8月のまとめ

今日も晴れたり曇ったり雨が降ったり。朝は少々お勉強を。午前中はいつものカフェでお勉強。帰宅してからは諸事に明け暮れた感じ。この諸事が結構大変で、演らないといけないことはリストアップしてあるのですが、多すぎて間に合わない。優先順をつけてなんとかしのごうとしています。

さて、8月のまとめをいたしましょう。

音楽面

  • 8月は、特に仕事がいろいろあって大変でしたが、音楽的には、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」やベルク「ルル組曲」、「抒情組曲」、「ヴォツェック」など。とくにベルクに目を開いた一ヶ月でした。もうしばらくベルクと一緒に過ごしたいなあ、と。
  • というわけで、今月聴いたCDの中のベストCDはアバドの「ヴォツェック」に決定!
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読書面

  • こちらはあまりはかばかしくないです。
  • 諏訪哲史さん「りすん」を読めたのがよかったでしょうか。あとは文学系は読んでないです。
  • ビジネス書は読みましたが……。

健康面運動面

  • 8月9日に登頂はできませんでしたが、富士山にアタックしました。そうそう、あの日の雹がどうやら2008年~2009年シーズンの初冠雪記録になったようです。観測史上初の早さとのことです。我々はとんでもない日に富士山にアタックしたことになったようで……。
  • それから、今ちまたではやっている「加圧トレーニング」にも取組中。足の筋肉がついてきた気がしますが、体重計で出てくる筋肉量は33パーセントあたりをキープ。まだまだ。腹囲も落ちないし。がんばります。
  • 最低体重は72.4kg。73kg台を中心に1kgの範囲で変遷をたどっている。しかし、減量傾向なので、こちらも引き続き。

 9月は?

  •  もうちょっと本を読む時間を増やそう。
  • ベルク引き続き聴いて勉強しよう。
  • 山登りはどうでしょうか。涼しくなってきたら一日ぐらい行ってみましょうかね。
  • 仕事も忙しいが、こちらもぬかりなく。トラブルはもうごめんですので。

9月もがんばります。

雨の一日→刺激的な一日→刺激的な抒情組曲

最近はどうも雨ばかり。関東は先日豪雨に見舞われて、私の住んでいる町でもかなり激しく降ったようです。「ようです」というのは、私が気づかなかったから。明け方、起きてウェブと戯れていたのですが、遠雷が聞こえるな、というぐらいで、雨の酷さはかんじなかったのです。朝食でテレビをつけて豪雨だった気づいた次第。

今日(8月30日)は、私にとってもいろいろ特別な意味を持つ一日でした。所用で都内に出かけたのですが、これがまたすごく刺激的な経験で、なんだか励まされた気分です(別に怪しい会合じゃないですよ)。具体的にはここに書くことができないのです。ごめんなさい。いつかかける日が来るといいとも思っていますが。

ただ一つかけることがあるとしたら、「もっと本を読もう!」と決意したこと。もっぱら通勤でしか本を読めていませんが、家でもPCに向かう前に本を1ページでも多く読まねばならぬ、と思いました。ああ、読みたい本、読むべき本がたくさんありすぎて飽和状態。これって、聴きたい音楽がたくさんありすぎて飽和状態、と一緒。私は強欲な男なのでしょうか? 焦らず少しずつ、とも思えなくなってきましたね。がんばりましょう。

帰宅の電車で聴いたのはやはり「抒情組曲」でして、こちらも刺激的。以前とは違った顔を見せてくれるようになりました。とあるところでは、なぜかショスタコーヴィチが聞こえたりして(空耳かもしれませんが)。この一週間はベルクと過ごした一週間になりました。「抒情組曲」ばかり聴いているのもどうかと思いますが、今は早く次のステージに上りたいという一心だったりします。

明日でいよいよ8月も終わりとなります。あっという間でしたが、なかなか充実した一ヶ月であったと思いたいところです。

繰り返し聴くことでわかることもある──ベルク「抒情組曲」

無理だと分かっているのに立ち向かわなければならないときがあります。いまの仕事もそんな感じ。トラブル対応は気が重いですが、そういうことを気取られぬように自己統制をして仕事をするのもサラリーマンとしては重要なこと。いやいや、サラリーマンではないほうが、むしろ自己統制をきちんと取れなければならないのかもしれません。使う言葉の一つ一つが、毒牙にもなりうりますね。他人だけではなく自分をも傷つけることがありますので気をつけなければなりません。

さて、今朝は少々早起きをしたのですが、聴いている音楽といえば、しつこいほどベルクの抒情組曲。これが楽しいんですよ。おそらく、譜面を見ながら考えて聴くともっと刺激的だと思うのですけれど。だんだん覚えてきました。弦楽四重奏による楽曲なのですが、ルルっぽいフレーズが出てくるのがわかってきたりと、なかなかおもしろいです。しかし、まだ「理解できている」ともいえないです。もっと聞き込まなければなりませんね。

これがベンヤミンの「複製芸術」の楽しみ方だと思うのですが、いかがですか? 少々我田引水なきらいはありますが。 オペラやコンサートで音楽を受容するのは、まさにその場限りのもの。われわれは、「その場限り」、すなわち「一回性」に価値を見て(ベンヤミンはそれをアウラという)いるわけです。ところが、19世紀末になってテクノロジの発達により新たな芸術表現が可能になりました。それが「映画」であり「録音音楽」なのであります。何度でもリピートが可能ですので、同じ芸術素材を何度も何度も受容することができます。こうして、「一回性」は失われるけれども、それ以上に「リピート」によって、理解できる可能性は大きく広がるわけですね。

私は、当初は「一回性の価値」すなわち「アウラ」を過度に評価をしていたように思います。「アウラ」が失われた「複製芸術」は、新たな芸術形式ではあるが、一回性という輝く価値の喪失ほど残念な損失はないのである、といった具合に考えていたのです。 その後、某大学の哲学科紀要を読んで、そうではなく「複製(リピート)」自体が芸術の理解を広げ深めていくものなのである、という考えを読んで、ああそういうことなのか、という理解をしたのを覚えています。 ベンヤミンの文脈の捉え方が間違えていたらごめんなさい。確かこういう議論だったと思うのですが。久々に本を読み返してみようかな、と思います。

哲学の話も面白いのですが、もう大分と歳を取りましたので、一気に読むことはできないですね。毎日少しずつ読んでいくことができるかなあ、というところ。それも一度じゃ分かりませんので何回もよむ。これもやはり複製芸術的考えですね。

そういえば、戦争期に総理大臣を務めた米内光正海軍大将は、本は必ず三度読むことにしていたそうです。さもありなむ。私も辻先生の本は主要なものいくつかは三度ばかり読んでいる気がします。読むたびに新しい発見があります。これも「複製」の効果でしょうか。

複製を何度も受容すれば量的変化が質的変化へと変貌すると信じてがんばりましょう。

諏訪哲史さんの「りすん」を読む。

諏訪哲史さんの「りすん」を読みました。

芥川賞後初めての小説ということですが、そうそう長くもなくて、一気に読み終わるのですが、まるで蜜蝋を煮詰めたような充実度で驚愕しました。

うまく解釈できたとはいえなくて、今でも考えています。そういう意味では哲学書のように読み応えのある本。会話だけの小説という奇異さ、メタ視点が二重にかかっていると言う面白さ、現実のほうがより小説的であるという達観、奇抜な言葉の乱舞のこと。

ただ、言えることは、この本を読むということは、あまりにもすさまじい頭脳とやり取りをしているのだな、ということ。好奇心がむくむくと湧いてくるのだが、まだうまく扱うことができないというもどかしさ。 そういう意味ではあまりにも大きな刺激をうけて呆然となっているような、状態。さらに反省が必要です。もっと粘り強い思考力を持って対峙していかなければなりません。

このブログは音楽ブログでもありますが、辻邦生さんを中心に、書評のようなものや文学についても書きついでいこうとも思っていました。ですが、クラシックを聴いて書くのが楽しかったということもあって、文学のほうは少々手抜かり気味でしたね。ちょっとこれからはもう少し小説についての感想だけではなく、小説自体を考える、といった方向性もなければならないなあ、、と少々反省。。 といいながら、明日になったらまた音楽のことを書いていそうですけれど。

今週の仕事も残り一日です。トラブルはまだまだ続いていて、土日も出社するメンバーがいるということで、少々気が引けるのですが、まあ仕方がないです。今週末は楽しみな予定もありますので、いい週末になりそう。ただ天気が悪そうですけれど。

ローマ紀行2008 その4 ヴァチカンへ

10時間も眠り続けて、起き上がるとまだ6時。食事の時間まであと1時間。シャワーを浴びて身づくろいをして食事に。

Hotel Giorgiの朝食はいいよ、とネットに書いてあったので、どれどれ、といってみると、おー、これは素晴らしい。クロワッサンにヨーグルト、キュウリとトマトのスライス、ブラッドオレンジのジュース。ビュッフェスタイルなので、ちょっと油断をすると食べ過ぎてしまうぐらい。

食事を済ませて、外に飛び出すと、今日もいい天気。タバッキ(キオスク、タバコ屋?)で地下鉄・バスの一週間チケットを買おうと思うのだけれど、できればクレジットカードで買いたいなあ、とおもって色々回ってみるが、クレジットカードでは買えないことが判明。それだったら、最初のタバッキの感じの良いおじさんのところで買えばよかったなあ。

一週間チケットをゲットして、急行バス40番でヴァチカンへ。この40番バスはテルミニ駅からサンピエトロ広場近くまでを途中の停留所をいくつも飛ばしながら走っていく。バスは混でいるのだが、だれもが観光客らしく、なれない手つきでチケットをバリデイト(タイムスタンプを押す機械に差し込むこと)している。

バスが走り始めると、めまぐるしく変わる窓の外の眺めと地図を交互に見ては、バスがどのあたりを走っているのか確認していくのだが、これはなかなか難しい。地図には停留所(フェルマータ)の位置など書いていない。道の交差の具合とか、建物の雰囲気を推し量りながら、地図をトラッキングしていく。

気づくとテヴェレ河を渡る橋に到達し、程なくしてサンピエトロ寺院を正面に見る通りに到着。ここが終点と見えて乗客たちがぞろぞろと飛び出していく。 道に降り立つと正面にサンピエトロ大聖堂が見える。アイボリーの石造りの巨大建築。クーポラの向こう側は真っ青な空。雲ひとつないではないか。まだ朝早いと見えて、人通りは思ったより多くはない。サンピエトロ広場もがらんとしていて、人気がない。いや、そうではない。サンピエトロ大聖堂もサンピエトロ広場もあまりに巨大で、人が目立たないのだ。よくよくみると少ないながらも人が三々五々歩いているのが見える。

サンピエトロ広場に入ると、国際法上は別の国に入国したことになる。境界をまたいで意味もなく満悦。

忙しいかも──アバド;ベルク「ルル組曲」

やばいですね。忙しすぎて、バランスをとるのが難しいです。昨日のヤノヴィッツさんの記事もかなりギリギリな状態で書いていたので、若干不満あり。リベンジしないと。

なぜこうも忙しいのかというと、まあ先日も書きましたが、トラブルに見舞われているためでして、今日も木曜日までに作る資料ができていないことがわかりましたので、すぐさま作らないと。

こんなときに、アバドのベルク「ルル組曲」を聴いてみると、これがまた素晴らしい!

ベルクの音楽は、調性と無調の間をゆらゆらといったりきたりしながら進みますので、いい意味で期待を裏切られ続け、その意外性に心がどうにかなりそうになる。それは時に酩酊へ、時に憂鬱へと誘うものです。繰り返し聞くうちに旋律、響きが徐々に自分の中で肉化していく。心地よいというわけでは決してありませんが、さりとて、居心地の悪さを感じることもない。暮色が濃くなる夕方、日が沈み、空が変色していくのを眺めながら夜を待つときの気分に似ています。夜もまた酩酊と憂鬱の狭間で揺らめくものですから。

このアバド盤の録音がいいのですよ。少し波長の長いリヴァーヴが聴いていて、まるで底の見えない蒼い海の深淵を覗き込んでいるような気分になります。ライナーに小さくAnvil Films Studioと書いてあります。ググってみても出てこない。しかし、いい響きです。 

  • 作曲==アルバン・ベルク
  • 指揮者==クラウディオ・アバド[←アッバード]
  • 管弦楽==ロンドン交響楽団
  • ソプラノ==マーガレット・プライス

この方を聴きたい! 第二回 グンドゥラ・ヤノヴィツ 

Gundula Janowitz

<略歴> 1937年8月2日ベルリン生まれ(国籍はどうやらオーストリアの模様)のリリック・ソプラノ。グラーツのコンセルバトールで学んでいたときにはすでに高いレベルでの歌唱をものにしていて、1959年にはウィーン国立歌劇場にてカラヤンの振るフィガロの結婚でバルバリーナ役を歌っている。1960年代から1970年代にかけてバッハからリヒャルト・シュトラウスにいたるまでのレパートリーを持つ世界的な歌手となる。カラヤンはもちろん、クレンペラー、ヨッフム、バーンスタイン、クーベリック、ベーム、ショルティ、カルロス・クライバーと競演。1990年にウィーン国立歌劇場におけるグルックの「アウリスのイフィゲニア」への出演を最後に引退する。

 <私的な思い出>

ヤノヴィッツさんの歌をはじめて聴いたのは、リヒャルト・シュトラウスの「カプリッツィオ」のCDにて。ベームが振っているこの盤の魅力は、ヤノヴィッツさんの伯爵夫人の最後月光の音楽以降です。この歌唱でヤノヴィッツさんを一気に気に入ってしまいました(とあるサイトではあまりよい評価はされていないようですが)。

Capriccio
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次に衝撃を受けたのは、カラヤン盤の「ヴァルキューレ」でして、ジークリンデがすばらしくて、ジークリンデを神々しく歌っておられて、特に第一幕第三場のSchlafst du Gast? の歌唱はすばらしい。繊細なガラス細工のようないとおしさです。

ワーグナー:ニーベルングの指環 全曲
トーマス(ジェス) ブリリオート(ヘルゲ) フィッシャー=ディースカウ(ディートリヒ) ヴィッカース(ジョン) シュトルツェ(ゲルハルト) スチュアート(トマス) カーンズ(ロバート)
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ヤノヴィッツさんの声がどうしてこんなに好きなんだろう、と考えていたのですが、Wikipediaに「ビブラートが小さく、ピュアで明るい歌声」と書いてあって、これだ! と思いました。私は、女声のビブラートがときに苦手と感じることがあって、振幅の激しくて強いビブラートしか聞こえないような声を聴くと気分が悪くなります。ビブラートをかけるとピッチの甘さがややもすると隠し通せるのです。ですが、ヤノヴィッツさんはビブラートはかけていますがかなり控えめでして、ヤノヴィッツさんの声が好きな理由の一つがこれなんだな、と思いました。

<参考文献>

Wikipedia

 

夏祭りでも秋は近付く──ブレンデルのバッハを聴く

いやあ、先週から今週にかけて夏祭りです。といってもあまり気の乗らない夏祭り。久々に会社のシステムが大爆発を起してしまい、収拾に大わらわです。私の記憶では入社以来二回目の最大級爆発です。本来なら休日出勤なのですが、事情により私は免除。しかしながら、私に割り振られた作業が少なくなるわけではありませんし、普段の仕事も抱えていますので、かえって休日出勤をした方が後々では楽なのではないか、という説も。というわけで、ああ、今週は人事面談もあるのです! 資料作ってないし。まいったな。

家に帰れば、たくさんの作業リスト。昨年流行った「GTD的手法」で、やるべきことをとりあえず思い切り書き出してみて、スカッとした感じ。まあ全部はできないでしょうが、人生とはそういうものですよね。なんでも8割ぐらいできればいい方なんです。でも、システムは10割主義ですので、困るわけです。ああ、結局また大爆発ネタに戻ってしまった。

ともかくバッハを聴いています。こういうときこそ、静かにバッハを聴いて心を落ち着かせたいものです。ブレンデルが弾くイタリア協奏曲です。

作曲は1734年ですので、バッハ49歳頃の作品。バッハはイタリア音楽の研究に余念がなかったようで、先だって取上げたコレッリや、ヴィヴァルディなどの研究を青年時代からしていたようです。イタリアバロック音楽はヴィヴァルディにおいて確立されましたが、バッハはヴィヴァルディらイタリアの作曲家のヴァイオリンのための協奏曲をチェンバロのタメの協奏曲に編曲していたのです。そういう背景のもと、このイタリア協奏曲が成立しました。クラヴィーア一台で演奏されますが、総奏的な部分と独創的な部分のコントラストが上手く表現されています。全三楽章は、急-緩-急の組み合わせで、この形式もヴィヴァルディに影響を受けた模様。ヴィヴァルディの「春」もやはり急-緩-急でした。

個人的な思い出ですが、高校時代の友人で、ピアノの巧い男がいたんですが、互いの家が近かったと言うことでとても仲良くなりました。彼が家に来て弾いてくれたのが、このイタリア協奏曲です。私も譜面を手に入れて弾こうと思ったのですが、難しいです。左手の内声部のパッセージが速くて、右手と左手の同期が取れないです。右手も弱っていましたし、左手なんてもっと弱っていますから、弾けっこないんです。1ページぐらい弾いて挫折。でも、最初の短和音を弾いただけで嬉しくなったものです。一台で協奏曲をやるわけですから、自ずと右手と左手がバラバラに複雑に動くので、ピアノ素人にはなかなか難しかったです。

ブレンデルの演奏は少しリズムに揺らぎがありながらも、端正でまめやかなのです。フェルメールの絵のような静謐な美しさ。落ち着いた色調の中に注意してみてみると光の輝きが表現されているといった感じ。美飾華麗な教会ではなくて、粗野な石造の教会だけれど、中に入ると祭壇の背面のステンドグラスだけが静かに輝いている、といった感じ。力強さとか情熱とかいう言葉は当てはまりません。

少し涼やかな日が続いている気がします。ふとした拍子に秋を感じますね。蝉の骸が地面に幾つも落ちていて、鉄砲百合も絢爛な花びらの色を変えて頭を垂れて始めています。夜気は冷たく、微風にのって虫の声が聞こえ始めました。季節は容赦なく弧を描いて回りますが、そうした円環の回転に取り残されないように生活していきたいものです。

ABQ、ベルク「抒情組曲

昨日の続きです。抒情組曲をさらに繰り返し聞いています。

アルバン・ベルクは、シェーンベルク、ウェーベルンと並ぶ新ウィーン学派三巨頭の一人ですね。若い頃にはマーラーやシュトラウスに傾倒しましたが、作風は無調から十二音技法、そして十二音技法と調性音楽の融合へと進んだ作曲家で、オペラで言うと「ヴォツェック」や「ルル」を作曲した方。ブーレーズは「ヴォツェックはオペラそのものの総括であり、おそらくヴォツェックをもって、このジャンルの歴史が最終的に幕を閉じたのである」と語っています。

個人的には、かつてBSで放送されたグラインドボーン音楽祭で演奏された「ルル」に衝撃を受けたのがベルクを聴き始めた始まりです。あの映像はDVD化されていますが、「ルル」についてはまた今度。

ベルクはなくなる10年前から、ハンナ・フックス・ロベッティンという夫ある女性と激しい恋に落ちていたのですが、この抒情組曲はハンナへの愛情が表現されているのだそうです。譜面上にアルバン・ベルクのA・B音とハンナフックスののH・F音が表されているのだそうです。人間の愛憎の問題は何時の時代にもあるもの。興味は尽きませんね。

抒情組曲自体は弦楽四重奏のための作品で6つの楽章を持っています。弦楽合奏版もありますが、第二、第三、第四楽章のみが編曲されているだけです。

実は、私はこの曲を聴いて、素晴らしいと思うのですが、それを言語化する道が見つからずに困っているという状態です。先日も「クラヲタへの100の質問」のなかでも少し書きましたが、一体「音楽が分る」というのがどういう状態のことを指すべきなのかといことを考えずにはいられません。

おそらくはレヴェルがあって、音大の楽理科を出たような方の「分る」と、一般愛好家の方が「分る」というのでは量的な差異があると言うことなのだと思うのですが、それが倫理の問題に発展していって、楽理科の方の「分る」があるべき「分る」であって、私のような駆け出しの音楽愛好家が「分る」というのは許されないのではないか、という怖れがでてくるのです。 まあ、考え過ぎなのかも知れません。

駆け出し音楽愛好家は、そのレヴェルで全力を尽くして、あわよくばレヴェルをあげていけるように日々努力を惜しまず、というところが落ち着く結論なのだとは思います。譜面読んだり本を読んだりして日々謙虚に勉強をします。

つきぬ悩みは解決するのか? Microsoft Onenote2007──抒情組曲

仕事でとあることについて突っ込んだ調査をしなければならなくなりました。大学で言えば卒業論文のようなものでしょうか。参考文献をそろえて、本を片っ端から読んで、カードを作って、文章を書いていくというイメージです。

大学生のころは、本を読んでルーズリーフの片面だけに本からの抜書きを書いたり、考えたことを書いたりしていたのですが、どうもその方法でうまく論文がかけたとは言いがたかった記憶があります。当時は今ほどPCも進化していませんでしたので、PCにデータを入れて論文を書くという発想があまりなかったですね。まだ学生でしたので、一番安いメディアである紙(ルーズリーフ)に頼らざるを得なかったということもあります。

ルーズリーフだと、手軽に書き込んでいけるのですが、あのこと何処に書いたかな、という風に、以前書いた内容を見つけ出すのが難しかったり、(私は文字が汚いので)何を書いているのか分らなくなってしまう殴り書きのメモに困ってしまったりしていました。おかげでせっかくルーズリーフに書いた情報を有効に生かすことができなかったのです。

今なら、読んだ本の気になる部分をPCに入力して、データを有機的に活用して文章に落としていくことができるはずなのですが、何年も色々試しているのですが、これといった気に入った方法はありませんでした。テーマ毎にテキストファイルを幾つも作る、という方法も考えたのですが、ファイルが幾つもできて整理しにくいですし、HTMLサイト的なものをローカルディスクに作って情報をまとめていったこともありましたが、HTMLのタグうちが意外と面倒で、入力速度が鈍ってしまい実用には耐え得ない状態でした。

こうしたつきぬ悩みを持ち続けて十年ぐらい経とうとしていました。ですが、とうとう決定的なソフトを見つけることができたかも知れません。先日もご紹介しましたが、そのソフトは昨年購入したMirosoft Onenote 2007です。

このソフトは、簡単に言えば「ノート→セクション→文書」という単位で文書を管理することができるソフトです。これはルーズリーフのメタファーになっていると考えるとわかりやすいです。

実世界で「音楽」というルーズリーフファイルを作ったとします。色の違う中仕切りを買って来て、それぞれタグに「作曲家」、「歌手」、「オケ」、「指揮者」と書き込みます。中仕切りの間にルーズリーフを挟んでいきます。「作曲家」であれば、バッハのページがあり、モーツァルトのページがあり、ベートーヴェンのページがあり……という具合で、「歌手」ならパヴァロッティ、カレーラス、ドミンゴ、シュヴァルツコップ……といた具合です。

これをPC上で実現するのがOnenote2007です。私は実際に「Music」というノートを作りました。Windows上では、「ノート」が一つのファイルとなります。このファイルの中に、「セクション」を作っていきます。さっきと同じように、「Singer」、「Orchestra」、「Conductor」という具合です。

セクションの中には個別のページを作ることができます。ルーズリーフの一枚一枚を作っていくのと同じです。 こうして、PC上に幾つもルーズリーフファイルを作成できます。

ルーズリーフには何でも書き込んでいってOKです。Unicodeですので、ウムラウトもOK。英単語のスペルチェックもありますし、簡単な表も書くことができます。タブレットPCだと手書きもできるらしいですね。ウェブページを取り込むこともできます。Internet Explorerを使っている方は、ボタンひとつでウェブページをOnenote2007にインポートできるのです。

そして、なにより優れているのが、MicrosoftのDOS以来の呪縛であるSave(保存)という作業から解放されているということ。つまり、保存操作をしなくても、Onenoteが勝手に一定時間毎にファイル更新をしてくれのです。ですので、保存をし忘れて文書を失うといったリスクがほとんどないのです。

そういえば、あのことを何処に書いておいたかな、という時には全文検索も可能です。ただ、デフォルトでは検索速度がとても遅くてイライラするのですが、Windows デスクトップサーチを導入すると、記事がインデクス化されて、全文検索の速度は実用的な速度になります。このWindowsデスクトップサーチの導入で検索速度が向上したのが、Onenote2007を使って仕事をしていこう、という決定打になりました。

実際、これまで1年間ほどOnenoteを使っていまして、このブログの下書きする際ににも使うことが多いのです。このソフトを使えば、最近頻繁に起こっていた「書いた文章を消しちゃった」事件からも解放されます(先日の事故は、別のツールを使っていて発生したものです)※。 また、実際に、音楽関連の情報収集にも使っています。日記的なものもこちらに入れるようにしています。

※ 余談ですが、「保存からの解放」はGoogleドキュメントやGoogleノートでも実装されはじめていますね。いずれも一定時間に定期的に自動保存されますので。

ちろん、Onenote2007に対する不満もあります。完璧なソフトなどあるわけないので。たとえば、以下のような感じです。

 テキスト関連

  • テキストの一括置換をできるようにしてほしい。
  • 「形式を選択して貼り付け」が必要。

 表示関連

  • ノートやセクション、ページの色指定は、任意の色を選べるようにしてほしい。今はリストに入っている色を選ぶことができるだけ。

 マクロ・スクリプト

  • VBAベースのスクリプトを搭載してほしい(少し要求高いですが) }

連携

  • オブジェクト貼り付けができるようにしてほしい。ノートの中にワードやエクセルオブジェクトを埋め込めるようにしてほしい。
  • ○ FirefoxからOnenote2007への取り込みをサポートして欲しい(これはMicrosoftに期待しても無理。どなたかがFirefoxのプラグインを作って下さると良いのですが……)

 Onenote2007についてはまだまだ書き足りないところです。このブログは音楽、文学ブログですが(本当に?(笑))、音楽や文学の情報収集にOnenote2007は結構使えるよ、と