置いてルネサンス芸術を考える必要がある。今年はイタリアでルネサンスの洗礼をを受けたわけだが、そこに至るまでの美術史についても勉強を進めなければならない。
※1 皇帝ネロのドムス・アウレアである。
塩野七生『ルネサンスとは何であったのか』新潮社、2001年、55頁
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さて、ヴェッキオ宮殿でもセキュリティチェックが厳しいのだが、そのチェックを警察官が一人で行っている。長蛇の列。だが、誰もめげずに並んでいる。宮殿内に入って、チケットを買って階上へ。ああ、ここが大広間なのだ。ここで、コジモが、ロレンツォが演説をふるったのか、と思うと感慨深い。

壇上からの眺め。同じような風景を、メディチの男達も眺めていたに違いない。
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- 雲の宴〈上〉
- 発売元: 朝日新聞社
- レーベル: 朝日新聞社
- スタジオ: 朝日新聞社
- メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 1990/01
- 売上ランキング: 565691
「この世は絶望に満ちているからこそ、芸術の意味が、はっきり見えてくるんです」辻邦生『雲の宴(上)』朝日文庫、1990年、236頁
今週は、辻邦生師の「雲の宴」を読んでます。「雲の宴」は、朝日新聞に連載された新聞小説です。辻邦生師の新聞小説と言えば、「雲の宴」に加えて、「時の扉」、「光の大地」があります。そのいずれにも言えることだと思うのですが、一般の人々を読者に想定しているのかとても平易な文章で構成されていて、他の辻邦生師の小説群とは呼んだ心地が少し違います。
この「雲の宴」のテーマは、文明が忘れかけている「生きること」の意味だと思うのですが、もちろん一言で集約することなど出来はしません。物語のおもしろさもあれば、舞台の飛躍も素晴らしい。東京はいいとして、パリから、ウィーン、ブカレスト、コンスタンチノープルへと進んでいくのには驚きました。読むのは二度目だというのにすっかり忘れていて面食らってしまったほどです。もっとも10年ぶりぐらいの再読ですので仕方がないと言えば仕方がないのですが。
小説の冒頭で、1980年のフランス大統領選挙でミッテランが勝利した場面が出てきます。「春の光 駆けて」では辻邦生師が実際に遭遇したミッテラン勝利の様子が描かれています。つい先だって読んだばかりでしたので、すこし運命性を感じましたね。
箴言のように随所にちりばめられた言葉に胸を打たれながら呼んでいるのですが、冒頭で引用した部分などは、辻邦生師の芸術への信頼のようなものが語られていて印象的に思います。これと同じことは「嵯峨野明月記」でも言われていますね。辻邦生師自信が、芸術と現実の狭間で苦しんでおられたということを、辻先生の奥様である佐保子さんの講演会で聴いたようにに記憶していますが、ある意味では戦闘的と行って良いほど芸術に打ちこむことで、厳しくて「背理」とでもいえる現実と向き合うのだ、という強い意志の現われだと思っています。
世界はこの20年間でずいぶんと変わりましたが、良い方向に変わって面もあれば、悪化してしまったこともあります。しかし、言えることは、現実は冷厳として我々の前に立ちはだかっていることにはかわりはないのだ、と言うことです。そうした意味に於いても、今「雲の宴」を読むことはアクチュアルなことなのだ、だからこそこんなにものめりこむことが出来るのだ、と言うことなのです。
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1日遅れですが、15日が勝手にオペラの日、ということで、オペラの話題を。昨年の夏以降、何度となく聞いたシュトラウス最後のオペラ「カプリッチョ」のことから。
カプリッチョにみる音楽の優位性
一体、伯爵夫人マドレーヌは、詩人のオリヴィエが好きなのか、作曲家のフラマンが好きなのか? 二人に求愛されて伯爵夫人は困っている。なかなか決められない。ここでは、伯爵夫人はオペラのメタファになっているのだが、伯爵夫人は、「詩と音楽はわけられないわ」と言ってはいるけれど、実は作曲家フラマンの方が好みなんじゃないかな、と。
オリヴィエには結構冷たかったけれど、フラマンには、明日の11時にお返事するわ、と具体的な日時まで指定してしまう。終幕部でも、オリヴィエが翌日の11時に来るという伝言を執事から聞くと、きっとフラマンはがっかりするわ、とフラマンに気を遣ってみたりしている。シュトラウス自身、作曲家としてはもちろん、文学への高い才能を持っている。インテルメッツォはシュトラウスがリブレットを書いているぐらいだし、ホフマンスタールと堂々と張り合っていることからもよく分る。でも、やっぱりシュトラウスは作曲家なのだ。オペラにおいて、詩と音楽のどちらが優位かと言えば、本音では音楽と言いたいはずなのだ。音楽の優位性を信じていたからこそ、ホフマンスタールとの打ち合わせではまず音楽ありき、という立場で書かれている。だから、フラマンに肩入れをしてもおかしくない。
カプリッチョのリブレットとメタ化
さて、シュトラウスとの綿密な検討をしながら、カプリッチョのリブレットを書いたのはクレメンス・クラウスで、彼も言わずと知れた名指揮者なのであり、結局は音楽家の書いたリブレットなのである。だからといってリブレットの価値が貶められるというわけではない。ギリシア古典を下敷きにした優雅なリブレットはそれだけで価値があるし、物語としてもおもしろいし、オペラを論じる登場人物達への皮肉に満ちた台詞を召使い達に語らせたり、と自己嘲笑的な部分を容れていたりと、なかなか凝った作りなのである。
プロンプターのトープ氏(トープとはモグラという意味)の登場で、オペラ自身の裏側を表側にひっくり返すようなこともやっていて、それを巧く解釈して大いなる成功を収めているのが、ウルフ・シルマーの振ったパリの好演である。
- R.シュトラウス 歌劇《カプリッチョ》 パリ・オペラ座 2004年
- 発売元: TDKコア
- レーベル: TDKコア
- 価格: ¥ 7,140
- 発売日: 2006/11/22
- 売上ランキング: 49712
ロバート・カーセンの演出によるこの映像はトープ氏が舞台の下から登場するところから、オペラがメタオペラ(ここではオペラαとしよう)に変わる。その予兆は、伯爵の提案、つまり、この伯爵夫人の誕生日への贈り物としてのオペラ(ここではオペラβとしよう)を考えるプロセス自体をオペラ化(オペラβ化)しよう、という提案においてあらわれている。
月光の音楽の部分は、メタオペラ(オペラα)の対象としてのオペラ(オペラβ)に変貌していて、ボックス席には、伯爵、伯爵夫人、フラマン、オリヴィエ、ラ・ローシュが座って、自分たちが「作った」オペラ(オペラβ)を鑑賞している。それもカプリッチョという題名で、作曲がフラマン、台本がオリヴィエ、演出がラ・ローシュと書かれたスコアの表紙が映し出される。今まで見ていたオペラαが、オペラβを作るためのプロセスであることを印象づける。そして、決まらなかったオペラβの結末は、オペラβに二重に登場する伯爵夫人のモノローグ(オペラαの伯爵夫人は、ボックス席から、オペラβにおいて自分自身が歌うモノローグを聞くことになる)によって、やはり結末は決まらないと告げられるのだ。そうやって結局見ている者を無限の余韻の中に浸らせる。
詩が先か? 音楽が先か?
実際、オペラにおいて詩(すなわちリブレット)と音楽のどちらが優位なのかは分らない。おそらく台本作者は自分が優位だと信じるだろうし、作曲家はそうではないというだろう。
だが、考えてみると、ダ・ポンテはモーツァルトのオペラの台本を書いた作家として語られるわけだし、ジャコーザやイリッカがどんなに美しい物語を書こうとも、まず最初に出てくるのはプッチーニの名前である。ホフマンスタールは、台本作家である以前に文豪だから、世界文学全集に登場しているのであって、オペラ作家としてではない。マクベス、オテロは、シェークスピア劇をオペラ化したわけで、まず先に偉業としてのシェークスピア劇を前提にしている。だが、ファルスタッフで語られるのは、シェークスピアの名前ではなくヴェルディの名前が先。ワーグナーは自分できわめて文学的なリブレットを書いたけれど、偉大な作曲家として名前が残っているわけで、偉大な文学者として名を残しているわけではない(だからといって、文学的才能がなかったというわけではないのだが)。
音楽が先?
結局は、オペラにおいては「外面的」、「経験的」に音楽の方が優位なのではないか、と考えるに至る。それは僕のオペラの聴き方にも現れている。邪道かも知れないが、僕はまずは音楽を覚えるために、何度も何度もリブレットを見ないでオペラを聞き続ける。音楽を覚えた頃にリブレットをみたり、実際に見に行ったりして、台詞と音楽の対応を楽しむという感じ。いや、それどころか、音楽とあらすじだけで楽しんでいることもある(あまり褒められた話ではないのですが)。
オペラは楽しい
ともかく、オペラは楽しい。聞くだけでも楽しいのだから、観るのはもっと楽しい。初めてオペラを観たときのことを思い出す。新国立劇場で観た「セヴィリアの理髪師」の古い演出だったのだが、幕があいた途端にそこにオペラ空間が立上がったことに度肝をぬかれたのだ。それはもちろん演劇空間であっても歌舞伎空間であっても良いのだけれど、ともかくそこにリアル世界とフィクション世界の結節点があることが分ったのだ。リアル世界がどんなに汚れていて濁っていようとも、辻邦生師がおっしゃるように、芸術は現実の悪を乗り切るためにあるのだ、という言葉を信じたくなる。そんな瞬間だった。
笑いもあればシリアスな別れもある。そしてなにより音楽を聞く楽しさ。歌手の声色に酔い、繊細で重厚で流麗な多面的なオーケストラを聞く喜び。オペラを聴き始めてまだ数年そこそこなのだが、それでもここまで楽しめるようになったのだからこの点については本当に幸せなことだな、と感謝するしかない。まだまだ勉強することはたくさんあるし、もっともっと聞き込んでかんがえないといけないのだけれど、頑張ろうという気持にさせてくれるオペラは凄い。オペラに関わる古今東西の方々、本当にありがとうございます。
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- バッハ:管弦楽組曲(全4曲)
- アーチスト: カメラータ・ベルン
- 発売元: コロムビアミュージックエンタテインメント
- レーベル: コロムビアミュージックエンタテインメント
- 発売日: 2000/06/21
- おすすめ度

最近、つとにバッハをよく聴いている。
それで、大好きな管弦楽組曲第2番を、オーレル・ニコレさんのフルートで。絶品である。気品のある吹き方でいながら、とてもアグレッシブなフレージング。Badinerieが一番有名で一番印象的なのだが、フルートもさることながら、寄り添うような弦楽器の音も美しい。楽器もよく響いているのだろうし、音響や録音も良いのだろう。
録音はベルン放送スタジオにて。エンジニアはピーター・ヴィルモースという方。レーベルはDENON。DENONらしい澄んだ音と言うところだろうか。
バッハのタグ付きの記事は以下の通り。
バッハのタグの付いた記事
http://shuk.s6.coreserver.jp/x/mtsys40/mt-search.cgi?tag=Bach&blog_id=4
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- 春の風駆けて―パリの時
- 発売元: 中央公論社
- レーベル: 中央公論社
- スタジオ: 中央公論社
- メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1986/02
- 売上ランキング: 976173
しばらく前に読み終えた「春の風 駆けて」。示唆的な文章が多くて、今の自分にとって大切に思えるところがたくさんあった。畏怖すべき偶然と運命の溶解である。これから2,3回、この本について言及していこうと思う。
意外なほどフランス大統領選挙に関する言及が多い。フランソワ・ミッテランが勝利する1981年の大統領選挙のことで、ちょうどパリ大学で教鞭を執っていた辻邦生師は、新聞報道などを通じて、フランス国民の大統領選挙に対する意識などを分析したりしている。この手法、まるで「春の戴冠」で、語り手フェデリゴが叔父マルコとフィレンツェを巡る政治に思慮を巡らせるのと同じタッチ。なるほど、これぐらい現実政治に対してアクチュアルに関わらなければならないのだな、と反省する。最近は、そうした現実世界のニュースからは距離を置いていたけれど、これからはもう少し関わっていこう、と考えた。
続く
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- 春の風駆けて―パリの時
- 発売元: 中央公論社
- レーベル: 中央公論社
- スタジオ: 中央公論社
- メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1986/02
- 売上ランキング: 976173
人間は生きているからには愉しむ義務があるのである。辻邦生師のおっしゃるフランス人とは、楽しく生きることを義務としている人のこと。落ち込もうが、非難されようが、意志の力でそうしたマイナス要因をはねのけ、あくまで生きることに打ちこみ愉しむという強靱な精神を持っている人たちであり、それを阻害しようとする者に対して激しい敵意を持つと言うこと。ただただ嫌なことがあったからといって、落ち込んだり怒ったりしないこと。大切に生きること。
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- 雲の宴〈上〉
- 発売元: 朝日新聞社
- レーベル: 朝日新聞社
- スタジオ: 朝日新聞社
- メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 1990/01
- 売上ランキング: 565691
辻邦生師「雲の宴」は下巻に突入しています。この本は、ミッテラン当選の夜のパリの狂騒から話が始まりますが、辻先生がインスピレーションを受けられたのは、その夜にマリ共和国の黒人の男を見かけたことが契機になっているのだそうです。アフリカの描写がすばらしく、実際に取材にいらっしゃったのかと思い、全集についている年譜を見てみたのですが、どうやら西アフリカへの取材旅行は行っていらっしゃらないのです。そうか、あのアフリカの描写は全て現地での印象ではなく、想像力と調査のたまものなのか、と驚いてしまいます。歴史小説のように自分では行けない場所について書くことの難しさは相当なものではないかと思うのです。
下巻も中盤にさしかかると、物語も俄然緊迫してきます。この本でもやはり性急な改革は失敗するのだ、という鉛のような諦観が感じられ、そうは言っても世の中は「背理」なのであって、それを笑い飛ばさねばならぬ、という「嵯峨野明月記」の主題に戻っていくのでした。ちなみに、この「背理である世の中を笑い飛ばす」というのは、シラーが着想になっている(「人間の背理を笑う高みに立つ」
『辻邦生全集第20巻』新潮社、2006年)のだ、ということを全集第20巻の年譜を読んでいて気づきました
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ちょっとクリスマス気分を味わいたいというのと、どうしても「花のワルツ」を生演奏で聴きたいという理由で、行って参りました。参考CDはゲルギエフ版です。「くるみ割り人形」といえば、組曲の方が有名ですが、全曲版となると知らない曲がたくさんありますね。まだまだ知らないことはたくさんです。あたりまえですが。
まず、入り口に来て驚いたのは客層の違い。バレエともなればあたりまえでしょうか。小さな女子連れの家族がたくさん。そもそも男性客が少ないらしく、1階のトイレは女性専用に変更されていました。ホワイエにはキッズメークアップコーナーがあって、女の子がマニキュアを無料で入れて貰ったり、終演後の舞台袖の見学会募集(抽選で20名)がなされていたり、と本当にオペラの時とは違う風情。クリスマスの飾り付けでなどで、連れは俄然クリスマス気分で盛り上がっていました。
バレエを見るのは三度目ですが、日本国内で見るのは初めてでした。まずよく分からないのが拍手のタイミング。オペラでもアリアの後に拍手をしたりしますが、バレエの場合は、主役の方が登場するとそこで拍手をするらしい。それから、難しい(と思われる)技を披露したときも拍手をするらしいのです。そもそもバレエなどよく分からないで観に行っておりますので、何が簡単で、何が難しいのかはよく分からないのでした。
それにしてもバレエダンサーの方々の偉大さには感服します。リズム感抜群で、汗が光ぐらいまでの運動量なのに、息を切らせている様にも見えない。しかも笑顔をずっと維持している。信じられません。偉大すぎです。
マーシャ役を演じておられたさいとう美帆さんは、とても上品で素晴らしかったですね。もちろん他の方々も。はじめて見たバレエが、あまり振り付けがそろっていないイメージだったのですが、今回はタイミング乱れるような場面に気づくようなことはありませんでした。よくぞここまで美的世界を構築するものだ、と思います。バレエもたまにはいいなあ、と思いました。とてもべんきょうになりました。
オペラシティはクリスマスモード全開でした。雨は残念でしたが、巨大なクリスマスツリーに圧倒されます。楽しい一日になりました。
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だいたいのルートは以下の通りです。
沼津市三津(「みと」と読む)から、発端丈山山頂を経由し葛城山頂を経て小坂共同みかん園へと至る約3時間強のルートでした。天気が非常に良く、駿河湾の向こう側に聳える富士の高嶺が蒼い海に映える姿をみて心を動かされましたし、杉木立に差し込む太陽の光に慈愛に満ちた暖かさを感じて本当に癒されました。
発端丈山から伊豆の山々を眺めたのですが、幾重にも重なる山の尾根が果てしなく広がっていて、まるで人跡未踏の山の中に迷い込んだかに思えてしまいました。そのとき思い出したのは源頼朝のこと。陸続きであるとはいえ、この山の連なる伊豆半島に流されたときの心情はいかばかりかと思いました。やはり頼朝についての伝承が残っているらしく、葛城山界隈で鷹狩りなどをしたとのことで、葛城山頂には頼朝の小さな像が建てられておりました。
今回は、小田急電鉄と東海バスの共同企画と言うことで、集合場所の小田原駅から東海バスの観光バスに乗り込んで、1時間半ほどかけて箱根新道と国道一号線で箱根を超え、三島市で国道136線に入り、そのまま伊豆へと南下して登山口へと向かいました。三島市内を通るのはもちろん初めてだったのですが、国道沿いは、どこの街もほとんど同じ風景ですね。国道沿いにはたいがい郊外型のチェーン店が軒を連ねていますので、たとえばこの風景を写真に撮ったとしても日本のどこで撮ったのかは分らないでしょう。それぐらい街々は没個性になりつつあるのだ、と思いました。
富士山と紅葉の写真を載せておきます。
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- ニューイヤー・コンサート1989&1992
- アーチスト: クライバー(カルロス)
- レーベル: ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
- 価格: ¥ 2,457 (10% OFF)
- 発売日: 2004/11/17
- 売上ランキング: 1956
- おすすめ度

今日も良い天気でしたが、少々疲れ気味。昨日、少々仕事をやってしまいましたので、そのせいかもしれません。バッハを聞き込んでいたら、バッハ疲れに陥ったようで、久々にヨハン・シュトラウスを聴きたくなりました。リヒャルト・シュトラウスもヨハン・シュトラウスもやはりカルロス・クライバーさんですね。というわけで、ちょっと気が早いですが、1989年のニューイヤー・コンサートのCDを聴くことにしました。
「こうもり序曲」の冒頭の緊張感と流麗な弦楽部は、本当にカルロス・クライバーさんらしいです。それから、微妙なリズムの取り方も。三拍目を少しもたらせるワルツのリズムの取り方は素晴らしい。もう0コンマ何秒の世界の話なのですが。すごいですね。
カルロス・クライバーさんの略歴をウィキペディアで見たのですが、やはり理系の大学に入っていらっしゃる。チューリッヒ連邦工科大学というところだそうですが。やはり音楽をやる方は理系の頭も持たねばならぬ、ということでしょう。というより、文系、理系双方において優れた人物でなければならぬ、と言うところでしょうか。
僕の場合、ニューイヤー・コンサートといえば、「美しく青きドナウ」につきるのです。理由は二つあって、なぜか中学校の時に合唱編曲版を歌わされた歌ったことと、やはり中学生の頃に「2001年宇宙の旅」を必死に見入っていたということもあり、この曲を聴けば聴くほど、優雅な宇宙船とか、キャビンアテンダントがコックピットに宇宙食を運ぶときに180度廻転する場面とか、そういうことが思い出されるわけでして、音楽を聴く態度としては不純なものであるわけです。
しかし、このウィーン風のノリは素晴らしいものがあります。平常時はあまり聴く機会のないヨハン・シュトラウスですが、今日のように落ち着いた日に聴くのも良いものでした。バッハ疲れには良い薬になりました。
次回は、バッハの管弦楽組曲第2番を取り上げようと思っています。
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- 雲の宴〈上〉
- 発売元: 朝日新聞社
- レーベル: 朝日新聞社
- スタジオ: 朝日新聞社
- メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 1990/01
- 売上ランキング: 565691
- 雲の宴〈下〉
- 発売元: 朝日新聞社
- レーベル: 朝日新聞社
- スタジオ: 朝日新聞社
- メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 1990/02
- 売上ランキング: 671447
かねがね、バルザック、ディケンズ、ドストエフスキーといった小説全盛時代の、作家と読者の熱い関係を、このジャンルの本来的な在り方ではなかろうか、と考えていた。この時期、小説は知的に読まれるものではなく、一喜一憂しながら、主人公と運命を共にしてゆくものだった。小説がこうした本来の一喜一憂性を失ったために、それはいつか認識の道具になり、また文体意識の自閉的存在となっていった。「『雲の宴』を書き終えて」『永遠の書架にたちて』、新潮社、1990年、195ページ
昨週末に「雲の宴」を読了しました。久々に「おもしろい」冒険小説を読んだな、ということもありますし、より根源的な「生きること」を考える契機にもなりました。
すべて心なのよね、この世の幸不幸を決めるのは。物がいくらあったって、心が不満なら、ぜったいに人間て幸福にならないもの『雲の宴(上)』、朝日文庫、1990年、177ページ
いくら、CD持っていても、本を抱え込んでいても、なけなしの預金があっても、心が不満じゃあ、幸福にはなれないなあ、と。今の境遇を強制的に満足なものである、と認識を変えていくか、あるいは、今の境遇を捨て去って、思うがままに生きていくか、どちらかしかないなあ、と思うのでした。おそらくは前者の道を取ることになるのでしょうけれど。全ての事象は人間の認識であるが故に、認識を変えれば、境遇も変わるという感じでしょうか。
それにしても、この小説は、辻文学の中にあっては異質な光を放っていると思います。そのあたりのことも「永遠の書架にたちて」に所収されている「『雲の宴』を書き終えて」のなかにヒントが書いてありました。辻邦生さんは、いつもは事前にあらすじが決まっていて、そこに向かって書いていくから、だいたいは事前の意図通りに仕上がることが多いのだそうですが、「雲の宴」に関して言えば、そうではなく、登場人物が勝手に動いていったのだそうです。最初は意図通りに戻そうとしたのですが、途中であきらめて、なすがままに書いていったのだそうです(「『雲の宴』を書き終えて」『永遠の書架にたちて』、新潮社、1990年、194ページ)。そう言うことを、高橋克彦さんのエッセイでも読んだことがあります。高橋克彦さんは、まず登場人物の身上書を書き上げるのだそうです。そうすると自然に登場人物が行動をはじめるのだとか。そういう憑依的な小説の書かれ方というのも、部外者から見ればとても不思議に見えますが、そうそうあり得ないことでもなさそうです。
確かに、他の辻文学のような堅牢強固な石造りの建造物のような堅さはありませんが、奔放に動き回る登場人物と一緒にパリからルーマニアへいたり、地中海を縦断して西アフリカへと向かう喜びを味わうことができるのです。
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- Bach Brandenburg Concerto No. 5, Orchestral Suite No. 2/ Emmanuel Pahud
- 発売元: EMI
- レーベル: EMI
- 価格: ¥ 2,201
- 発売日: 2001/03/13
- 売上ランキング: 12860
- おすすめ度

今日は、先日に引き続き管弦楽組曲第2番を聞いてみよう。
前回はオーレル・ニコレさんのフルートだったが、今回はエマニュエル・パユさんのフルートにて。やはり一番の衝撃は、最終曲Bandinerieでしょう。テンポは中庸。しかし、恐るべしは、二回目の主旋律にほどこされた装飾音符。超絶技巧。
この演奏をはじめて聴いたのは、ANAの国際線の機内放送だったのだが、そのときからこの演奏の空恐ろしい演奏が印象に残っていて、いつかきちんと聞きたいと思っていたわけだが、今回それがかなったかたちだ。
この曲で好きなところは、下記の譜面の赤い部分。フルートは八分音符で刻むだけなのだが、透かし彫りのように背後から弦楽器が現れ、十六分音符と八分音符のフレーズを演奏するのである。ここでなにか浮き上がるような高揚感と酩酊感を覚えるのだ。
青い部分はパユさんの超絶技巧(?)装飾が聞けるところ。このCDのここに惹かれたのである。刺激的なバッハを求める向きにはとてもおすすめのCDである。
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フィレンツェからヴェネツィアへは、イタリア国鉄のユーロスターにて。フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅へは列車出発の30分前には到着する。構内は旅客で混雑していて、高い天井のロビーに人々の声がこだましている。プラットホームへ続くガラス扉の上に発着案内板が掲げられていて、確かにヴェネツィアへ向かう列車は表示されているのだが、 到着ホームの表示は空欄で、どのホームで待てばいいのかわからない。構内放送はしきりにミュンヘン行きのユーロシティが遅延することをわびているだけで、ヴェネツィア行きのユーロスーターについて言及する気配さえない。構内放送を聞き漏らすまい、と必死に耳をそばだてる。
そういえば、今年のGWにみた「踊れ!トスカーナ」でフィレンツェ駅が出てきたことを思い出す。確かに、映画そのままである。
出発予定時刻寸前になって、ようやく構内放送と案内板が、9番線へ到着することをつけるや否や、大勢の旅客が9番線へと移動を始める。流れに遅れまいと9番線へ急ぐのだが、いったいわれわれの乗る7号車がホームのどこに着くのかがわからない。日本の鉄道ならば、号車番号をホームに表示するのが常なのだが、そういった心遣いをする風潮はないようだ。
灰色のユーロスターが到着する。すばやく号車番号を見抜いて、トランクを引きずりながらホームを駆けて、目的の7号車に到着。いよいよと乗り込む。今回は、日本でチケットレスで予約と決済を済ませているけれど、ダブルブッキングがないか、などと不安に思う。座席は四人がテーブルを挟んで向かい合って座るスタイル。窓側に連れと向かい合って座り、通路側にはフィレンツェ在住の老夫婦が座る。連れが「隣が席に着いたら笑顔で挨拶するのよ」と言うので、座席に着いた老夫婦に笑顔で「ボンジョルノ」と挨拶を交わす。
列車はゆっくり動き出す。ダブルブッキングはなかったようで一安心。車掌の改札時には、ネットで予約をしたときに送られてくるPDFを印刷したペーパーを渡す。車掌は二次元バーコードを端末で読み取って決済状況、予約状況を確認する。当然問題ない。イタリアのチケットレス列車予約はよく出来ているものだ。
車窓はフィレンツェ市街を抜けてオリーブ畑のなかを進む。僕の隣に座る老婦人がSposare? と指輪を見せながら聴いてくる。辞書で調べるとmarryの意味とわかった。つまり、僕らが結婚しているのか、という問いだったらしい。Si Siと応える。それからしばし英語とイタリア語のちゃんぽんで老夫婦と話をする。ご夫婦はフィレンツェ在住だそうで(うらやましい!)、ヴェネツィアから客船に乗ってギリシアクルーズへ出かけるところだと言う。かろうじてRodiという単語を聞き取る。ロードス島だろう。物静かな旦那さんと、上品に着飾った奥様で、実に気持の良い時間を過すことが出来る。
列車は、ボローニャ、ロヴィーゴ、パドヴァ、フェラーラ、メストレとイタリア半島を北東へと進んで行く。メストレを出るとラグーナをわたる長大な橋。その向こうがわにヴェネツィアのサンタ・クローチェ駅がある。ほぼ定刻どおりに到着。隣の老夫婦と別れの挨拶をして、駅前広場へ出る。
ところが、このあと、とんでもない事件がわれわれを待っていたのだった。
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今年見に行ったオペラ・コンサートをまとめてみました。
- 2月10日;ダフネ(若杉弘、二期会)
- 3月4日;さまよえるオランダ人(ボーダー、新国立劇場)
- 3月24日;運命の力(バルバチーニ、新国立劇場)
- 3月31日;蝶々夫人(若杉弘、新国立劇場)
- 4月21日;西部の娘(シルマー、新国立劇場)
- 6月9日;ばらの騎士(シュナイダー、新国立劇場)
- 7月4日;森麻季さんリサイタル
- 9月2日;ばらの騎士(ウェルザー=メスト、チューリヒ歌劇場)
- 10月14日;トリスタンとイゾルデ(バレンボイム、ベルリン国立歌劇場)
- 11月3日;ブルックナー交響曲第5番(ティーレマン、ミュンヘンフィル)
- 11月23日;ばらの騎士(ルイジ、ドレスデン国立歌劇場)
- 12月;ドレスデン室内管弦楽団、森麻季
- 12月22日;くるみ割り人形(新国立劇場)
今年はやっぱり、新国立劇場の「ばらの騎士」と「蝶々夫人」が圧倒的でした。あそこまで涙したのは初めてでした。歳を重ねて涙腺がゆるんでいるのかな。
辛かったのは「トリスタン」で、風邪で熱出した状態で6時間缶詰になったのはさすがにヘトヘトでした。でも良かったのですけれど。
今年は結構行ってますね。行き過ぎかも。その分CDの購入は押さえています。最近は生演奏を聞くことの意味がよく分ってきた気がしますので、来年も時間的、経済的な面をクリアできれば、引き続き行きたいと思っています。
来年は、1月に関西二期会の「ナクソス島のアリアドネ」、2月に新国立劇場で「サロメ」、4月に同じく新国立劇場で「魔弾の射手」を観に行く予定。それから2008/2009年の新国立劇場も注目ですね。トゥーランドットに、ラインの黄金、ワルキューレなど話題の公演が既に発表されています。特にトゥーランドットは是が非でも観に行きたいです。
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- 辻邦生全集〈1〉
- 発売元: 新潮社
- 価格: ¥ 7,350
- 発売日: 2004/06
昨日に引き続き今年のまとめ。今回は、今年読んだ辻邦生師の本です。
- 嵯峨野明月記
- モンマルトル日記
- 詩と永遠
- 小説への序章
- 江戸切絵図貼交屏風
- 黄昏の古都物語
- 言葉の箱
- 小説への序章
- サラマンカの手帖から
- 春の戴冠(上)
- 春の戴冠(下)
- 美しい夏の行方
- サラマンカの手帖から
- 春の風 駆けて
- 言葉の箱
- 夏の光 満ちて
- 雲の宴(上)
- 雲の宴(下)
- 夏の砦(再読中)
- 樂興の時(再読中)
初めて読んだ本は「黄昏の古都物語」、「春の風駆けて」「夏の光満ちて」の三冊で、それ以外は全て再読ですが、読む度に新しい発見があって刺激的です。辻邦生さんの文学の大きなテーマに、イデアールとリアルの狭間をいかに埋めるか、というものがあると思うのですが、もちろん答えが出る問題ではなく、考え続けることが重要なわけで、そうした契機や示唆を特に数多く受けた一年間だったと思います。
特に、今年はフィレンツェに旅行に行けたと言うこともあり、「春の戴冠」が最も印象的でした。サンドロ・ボッティチェッリの美を求める飽くなき追求と、ロレンツォ・ディ・メディチの理想と現実の狭間に立つ苦悩に満ちた生涯は、フィクションとノンフィクションの溶け合った歴史小説の中の物語の構成要素と言うだけではなく、アクチュアルな意味を持って立上がってきているのだと思います。
辻邦生さんが亡くなったのは1999年7月29日ですので、亡くなられてもう9年も経つのですね。その間に社会は様々な変化を遂げてきました。9.11以降においては、世界はガラリとその様相を加え、温暖化の影響と思われる天変地異もますます増えてきて、日本の社会も厳しさを増しています。
ただ、いつの時代、どんな時代にあっても、この先、事態を解決するのだ、という強い意志をもって生きる必要があるのは同じです。「春の戴冠」のロレンツォ・ディ・メディチを見習わなければなりません。そう言うことも辻邦生師の文学の中でのテーマの一つであると思います。それを辻邦生師は「戦闘的オプティミズム」と言っておられたと思います。
来年もまた難しい年になりそうですが、「戦闘的オプティミズム」を実践しながら、いろいろ取り組んでいきたいと思っています。
以下のリンク先に、今年読んだ本をまとめておきました。機会があれば是非どうぞ。
辻邦生師の文学
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駅前広場は、同じユーロスターで到着した旅行客であふれかえっている感じ。イタリア語はよく分らないのだが、なんとか市内交通チケット売り場を見つけて、72時間券を購入し、旅行前に穴が開くほど眺めたヴァポレット(ヴェネツィアの水上バス)の路線図の指示通り、51番のヴァポレットが着く黄色い箱形の浮き桟橋の列に並ぶ。
このときから、何かがおかしいな、と感じていたのだった。サングラスをかけた短髪のブロンドの若者が、仲間とおぼしき黒髪の若者と握手をしている。若者の仲間が何人かいるらしく、知り合い同士大声で話をしている感じ。もちろん何を話しているのか分らない。そんなこんなで、51番のヴァポレットに乗ろうとする人々は浮き桟橋に入りきらずに長い列を作っている。
到着時間になったというのに、なかなかヴァポレットが現れず、気をもんでいると、ようやくとオレンジ色の電光掲示に51番を表示させる象牙色のヴァポレットが到着。この時点で、待合い客であふれかえっていて、ヴァポレットに全員乗れるかどうか分らない状態。次の便は20分後だったので、待っても良かったのだけれど(後から思えばだが……)、早くホテルについて落ち着きたかったので、重いスーツケースを引きずりながら満員のヴァポレットに乗り込むことになる。
この時点で、待合い客に圧迫されて、連れとはぐれてしまう。まあ、おそらく乗れただろうと思い、甲板から一段下がった船室に降りてしまう。なんとかスペースを確保する。階段の横に設えられた一人分の座席には、黒いアタッシュケースを持った銀髪の初老のビジネスマンが座っていて、彼と眼が合ったのでニッコリ笑って挨拶。
ヴァポレットはようやく動き出すのだが、何か騒がしい。さっきの若者達が甲板の船室の間を言ったり来たりしている。そうこうしているうちに、船室の後ろの方で、若者達が天井を叩きながらわめき出す。何かの歌を歌っているらしい。これは、サッカーファンなのか? いわゆるフーリガン的な若者達なのではないか、これはちょっと嫌な連中と一緒になってしまった、と思う。さっきのビジネスマンが、手招きして、こっちの方が空いているよ、と彼の座席前に入ってくるように勧めてくれたので、若者達から待避するような格好で、ビジネスマンの座席前に移動。
次の停留所に到着。降りる乗客、乗る乗客でヴァポレットはごった返す。若者達、降りてくれないかな、とおもうのだが、まだ騒いでいる。船室内へと入っていく乗客達は、若者が騒いでいることなど全く知らぬまま。舫綱を解いて、ヴァポレット出発。
ここからだった。騒ぎは大きくなる。麻薬をやっているからなのか、酒に酔っているからなのか、よく分らないが、完全にラリっている若者二人が船客に絡み始めている。そのうち一人は、手から血を流していて、手のひらは血糊でドロドロになっている。その血がどうやら、船客の服を汚したらしい。怒った船客が、甲板にあがって、操舵室の船長になにかを訴えている。
ラリっている若者が、僕の目の前に立つ。眼があったので、ニッコリと笑ってやる。なにか呆けたような目つきをしていて、これは常人じゃないな、と思う。だが、全然恐怖感なし。驚くぐらい冷静だった。若者は、初老のビジネスマンになにやら話しかける。厳しい顔をしていたビジネスマンも、ニッコリと微笑みながら若者を睨んでいる。ものすごく格好がよい。映画の一シーンを観ているような錯覚に陥る。あの落ち着きを払った微笑みは賞賛に値する。一生忘れないと思う。
ヴァポレットは次の停留所に舫をかける。そのまま動かない。起こった船客が船長に捲し立てている。ヴァポレットは動かない。何かが起こったのだ。そのうちに乗客が浮き桟橋に移動しはじめる。ビジネスマンもやはり船を降りていく。これは、なにかがあったな、ということで、スーツケースを担いで一旦、ヴァポレットを下りる。ここで連れと再会。連れはおびえきっている。
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- J.S.バッハ:ブランデルブルク協奏曲(全曲)
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- アーチスト: ゲーベル(ラインハルト)
- レーベル: ユニバーサル ミュージック クラシック
- 価格: ¥ 2,160 (10% OFF)
- 発売日: 2000/05/24
- 売上ランキング: 1209
- おすすめ度

ブランデンブルク協奏曲第三番を、ラインハルト・ゲーベル指揮のムジカ・アンテイクゥワ・ケルンの演奏にて。強烈なのが第三番の終曲のAllegro。ここまで速い演奏は聴いたことがありませんでした。いくらAllegroと言ったって、ここまで速いのは想定外です。しかもうますぎる。ぴったりそろった演奏。人数が少ないからあいやすいというのもあるのでしょうけれど。先だって聴いたカラヤン盤だってここまで速くはありませんでした。
そういえば、この前図書館から借りてきたクイケンさんの盤も速かったなあ、と。ピリオド系の方の方がテンポをあげるのでしょうか、などと思いました。
これで、今年のブログの更新は終ります。今年もいろいろ試行錯誤をしながら、なんとか毎日とまではいきませんでしたが、8割ぐらいの日にちはかけたのではないか、と思っています。
辻邦生師は「ピアニストがピアノを毎日弾くように、毎日毎日かいて、書くことを意識せずとも書くことが出来るようにならなければならない」といったことをおっしゃっているのですが、まさに「書くこと」を自分に課する場として、このブログを書くことに大きな意味をみているところです。何はともあれ、読んでくださっている皆様のおかげでここまで書くことが出来ているのだ、と思っております。大変感謝しております。
また、今年はブログのプラットホームを、FC2からMovable Typeに変更致しました(※昨年も変更したのですが……)。ご不便をお掛けしてしまった点もあるかと思いますが、どうかご了承ください。
また来年も書きつづって参りますので、どうか暖かくお見守りくだされば、と存じます。良いお年をお迎えください。
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