「愛の劇場 ~男と女はトメラレナイ」 今年のNHKクラシック番組は面白い! 

http://www.nhk.or.jp/program/aigeki/
これも気になる今年度からの新番組です。かなり緩い感じのオペラ番組です。まあ、オペラは単なる題材に過ぎなくて、ホステス役の夏木マリと、ゲストの大人の女性達が、オペラを肴に恋愛論を語る番組。NHKにしてはかなり砕けた番組で、内容的には女性週刊誌の延長線上のような感じ。
トメラレナイで、トロイメライではありませんので要注意。私は寸前までトロイメライだと思っていて、カミさんに怒られました。
でも、面白いですよ。
私が見た回は「ばらの騎士」だったんですが、夏木マリ、国生さゆり、マリエの三名が、大人の恋について実体験を交えながら語る感じ。
私は芸能ネタには弱いのですが、それでもなんとなくフムフムという感じでした。国生さゆりはマルシャリンと同じく年下の男性とつきあっているらしく、マルシャリンとオクタヴィアンの恋愛と重ねて語られる。
これ、昔関西でやっていた「たかじんのバー」的な雰囲気で、是非出演者の方にはアルコールを入れていただいて、さらに本音を語っていただきたいと思うのでありました。
マリエの言。「恋愛の終わりなんて考えるの悲しいじゃないですか」
国生さゆりの言。「でもね、恋愛とは常にせつないものなのよ」
きっと、世の女性が飲み屋やらバーやらで話していることって、こんなことなんだろうあな。勉強になりました。今更勉強しても役立つ部分は限られますが。
映像で流れていたフレミングのマルシャリンが素敵だったなあー。
緩い感じなので、会社帰りの疲れた時間でも楽しめます。是非一度お試しを。
教育 金曜日 午後10時25分 ~10時50分
教育 金曜日 午前5時35分~6時(再)
5月7日:マノン・レスコー
5月14日:トリスタンとイゾルデ
5月21日:トスカ
冒頭と最後のショートコントも笑えたっす。

やばい、プティボン。──パトリシア・プティボン 「ロッソ-イタリア・バロック・アリア集」

やばい、プティボン。

昨日アマゾンUKから届いて、早速iTuneに取り込んで聴いております。この方、凄い。平伏いたします。申し訳ありませぬ。
強烈な情感とパワーを持った劇的で激情的でいながら、なお冷静さや優しさを失わない人間味溢れる声です。今聴きながら書いているんですが、一瞬一瞬がいとおしい。やはり、欧米人の体格でないと、この声は出せないのか。
Wikiによると、1970年生まれのアラフォー世代。旦那様は作曲家でお子様がお一人いらっしゃる。
http://patriciapetibon.artistes.universalmusic.fr/
Wikiに生年が書いてあるのに驚いたのですが(普通の歌手は年齢出しませんので)、40歳でこのパワーと若々しさかあ、と。私も老いさらばえるのはまだ早い。若者には負けぬよう頑張らねば。

森麻季さんと

ちょっと語弊があるかもしれませんが、このCDは、芸域としては森麻季さんと重なっているように思いました。森麻季さんは透徹とした美しさや豊かな表現力や技術力を持っておられますので、大変好きなソプラノのひとりなのですが(変な噂は内容も知らず無視してます。だって、巧いんですから)、唯一の弱点は高音部の倍音成分の少なさにあると思うのです。プティボンの場合はそこをクリアしてしまっている。
先日、偉大な先輩プロ音楽家の方と話したのですが、どうしても体格のせいなのか日本人の声質が欧米人と異なることが多いなあ、と。これ、クラシックだけじゃなくてポップスも同じ。ピッチコントロールはいいんですけれど。

ちょっと気になる曲たち

それから、有名な”Lascia Ch’io Pianga”、森麻季さんの解釈と違っていて新鮮です。静謐に静謐に歌われている。森麻季さんの場合、ちょっとした感情の高ぶりを表現するところも、淡く輝きながら通り抜けてみせる。スマート。1
その次の曲、”Volate, Amori” とか、”Se Il Mio Dolor T’offende”の昂揚感も凄い。ここまで劇的な表現をしてしまうとは。この音楽、いわゆるバッハ的なバロックとは思えん。王侯貴族のためだけの音楽とは思えない。これはまさに民衆のほうにも向いている。

後悔と希望

ああ、こんなことだったら、来日公演に行っておくんだった。激しく後悔。そして、この方の「ルル」の録音を逃したという絶望的後悔。ああ、この声と表現力でルル歌ったら凄いはず。頼む、再放送してほしい。CD化してほしい。
こうなることは、先日のバイエルン放送管弦楽団の「カルミナ・ブラーナ」を聴いたときに予想できていた。あの最終部にかけての表現は凄かったからなあ。
http://museum.projectmnh.com/2010/04/18035722.php
というわけで、また増えてしまいました。ラヴリーなソプラノ。激賛勧奨です。

で、ラフォルジュルネ

というわけで、私も乗り遅れないように、ラフォルジュルネに行って、ヘンデルオペラのアリアというご馳走にありつくことにしました。プティボン効果です。GWの前半は仕事なのですが、一日ぐらいはオフにできそうなので、5月3日の公演に行って参ります。
* マリア・ケオハネ [ソプラノ]
* リチェルカール・コンソート
* フィリップ・ピエルロ [指揮]
ショパンにはあまりなじみがない者でして、ちょっと引き気味だったんですが、もうほとんどチケット売れてるんですね。頭の良いピアニスト達が寄り集う東京フォーラムに幸あれ。良い天気になりますように。
fn1. しかし、この曲、思い出深いなあ。「あこがれ、美しく燃え」。強烈すぎて怖かった。映画も見ないとなあ。。。

【短信】事業仕分け第二弾前半終了

ちょっと興味深かったので簡単に。
朝日新聞のウェブにこんな記載が。
一方で、国立美術館と国立文化財機構の美術品収集など4事業は、国の負担が増えない範囲で「事業を拡充すべきだ」との判定だった。
http://www.asahi.com/politics/update/0429/TKY201004280501.html
公式ソースはこちらにも。
http://www.shiwake.go.jp/shiwake/detail/2010-04-26.html
当該法人が実施し、事業規模は拡充(適切な制度のあり方を検討するとともに、民間からの寄付、自己収入の拡大、コスト縮減といった努力を徹底し、国からの負担をふやさない形での拡充を図る) 当該法人が実施し、事業規模は現状維持(ただし、自己収入の拡大や民間からの協賛・寄付の募集を積極的に行う) 当該法人が実施し、事業規模の縮減(競争的な入札の導入によるコスト縮減、自己収入の拡大を徹底的に行う)
へえ-。そういう判断もするんだ、というちょっと意外な驚き。

今日から「影のない女」モードになります。

5月の新国立劇場は「影のない女」です。

苦い思い出

何度も書いたように、このオペラには苦い思い出があります。
生涯第3回目のオペラがこの「影のない女」でして、予習を十分にできないままパリに飛んで、翌日の夜にバスティーユに出かけたのはいいのですが、激務と時差ぼけでもうろうとした状態のまま数時間が過ぎ去ってしまったのでした。指揮者はあのウルフ・シルマーだったというのに!!
鷲のライトモティーフだけが、なんだか頭の中に先入観のようにこびりついたり、今聴けば、あんなに感動的な皇帝のアリアに心を動かすことができなかっただなんて。皇帝が歌っているのをなにか別世界のテレビのように感じていました。本当に残念。

予習の始まり

確かに、このストーリーを、今、私自身がきちんと咀嚼できているか、というとそんなことは全くないです。故若杉弘さんが、このオペラを理解するには、まずはホフマンスタール自身がノベライズした小説版を読んだ方がよい、と進めておられたのを思い出して、先だってくだんの本を古書店で入手しました。
というわけで今日から重厚で品のある邦訳版を読み始めた次第。ちょっと本が読めない状態だっただけに、久々の散文は本当に気持ちいいです。

ショルティ盤

で、もちろん音楽は「影のない女」です。今日はショルティ盤を選択してみました。それで大変重要なことに気づいたのです。それは、プラシド。ドミンゴがドイツオペラを歌う時に覚える言い得ない違和感の原因。私は、それはどうやらドイツ語の鋭利な子音をドミンゴが柔らかく解きほぐしているからではないか、と思ったわけです。ドイツ語は読み書きもできないし、話すこともできませんが、昔は語学学校に通っていましたので、愛着だけはあります。ドイツ好きですから。
ショルティ盤は、アマゾンでは取り扱っていないようです。私もたまたま入手できたのでラッキーでした。DVD盤もありますがこちらはCDとはキャストが違います。

これからのこのブログの行く先は?

それから、オペラ歴ももうそろそろ8年になりますが、初めてオペラを聴く方に役に立つコンテンツを作ってみようかなあ、と思案中。それから、新国立劇場の公演をまとめるような仕組みも作りたい。やりたいことはたくさん。でも、きっと僕は全部やるんですよ。間違いなく。そう思うようになりました。
今日はつれづれ風。

愛の妙薬に見る諸相──新国立劇場「愛の妙薬」その3

さて、一週間が始まりました。おそらく一年でもっとも忙しい一週間。でも、残業規制で早く帰らねばならない。
新国立劇場の正面玄関を秘密の廻廊から撮った写真。建築的にも大好き。
さて、「愛の妙薬」の記憶が薄れないうちに。書いてしまわないと。

軍曹ベルコーレとリクルーター

軍曹ベルコーレが、ネモリーノを金で釣って軍隊に入れてしまおうとするくだり、私はデジャヴを感じました。あれって、いつも企業がやっていることと同じじゃないですか? 甘い言葉をちらつかせ、待遇のよさやら、軍隊の栄光をアピールする。そうした待遇が相対的に他社に劣ったものであったとしても、そうとは気取られぬように、うまいこと篭絡して優秀な人材を借り集める。
軍隊も企業も組織ですのでやることは変わりません。待遇とはそれすなわち給金に他ならない。それは今も昔も同じ。一度組織に入り込むとなかなか外に出ることができない。仕事の誇りをことさらに強調してみせて、モラールを喚起し搾り取ろうとする。いやあ、15年前の就職活動のことを思い出してしまいましたし、いまでもそういう場面にたまに遭遇するなあ。
そういう意味ではアディーナはインテリです。本を読むことができるということが、彼女の洞察力を豊かにしている。「私のために軍隊に身を売って自由を放棄するなんて!」と感動して見せたりする(これは、アディーナの本気なのかどうかはわかりませんが)。この言葉は、もう本当にわれわれに跳ね返ってくる。真の自由なんてどこにもありませんから。

アディーナの心変わりの理由は?

ネモリーネが遺産相続したかどうかはよくわからない。街の女がうわさしているだけだから。それに、ネモリーノ自身それに気づいた風ではなく、「愛の妙薬」のおかげだと勝手に勘違いしている。そうした状態にあって、アディーナはどこまで認識していたんだろう? 
普通に思うと、遺産を手に入れたがゆえにネモリーノと結ばれることを願う、という風になるんでしょうか。アディーナは金に釣られてネモリーノを愛したのだ、という風に。
けれども、僕にはそうは思えませんでした。むしろ、アディーナは、自分のために軍隊に入営したという事実のほうに衝撃を受けているように思えたのです。それほど、軍隊への入営は深刻な事態であるということなのか。
もちろん一夜で街の女から好意を抱かれる存在へと変貌したネモリーノへの嫉妬心も少なからずあったようですが。

ドゥルカマーラの現代性

彼、今もたくさんいるなあ。商売の三分の二はイメージで成り立つ虚業のようなもの。たとえば、金融商品までいろいろなラインナップがあって、素人ではわからないようなものも多いです。そうした商品を言葉巧みに売っていることを思い出します。銀行のホームページに行くとやたらと仕組みの難しい金融商品が置いてあったりしますし、生命保険も難しすぎてよくわからない。ああいうのは、絶対に銀行やら生保会社が得するようにできていると思って間違いないんだそうです。人の知識のなさにつけ込んだそのやり口はドゥルカマーラと同じ。
でも、ダマされない人もいる。ドゥルカマーレは、「愛の妙薬」を不要だと言ったアディーナを、小悪魔とか、してやられた、とか言って悔しがっている。(小悪魔のところ「ブリッコ」と発音していたように聞こえたんですが、リブレットと辞書を確認すると、イタリア語でbricconcellaとは小悪魔な、という意味があるみたい。

結論

結局アディーナが一番賢く物事を見通している。そして、自らの力で人生を切り開こうとしている。愛の妙薬などに頼らずに自分の力だけでネモリーネを愛想としているのだから。我々はアディーナでなければならない。強くそうありたいと思うのでありました。

新国立劇場「愛の妙薬」その2

休憩時間は残り六分。オペラシティにおいてはデジタル数字が一種のモティーフになっていて、新国立劇場の東側の通廊にはデジタル数字がいくつも光り輝いています。この休憩時間残を表すデジタル数字もそうしたコンテキストの中のもの。
さて、昨日に引き続き「愛の妙薬」について。

演出

今回の演出、モダンで素敵でした。Elisirという題名にちなんだ、アルファベットのオブジェを利用したもので、視覚的にも楽しめました。で、不思議なんですが、elisirって、薬という意味ではない。elisirとは「芳香性のある植物をアルコールに溶かしたリキュール」と伊和辞典には書いてありました。これも、明日書くことになるであろう私の妄念のなかで大きな意味を持つはず。
それから、分厚い本も重要な役目を果たしています。パンフレットによると、ヒロインのアディーナだけが本を読むことができるという設定。彼女が読んでいるのが「トリスタンとイゾルデ」の本ということで、舞台上には巨大な本が両側に三冊ずつ、計六冊が据え付けられている形です。背表紙の文字は、奥からドイツ語、日本語、イタリア語で「トリスタンとイゾルデ」と書いてあるという寸法。この巨大な本が稼働して舞台を構成します。本の表紙にはTRISTANOとISOTTAの文字が。つまりイタリア語でいうところの「トリスタンとイゾルデ」の意味。それから、番号の書かれた書物が時に台になったり、椅子になったりする。プロンプターボックスも分厚い本の形をしていたりと、書物自体が重要な意味を占めています。
一応リブレット的にはバスク地方と指定されていますが、衣装的な時代性もあえて曖昧にしています。七〇年代から八〇年代のものでしょうか。舞台が欧州であることに疑いはありませんが、時代や場所はあえてぼかしている感じ。
演出自体はスタイリッシュで非常に好印象です。少し笑えたのは薬を売るのが、ドゥルカマーラに付き従う二人の赤いドレスのモデルのようにスタイルの良い売り子の女性二人なんですねえ。で、第二幕の冒頭、指揮のパオロ・オルミが登場すると、二人の売り子売り子の女性がオルミに薬を売ろうとする。オルミは、お札を出して薬を買って、コンマスにも勧めたりして、と、二幕冒頭で物語り世界と実世界が結節するという面白い演出がありました。こういうの、たまにあるんですけれど、私はこの類の舞台と現実のつながりが、夢と現実の橋渡しをしているようで大好きです。そういえば、昔「セヴィリアの理髪師」をシラクーザの出演で見たとき、シラクーザは舞台からオケピットに向かって指揮をしていましたねえ。こういう演出ラヴです。
演出のチェーザレ・リエヴィはイタリア人の演出家で、ウィーンやメット、チューリヒでも舞台を手がけているようです。チェーザレって、ラテン語読みだとカエサルですね。

解釈

解釈が一番面白い。でも、今日は時間がないのでここまで。明日書きます。予告だと、
* アディーナの心変わりの真の理由
* ドゥルカマーラの現代性
* ベルコーレはリクルーター
などを予定しています。

晴天の西新宿から初台へ──新国立劇場「愛の妙薬」その1

はじめに

「愛の妙薬」見て参りました。いやあ、ちょっと舐めてかかっていました、わたくし。大変に反省しております。「行くのやめようかな」なんて考えていた私は本当に愚者以下です(なぜって、最近のこのブログのコンテキスト下にあっては愚者といえば英雄ですから)。
今シーズンは、「オテロ」、「ヴォツェック」、「トスカ」、「魔笛」、「ジークフリート」、「神々の黄昏」、「パルジファル」と立て続けに重いオペラばかり見ておりました。それで、「愛の妙薬」はプレミエだというのに、イタリアオペラは苦手なので、みたいな甘えた考えでいたわけですが、本日、その意見は180度方向が変わりました。「愛の妙薬」、このオペラも妄念横溢中。これも一日じゃかけません。というか、本日もあまりに充実した一日で、なんだか夢みたいです。明日からは、「組織」へ戻りますけれど。

オペラの前

今日もカミさんが友人達と新宿でランチをするとのことで、私も濡れ落ち葉のようにカミさんについていって、高層ビル群の一つのイタリアンでランチをご一緒にいただきました。とっても良い天気。今日のカミさんの友人達も良い方ばかり。女性五名(一名は小学生)の中に入りましたが、居心地の悪さもなく、楽しいひとときを過ごせました。というか気を遣ってくださったんです。本当にありがとうございました。
1時間ばかりで私は中座して、初台に向かいました。ちょっとぎりぎり。普通オペラやらコンサートには遅くとも45分前には到着するようにしていますが、今回はルール逸脱でした。

新国到着

いつものように新国の入り口の生け花は素敵です。
で、今日は本当にショックでした。この罪のないはずのあらすじの裏に、こんなに重大でアクチュアルな問題が隠されているだなんて。あー、オペラトーク行っておくんだった。

あらすじ

というわけで、まずは「愛の妙薬」のあらすじの把握から。予習の段階ではきわめて単純に思えました。ずばり三角関係です。
ある種ちょっと木訥で純粋なネモリーノは、女農場主アディーナに恋をするんですが、男前の軍曹ベルコーレが現れてアディーナに求婚する。アディーナもまんざらではない感じ。でもちょっとネモリーネの態度も気になる。私が結婚するんだから、もう少し焦ってもいいんじゃないの? みたいな。
実は、単純素朴なネモリーノは、怪しい薬売りのドゥルカマーラから、「愛の妙薬」を買っていたのです。これ、「トリスタンとイゾルデ」の話に出てくる媚薬と同じという触れ込みなんだが、実は単なる安ワインに過ぎない。効くわけないんだけれど、一日経ったら効果が現れると信じ込んでしまう。だから余裕かましているんだけれど、アディーナがベルコーレと今日結婚しちゃうおう、という話になってしまったので、あわてて、頼むから明日に延ばして、と泣き言を言う始末。
ネモリーノは居ても立ってもいられず、またまたドゥルカマーラから「愛の妙薬」を買わなければ、ということになるんだが、お金がなくて買えない。そこで、ネモリーノは、軍曹ベルコーレから軍隊へ入営することを条件になにがしかのお金を入手し、「愛の妙薬」(もちろん安ワインなんだけれど)を買ってのんでしまう。
そうこうするうちに、病気にかかっていたネモリーノの伯父が亡くなり、ネモリーノに遺産が転がり込んでくるという噂が広まる。町中の女性という女性がネモリーノに色目を使い始める。これぞ「愛の妙薬」の効果! 驚いたアディーナはベルコーレを捨ててネモリーノと結婚してめでたしめでたし。偽薬である「愛の妙薬」がなんだか本当に効き目が出ちゃったよ、あはは、みたいな。
でもですね、ことはそう簡単じゃないんですよ。ここに隠されたテーマは実に興味深く、私の明日とも関係があるのです。
続きはまた明日。

楽しい食事会&生バンドはいいなあ&旧交を温める

昨日は充実した一日でした。
昼食はカミさんの友人の方々と食事。女性グループに私が入り込んだ感じで、居心地わるくならんだろうか、とちょっと心配したんですが、みんな魅力的な方々で、会話を楽しんだ感じでした。
夕方は大学時代のサークルの後輩の結婚披露パーティーという名のライヴ。呼んでもらって本当に良かったです。生バンドの演奏を聴くのは本当に面白い。もちろんみんなアマチュアの方々なんだけれど、ライヴという空間共有は実に気持ちが良かった。ビールやらワインを飲みながらの悦楽。オペラも良いですが、ジャズライヴ(といってもフォービートは登場しませんでしたが)もいいなあ。
ヴォーカル入りのバンドが二つ登場したんですが、どっちも結構楽しめた。結構ホーンセクションが充実しているバンドで、一つ目のバンドなんて、ペット、トロンボーン、アルサク×2、テナーサックスという豪華さ。それでファンキーなナンバーをやってくれて嬉しい。二つ目のバンドは、たぶんインコグニートの曲と、EWFの曲をやっていた。ああ、あっしも、ファンクなバンドのホーンセクションをやってみたい!
アルトの方、ちょっと話をしたんですが、デュコフつけていたんで、伊東たけしですか? と伺ったら、サンボーンだった。サンボーンの音は出すのはかなり難しいよなあ。私も出せるもんなら出してみたいが相当なコストと時間が必要。
もちろん、出席していた昔のサークル仲間との思い出話も楽しかった。もう15年ぐらい前の話なんだけれど、つい昨日のようにエピソードが噴出して笑いの渦でした。
今日は「愛の妙薬」です。

ローマ紀行 その33 ミュンヘンから成田へ

ミュンヘンに到着した僕らは、とりあえずポストオフィスを探して絵葉書を投函しました。GAさんに聴いてみたらKeine Ahnung(そんなの知らないわ)といいながらも地図を出して探してくれる。やっぱり南ドイツ人は優しいです。

ランチはもちろんドイツ料理。これが最後の海外旅行かもしれないという、すこし感傷的な気分になっていたので、昼間からWeis Bierを注文しました。これは「白ビール」と訳されますが、日本の一般的なビールとはもちろん違います。ご存知のとおり白ビールには酵母が入っていて味がまろやかなのです。ドイツ人的几帳面さで、きっちり0.5リットル。すばらしい。

ソーセージに、パン。

このパン、塩がついていてめちゃ旨い。日本だと塩加減緩くしてるんですけれどね。

飛行機のウェルカムドリンクはカンパリにしました。スナックがしゃれてます。

ミュンヘンから成田への機材は、行きと同じくエアバス340でした。エコノミーだったのですが、すごく待遇よかったですよ。スパークリングワインを3つも出してきてくださって、私ら二人ともべろべろに酔っ払ってしまいました。

その後、待ちかねたように始まった免税品販売の時点では完全に理性を失い、財布やら何やらを二人して大人買い。財布なんて、「ちょっと中見せてよ」といったら、キャビンアテンダーの男性が包装をビリビリ破ってくれるもんだから、買わないわけにはいかないじゃないですか。。

で、あとはシベリア上空を意識を失い眠り続けました。少し残念な気分。

着陸直前に、機内サービスのアンケートを頼まれました。あそこまで待遇よくしてくれて、悪い評価なんてつけられるわけないじゃないですか。まんまと、CA達の手のひらで踊ったかんじ。でもとても楽しいフライトでした。ルフトハンザ、今はどうなっているかわかりませんが、2008年当時はよかったですよ。

というわけで、成田に帰着。これで2年間もかかったローマ紀行もおしまい。次に海外旅行に行けるのはいつになるやら。。

リヒャルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大

この本、25年前に読むべき本でした。全く、若き私は怠惰な人間でございました。でも、この本はヴァーグナーの楽曲に触れていないと理解できないのも確か。若き貧乏な日々に、オペラのCDなんて買うことは能わず、ましてやオペラに行くなんてことは難しいことでしたので仕方がないというところでしょうか。まあ、今もお金持ちではありませんけれど。

はじめに

トーマス・マンは、この「リヒャルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大」と題された講演ををミュンヘンで行ったのが1933年2月10日のこと。その後、マンはアムステルダム、ブリュッセル、パリを回ったのですが、その間、ドイツにおいてはナチスが全権を掌握してしまい、マンはドイツに帰ることができなくなるという時代背景があります。

ナチスがワーグナーの音楽を利用したという事実は消えることのないことですが、マンが必死にヴァーグナーとナチズムの相違点を整理しようという意図が見えた講演録でした。

心惹かれる文章。

このたぐいの本の書評を書くのはきわめて難しいのですが、私の方法論は引用をつなげていくという者になってしまいます。まだ書評能力が低いのです。まあ、それはそうとして、気になったところを。

劇場の聴衆の只中で味った深い孤独な幸福のあの幾時間、神経と知性とのおののきと喜びとに充ち満ちた幾時間、この芸術のみが与えうる感動的で偉大な意義を窺い知ったあの幾時間かを、私は決して忘れることができません。

29ページ

これは、激しく同意します。あの孤独とも一体感とも言えぬ劇場独特の儀式的パフォーマンスを秀逸に表した一文です。

ヴァーグナーが芸術を一つの聖なる秘薬と考え、社会の障害を癒す万能薬と見なした(中略)。ヴァーグナーにとっては、芸術が持つ浄化し聖化する働きは堕落した社会に対する浄化手段、聖化手段として見なされるものでした。美的聖別という手段によって社会を贅沢から、金力の支配から、愛の欠如した状態から解放しようと望みました。

13ページ

うまくいっているかどうかはともかく、リングの最終幕ヴァーグナーが意図していたことをマンが咀嚼してくれた感じです。でも、そこまで単純化できるかどうかはわからないです。というのも、こうした社会正義、革命的な思想を、若き日のヴァーグナーは持っていたのですが、一方で、借金を重ね奢侈な生活を楽しみ、バイロイトという「ヴァルハラ」を築くという、おおよそ庶民とはかけ離れた行動をしているのですから。

全体感

全体を読んで思ったところ。

ヴァーグナーというのは単なる音楽家であったわけではないということ。詩人でもあり音楽人でもあった故に、楽劇が誕生したのだという事実。両者に秀でていたということが重要。逆に言うと、両方から圧迫を受けていたわけでそれがヴァーグナーの苦しみでもあった、という論調でした。

ヴァーグナーは若き日に革命運動に身を投じますが、あれは、社会を改正するといった動機よりもむしろ、自分の音楽をきちんと発表できる場にしようとするという動機の方が強かったのではないか、という指摘がありました。もっとも、ワーグナーは芸術が人間を救済する手段であると考えていましたので、終着点は同じなのかもしれませんけれど。このあたりは、シュトラウスがナチスに協力した経緯とも少し似ている感じがしました。

ワーグナーをロマン主義者として定義付けするところがあるのですが、ここが実に面白い定義付けをしています。また引用しちゃいますと、

性的オペラの中で芸術と宗教とを結び会わせ、芸術家のこのような神聖なる非神聖さをルルドの洞窟の奇跡劇としてヨーロッパの真ん中で舞台に載せ、退廃した末世がみだらに信仰を熱望するその心をに向けて開示してみせるという能力

99ページ

これ、この前「パルジファル」を聴いたときに引き裂かれるように感じたことと一致するんです。聖化と性化の二律背反(と捉えるのも間違いかもしれませんが)があまりに不思議で不協和音に思える。それが最後に解決するのがブリュンヒルデの自己犠牲であり、パルジファルによるアムフォルタスへの癒しとクンドリの救済というところでしょうか。

ここでいう「性化」とは、一種のセクシャルなものを含むのは事実ですが、それ以上に、いわゆる「愛」と捉えるべきだとも思いました。そういった言説をヴァーグナーがしているということもこの講演の中で述べられていました。

この本は、二回ほど読みましたが、まあ、いろいろと前提知識が必要だったり歴史的背景の理解が必要だったりということで難儀なものでした。折に触れてちびりちびりと、ブランデーを飲むように読むと良い本でしょう。お勧めです。