Opera

新国の一場面。素敵。

さて、バックステージツアーについては2回目。以下の写真は張り出された当選者の名簿。デジカメの画像があまりに暗いので、フォトショップでいろいろいじったんですが、復活できない。私の画像補整技術では無理ですわ。モザイクかかってますので名前は見えませんよ。

今日はちょっと項目ごとにまとめてみます。

もっと休憩短くしてほしいんですが……、への回答

三幕のうち、2階の休憩はそれぞれ45分ぐらい。何でこんなに必要なのか? 私の場合、13時半頃に、レッド・ブルを飲み、二幕のあとも、三幕のあともレッド・ブルを飲みました。それぐらい、観るだけの我々にとっても過酷な6時間の公演だったのです。「もっと休憩時間短くできないの?」みたいなクレームはあるそうです。確かに普通のオペラだと20分ぐらいですから。ですが、さすがにヴァルキューレ以降のオペラだと、普通のオペラ2,3本分を一気にやるぐらいの大変さなのだそうです。私の記憶に間違いがなければ、オペラ1本で、サッカー選手と同じカロリーを使っている、とおっしゃっていたと思います。それぐらい大変。もちろん、舞台裏も大騒ぎな感じなんだそうです。ですので、我々は、ゆっくり構えて休憩時間を楽しみましょう。ホワイエできょろきょろするだけでいろいろ面白いものが見られますので。

バックアップ

バックステージツアーでちょっと感心したのはバックアップ体制です。公演中、指揮台には、遙か情報の天井から光線が降りてきているんですが。あのライト、実は二つあるんですって。もちろん一つは予備。電球切れして、指揮者がスコアを見られなくなる、なんてことはないというわけ。それから、もう一つ。指揮者はカメラでモニターされていて、舞台両脇のモニタや監督席に移っている。これがないと、歌手は演技するにあたって、指揮者を見るのに苦労します。このカメラ機構も二重化されているとのこと。当然のこととはいえ、さすが、という感じ。これは、いわゆる冗長化というやつですね。

煩悩の数と一緒?

それからもう一つ面白いエピソード。オケピには130名ぐらい入るそうですが、暗い劇場ですので、譜面台には当然照明がついています。この照明の電源コードは、ほかの劇場だと配線が床を這うような形になるらしいのですが、新国のオケピはそのあたりを意識していて、床に電源供給用のコネクタがいくつも配置されているらしい。なので、配線が床を張って、足を取られるようなこともないんだそうです。で、このコネクタの数、108個なんですって。煩悩の数と一緒だ、といって一同爆笑みたいな。

ライヴのおもしろさ

監督助手のSさんが再三おっしゃっていたのは、「ライヴ」のおもしろさ。
映画やCDなどは、編集が加わりますので、完璧さが求められる。
けれども、劇場においては何が起こるかわかりません。様々な問題が偶然的に発生する。ライヴだと、我々の目に見えるところ、あるいは目に見えないところでいろいろな事件事故が起こるわけです。そうしたインシデントやアクシデントがあることこそ、ライヴの良さなのでは、とSさんは何度も言っておられました。共時性の重要性とか、一体感の醸成とか、緊張感の共有とか、そう言うことでしょう。
これは、舞台芸術以外ではなかなかないことだと思います。そうした緊張感を、演じる役者=歌手も、裏方も、観客も同じ空間時間で共有するということ。祝祭的といいますか、ハレといいますか、そうした共時性が、ある種のアウラ的なものを醸成するわけ。映画やCDのような複製芸術とはまた違う味わいというわけです。アウラかあ。ベンヤミンだなあ。あるいはギリシア悲劇的。
私の場合、パフォーマンスに強制的に組み込まれるという感じがとても好きなんですけれど、そうしたことをおっしゃっていたのだと思います。

「ジークフリート」のラジライネンの失敗

前回の「ジークフリート」のとある公演での出来事。ジークフリートがさすらい人=ヴォータンの槍をノートゥンクで切り折るシーンがあります。あのシーン、ノートゥンクが槍を折るんですけれど、ラジライネンが操作を誤って、ノートゥンクが打ち付けられる前に、槍が折れちゃってたんですって。だから、必死に折れた槍を、折れていないように見せるために大変だったらしい。結構な重量があるので、両手それぞれで、半分に折れた槍をそれぞれ持っていたらしいんだが、結構大変で、観客にもばれてたのでは、とのことでした。まあ、ノートゥンクが打ち砕く前から槍が折れていた、という演出と受け取れなくもないのですが。とはいえ、ラジライネンは結構ショックを受けていたらしく、楽屋で「やっちまったよ~」と愚痴っていたとのこと。

指輪がなくなってしまった!

ジークフリートが死んで、ブリュンヒルデが自己犠牲前に指環を床に投げるシーンがあります。その後この指環をハーゲンが拾おうとする重要なシーンなのですが、私が見に行った3月21日の公演では、この床に投げた指環が舞台袖奥の舞台端末ブースの下の隙間に入り込んでしまったのだそうです! つまり、指環は舞台から消え去ったのです。私はこれには気付きませんでしたが、裏ではパニックに陥っていたそうで、指環をほうきで隙間から取り出して、そーっと舞台に戻したんだそうです。気付きませんでしたが、本当に大変。

テオリン様の裏話

テオリン様は、けっこう気の強そうな、姐さん的なイメージなので、演技とかも結構強気な感じでやっておられます。去年のバイロイトの映像もやっぱりそうだった。でも実は、かなり繊細な方みたい。それから、茶目っ気もある感じ。「神々の黄昏」では、ジークフリートとブリュンヒルデは同じベッドに一緒に横たわった状態で舞台下手から登場するのですが、舞台にいざ出るときに、ベッドに横たわりながら、スタッフに「行ってくるねー」みたいに手を振ってみたりするそうですし。

火を使った演出.

私が見ていて本当に怖い火を使った演出。新国のリングでも「ヴァルキューレ」では、ブリュンヒルデの周りに火が巡らされていましたし、「ジークフリート」や「神々の黄昏」でも舞台奥に火が燃えていました。あの火、結構やっかいらしいです。私が怖がっていたのは、引火して火事にならないのではないか、ということでしたが、そうじゃなくて問題は音らしいです。火が燃えるときに、かなり大きな音がします。2002年に見た「トロヴァトーレ」でも火の演出がありましたが、もうゴウゴウと音をたてて、見ているだけでも気が気ではありませんでしたが、もちろんそれが音楽表現上問題なのだそうです。火の音を消そうと、周りに水を巡らせたり、などなど試したようですが、水が沸騰しちゃって逆効果だったり。「神々の黄昏」で使われた火は、カセットコンロに使われるガスカセットを何本も使ったものなのだそうです。場合によっては固形燃料を使うこともあるとか。舞台演出は奥深すぎます。

ボックスと蛍光灯の世界的流行

「ホワイトボックス」のシーン。あそこの証明は白熱灯のオレンジ色を帯びたものではありませんでした。蛍光灯の色のような真っ白なもの。こうした照明の演出は世界的に流行しているそうです。それから箱形の舞台。舞台上に立方体を置くんですが、こうした演出も最近の流行なのだそうです。私も新国の「運命の力」と「ヴォツェック」でそうしたボックス型の演出を見たことになります。

欧州人の「パース(遠近感)」のとらえ方

昨日も触れたとおり、ホワイトボックスはボックスとはいえ、遠近感を出すために、奥に行けば行くほど面積が小さくなっていきます。台形を上下左右に嵌めた感じで、一番手前の開口部にくらべて一番奥の開口部の方が小さいわけです。これって、遠近感を出すための演出の常套手段ですよね。大昔の「音楽の友」で読んだ記憶だけで、ソースをきちんと示せないのですが、たしかフィレンツェにある世界最古級のオペラハウス(おそらくは17世紀頃?)でも、そうしたセットが組まれていたはず。
Sさんがおっしゃるには、やはりこの遠近感の感覚は、欧州の街並みに依るところが大きいのではないか、とのことでした。四角形の建物がいくつも立ち並んでいると、遠近感に対する見え方が日本人とは違うのでは? とのこと。
日本でいうと、ようやくこの100年で丸の内界隈や霞が関界隈にに真四角の建物がいくつも建ち並んでいるという状況ですので。文化圏の違いというところでしょう。

演技の苦労

歌手は、演技をしながら歌を歌わなければならないという、大変過酷な状況に置かれています。歌詞を覚え、暗譜し、指揮者を見ながら、演技をするという、聖徳太子状態です。演技面だけでも体力的にも神経的にも非常に大変で、たとえば、「神々の黄昏」の冒頭で三人のノルンが登場して、フィルム(これがノルンの織りなす運命の糸という設定)に槍を突き刺すシーンがありますが、槍は思った以上に重く、しかも、床に差し込む位置も決まっているので、相当練習したとのこと。
それから、最終場面で、女性が大きなジグソーパズルのピースを床に落とした瞬間に映像で流されるジグソーパズルが完成するというシーンがあります。ピースは指環を表していますので、ラインの川底に指環が戻されたということを指し示しているのですが、あのシーンは異様に大変なのだそうです。音楽と映像に合わせて、タイミングを見計らってピースを床に落とさないといけない。これも異様に大変なことらしく、泣きながら練習していたとか。
僕たち観客は、見るだけで、ああだ、こうだ、と批評家ぶって書いちゃったりしますが、裏に隠されている大変な苦労のことを思うと本当に無責任なことは言えないなあ、と思います。[1]

楽屋で最も近い部屋は何か?

トイレだそうです。体を張ったパフォーマンスですので、やはり生理的欲求が最も重要。

今回の演出のスタッフ数は?

80人ぐらいのかたが関わっておられたそうです。結構多いです。

結論

私、楽屋口から舞台裏には行って、舞台監督助手のSさんを一目見た瞬間に身震いをして、お話を聞くにつれ、名状しがたい思いに包まれました。ああ、こここそ、僕が来たかったところなんだなあ、と。それほど強い雷撃でした。私は人生で何度か雷撃に打たれていますが、また一つ加わった感じです。
fn1. だから私は、このブログには、原則的には、良いと思ったことしか書かないようにしています。ですので、書いていないということは、評価出来なかった、と言うことになります。そのあたりを推していただけると助かります。