またまた涙する──ペーター・シュナイダー/ニーベルングの指環

今週はなかなか忙しい日々でしたが、ずっと「指環」を聴いていました。そのわけをカミングアウトすると、またシュナイダーさんのコンサートに行ってしまいました@サントリーホールというわけです。いや、あの日曜日(25日)の演奏を聴いたら、また行きたくなりますよ……。あれやられちゃあなあ。写真はアークヒルズのライトアップです。

いつも愛読しているyokochanさんの「さまよえる歌人日記」でもこの演奏会のことを取り上げられていらっしゃいます。素晴らしいレポです。

幸いというか何というか、家族の用事で午後に都内に出たのですが、その用事を済ませて慌てて溜池山王から地下トンネルを走ってサントリーホールへ。間に合いました。サントリーホールは、昨年、ティーレマン&ミュンヘンフィルでブルックナーを聴いて以来。ホールの中に入ると、あれ、こんなに小さかったっけ、みたいな。新国ばかり行っているからでしょうか……。

最初はベートーヴェンの交響曲第四番。これがまた良いのですよ。日曜日の「ジュピター」のような繊細で端正で良心ある演奏とでもいいましょうか。東フィルを室内楽的な繊細さで鳴らしています。これがまめやかな演奏というのですね。しかも、ベートーヴェンがこんなに面白くて、複雑怪奇で、緊張と弛緩の波を乗り越えていくとは思いませんでした。そうした構造をより際だたせる指揮だったのだと思います。

先だって、ラトルが振る二番を聴いたときもかなり眼から鱗が落ちましたが、シュナイダーさんの指揮でもまたベートーヴェンをよりいっそう理解できた気がします。

それにしても、四番の演奏は特に音が良いと感じました。四楽章で弦楽器がフレーズをバトンしていくところがあるのですが、あのあたりの音が移動していくニュアンスは安いオーディオセットではなかなか再現できないのではないでしょうか。サントリーホールの残響音も柔らかく少し長めのリヴァーヴで、心地よかったです。    

15分の休憩のあと、いよいよリングです。これはオランダの作曲家であるヘンク・デ・ヴリーガーが1991年に編曲したもので、主要部分をオケ版に編曲したもの。つなぎに多少違和感がありましたけれど、おいしいところは詰め込んだ大のごちそうです。

個人的には、「ジークフリート牧歌」のフレーズをブリュンヒルデが歌う部分が盛り込まれなかったので残念だったのですが、十二分に楽しめました。

ホルンがジークフリートの角笛を吹くところも良かったですし、神々の黄昏のブリュンヒルデの愛のテーマのあたり、ヴァイオリンの高揚感がすさまじくて、涙が出そうになりました。凄いなあ、本当に。シュナイダーさんの指揮は、決して熱血的ではないのですが、指環の構造を熟知した上で抑制した棒振りのなかで十二分にオケの音を引き出している感じでした。

でもやっぱり最終部分の悲しみと寂しさを併せ持ったところに到達すると本当に寂しくなってしまいます。60分で指環を駆け足で回ってきて、ああ、これで終わったのか、という安堵感とともに寂寥感。あの何とも言えない気分は、指環を回った最後だからこそなのだと思います。

演奏が終わるとブラボーの嵐。私も叫ぼうかと思いましたが、ちょっと気恥ずかしかった。でも叫べば良かったなあ。日頃練習しないと。シュナイダーさんは何度も何度も拍手に呼び戻されていました。楽団員もシュナイダーさんに賛辞を浴びせていました。楽団員も演奏後は充実した顔をしていたように思えました。

ちょっと、しばらくは指環を聴けそうにありません。シュナイダーさんの演奏を出来るだけ長く記憶にとどめておきたいので。それで、頭の中は神々の黄昏の最終部分がぐるぐる回っている感じです。

またまたで大変恐縮ですが、明日は新国で「こうもり」を鑑賞予定。なんだかこの一ヶ月はコンサートばかりだった気がするなあ。良い一ヶ月でした。

やっぱり生のコンサートは凄いです。CDを聴いているだけでは分からないことがたくさんあります。けれども、時間と経済の制約がなければ良いのですが、それを望むのは無理というもの。ともかく日頃はせっせとCDで音楽を聴いて、時にコンサートに行くという感じになりそうです。

衝撃! ──春は上野でクラシック。「東京・春・音楽祭」として生まれ変わった「東京のオペラの森」:飯尾洋一「ネットエイジのクラシックジャンキー」

取り急ぎエントリー

これもすごい! ウルフ・シルマーさんがN響を振る。しかもパルジファル!

http://pc.nikkeibp.co.jp/article/column/20090128/1011766/?P=2

2010年4月に演奏会形式で演奏されるらしい。しかも二日のみ。ああ、これはチケット入手が厳しそうだなあ。

忙しいけれどニーベルングの指環

ちといそがしいので、ざっくりエントリー。

今週、訳あって、カラヤン指揮の「ニーベルングの指環」を通しで聴いています。月曜日から聴き始めて、いまやっと「ジークフリート」の後半に到達。「神々の黄昏」は長いから、今週中に聴き終わるかどうか。時間を見つけて聴きましょう。

もちろん、対訳など読まずに、カジュアルに聴いているのですが、それでも十分に楽しい。昨年聞き込んだときに、ライトモティーフを少々覚えていたので、とても楽しい。

3月には「ラインの黄金」、4月には「ワルキューレ」が待っています。

今週末の日曜日は、またまた初台で「こうもり」を鑑賞予定。こちらの予習もしないと。

また泣かされた──シュナイダー指揮の「ばらの騎士組曲」

  東京地方は寒い日ながら快晴で、気持ちの良い一日でした。最近つとにやることが多いのですが、そうしたタスクをこなせないまま、先週に引き続き今週もコンサートに行ってしまいました。今日はペーター・シュナイダー氏指揮の東京フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を渋谷のオーチャードホールにて。

 オーチャードホールは、2007年の「ばら戦争」勃発時に、ウェルザー=メスト指揮のチューリヒ歌劇場の「ばらの騎士」を見て以来でした。
 
 周知の通り、シュナイダー氏も2007年の「ばら戦争」に参戦しておられました。2007年6月の新国立劇場公演で「ばらの騎士」を振っていらしたのです。あのときもやっぱりオケは東京フィルハーモニー交響楽団でした。
 
 その新国立劇場の「ばらの騎士」ですが、私は相当に感動して、全く涙が止まらなかったのです。第一幕の終盤の元帥夫人の歌声に涙、第二幕の「ばらの献呈」の場面で涙、そして、第三幕最終部の三重唱で涙。滂沱とあふれて、少々恥ずかしかったのですが。当時のブログは以下の通りの感じです。
 
 
 さて、今日の演奏会は、非常に短いものだったと言えましょう。前半はモーツァルト交響曲第41番、15分の休憩を挟んで、後半はシュトラウスの「ばらの騎士」組曲、おなじく「サロメ」から七つのヴェールの踊り、の三曲です。休憩もいれて90分ほどで終わってしまうこぢんまりとした演奏会です。
 
 ですが、今日も私は泣きました……。
 
 まずは、前半のモーツァルト。シュナイダー氏の指揮は、奇を衒うこともなく、端正に音楽を構築しています。上品かつ気品ある演奏。大仰に速度を動かしたり音量のコントロールを撮らずに、控えめでした。白眉だったのは第四楽章で、フーガの構築美が丁寧に描き出されていました。速度も中庸。淡々と仕事に没入している感じで、良心さえ感じます。ここでもやはり涙してしまいます。シュナイダー氏は、ウィーン少年合唱団のご出身。ウィーン的気品とでも申しましょうか。素晴らしかったです。
 
 15分の休憩のあとが、本日のハイライト。シュトラウスが編曲をした「ばらの騎士組曲」でした。モーツァルトより編成が大きくなり、オケも良く鳴っています。先のモーツァルトとは異なり、テンポを動かして、ためるところはためて、駆けるところはきちんと駆けるというダイナミックな演奏です。
 
 そして、やはり今日も「ばらの献呈」の場面で涙は滂沱と流れたわけです。歳をとったのでしょうか。涙もろくて困ります。演奏の方は、速度をかなり落としているのですが、きちんと統御されています。
 
 そして第三幕最終部、圧倒的な美しさと高揚。ゆったりとしたテンポで語られる元帥夫人の複雑な心境。ここでも涙が流れてとまらない。もう耐えられませんでした。2007年の新国立劇場の「ばらの騎士」と同じく怒濤の感動です。
 
 先に触れた、2007年の記事においては、、シュナイダー氏の指揮について積極的に触れていないのです。です。確かに、ニールントさんも、ツィトコーワさんも素晴らしかったし、ジョナサン・ミラー氏の演出も相当に素晴らしかった。ですが、あの感動を導いたのがシュナイダー氏であったことに今日改めて気づかされたのでした。
 「サロメ」の七つのヴェールの踊りももちろん素晴らしかったですよ。オケも気合いが入っていて、躍動感あふれる演奏でした。
 
 そんな感じで、日曜日の午後は実に幸福な時間でした。こういう感動に立ち会えただけで生きていて良かったなあ。と思います。
 
 

週末ライヴ──行人

ちと、いろいろあって、更新できずじまい。いかんですね。

本日は、東京フィルハーモニー交響楽団のオーチャード定期演奏会に行ってきます。指揮者はペーター・シュナイダー氏。氏の演奏に触れるのは三回目になります。1度目は2006年に発作的に訪れたドレスデンでみた「カプリッツィオ」。2度目は圧倒的パフォーマンスで涙が止まらなかった新国立劇場の「ばらの騎士」。否が応でも期待は高まります。モーツァルトの「ジュピター」、「ばらの騎士組曲」、「7つのベールの踊り」from「サロメ」。うーむ、楽しみです。

夏目漱石の「行人」、通勤電車で貪るように読んでいまして、こんなに面白かったっけ? みたいな感じで、驚いています。記憶から失われている部分ばかり。 漱石の心情描写は、説明的な部分と描写的な部分と分けられるのですが、説明的な部分がものすごくいいのです。ちょっとした挙措から、語り手の二郎が相手の心情を推し量っていったり、あるいは二郎の心情が虹色のようにどんどん展開していくのが面白いのです。

女性観も面白くて、坊ちゃんとか三四郎でもそうだったと思うのですが、女性がやはりどうにも強い感じで、唸ってしまう。おそらくあの時代にしてみれば、今よりももっと衝撃は強いのだと思いますが。「男はいざとなるとからきし駄目なのよ」みたいな台詞にしゅんとする感じ。

 

 

漱石節──ラトル/ベートーヴェン交響曲第二番

早いものでもう1月も終わりですね。先週の土日の初台疲れで、今週はなんだか調子が今一つ。ブログ書けずじまいでした。

今週から夏目漱石を読み始めました。水村美苗さんが書かれた「日本語が亡びるとき」を読んでインスパイアされた感じ。「日本語が亡びるとき」では、日本近代文学の興隆が奇跡的出来事であるという風に語られていて、まあ、鴎外とか漱石といった日本近代文学を大事にせねばならぬということが視点のひとつとして取り上げられていたので、というところ。

ともかく、漱石は10年ほど前に集中的に読んだ記憶がありますが、十全には読めていない気分ですので。とりあえず本棚にあった「行人」から。漱石節炸裂で懐かしい。古い時代の高等遊民的能天気とでもいいましょうか。あるいは、その高等遊民的な斜に構えて事物を見るあたりが、面白いです。ほとんど浮遊霊的な視点を持つ主人公の心情描写。ストーリー的にはこれから面白くなっていくんでしょうけれど、まずは語り口的にすごいなあ、と思います。

さて、尊敬する方からインスパイアされて、ベートーヴェンの交響曲第二番をラトル指揮VPOにて聴いております。 第一楽章には、マエストーソな感じのアダージョで、この入り方、モーツァルトの38番とクリソツだな、と思って確認してみるとみると、入りの和音はまったく同じ。というか、僕には同じ和音にしか聞こえない。スコアをあたってみると、やっぱり。同じだ。って、有名な話しですかね。

http://imslp.org/wiki/Symphony_No.2,_Op.36_(Beethoven,_Ludwig_van)

http://imslp.org/wiki/Symphony_No.38_(Mozart,_Wolfgang_Amadeus)

アレグロ・コンブリオの快速な旋律に突入すると、すでにラトル節で、小気味よいフレーズ回しと、羽毛ほどに柔らかい音量調整が心地よいです。音量のダイナミクスがすばらしいのがラトルの指揮のなかでも気に入っている要素でして、この曲の第一楽章はいいところが全開という感じ。

全体ですが、リズムに多少の瑕が感じられるところはありますが、リズムはカチカチと固まっていて安心。ロック音楽のようにリズムが派手に聞こえる。ほぼインテンポな感じだからでしょう。

そう考えると、ラトルはそんなにテンポをいじらないですね。テンポを動かして いるのを聴いて、すごい! と思った記憶がないです。 もう10回ぐらい聴いていますが、なかなか飽きが来ないです。

ほかの方はどういう風に振っておられるのだろう?手持ちをiPodに入れてみます、という感じです。

初台に通い詰めた土曜日と日曜日──「じゃじゃ馬ならし」と「蝶々夫人」

17日、18日は休みだというのにタイトなスケジュールでした。予定したタスクは結局達成できなくて残念でしたが、いろいろ勉強になりましたのでいいですか。

17日は午前中から都内に出たのですが、午前中の予定が早く終わりましたので、初台に移動して「じゃじゃ馬ならし」公演までカフェで一休み。しかしなぜか眠い。荷物が半端なく重くてすでに疲弊気味。 そんな状態で東京オペラプロデュースのヘルマン・ゲッツ「じゃじゃ馬ならし」を新国立劇場中劇場にて鑑賞。

一応、元本のシェークスピアの戯曲に当たっておいたのですが、ゲッツのオペラ版台本は相当単純化されていてわかりやすくなっています。戯曲どおりだと、従者が主人に変装したり、見知らぬ老人を父親に扮装させたり、登場人物が多かったりするわけですが、そうしたところがすっきりと整理されたイメージ。でも、原作の持つ複雑な人間模様は少々失われ気味。まあ、オペラにかけるのならこれぐらい単純化したほうがわかりやすいと思います。

ビアンカを歌われた岩崎由美恵さんが、グンドゥラ・ヤノヴィッツさんに似た澄み切った歌声で良いなあ、と思いまして、カタリーナの菊地美奈さんが、ルチア・ポップさんの気勢ある雄弁な声に聞こえてなりませんでした。

18日未明は、ベルリンフィルのディジタルコンサートを聞こうと思い、クレジットカード決済の直前まで行ったのですが、プロトコルがセキュアではないのに気づいて、あわててPaypal決済しようと思ったのですが、Paypalにうまくつながってくれない。暗号化されないプロトコルのままクレジットカード番号を入れる気にもならなかったので、断念しました。無念。ここは改善してほしいところ。ほかの方はそのまま入力してしまっているのでしょうか……。

18日午後は新国立劇場にて「蝶々夫人」を鑑賞。初台には二日連続で行った感じ。さすがにこれはかなり体に無理強いした感じ。疲れた体とともに向かうオペラは辛いもの。同じ演出を見るのも3回目ということで、歌手の方々に期待しました。蝶々夫人のカリーネ・ババジャニアンさんもピンカートンのマッシミリアーノ・ピサピアさんもテクニック的には抜群でした。ババジャニアンさんの方は、少々ビブラートがかかりすぎかな、という感じもしました。ピサピアさんは、見かけがかなりマッチョな感じで、ピンカートンの利己的で嫌な側面を巧く表現しておられました。指揮はカルロ・モンタナーロさん。オケは雄弁で、トランペットに少々違和感を覚えたぐらいで、聞かせどころを巧くためたりして良かったです。

ともあれ、2007年4月の公演のジュゼッペ・ジャコミニーニさんを超えた方というと、そちらはなかなか……、というところ。

ちょっと無理をしすぎました。反省。またがんばります。

 

年甲斐もなく……──週末ライヴ三昧

先週サックスを吹いていたら、なんだか若返った気がしました。楽しかったですし。もちろん昔よりもずっと下手になっているんですが。もっとも、昔も下手でしたけれど。

ともかく野望。サンボーンの音を出したいなあ、なんて。デュコフD6というマウスピースを使っているらしいのですが、楽器屋に買いにに行っちゃおうかな、なんて思ったり。一月に一度ぐらいはサックスを吹いてあげないとかわいそうだなあ、とか。サンボーンの完コピしてみようかな、とか。バンドやるには時間がないけれど、闇練ぐらいなら地元の公民館でも出来ますし。マイナスワンでも買ってみるかな、とか。年甲斐のないことを考えたりして。

今週末は三つライヴを体験する予定。土曜日は、東京オペラプロデュースの「じゃじゃ馬ならし」。日曜日未明は、ベルリンフィルのデジタルコンサートで、ハイティンクが振るマーラーの7番を。同じく日曜日の午後は新国立劇場にて「蝶々婦人」を。予定を入れすぎだ、と怒られているのですが。 「じゃじゃ馬ならし」はシェークスピア全集を借りてきて読みましたけれど、身も蓋もない話なのですが、そこでどうやって読み替えができるか、が良い鑑賞者たりうる道ですが、そこに至る道は未知なり。なんて。

昨日、ベルリンフィルからメールが来ていまして、以下のリンク先からハイティンクのデジタルコンサートライブへ。ちゃんと東京時間も書いてくださっています

Go to ticket sales: Concert with Bernard Haitink
Live webcast Saturday 17 January 2009, 8 p.m. Berlin Time
(New York: 2 p.m., Tokyo: Sunday 18 January, 4 a.m.)

ベルグルンド/シベリウス交響曲第三番

疲れたときは、やっぱりシベリウス、という感じになっています。シベリウスは昨年末から本格的に聞き始めていて、まだまだ聞き込みは十分とはいえませんが、個人的にはとても楽しめますし、この曲のおかげでなんとか英気を養うことが出来ている感じです。

第一楽章は、少しおどけた低音のフレーズから始まりますが、ひととき盛り上がったあとに、弦楽器の切ない旋律が現れますが、長和音と短和音が入り乱れていきます。第二楽章は静かな楽章。北国の白樺林が見えますよ、これは。いくばくかの悲しみを保っていて、長和音が登場してもその色は覆い隠すことが出来ません。フルートに先導される叙情的な旋律が印象的。二拍三連のベースラインも気持ちいいです。第三楽章の前半は切迫感のある旋律、後半はチェロが威儀を正してコラール風の旋律を始めます。旋律が長調や短調に変奏して連なり、弦楽、木管、金管がおのおの呼応をはじめて高揚感を高めていき、弦楽器の波動の上を管楽器が華々しい終端へと到達します。 1907年完成。シベリウス42歳のときの作品です。

最近になってようやくシベリウスのすばらしさがわかってきて、交響曲を少しずつ聴くことができるようになってきました。最近私が思っているのは、シベリウスは聞き手を決して安心させることはないのでは、ということです。きわめて単純化した言い方ですが、調性が複雑に絡み合っていて、たとえば、長調だと思ったとたんに、短調に戻り、また長調へ、という具合です。ベルクの場合はフレーズ自体に調がないわけですが、シベリウスの場合は、個々のフレーズは調をきちんと持っています。実にロマン派的な優美で雄弁な旋律が現れてうっとりする訳ですが、次の瞬間に調が変わって、おやおや、という風になる。親しみやすい旋律に取りすがろうとした途端にあれよあれよとすり抜けて逃げてしまう。ですが、個々のフレーズを楽しみつつ、めまぐるしく変わる調性の万華鏡の美しさに開眼して、ジェットコースタに乗ったときのように無心に変幻に身を任せることを覚えてから、ようやくとシベリウスを楽しめるようになったというところです。

さて、いろいろとやることが重なっていて、今月は忙しいです。今週末はオペラを2つ(「じゃじゃ馬馴らし」、「蝶々夫人」)、来週末はシュナイダーさんを聞きに行きます。次の週は「こうもり」。仕事の方も、開発期間をぐりぐりと調整していたり、納期の厳しい検討事項をやっつけなければならないとか。もっとも、まだ忙しさを楽しむことができているようなので、大丈夫なのですが。

速報!新国立劇場2009/2010シーズンラインナップ

速報です。昨日年間チケット継続勧奨が届きました。そこに以下のとおり記載があります。

  • 9月:オテロ(新制作)
  • 10月:魔笛
  • 11月:ヴォツェック(新制作)
  • 12月:トスカ
  • 2月:ジークフリート
  • 3月:神々の黄昏
  • 4月:愛の妙薬(新制作)
  • 5月:影のない女(新制作)
  • 6月:カルメン
  • 6月:鹿鳴館(世界初演)

アンケートに「影のない女」と書き続けていたのですが、そのせいではないにしても、「影のない女」の上演はうれしいですね。しかも、「影のない女」が意識していた「魔笛」も上演されるとは。ヴォツェックは既報の通り。こちらもうれしい。リングも今シーズンに引き続き。

詳細はまだわかりませんが、また何かわかりましたらご報告します。