2010年5月アーカイブ
Sat
01
05
2010
4月の読書記録。目標未達。タッチした本は10冊以上ありますが、読了本は少ない。それから、言い訳ですが、仕事が半端なく厳しくて、電車の中で読めなかったのが痛い。あとは、ミステリ系が減ったので牽引力が弱まったせいかしら。やぱりプロットのある作品が好きです。
しかし、いまいま読んでいるホフマンスタール「影のない女」の世界はすごいっすよ。めくるめく幻惑なるイマージュについて行くのに精一杯。オペラとはほとんどプロット違いますけれど、妖しく幽遠な世界は強烈です。連休中もネットにかまけないで本を読みます。頑張ります。
期間 : 2010年04月 読了数 : 4 冊 | |
山本 一太 / 音楽之友社 (2005-10-01) | |
| 本・雑誌 | 堀内 修 / 講談社 (1990-12) |
![]() | トーマス マン / 岩波書店 (2003-05-16) |
井上 樹 / 技術評論社 (2007-01-19) | |
Sun
02
05
2010
Mon
03
05
2010
ともかく、ラ・フォルジュルネに行って参りました。
人出が多くてお祭り騒ぎで、お天気も良く最高な雰囲気でした。私はコンサートを一つ聴いただけでしたが、ほとんどの公演はすでにチケット完売状態で、ラ・フォルジルネだからなのか、ショパンなのかわかりませんが、大変な人気ぶりでした。
私の聴いたコンサート
私が聴いたコンサートは、コンサート番号243でした。
マリア・ケオハネ(ソプラノ)
リチェルカール・コンソート
フィリップ・ピエルロ
オール・ヘンデルプログラムで、知っている曲もだいぶんとありましたので大変楽しめました。バッハのバロックと違って、オペラ曲と言うこともあって、コミカルな要素や激しい要素が多分に含まれておりました。このマリア・ケオハネというソプラノの方、低音から高音まで実に豊かな言い声を出しておられました。
バロック音楽
バロックと言ってバッハを思い出してしまうのが、私なのですが、それだけじゃないことを本当に痛感です。バロック音楽は1)通奏低音が演奏の中心となる、2)リズムが一定 という二点からジャズやポップスに非常に近いと常々思っておりましたが、それを再確認できました。
お祭りの後
とりえず、会場をぶらりと散策しつつ、食事をしたりして祭りの雰囲気を楽しみました。今年はあまり予習をしなかったのですが、来年はテーマにもよるとは思いますが、もうすこし準備していきたいなあ、と思いました。それから、NHKの生放送をやっていて、黒崎アナを目撃したのが面白かったです。この方、かつて「芸術劇場」の担当だったのでお懐かしい限り。
夜は、大学時代の友人と食事。ちと夜更かし気味です。
Tue
04
05
2010
プロット研究中
今朝になって、影のない女のプロットをまとめに入ったのですが、これが非常に込み入っていて、なかなかまとめられない。私の持っている唯一の日本版であるシノポリ盤のライナーノーツの細かい字を読みながら要約したんですが、まだみなさまの前に発表できる段階にはありません。本当は今日のうちに片付けるつもりだったんですけれどね。
それで、そうこうしているうちにカイルベルトが振った盤を全部聴いてしまいました。
「影のない女」再発見
最近は「影のない女」については、いろいろと発見があって非常に興味深いです。このオペラの主な登場人物は以下の通りです。
- 皇帝
- 皇后
- 染物師バラク
- バラクの妻
- 伝令
皇帝は当然ヘルデン・テノールですが、皇后もバラクの妻もホッホドラマティッッシャー・ソプラノでして、まあブリュンヒルデやトゥーランドット姫と被る声質が求められているわけです。
ショルティのDVD盤ですと、バラクの妻はエヴァ・マルトンなのですが、彼女は、METでドミンゴと歌った「トゥーランドッット」ではトゥーランドッット姫を演じていたし、ハイティンク盤リングではブリュンヒルデを歌っていました。
バラクの妻のプロット上の重要度は理解していたつもりでしたが、第三幕の最初のところで、バラクと一緒に歌うあたりの歌唱の内容からみて、これはもうブリュンヒルデ級が求められているんだなあ、ということが理解できました。
おなじく、伝令は、プロット上には一切登場しない霊界の王カイコバートのメッセージを届ける役に過ぎないんですが、カイルベルト盤ですと、ハンス・ホッターが歌っている。ショルティ盤DVDだとブリン・ターフェルが歌っています。
バラク役の重要度は言うまでもありません。あの第三幕前半のこの世を超絶した甘く悲しみを湛えた美しいところがありますから。カイルベルト盤ではフィッシャー=ディースカウが歌っていて、これがまた素晴らしい。
h3. カイルベルト盤
この盤、1963年11月21日のバイエルン州立歌劇場でのライブ録音。少々古い年代ですが、音質的にもこなれていますし、なにより歌手が良いですし、値段もお手頃なので予習にはもってこいでしょう。みんなパワフルな歌唱です。ですが、この盤、Brilliantでして、いまいまネットで探せないです。
というか、この甘くりりしいバラクを歌うディースカウとか、第三幕で乳母を突き落とす伝令の激しさを歌うハンス・ホッターのすばらしさは筆舌に尽くしがたいパワー。ハンス・ホッターって、やっぱり凄いんだなあ。ショルティ盤のリングを思い出しました。
出演者の方々は以下の方々です。
- Chorus==ドレスデン国立歌劇場合唱団
- Composer==リヒャルト・シュトラウス
- Conductor==ヨセフ・カイルベルト
- Orchestra==ドレスデン国立〔歌劇場〕管弦楽団
- 皇帝==Tenor==ジェス・トーマス
- 皇后==Soprano==イングリート[←イングリッド]・ビョーナー[←ビョーネル]
- 乳母==Mezzo-Soprano== マルタ・メードル
- バラク==Bariton==ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
- バラクの妻==Soprano==インゲ・ボルク(←ボルイ)
- 伝令 ==Bariton==ハンス・ホッター
明日で連休も終わりですが、疲れはとれませぬ。明日はヨガに行く予定です。
Wed
05
05
2010
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最高のニールセンのシンフォニー
完璧な出来映えですリンドグレーンの「やかまし村」
いつか書いたように、私の小学生時代はリンドグレーンの影響下にありました。しかし、全部渉猟したわけではありません。お気に入りだったのは「やかまし村」シリーズの3巻。これ、私の宝物でした。今はどこにあるのかしら? 実家の親が本好きの又従兄弟に譲ったのかしら......。
告白しますと、前にも書いたと思いますが、親に就寝を命じられながらも、豆電球でこっそり本を毎晩毎晩読んでおりました。「やかまし村」シリーズもそのうちのひとつ。読書の悦楽。
「やかまし村」は、映画化されていますね。たしか1990年代末頃。新宿で単館上映されていたので会社の振替休日だかを使って見に行った覚えがあります。DVDも買いました。
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子供たちの"ごく普通の"夏休み
私の宝物になりました
子供と大笑い
度肝を抜かれました
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キッズ・ムーピではありません。まるで魔法の演出・撮影
子供にとっても大人にとっても
『やかまし村の子どもたち』の続編ああ、余りに懐かしき日々。小学生低学年の時分は、近所の図書館に行ってでっかいソファに寝そべって、本を読むのが楽しみで楽しみで仕方がありませんでした。
やかまし村の一員になるのがあこがれで、よく夢を見ました。やかまし村の子供達と一緒に遊んだり暮らしたりする夢でした。ラッセ、ボッセ、オッレ、リサ、アンナ、ブリギッタでしたっけ? ああ、でも今では彼らももう老人になってしまっているのか、というリアルな考えはやめましょう。
やっぱり映画だと、私の想像とずれているところがあって、そこが面白かった。
納屋があんなに大きくて赤く塗られているなんて想像できなかった。
それから、子供達が夜中にこっそり抜け出して、川に行くシーンがあるんですが、小学生の時分は真っ暗なのによく行けるなあ、と思ったのです。でも、それは誤った認識。季節は夏だったので真夜中でも明るいのですね。映画では、薄暗い感じになっていて、なんだか月夜を強調しているのか、と思ったのですが2002年にノルウェーとスウェーデンに行ったときに謎が解けた感じでした。だって、21時でもまだまだ太陽がまだまだ高いんですよ。23時にようやく太陽が地平線に沈むという感じ。ラヴ夏の高緯度。でも冬はラヴ北回帰線。
機関車トーマス
何でこんなことを書くのかというと、先日イギリス人二人にリンドグレーンのことを尋ねてみたのですが、二人とも知らないという。私の発音が悪くてリンドグレーンが伝わっていないのかも知れないけれど。リンドグレーンよりも機関車トーマスの方がメジャーらしい。
英語では、Thomas, a tank engineというそうな。
でも、彼は今年で30歳なのですが、本は読んだことがなくてテレビで観ただけらしい。私はテレビは観たことないけれど、本は全部読みました。日本語ですが。で、英語版にチャレンジしたんですがこれは意外と難しかった記憶が。
そういやあ、エドワードかトーマスといつも組んでいるアニーとクララベルっていう客車がありましたねえ。懐かしい。
彼がiPhoneでYoutubeの映像を見せてくれましたのですが、ナレーターはビートルズのリンゴ・スターなのだそうです。二重に驚き。
ニールセンの不滅
と言うわけで、北欧の作曲家を。ニールセンの交響曲第4番「不滅」をブロムシュテットがサンフランシスコフィルを振った全曲盤から。この曲は中学2年生頃にエアチェックして親しんでいました。最近まで全く聴いていなかったのですが、15年ぶりぐらいに聴いたときに、余り懐かしく、そして余りにも細部を覚えていて驚いた覚えがあります。
この曲、ともかくスタイリッシュで、わかりやすい。中学生の私は、クラシックに格好良さを求めていましたので、ビヴァ・アレグロ、アンチ・アダージョみたいな感じでしたねえ。そう言う意味ではこの曲は要所要所で極めて激しく緊迫しますから飽きずに聴いていたみたい。
でも、今は第二楽章の木管の静謐な感じも良いなあ、と思う。歳を重ねると認識範囲が広がるのでうれしいですね。第三楽章の悲壮感きわまりない弦楽器のフレーズなんて身震いしちゃう。ああ、ニールセンラヴ。最近オペラしか聴いてないから、なんだか新鮮です。
Thu
06
05
2010
http://www.salzburgerfestspiele.at/oper2010/
JTBのパンフレットを見ていたら、見つけました。ルル、歌うんですね。ラジオで録音を流してもらえると良いのですが。
Marc Albrecht, Conductor
Vera Nemirova, Stage Director
Performers: Patricia Petibon , Tanja Ariane Baumgartner, Cora Burggraaf, Pavol Breslik, Michael Volle, Thomas Piffka, Franz Grundheber, Thomas J. Mayer, Heinz Zednik, Andreas Conrad, Martin Tzonev, Emilie Pictet, Cornelia Wulkopf, Astrid Hofer, Simon Schnorr
Vienna Philharmonic
はじめに
今年のGWは本当に疲れました。というのもやっぱり5月1日夜間の徹夜勤務でリズムが狂った感じ。ここのところ徹夜勤務続きで、昔は平気だったんですが、迫り来る何とやらには、注意して行かなければならないですね。
大学の友人達と
それで、オフだったGWとある日、大学時代の友人たちと食事を。3人で会ったですが、皆が皆重いものを背負っていることがわかって、なんだか寂しくもあり悲しくもあり、といった感じでした。私の尊敬する友人で、作曲家を目指して頑張っていた友人もあまり、深く音楽に関われていないみたいで寂しい限り。音楽家になると言うことは本当に大変なことです。
最近のアカデミックな音楽の事情
ここで言う「アカデミック」というのは、西洋音楽の流れを受け継ぎ、東京芸大などで教えられる音楽のこと。「現代音楽」と言い換えても良いと思います。決してジャズやポップスなどの音楽とは違います。
ところがここの十数年で、すっかり「アカデミック」な音楽は力を失っているのだとか。
その符牒はいくつもあって、天皇陛下在位十年の奉祝曲はYOSHIKIが作曲し、在位二十年奉祝曲はEXILEが作っているという事実。かつてなら、「アカデミック」な領域にいるであろう團伊久摩や黛敏郎が書いてでいただろうに。
それから、この数年のNHK合唱コンクールの課題曲が純粋合唱曲から歌謡曲の編曲版に変わっているという事実も。
先日書いた「音楽芸術」の休刊もその流れの一つ。
彼はいわゆる「アカデミック」な場で学び続けていたので、商業音楽には属しておらず。強い違和感を感じていたみたい。すでに「アカデミック」な音楽、「現代音楽」などで生計をたてるとか、影響力を持つということはなくなってしまったようです。
もっとも、彼にいわせると商業音楽の聖典であるバークレーメソッドや、MIDIなんかもすでに時代遅れで、時代はサンプリング全盛なのだとか。
なるほど。のんきにシュトラウスやワーグナーに涙し続けたことに何の意味があるのか考えなくてはならないなあ、という重い課題が現れてしまいました。
聴取者の最大の音楽行為
世にはDJという、いろいろな楽曲の再生技法を用いて音楽空間を作る職業があります。ちょっと強引に引き寄せている感もありますが、我々が演奏会に足を運んだり、オペラをみるという行為はDJの行為と実に似ています。昔、女優の岡部まりがレコード芸術で「聴取者の最大の音楽行為は選曲である」といっていたのを思い出しました。
聴いているものが重要なのではなく、それをいかに聞くか、いかに聴かせるか。ここにしかクラシック音楽の進むべき道はないのではないか。だが、それはあまりに豊穣な無限の可能性を持つ自由な世界なのであり、悲観的にはとらえていません。
結論
これからの音楽は、既存の素材の再使用だったり解釈可能性の拡大にあるはずです。私がここで何とかしようと努力しているのも解釈可能性拡大への挑戦なのかもしれません。とりあえずは、「現代音楽」なども含めて、これまでのようにただただひたすら、聴いて意味づけして書いていく、という行為を続けないといかんですね。
Sat
08
05
2010
連休あけて、すぐに土日に突入ですが、土曜日は会社で仕事するより忙しい感じ。午前は都心に出かけて所要を済ませ、地元にとって返してジムに行って、イギリス人としゃべって、帰宅して、夕食を作るというパターン。まあ充実しているんで苦ではないですけれど。
オペラトーク
新国立劇場5月の演目は、リヒャルト・シュトラウスの歌劇「影のないの女」です。というわけで、ジムはお休みして行って参りました。
今日のオペラトークでは、一橋大学院教授の田辺秀樹さんのレクチャーと、カバー歌手の方々による聴き所の紹介がありました。これまでのオペラトークですと、指揮者と演出家の方がお話しされるのですが、今回はそういった趣向はなくて残念でした。演出のエーリッヒ・ヴェヒター氏とドニ・クリエフ氏の話も聞きたかったなあ。でも、いろいろもやもやとしていたものがクリアになって、個人的には有意義なレクチャーでした。
総論
まずは、このオペラの位置づけについて。シュトラウスは全部で15曲のオペラを書いておりますが、そのうち「影のない女」は7曲目に位置するオペラです。シュトラウスのオペラ最高傑作と言われていて、シュトラウス自身も相当気合いを入れて書いたとのこと。故若杉弘さんは、シュトラウスオペラのなかでこの曲が一番好きだったとか。だから、なおさら、「影のない女」を今シーズンの演目に入れたのだと思います。本来なら若杉さんがタクトをとるはずだったわけですが、残念ながらお亡くなりになってしまったという感じ。
ともかく、このオペラは非常に難しい。理由は、やはり天才ホフマンスタールが、彼のあらゆる文学知識を総動員してリブレットを作ったというところにあるでしょうし、文学的才能に恵まれていたシュトラウスも、シュトラウス自身、ホフマンスタールが書いたリブレットを大変鷹評価し、その難解さを咀嚼して、音楽的技術的にも彼のもてる力を最大限に投入して作られたオペラであるから、ということにありましょう。
ストーリーの要約
田辺先生のストーリーの要約には少し驚きました。それは以下のようなもの。
二組の不幸な夫婦が試練を通じて真の幸福に達する
なるほど、最大限に要約するとそうなりますね。
二組の不幸な夫婦とは
- 皇帝と皇后
- 染物師バラクとその妻
となります。
なるほど。簡潔にまとめるとこうなりますか。確かにそうですね。
皇帝は、利己的な男で、皇后の愛なんかより自分の大好きな狩猟に明け暮れるような世間ずれした男です。バラクの妻は、現世に疲れ切っていて、夫のバラクにも愛想を尽かしているような女。二組ともうまくいっていないのです、。
ストーリーをちょっと。
というわけで、ちょっとストーリーにおつきあいを。以下のリンク先の人物相関表も見ながら読んでいただくと良いかもしれません。
http://museum.projectmnh.com/2010/05/02104406.php
皇后は霊界の出身。霊界の王カイコバートの娘で、いろいろな動物に姿を変えることができたのですが、牝鹿に化けていたときに皇帝に射止められてしまい、皇帝と結ばれることになります。
皇后は霊界の出身であり、「影」を持っていません。「影」とは、要は子供を作る能力を象徴しているわけです。皇帝と皇后が結ばれてから1年経って「影」を手に入れてないとなると、皇帝は石になってしまうという呪いがかけられていますので、皇帝を愛する1皇后は、影を手に入れなければならない。そういうわけで、皇后に使える乳母の手引きで人間界に降りていき、バラクの妻から「影」=子供を産む能力を手に入れようとします。(第一幕)
これはすなわち、バラクの妻が子供をもうける、という幸福を、皇后が取り上げると言うことに他なりません。乳母は冷徹なメフィストフェレス的な存在でして、バラクの妻を色仕掛けやら装飾品やらで釣って、「影」を奪おうとするわけです。皇帝は皇帝で、皇后と乳母が人間界に出かけているのを良くは思っておりません。2バラクの妻は、乳母の策略にはまって影を失いかけてしまうのですが、バラクは怒り、妻を殺そうとします。その瞬間、バラクとその妻は大地に飲み込まれてしまいます。(第二幕)
そこで、互いへの愛情の重要さを再認識して、歌う二重唱が実にすばらしいところ。皇后の方は、石化した皇帝の姿を見せつけられ、湧き黄金の水を飲めば、バラクの妻の「影」を手に入れることができ、皇帝の石化も溶けるのだ、と告げられる。しかしそれは、バラク夫妻の幸福(=子供ができる)を奪うことに他ならない。そこで、皇后の良心は以下の決断を下します。
「私は、それを望みません! (Ich will nicht!)」ここが、このオペラの最高点の一つ。
すると、石化した皇帝は元に戻り、皇后は影を得ることとなる。バラクの妻も影を奪われることなくバラクとの愛を確かめ合い、二組の夫婦は幸福な結末に達し、めでたしめでたし、ということで幕となります。
(第三幕)
本日はここまで。明日に続きます。
1 なぜ、皇后が皇帝を愛しているのかが不明。
2 ここの皇帝の歌は、第一幕の歌唱とともに実にすばらしいです。
Sun
09
05
2010
なんだか、久々のつれづれでご勘弁を。オペラトークの後半は、ちょっとお待ちください。いろいろ面白かったんですが。
これ、なんだか分かります?
カプリッチョの譜面なんです。この部分、右下のところに台詞が書かれていますが、ここは、伯爵とクレロンがソネットの詩を朗読し合うところです。
シュトラウスの譜面は本当に難しいです。本当はちゃんと譜面に起こして書きたいところですが、ちょっとだけさわりを。
なのであえて題名には「その1」と書いてあります。「その2」以降でもう少し考えていく予定です。
先だって書いた以下の記事にYoutubeの映像を埋め込んであります。フレミングが歌っているもの。泣けます。
http://museum.projectmnh.com/2010/03/20071815.php
最終幕で伯爵夫人マドレーヌが歌うソネットの部分ですが、譜面では四分の三拍子で書かれております。
で、この部分、聞いているだけじゃ、三拍子には聞こえないんです。
普通の拍節じゃないんですよね。四拍子でも三拍子でもない。おそらく、途中で何度も拍子を変えているんだろうなあ、と思って、譜面をみたら、単純に四分の三拍子だったというわけ。
でもですね、一つのソネットの歌詞が五小節に当てはまっている。なので、聴いている側とすると、五拍子的なフレージングに聞こえるというわけです。
もちろん、歌詞の内容と、三拍子という拍節は全くリンクしていません。なので、歌詞の意味と拍節の同期を取ろうとすると、拍子が変わっているように思えるんですね。
すごいですね、シュトラウス。半端なく難しい。
やっぱ、譜面みながら聴くと、いろいろと発見があって面白いです。著作権が切れた譜面はIMSLPというサイトでpdfで見ることができます。
「ばらの騎士」とか「サロメ」は、ダウンロードできるんですが、カプリッチョは日本からだとダウンロードできない。まあ、ブラウザの設定を変えたりプロキシを使えば何とかなるんでしょうけれど。
さて、わたくし事ですが、7年半にわたってお世話になったThinkpad X30の液晶バックライトがとうとう光らなくなりました。外部ディスプレイにつないで、USBキーボードつないで使ってますけれど。
長い間お疲れさんでした。
第二の人生はウェブサーバーかしら、と思っています。
Mon
10
05
2010
AMAZON:
写真は、辻邦生師がかつて勤めておられた学習院大学文学部の建物です。いまの仏文の教授には夏目房之助や中条省平さんなどもいらっしゃいます。
久々に辻邦生師の本を手に取りました。
辻邦生師の本を開くと、常にその時々に応じた言葉が目に入ってくるのが不思議です。今回も同じ。
「生」というものが決して一すじ縄ではゆかぬ、生成する多様な複雑なもので、それに対してつねに、ある距離を取らなければならず、それに呑み込まれたら、どんな強靱な精神でも、ひとたまりもなく破壊するというゲーテの現実を洞察した深い知恵
74page
まあ、日常については、なんとも消化しきれない思いはあるんですが、まあ、そうした事実とは距離を置いて、本当の自分と向き合う時間も必要だなあ、と。
まあ、毎週やっているんですけれどね。
以前も書きましたが、辻邦生の本は、私にとっては聖書みたいなものです。あるとき、ふと手にとって、ページを開くと、、その時々の自分にぴったりな言葉が現れるという不思議さを感じることが多いです。
今回も同じでした。
最近、カプリッチョ聴いて涙を流すことが少なくなりました。「影のない女」でオペラトークで皇后の歌を聴いたら泣いたんですけれど。
ちと疲れて感情センサーが鈍くなっているのかも。だが、トラブル発生のため、今日も忙しそうだなあ。
やっぱり、辻邦生師とは一生離れることは出来ないでしょう。
Tue
11
05
2010
月影もあらわになるほどに青空に映える三日月。影は常に寄り添うもの。
「影のない女」オペラトークの2回目です。終わるまでにはちょっと時間がかかりそうですね。初日は5月20日だそうですので、新国の舞台裏は今は大変なことになっていると思います。大丈夫でしょうか、みなさま。楽しみにしております&応援しております。
影とは何か?
「影のない女」の影とは何か? 詳しくは述べられませんでしたが、「影」とは、人間の生殖能力のことを指していると解釈されます。皇后は霊界出身であるがゆえに、真の人間ではないため、「影」を持たない。だから、真の人間になるべく、バラクの妻の「影=生殖能力」を奪うのである、という、実に陰惨な物語でもあります。
皇后は、影を得て子供を得たいのだが、皇帝は妻にはお構いなく、狩りに興じて家を留守にしている。一方バラクの妻は現実の生活につかれきってバラクに愛想を尽かしていて、子供なんて欲しくない。
二組の夫婦は、それぞれ子供を得ることができないという状態に置かれた不安定なもの。そこにこのオペラのひとつのモティーフがあるわけです。
バラク夫妻
よく知られているように、シュトラウスには暴露趣味があります。以下の三つは有名でしょう1。
- 英雄の生涯:シュトラウス自身を英雄になぞらえたもの
- 家庭交響曲:シュトラウス一家を描いた実に奇天烈で美しき交響曲
- インテルメッツォ:シュトラウス夫妻の間に起こった愉快な勘違い夫婦喧嘩をオペラに仕立て上げた。
で、バラク夫妻もやっぱりシュトラウス夫妻のメタファーになっているそうです。バラクは実直な男として描かれていますが、バラクの妻は、癇癪もちで、夫に愛想を尽かしているような女性なんです。
シュトラウスの妻であるパウリーネは歌手でしたが、結婚してからは、癇癪もちでヒステリックな悪妻だったようです。とはいえ、分かれるようなことはなかったんで、本当は互いに愛し合っていたんでしょうけれど。
これは、私がどこかで聴いた話なのですが、自宅への来客に、シュトラウスはこういったんだそうです。
「君、帰る時間を遅くして、もう少し我が家にいてくれないか。君が帰ったとたん、カミさんは、僕に『早く仕事(作曲)しなさい!』と癇癪を起こすだろうからね」
確かこんな内容。パウリーネがいてくれたおかげで、僕らはシュトラウスの音楽に恵まれているという面もありそうです。
世界観
このオペラには三つの世界があります。その間を行ったりきたりするわけです。
- 霊界:カイコバート、乳母、伝令が属する世界。妖精の世界。皇后は霊界出身である。
- メルヒェン世界2:皇帝と皇后が属する世界。
- 人間界:バラク夫妻の属する世界
霊界を、ホフマンスタールは神秘的なユートピア世界、神話的世界と捉えていました。「リング」のヴァルハラのようなイメージでしょうか。
1 「エジプトのヘレナ」でもやはりシュトラウス夫妻をモティーフにしたと思われる夫妻が登場するそうですが、不覚にも「エジプトのヘレナ」が数年前に上演したとき、落としていますので、大変残念。
2 オペラトークでは「メルヒェン」という言葉は使われませんでした。
Wed
12
05
2010
いつぞやの新国の写真。休憩中のベランダ。新国の屋内は禁煙なので、喫煙者はベランダに出てたばこを吸っておられます。私はたばこは吸いませんが、外の空気に当たりたいので休憩中はいつもベランダに出てカシオの本社やらオペラシティの高層建築を眺めたり、ガラス張りのホワイエの中の人々を観察したりして過ごしています。
さて、「影のない女」のオペラトークの三回目です。
オペラトークの模様は新国立劇場のページにもアップされてます。
http://www.nntt.jac.go.jp/release/updata/20001048.html
今回のオペラトークのご報告ですが、田辺先生がおっしゃったことに、私の主観がかなり混ざっていますので、そのあたりはご容赦ください。
時代的意味
このオペラが書かれたのは1911年から1916年にかけてです。時代は第一次世界大戦にさしかかったところ。オーストリア皇帝といえば、もちろんあの謹厳実直なフランツ・ヨーゼフ一世で、皇后はバイエルンお受け出身の美貌のエリザベート。ご存じの通りエリザベートとフランツ・ヨーゼフ一世の結婚生活はあまりうまくいっていませんでした。そうした故事がこのオペラにおける皇帝と皇后の関係にも投影されていると言えましょうか。
アクチュアリティ
このオペラはエゴイズムとヒューマニズムのせめぎ合いとも捉えられましょう。「影」を奪い取ろうとする乳母の利己性と、奪い取ることについて良心の呵責を覚える皇后の心情。この対比はまさに人間の欲望と理性のせめぎ合いとして捉えることができましょう。
皇帝と皇后はメルヒェンの世界でいわば引きこもり状態で暮らしている。だが、「影」を奪うために、どろどろとした人間社会の中に降りてゆく。これはいわば人間の社会参加に他なりません。
ホフマンスタールは、ご存じの通り早熟の天才です。
代表作は「チャンドス卿の手紙」です。いつぞやこのブログで書いたことありますね。
http://museum.projectmnh.com/2007/11/29171254.php
彼自身、オタク的とも言える早熟の天才知識人でしたので、社会との関わりについていっそうの意識を持っていたのかもしれません。
「チャンドス卿の手紙」では、文学表現の限界性が述べられているのですが、そうしたホフマンスタールがオペラ台本を手がけるということについては、これまでも奇異なイメージを抱いていました。当時のオペラは、今で言えば映画のようなもので、貴族や大衆に向けられたものでしたので、純粋文学からオペラ台本を手がけるという方向転換は、ホフマンスタールのの立場の変化は大きいものだと思いました。
明日は音楽面について。ああ、ライトモティーフ打ち込まないと。頑張ります。
Wed
12
05
2010
新日本フィルの2010/2011シーズン記者発表会に一般モニターとして参加してきました。
オケ業界のプレス発表的な場所に行くのは初めてだったので結構興味深いことがたくさん。来ておられる方とか、私らの業界とはやっぱり違うなあ、とか。
オープニングの映像が凄くて、ヴェルディのレクイエムから「怒りの日」が流れてど迫力。その後、音楽監督のアルミンク氏が「曲は怒りの日ですが、今日はいい日にしたいですねえ」みたいな暖かい雰囲気で発表が始まりました。
ほとんど、音楽監督のクリスティアン・アルミンク氏がドイツ語でしゃべって、それを通訳してくださる感じ。で、この通訳の方、どこかでお見かけしたような、と思ったら、新国「ヴォツェック」のオペラトークで通訳しておられた方でした。
アルミンク氏のドイツ語、つぶつぶの単語は聞き取れるんだが、意味がわかんないです。ドイツ語も勉強したいが、その前に英語だよなあ。。
2010/2011シーズンラインナップについて
ラインナップについては、ウェブ上ですでに発表されていますが、詳細な説明がありました。
http://www.njp.or.jp/njp/information/index.html#info100401_1
強調されていたのは、音楽監督のアルミンク氏に加えて、以下の三名の方のみが客演するという点でした。たくさんの客演指揮者を呼ぶのではなく、少数の方とじっくり信頼関係を築きながらよいパフォーマンスを作っていくのだ、というコンセプトでした。
- ダニエル・ハーディング
- インゴ・メッツマハー
- フランス・ブリュッヘン
いずれも世に名高い方々ばかり。
特にハーディングについては「Music Patner of NJP」というタイトルがついていて、普通の感覚だと「首席客演指揮者」とでもいうポストなんでしょうけれど、なんかチャレンジングな名前にしたいということで、そういうタイトルになったそうです。アルミンク氏とハーディング氏は、タングルウッドで一緒に小澤征爾の薫陶を受けていたそうで、結構親しい仲のようでした。
メッツマハー氏といえば、僕的にはアンサンブル・モデルンを振っておられた記憶が。映像みると、やっぱり歳を重ねておられました。
曲目的には、マルティヌーの交響曲第三番とか、ハルトマンの交響曲第6番などが印象的。あと、ブリュッヘン氏のバッハミサ曲ロ短調も期待したい。
それから、新国立劇場のピットに入って「ばらの騎士」をやるのもトピックとして取り上げられました。これ、私、絶対行きますので、楽しみ。
あとは、「トリスタンとイゾルデ」のコンサート・オペラがあって、これには藤村実穂子さんが再登場します。これも行かねばならないコンサートになりそう。
ハーディング氏のブルックナー8番とか、期待しちゃいます。
アルミンク音楽監督の契約期間が2年延長
次に、アルミンク氏の音楽監督が2年延長となるとのこと。アルミンク氏の音楽監督就任は2003年ですので、2012/2013シーズンまでということになると10年の長きにわたる音楽監督ということで、オケやフランチャイズのトリフォニーホールとの密接な信頼関係を感じました。
アルミンク氏自身も、墨田区に愛着を持ち始めていらっしゃるようで、川沿いを毎朝ジョギングしていると、みんな「おはようございます!」って挨拶してくれてとてもフレンドリーなんですよ、なんてことをおっしゃっていました。
コンマスのチェ・ムンスさんも登壇しておられたのですが、延長発表となったときに互いに抱き合っておりました。いい関係なんでしょうね。
今日は取り急ぎここまで。明日は、
- フランス・ブリュッヘンの希代なるベートーヴェン交響曲全曲演奏
- 質疑応答
などを書きます。
あ、「影のない女」のオペラトークも書かないと。
Thu
13
05
2010
オペラトークで紹介されたライトモティーフを、こちらでもご紹介します。
ライトモティーフとは
日本語訳では、示導動機と訳されます。ワーグナーが本格的に使用を始めましたが、それ以前にウェーバーなども似たような試みをしていますのでワーグナーの発明というわけではありませんが、ワーグナーの積極的な使用によりその後の作曲家にも大きな影響を及ぼしました。リヒャルト・シュトラウスのオペラにおけるライトモティーフの重要性はもちろんのこと、私はプッチーニオペラにおいてもその影響が見て取れると思います。
ようは、旋律に、各種の意味を持たせたものです。それは登場人物を喋々するものであったり、概念を象徴するものであったりといろいろです。オペラという劇空間の中では、ライトモティーフは台詞を伴う場合もありますが、伴わない場合もあります。台詞を伴わない時の効果は絶大で、この場面で何が起きているのか、このフレーズに隠された真の意味は何なのか、といった重要な要素を示唆するものとなります。
ライトモティーフを覚えてからオペラを見に行くと、聞き覚えのあるライトモティーフがでてきたときに、ちょっと嬉しくなります。
カイコバートの動機
カイコバートは作品には登場人物として登場することはありませんが、このフレーズによって何度も何度もその存在を我々に明らかにします。きわめて重要なフレーズ。第一幕冒頭、最初のフレーズがこのカイコバートの動機であると言うことことからも、その重要性は明白です。
皇后の動機
この動機も実に美しいもの。少し愁いに満ちながらも、気位の高さや品位何度を感じさせるフレーズです。
石化の動機
皇帝は、皇后が三日以内に影を手に入れないと石になってしまいます。伝令が、乳母に、「皇帝は石になるぞ!」と告げるときに相当低い音まで下がってこの不気味なフレーズを歌います。
今日で今週の仕事はおしまいですが、週末は週末でいろいろやることがありますので、気が抜けません。
Thu
13
05
2010
昨日に引き続き、新日本フィルの記者会見発表についてです。
まずは、錦糸町界隈の美しさ。並木の若葉がエメラルド色に光り輝いていてまぶしい感じ。
東京スカイツリーも見えました。凄いですねえ。もっと高くなるのかあ。
フランス・ブリュッヘンの希代なるベートーヴェン交響曲全曲演奏
フランス・ブリュッヘンの実に意欲的なベートーヴェン交響曲全曲演奏会「ベートーヴェンプロジェクト」が紹介されました。これはブリュッヘンのアイディアなのですが、以下のようなものです。
まずは、リハーサルを降順に行っていく。
つまり
9 > 8 > 7 > 6 > 5 > 4 > 3 > 2 > 1
という順番で、各日2,3日でリハーサルを行う。
次に、演奏会のために
1 > 2 > 3 > 4 > 5 > 6 > 7 > 8 > 9
の順番でリハーサルしつつ演奏回を行う。
というもの。これは、トリフォニーホールとの共同制作となるとのことです。当然、最初の降順リハーサルの間は、演奏会を行いませんので、経済的にも難しいプロジェクトですし、リハ会場となるであろうトリフォニーホールの方も相当の負担となるはず。一ヶ月近くどっぷりとベートーヴェンにはまり込むという、素晴らしくもあり過酷でもある試みです。
しかし、演奏する側にとっては、第九から降順にリハーサルをすることで、これから何が待ち受けているのかを知りながら演奏会に臨むことができるといことになり、非常に面白いことになりそうです、
続いて質疑応答があったのですが、ちょっと熱い感じでした。ポイントは以下の通りです。
質疑応答=技術面の充実についてはどう考えるのか?
アルミンク氏は、すべての音楽家は、Gipfel、つまり頂点に向かって登っている途上なのであるから、見守っていて欲しいというようなニュアンスでした。
コンマスのチェ・ムンス氏も、ある種の危機感は持っているけれども、劇的に瞬時にオケが変わることはできない、という趣旨の発言がありました。特に強調しておられたのは、技術の向上という面や、オケが良くなるためには、オケ側の努力も当然必要だが、それを伝えるマスメディアの方や、聴衆側の強力も不可欠なのである、ということをおっしゃっていました。
クラシック界全体の問題として、若い聞き手が減ってきているという危機感もあるとのこと。若い方々にもっと来ていただけるようにならないと、いわゆるクラシック界の未来も厳しいものがあるのではないかというご発言でした。
確かにその通りかも。私がよく行く新国の平均年齢はだいぶんと高い気がする。若い方もいらっしゃるけれど、そうそう多くはないからなあ。まあ、ずいぶんとチケットも値が張りますし、働き盛りの若い方々が、平日の夜に気軽に演奏会に行けるような社会でもありませんので。
昨日、たまたま岡田暁生さんの「西洋音楽史」を再読していたのですが、やっぱりクラシック音楽自体がニッチなものとなりつつあって、力を失いかけているのではないか、という機がしました。
質疑応答=オケのアイデンティティ
先日も、アカデミックな音楽が力を失っていることを書きました。
http://museum.projectmnh.com/2010/05/07233302.php
質疑応答の中であったのは、日本のオケであるにもかかわらず、日本人作曲家の新作が1本しかないということや、日本で活躍する日本人ソリストの起用がないのではないか、という指摘でした。
アルミンク氏は意図的に日本人を起用しなかったのではなく、たまたまそうなったのである、と強調はしておられました。
ただ、楽曲の選択についても少々厳しい指摘があって、たとえば新日本フィルが海外公演を行ったときに、日本のオケとしてのアイデンティティをどのように保持するのか、日本のオケとして、日本人作曲家の作品をきちんと発信していかなければならないのではないか、というような意見。新日本フィルは毎年日本人作曲家に新作を委嘱しているそうで、蓄積はあるはずなのに、再演がなされていないなど、やっぱり日本人作品の取り上げ方には少々物足りなさがあるのでは、という意見でした。
これは本当に難しい。
私の個人的な意見ですが、果たしてクラシックのいわゆる新作を書くという行為自体、現代の日本においてきわめて難しいのではないか、という点はあるはずです。
需要もそうそうないでしょうし、西洋音楽のクリエイトという行為自体が問われているという側面もあります。海外ではヘンツェやリームなどの作曲家が活躍していますけれど、日本においてはあまりにニッチな領域としか言いようがないです。
これは、日本人が西洋音楽(クラシックだけじゃなくて、ポップスやジャズもそうですけれど)をやる意味とはなにか、というところまで話がいっちゃいますので。これは、今後も考えていかないと行けない課題だと思いました。
最後に
滅多に立ち入ることのできないクラシック業界の舞台裏を見ることができて本当に興味深かったです。こういった一般人をプレス発表に呼ぶ、というチャレンジングな試みはすばらしいと思いました。新日本フィルはかつて数度ほどしか聴いたことがありませんが、ちょっと通ってみようかな、と思いました。自宅からトリフォニーは少々遠いかな、と思って躊躇していたということもあるのですが、意外に近いこともわかりましたので。
お土産もいただきましたよ。フランツ・シュミットの「七つの封印を有する書」の二枚組全曲CDをいただいてしまいました。ありがとうございました。
Sat
15
05
2010
AMAZON:
どうしてこうも、不思議なことが起こるのでしょうか。
「辻作品を読むたびに、今の自分にとって大事なことと出会う」
ということは、これまでも書いてきたかもしれませんが、今回も驚きました。
先日、「詩と永遠」という、エッセイや講演録を収めた本を読んでいたのです。
私は、京都へ行くとお土産に落ち葉を持って帰る。柿などはすごく赤くなって綺麗です。パリでも蔦の葉を押し葉にして持ってくる。そういうものを持って行って喜んでくれる人と何かつまらなそうな顔をする人がいる。(中略)でも本当はそういうものが素敵だという考え方が幸福の土台を作っている。
207ページ
私がまだ独身でお金に余裕のあった時代、モレスキンを買いました。2004年に、学習院大学で「辻邦生展」が開かれました。秋でしたね。それで、展示を見終わって建物の外にでると、黄色い銀杏の落ち葉がたくさん落ちていたので、何の気のなしに一枚拾ってモレスキンに挟んでいたんですね。
それが、5年あまり経った先日、「詩と永遠」を読みながら、モレスキンにメモを書き付けている時に、急に飛び出してきたんです。5年あまり前の銀杏の葉っぱが。
葉っぱ一枚ですが、本当に驚きました。理性的に考えると、まあ、ほんの偶然に過ぎないんですが、辻邦生作品を読むと、こういうことが本当にたくさん起きます。先日も書いたように、僕にとって見れば聖書みたいなものなのだと思います。
また読み始めたいなあ。
再開したと言えば、さっきEWIを吹きました。いやあ、本当に腕が落ちている。アンブシェアなんてボロボロでございます。リトナーやダイアナ・クラールとコラボしました(笑)
Sun
16
05
2010
ドレスデンには2001年の1月頃に行ったことがありました。まだ、世界が同時多発テロも金融危機も知らず、ITバブルがはじけたとはいえ、まだまだ冷戦後の安眠を貪っていた時代。一度目のドレスデンで、私はラファエロとカナレットに開眼したのですが、それはまたの機会に。
2001年当時のゼンパーオーパーがこちら。
そして、2006年当時のゼンパーオーパー
なんだか本当に雰囲気が変わってしまって、別の街のように思えるほどでした。
ドイツをご旅行された方はよくご存じだと思いますが、南と北とじゃ、ドイツ人の気性は全く違います。特に酷いのが、フランクフルトからケルンにやらルール地方にいたる一体とかベルリンじゃないかな(例外的にマインツでは何度も凄く親切にしてもらった。これもまたいずれ書きましょう)。ハンブルクやらリューベック、キールあたりには行ったことがないので分からないですが。
でもですね、ドレスデンではそういうイヤな思いを全くしなかったんです。それはミュンヘンでも感じたし、フライブルクでも感じました。
そのときはまだオペラを全然知らなかったのです。ブラームスの室内楽とブルックナーを狂い聴きしていて、オペラに行く欲求がなかった。けれど、ドレスデン絵画館の窓から、マチネに向かう人々がオーバーコートに身を包み、ゼンパーオーパーの入口へと消えていく姿を眺めていました。暗く寒いドイツの冬の出来事。
ドレスデンを去る前日、エルベ川の対岸からゼンパーオーパーの偉容を眺めていました。夕闇迫り、空は真っ赤に燃え上がっていました。実を切る冷たい風に震えながら、この街にはもう一度来なければならない、と強く思いました。「エルベの誓い」というのがありますよね。第二次大戦終戦時に米ソの兵士がエルベ川の橋で握手をして、恒久平和を誓ったというあの話。だが、あの時の私にとっての「エルベの誓い」は、必ずここに戻ってくるというものでした。
その後、ドレスデンはエルベ川の大氾濫で大きな被害に遭いました。ゼンパーオーパーも壊滅的な打撃を受けたし、絵画館の貴重な絵画は疎開しました。それはまるで、ソ連軍の侵攻に備えてナチスドイツが美術品を疎開させたのにも似ている。ティルピッツ宮殿に当時の洪水の水位が分かるようになっていました。
一番上のラインが2002年の洪水の時の水位。ちょっと変な写真ですがこの写真も見てみてください。
その後、ドレスデンは復興したけれど、復興しすぎたんですよ。一度目のドレスデンの頃は、まだ東ドイツ社会主義政権下の名残が至る所に見られたんです。フラウエン教会だって影の形もなかった。ただ看板があっただけだったんです。
ドレスデン城も下の写真のように工事中。つまりBaustelle.
でも、2006年の二度目のドレスデンは、すっかり変容していました。西側資本が大量に入り込み、ドレスデン城の復興がなり、「緑の丸天井」と呼ばれるザクセン王家の宝物館の公開直後と言うこともあって、整理券を取らないとドレスデン城に入れない有様。
銀行や商店の看板が乱立し、日本で言えば、ヨドバシカメラやヤマダ電機のような大型電気店「サターン」が街のど真ん中に店舗を構えていたり、消費者ローンのキャンペーンで、1000ユーロだかがあたるくじ引きに行列が出来ていて、あの薄暗い中央駅は、天井が張り替えられすっかり綺麗になっていました。
フラウエン教会は白亜の石造建築として再興していましたが、余りに新しすぎて違和感を覚えてしまうぐらい。なんだかドレスデンの暗く静かで内省的な雰囲気は露と消えていました。特にエルベ河畔の代わり方が凄くて、もう満員のカフェテラスやレストランが軒を連ねていて、どの店も満員御礼状態でした。
僕がお世話になったGaraxというお店は消えてなくなっていました。下の二枚は2001年当時のGaraxでの写真。若い女の子二人で切り盛りしていました。客は僕ひとり。ソーセージとジャガイモのペーストを食べてビールを飲んだんですが、あれも幸福な時間だったなあ。
Sun
16
05
2010
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やっと出会えた理想の全集本日日曜日(ちょっとずるだが)、いろいろありました。といっても、家の中でですけれど。久々の完全オフなので、ゆっくりいろいろさせてもらいました。
- Movablet Type を5.02へバージョンアップしました。いろいろ気になっていたバグがフィックスしたようでしたから。ですが、かえっておかしなことになってしまいました。Java Scriptで動かしているダイアログがうまく動かなくなりました。これは、ブログの投稿やコメントのやりとりには影響ありませんので、Sixapartにいったん事象報告して待ちとします。ちょっとこれ以上原因究明する時間はありませんので。
- キーボードを新調しました。英語版101キーボード。IBM製で、トラックポイントとウルトラナビがついているもの。たまにマウスに手を伸ばすのがおっくうになるときがあるので。ですが、ここでも問題発生。どうしてもWindowsが101キーボードとして認識してくれない。106キーボードとして認識するので、キーの配列と入力文字が一致しないのです。ドライバ入れかえたり、レジストリをいじったりしましたがダメ。結局DvorakJというソフトを入れてことを納めました。
- 昔、iTune Storeで、メシアン生誕100年記念音源を買ったんだが、Windowsを5回再インストールすると、DRMでロックがかかって聞けなくなりそうなので、オーディオCDを14枚焼くという、時代に逆行する作業をしました。DRMロックなんかやめちゃえばいいのに。
- 来週末21日に、アルミンクがNJPでドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」を振るんですが、頑張れば何とか行けそうだけれど、仕事が詰まっているので断念。予習も足らないし、23日の「影のない女」もありますので。でもまだちょっと迷っている。行っちゃうかもね。
- 最近、J-WAVEをよく聞いている。 radiko だと、ウェブ上で聞けるので音質最高なんです。番組的にも、まあいうなれば女性ファッション雑誌のような内容で、ポジティブシンキングでロハスでハッピーで前向きな番組が多いので、聞いていて元気が出る感じ。
- で、疲れたら、やっぱりモーツァルトのシンフォニーを聞いてまったり過ごす。ジェフリー・テイトのボックスCDはいいですよ。ライトでフェザーな感じで、疲れ切った体には良く効きます。
というわけで、いろいろ疲れたり癒されたりと忙しい休日になってしまいました。
明日からはまた会社ですねえ。サラリーマンはリング的に言うと侏儒なのかもね。なーんてね。頑張ろう。
Tue
18
05
2010
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迫力の映像いやあ、月曜日はつらいですねえ。がんばりますが。
さて、なんだか紐が切れた凧のようにふらりふらりと漂っている状態。破壊的な欲求がこみ上げてきてどうしようもない。こういうときはランディとマイケルのブレッカー兄弟の音楽を聞いて代謝しましょう。
私の音楽の聴き方はよこしまな道に違いない。
さて、このアルバム、ランディ・ブレッカー名義のアルバムですが、マイケルもゲスト的に参加しているアルバム。CD版もいいですが、DVD版だともっと楽しめる。ビックバンドをバックにして、ランディとマイケルが大暴れします。ウィル・リーのベースも凄いですし、ジム・ベアードのキーボードもいかしている。
サムスカ(サム・スカンク・ファンク)は、私の知っている音源の中でもかなり行けてるほう、だと思っています。Youtubeには、失敗しているセッションもあったりするので、ああ、あの二人も万能じゃないんだなあ、と妙に納得してしまうこともありますので。
3年前にも記事書いていますね。あのころの僕と今の僕は決定的に変わりましたが、これからどう変わっていくのかも楽しみですね。不惑とかそういうの、嫌いなんで。
http://museum.projectmnh.com/2007/08/11211441.php
えーっと、CSS少しいじりまして、文字の大きさを小さくしてみました。この方が読みやすいという意見もあり、ちょっといろいろいじっています。あと、デザインでいくつかやりたいことがあるので、それも楽しみ。CSSのデザインの本を安く入手したのでインスパイアされました。
やることが たくさんあるうち それが華(はな)
Tue
18
05
2010
いよいよ迫る新国「影のない女」
さて、本題。
今週末に迫ったリヒャルト・シュトラウス畢竟の大作、歌劇「影のない女」新国立劇場公演に向けて準備を進めています。今朝から聞いているのはショルティのDVD盤をiPodにいれたもの。この曲は、この一ヶ月間に数えられないほど聞き込んでいますが、第三幕が素敵だな、と思うようになりました。
なんだか、マーラーの皮肉を交えた牧歌的な音楽が聞こえてきたり、ベルクやマーラーのトーンクラスター的な和音が聞こえてきたり、ヴォツェックのフレーズがでてきたり、と、このオペラが受けた影響、逆に及ぼした影響の大きさを体感しました。あと、明らかに「ツァラトゥストラはかく語りき」とおぼしきフレーズも出てきます。
こういうの、ちゃんと譜面に起こして説明したいところですが。。
それから、バラクの妻が三幕冒頭で歌うアリア的なところ、私の今聞いているDVD盤ですと、エヴァ・マルトンでして、もうこのブリュンヒルデ歌いの全力疾走状態で、鬼気迫るものがあります。
その後のバラクと妻の二重唱のところ、泣けますねえ。3月ごろ、感情が不安定で、西田敏行になっていたのですが、最近は現実の厳しさのほうが激しくなって、泣く余裕がないんです。なので、今はまだ泣けない。週末に泣けるといいんだけど。
ここではバラクの旋律が一度提示され、その後もう一度歌われるバラクの旋律に、バラクの妻の旋律が対位法的に絡み合ってくる。このあたりのフレージングのすばらしさは、シュトラウスならでは、の神業とでもいえましょうか。
あと、一番大好きなのが、乳母が「カイコバート!」と叫んだあとに、女声合唱がエコー(こだま)を歌うんですよ。エフェクター的にいうとディレイをかけた感じで、
乳母「 カイコバート! 」
女声合唱「 カイコバート! 、 バート! 、 バート! 、 バート! 」
という感じを再現している。こんな思いつき、シュトラウスが初めてじゃないと思うけれど、初めて聞いたときはのけぞりました。その後、荘重な音楽とともにカイコバートの伝令が現れるというかっこよさ。たまらんです。
ショルティの指揮も、いろいろ言われていますが、この録音に関して申し上げればまったく違和感ありません。ショルティというと力技でスピード感があって、というイメージなのですが、意外と重々しいんです。第一幕の冒頭のカイコバートの動機もかなりゆっくりと、低音域を強調してますので。
ショルティのCD盤のドミンゴのドイツ語が残念なだけ。歌はうまいのですが、子音の鮮烈感がたらないのですよね。。。ドミンゴにそれを求めるのが恐れ多いことではありますが。
それから、DVD盤のほうは、ライヴ収録盤なので疵が相当あるのは否めない。ウィーンフィルとはいえ、かなりアンサンブルにばらつきが感じられたりします。そこがちと残念
日曜日には泣けるように頑張ります。
Wed
19
05
2010
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MT5.02
ブログをMT5.02にバージョンアップしました。少々不具合を起こしていたのですが、そちらも解消してまあ順当な感じ。でもやっぱり納得いかないところがいくつか残っています。
- ユーザー写真が表示されない。
- ブログステータスがダッシュボードの表示されない。
Movabletypeの研究もしたいところは山々ですが、ほかに重要なプロジェクトがありますし、外面に現れるところではないので目を瞑ろうと思っています。
乗り過ごしを防ぐ仕組み
私は、毎日6時27分の電車で出勤しています。会社の最寄り駅に到着するのが7時20分ぐらい。バスに乗って会社に到着するのが7時45分ぐらいでしょうか。
ですが、先日まで、大変な悩みを抱えていました。通勤電車には座ることができるのですが、本を読んでいるうちに眠ってしまい、乗り過ごしてしまうということが大変多かったのです。最寄り駅の次は、この鉄道の終着駅まで停車しませんので、大変な時間のロス。乗り過ごしたときには大変いやな思いをしておりました。
携帯のバイオレーション機能で目覚めないか、とかいろいろやってみたのですが、なかなかうまくいきません。
ところが、先日最大に効果的な方法を見つけました!
それは、iPodのアラーム機能を利用するということです。眠たくなったら、iPodの音量を最大にした後、音楽やら愛聴しているBBCのPodcastを消して、開き直って眠ってしまう。ちょうど最寄り駅に到着する寸前になると、アラームが作動して、大音量でサム・スカンク・ファンクが鳴り響き、確実に目を覚ます、という仕組み。
この仕組みを思いついてからは、終着駅まで行ってしまう、という事象は無くなりました。これもすばらしいLifehackのひとつかと思われます。
執拗に聞いているブレッカー・ブラザーズ
さて、そういうわけで聴いているのが、たぶん1992年ごろに発売された非正規盤と思われるブレッカー・ブラザーズのライヴ録音です。私も友人から借りたカセットテープから起こしていますのでジャケットの写真を持っていません。たしか黒っぽいイメージだった記憶があります。
AMAZONでそれっぽいのを探し出しました。上記のリンクはちょっと自信がないですが、メンバー的には同じなので、8割がたあっているとは思いますが。Live in New Yorkといっているのですが、ランディのMCにはフランス語が混ざりますので、パリかどこかフランス語圏でのライヴなのではないか、と疑っています。
曲目は、
- Some Skunk Funk
- Common Ground
- Sponge (Spunch)
- Song for Barry
- Spherical
- Inside out (N.Y. Special)
括弧書きの中身が、オリジナルのジャケットに印刷されていますが、これは誤りです。Inside OutもSpongeは、あの「ヘビー・メタル・ビ・バップ」に収録された超名曲なのですが、この非正規版を作った業者のリスニング力と前提知識不足が原因のはず。
メンバーも、すごいっすよ。当時の僕らのアイドル達ばかり。
- Randy Brecker (Tp)
- Michael Brecker (Tn)
- Mike Stern (G)
- George Whitty (Key)
- Jamese Genus (B)
- Dennis Chambers (Dr)
すばらしいのはやっぱり、Some Skunk Funkなのは、この曲をはじめて知った1992年からまったく変わりません。この年は、ブレッカー・ブラザーズ再結成の年でしたので、当時まだ開催していた「マウント・フジ・ジャズフェスティバル」に来た映像が深夜枠で放映されまして、私は雷撃を受けて突っ伏していた感じでした。
この曲、死ぬまでに一度はやってみたかったんですが、大学3年生のときにすばらしいメンバーにめぐり合えて、演奏することができました。私の専門はアルトサックスなんですが、テナーを先輩から借りて、デュコフのマウスピースをつけて、Some Skunk Funkを演奏しましたですよ。いい思い出。
で、非常に辛らつなバッパーのM先輩からは「まあ、この曲をやった、ということ自体が重要なんだよね(できの悪さはともかくとしてね)」というお言葉を頂戴した次第。あはは。まあ、いいんです。僕らは楽しかったんですから。
EWI
っつうことで、またEWI吹きたくなってきた。今日はT-Squareの曲をコラボ。ちょっと吹いただけでアンブシェア(口の周りの筋肉というか形の意地力というか)がボロボロで、ちょっと悲しかった。EWIでこの調子だとすると、アルサクはもっとだめなんだろうなあ。
でも吹いていて楽しかった。アンブシェアもフィンガリングも耳もかなり悪くなっているけれど、長い目でみて少しずつやっていきます。
Thu
20
05
2010
はじめに
新国立劇場の情報誌である「ジ・アトレ」の2010年6月号が届きました。そのなかで、ウィーン国立歌劇場総支配人のイオアン・ホレンダー氏のインタビュー記事が載っていました。
新国立劇場の置かれている非常に難しい状況はすでにこのブログでも何度も取り上げています。予算の圧倒的縮減を求められていたり、年々国からの委託費が減らされて行くであろうという問題です。
http://museum.projectmnh.com/2010/03/16035945.php
http://museum.projectmnh.com/2010/03/16084508.php
http://museum.projectmnh.com/2010/03/17032228.php
http://museum.projectmnh.com/2010/04/08084114.php
まあ、ホレンダー氏へのインタビュー記事はこうした情勢を意識ししたもので、少々我田引水な側面もあるのですが、重要なことが多数書かれていましたので、少しご紹介します。
ホレンダー氏の発言を引用しながら考えていきましょう。
芸術作品を国が助成することの意義について
我々は国民の税金を託されて芸術作品を想像するのです。国のためにではなく、税金を払った人のためにです。(中略)国がオペラハウスを造り、人々にオペラを提供することは重要な義務なのです。
劇場が国民のためにオペラを企画し制作すると言うことを国民が希望しているのです。(中略)芸術という心の糧が必要だから自分たちで作り育てている、それが基本です。
日本とオーストリアの文化全般に対する考え方の違いや、日本とオーストリアにおける「オペラ」という西欧由来の芸術の位置づけがは、全く違いますので、ホレンダー氏の意見がそのまま日本にも当てはまるとは思えませんが、少なくとも「芸術が心の糧である」という考え方は万国共通でしょう。
オペラが人間にとって果たしている役割
(オペラというものは公的資金なしには運営が成り立たないものでしょうか? という問いに対して)
全く、明確にそうです。(中略)オペラは全然もうけのない商売です。(中略)心を豊かと言うにするという面でも、遙かに大きな利益、目に見えない利益が入ってきているのです。オペラが、バレエがなせ必要か。それはnotwendig、必要だからとしか言いようがありません。 それこそが人間と動物の違いなのです。動物たちが必要としないものを人間は必要とするのです.
今の社会は、明日、どうやって食べていこうか、という生存の危機にさらされている社会とも言えましょう。ですが、それでは人間も動物も同じになってしまいます。人間が動物と違うことの一つ、それこそが芸術を生みだし、芸術を享受することになる、ということなのです。これはどの芸術分野でも一緒です。音楽であっても、文学であっても。
新国立劇場の助成金と自己収入について
(新国立劇場の国からの財源が59%であるという事実に関して)自己収入が41%というのは非常によい数字です。(中略)ドイツでの歌劇場でも自己収入が20%以下というのがほとんどです。(中略)要するに、人に与える精神の価値というものは数字ではないのです。
私は、新国はMETのように、もっと国の助成なしに成り立っていくようになっていて欲しいと思います。ドイツの歌劇場では確かに許される助成金が、日本でもそのまま通用するとは思えないからです。
今、岡田暁生さんの「オペラの運命」という本を読んでいるのですが、ドイツにおけるオペラの位置づけは、国民のアイデンティティを確立するための装置であるという側面があります。日本において、オペラにそこまでの機能が求められているのか、というと少し違うはずです。
だからといって、ホレンダー氏の意見を全否定するものではありません。
岡田暁生氏の「オペラの運命」については、読了次第ご報告しようと思っていますが、オペラの歴史をたどると、現代におけるオペラの位置づけというものについて非常に大きな示唆を得ることができますので。これは別の機会に。
まとめ
今回の記事は、このタイミングで掲載されると言うことには若干の意図はあるでしょう。事業仕分けの問題などを意識しているはずだからです。ホレンダー氏の意見を100%無批判に受け止めることはできないでしょう。
とはいえ、人類に普遍的な部分はあると思いますそれこそが、 「それこそが人間と動物の違いなのです。動物たちが必要としないものを人間は必要とするのです。」 という言葉に顕れています。これこそが、最も重要な言葉です。
オペラは日本においてはニッチな分野であることは間違いありませんが、オペラに限らず、歌舞伎、文楽、能楽、音楽、文学なども、ジャンルが細分化され、ジャンルのなかもさらに細分化していくという状態。
国民的な共感を得ているのはプロ野球やJリーグのような娯楽や、テレビドラマやバラエティ、映画などといえましょう。
だからといって、人数が少ないから、ニッチだから、といって切り捨てるのは本来の民主主義ではありません。民主主義は多数決主義ではないのですから。
私の書いていることは、きれい事かもしれません。食うや食わずで苦労しておられる方がいらっしゃることは十分に承知していますし、私だって明日はどうなるかわからないのですから。
ただ、音楽が生きる上での一つの支えになっていることは事実で、そうした思いを持っておられる方がほかにもいらっしゃると確信しています。
この「支えになっている」という考え方も、実はくせ者なのですが、これは岡田暁生氏の「オペラの運命」のご紹介の中で考えていきたいと思います。
Sat
22
05
2010
AMAZON:
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週末土曜日の方がウィークデーより体力的には辛いかも。
- 午前中は都内某所にて打ち合わせ。体力回復のため各駅停車に乗って座って都心に向かう。
- その後地元にとって返す。昼食は移動中に。
- 地元でヨガ。まだ体が硬い。まあ、小さい頃から柔軟性はないので仕方がない。もっとも、ヨガにおいては、体が柔らかければいいと言うわけではない。体が硬いほうが、ポーズによる刺激が強いので、効果的なのだとか。
- ヨガの後はウェイトトレーニング。どんどん筋肉がついていて、特に足は凄いことになってきた。もちろん太ももには脂肪が巻き付いているんだが、その中の筋肉(ハムストリングというらしいが)がぐんぐんついていて、ズボンがきつくなるぐらい。
- ウェイトトレーニングの後は図書館に向かい本を借りたりCDを借りたり。
- 自宅近くの最寄り駅に移動してイギリス人と話す。今日は勤務時間と仕事量の話。彼はマンチェスターで銀行員をやっていたんだが、彼のマネージャは、月曜日から金曜日の午前中まで猛烈に集中して働き、金曜日の午後から日曜日は休むらしい。たらたら残業する習慣はないんだとか。で、彼の場合、残業のメリットは、電話もかからず、人もいないので仕事がはかどるのだ、ということらしい。日本では、皆が皆、残業するのでそれは当てはまらない。私のように誰よりも早く会社に行って邪魔されずに仕事するのが、日本における集中のセオリー。
- 「影のない女」を明日に控え、予習に余念がないが、各三幕とも魅了的なシーンや音楽が詰まっていて宝箱のようだ。
- とはいえ、なぜかマイケルブレッカーを聴いているのだが。Now you see it は、私が初めてブレッカーに出会った思い出深いアルバム。今聴いても新鮮さは失われない。ラヴ、マイケル。
振り返ってみると今日のブログはTwitter状態だなあ。Twitterのつぶやき的なこのスタイルに甘えては行けないのだが、そんな感じで少々早寝をするので、お許しを。明日の「影のない女」に向けて体をいたわります。4時間以上座席に座って集中するのはそれはそれで肉体的にも精神的にも大変ですし。
ではおやすみなさいませ。明日は「影のない女」の速報を書きます。たぶん一日じゃ終わらないと思うので。
Sun
23
05
2010
行って参りました、「影のない女」@新国立劇場。
あいにくの雨模様で、少々気が滅入っていたのかもしれませんし、昨週は相当忙しかったので、体調が万全ではなかったということはだけは最初に申し上げておいた方が良いかもしれません。
驚きの再会──ジェーン・ヘンシェル
しかし、驚いたことが一つあります。
このオペラで最初に口を開いて歌を歌うのは乳母役のメゾソプラノ。始まったとたんに身震いしたんです。凄いパワーなのですよ。
声の大きさも十分で、倍音を豊かに含んだ声。技術的にも凄いと思ったのは、伝令とともに、「皇帝は石化する」と歌うところ。
ここ、相当低い音まで出さなければならなくて、CDで聴いていたとき、この部分をメゾが歌うのは、ピッチコントロール含めて、かなり大変そうだな、と思っていたのです。
ところが、この方は難なく最低音域に到達しピッチも狂うことなく、音楽的な価値を保っている。
このメゾソプラノのお名前はジェーン・ヘンシェル女史。
で、わたし、デジャ・ヴに襲われたのです。ヘンシェル女史の姿、お顔や体型など、どこかで見たことがあるな、と。
もしかして、あの悔い多きバスティーユ・オペラでの「影のない女」で乳母を歌っていたのがこのヘンシェル女史ではないか、と。
家に帰って、ごそごそと当時のプログラムを見つけて見てみると......。
やはり!
2002年の冬といいますから、もう9年半前になりますが、当時、ウルフ・シルマーが振ったパリ・バスティーユオペラでの「影のない女」の公演で乳母役を歌っていたのは、間違いないくジェーン・ヘンシェル女史! まじですか! 凄い偶然というか運命というか。
この方のパワーで、この公演の音楽的部分は下支えされていたはず。相当なものでしたから。もう8年半前経っていて、かなりお年を召した感じなのですが、バイタリティ溢れておられる。体力的にもきわめて大変なはずの乳母役であるというのに。平伏します。
強力なヒロイン──皇后のエミリー・マギー
まずは、皇后を歌ったエミリー・マギーさんについても書かなければ。
この方、の高音の伸びは凄かった。ピッチコントロールを保ちながら、かなり高い音域でパワー全開で歌っている。テオリン様よりも高めの倍音を含んでいる感じ。容姿も端麗でいらして、皇后の持つ霊界の玄妙さと人間的な苦悩をうまく演じておられました。しかし、ハイトーンが凄かったです。新国には何度かいらしているようですが、またいらして欲しい方です。
もう一人のヒロイン──バラクの妻のステファニー・フリーデ
そして、もう一つの感動が、バラクの妻を歌ったステファニー・フリーデさん。この方を聴くのは「西部の娘」、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」に続いて三度目です。
しかし、ここまで凄い歌唱を聴かせてくれたのは今回が初めてだった気がします。バラクの妻は、エヴァ・マルトンのようなブリュンヒルデを歌えるドラマティック・ソプラノの役柄なので、相当なパワーを要求される役柄。
フリーデさんは、少し語弊があるかもしれませんが、咆吼とでもいえる凄まじいパワーを見せてくれました。ピッチで若干揺れたところもありましたが、バラクの妻の切実な苦悩がストレートに伝わってきました。特に第三幕の冒頭部分から、バラクとの二重唱にかけての部分の迫力は衝撃的。凄かったなあ。
しかし残念なことが。
しかし、今回のパフォーマンス、どうにもしっくりこない。なぜなのか。
雨が降っていたこと、私の体力が十分でなかった、という事実はありましょう。
しかし、それを吹き飛ばすだけのものがなかったのかもしれない。
それは、音楽的な面ではなく、演出面を私が理解できなかったからではないか、と書かざるを得ない苦悩。これ以上、書けるかはわかりません。一日頭を冷やして考えてみます。
Mon
24
05
2010
はじめに
「影のない女」から一夜明けた今日、なんだか、虚しさ覚える、虚脱状態とでもいいましょうか。
オペラを総合芸術に仕立て上げたのはリヒャルト・ヴァーグナーですが、以降のオペラは、音楽面だけではなく、文学面や美術面においても評価されなければならなくなってしまいました。そのうちどれかが欠けても難しい。
昨日の「影の女」は、残念ながらひとつだけ欠けたところがあったと思うのです。それは私の理解の足りなさという面もあるかもしれませんが、やはり演出面だけは釈然としません。
シュトラウスとホフマンスタールが作り上げた天才的奇跡的な音楽だけに、それをさらに高みへとあげるのは困難なはずですが、それにしても、という歯軋りをする思い。三人のヒロイン達がすばらしかっただけに、残念な思い。
最初に舞台装置に「疵」というか「矛盾」を見つけてから、視覚的違和感が常につきまってしまうのです。
これ以降、書くこと自体躊躇するところがあります。私の理解不足や、体調の不備、天候の悪さなどが影響しているかもしれないからです。ですが、やはり、ここは一足飛び超えて書かないと行けない、という覚悟で書きます。それが、新国にとっても良いことだと思うので。ご批判は覚悟の上。なにかあればコメントを。
違和感
私が違和感を感じ始めたのは第一幕のバラクの家のシーンから。
舞台全部には白い平たい板、白い底面が引いてあるのですが、それは、家々が地面に投げかける白い影で、家の窓枠に対応する形で、床が切り取られているのですが、一つだけ対応していない場所があるのを見つけてしまったのです。
神は細部に宿りますので、そうした細かい疵に気づいてしまってからなんだか気が抜けたソーダ水を飲んでいるような気分になってしまいました。
で、この平たく白い底面は、全幕通して置かれっぱなし。皇帝の居室であろうと、バラクの家であろうと、霊界であろうと、いつでも。これはちょっと違和感がある。
それから、舞台装置の移動は、黒い服を着た男達が劇中にお構いなしにあらわれて移動してくる。日本風に言えば黒子なんですが、顔もあらわで、いわゆる日本的な黒子ではないのです。「影のない女」の難しい舞台転換を安易な方法で解決したとしか思えない。
確かに「ヴォツェック」でも、黒子的な男達が現れたけれど、ちゃんと衣装を着て、ちゃんと演技しながら舞台装置を動かしていたんです。ですが、今回は演技すらしない。本当にスタッフがやっていて、劇空間がめちゃくちゃに破壊されてしまう。
それから、鷹や馬、オオカミなどの動物たちは、動物の形をしたワイヤーアートを持った方々が出てくるのですが、このワイヤーアートが見えにくくて仕方がない。これ、あらすじを知らない方がごらんになったら、赤い鷹の重要性を全く理解できないと思います。
それから、舞台装置がチープに思えてしまう。家をかたどったオブジェはベニヤ板が張られているのが見えてしまったり、石垣のように石が積み上げられた壁は安くて弱々しい。
乳母が死ぬ場面も、なんだか予定されたように舞台下にせり下がっていくというありがちなパターン。
背景は何か?
でも、本当にこれは演出家だけの問題なのだろうか、とも考えたのです。ほかにも原因はあるのではないか、と。
よく考えますと2010年度になってから二回目の新制作ですよね。もしかしたら予算が相当削られていたのではないか、とも思えるのです。まだ新国立劇場自体の22年度予算はウェブ上で確認することができないのですが、そうした背景もあるのではないか、とも。
先日の「ジ・アトレ」6月号に書かれていたのですが、予算は年々縮減傾向にあることは間違いないようです。そうした影響が出ているのかもしれません。
それから、このシーズンでは指環の後半である「ジークフリート」と「神々の黄昏」をやっている。バックステージツアーで舞台監督の方がおっしゃっていたのですが、再演とはいえ、やはり経済的な負担は大きかったようです。ですので、「影のない女」の予算が削られてしまったのではないか、とも思える。
まとめ
いずれにせよ、すこし寂しい思いをした公演でした。私も少し気張りすぎていて、期待が大きすぎたので、その落差に戸惑っているという面も少なからずあるとは思いますし。
次のシーズンでは、「アラベラ」や「トリスタンとイゾルデ」の新制作もあります。演出家の方も大変だと思いますが、予算担当の方も相当大変なはず。
私にできるのは、チケットを買って、劇場に足を運んで、公演の模様をブログで取り上げて、頑張ってくださいと申し上げる、ということぐらいしかないので......。
ともかく、今後も、日本唯一の常設劇場を持ったオペラカンパニーとしての新国立劇場を応援していきたいと思います。
Tue
25
05
2010
当ブログの公開エントリ数が1000本を超えました。
最初にブログを始めたのが2003年だったと思います。当時の最先端だったMovabletypeのバージョン2で始めたのでした。
その後、2006年にFC2に「Museum::Shushi bis」としてリニュアールし、再びMovabletypeに戻り、このたび1000本突破となった次第。
ひとえにごらんになってくださっている皆様、コメントをいただいた皆様のおかげでございます。ありがとうございます。
今後も引き続き続けて参りますので、皆様のお越しをお待ちしております。
Wed
26
05
2010
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世界最精鋭部隊の「名詞代わり」の1枚なんだか、虚脱状態に陥りっぱなし。やけに忙しいぞ。
さて、今年はマーラーイヤー(生誕150年)で、来年もマーラーイヤー(没後100年)ですね。
マーラーは1860年7月7日に生まれ、1911年5月18日に亡くなっています。中学生の頃、命日の5月18日にしんみりしていたりしてましたなあ。懐かしい思い出。
というわけで、図書館にはマーラーコーナーが設営されていまして、所蔵するマーラー録音が一堂に会している状態。ですので、ちと何枚か物色しています。
この二年間、ほとんどマーラーは聞いておりませぬが、私の強烈なマーラー体験は、小学6年生に小澤征爾がジェシー・ノーマンなんかとボストン交響楽団を振った復活の最終部の映像をみてからです。
NHKでドキュメンタリーが放映されたのですね。詳しいことは覚えていないのですが、二箇所だけ覚えています。
なんだか小澤征爾が神経質な面を見せる場面があったのですが、それを見ていた父が「芸術家のこういう芸術家ぶったところが嫌いだ」と言っていたことと、小澤征爾の子供達が庭で遊ぶシーン、「復活の最終幕」です。
この「復活」の最終部を聴いてから、マーラーのエアチェックを始めたわけです。
で、苦手だったのが、交響曲第五番でした。マゼール盤を聴いていたのですが、第四楽章以外は全く理解できませんでした。ある種恐怖症状態。
ですが、その呪いを解いてくれたのが、ラトル&BPOのライヴ盤でした。映像も見ましたね。ああ、この曲はこんなに面白いのだ、と得心。第三楽章でホルン協奏曲状態になるのをみて、すげー、と感心したり。
で、今日は、ショルティ盤交響曲第五番を聴いております。
先日来、バーンスタインのマーラーを少しばかり聴いておりましたが、ショルティはスマートになんでもやってのける感じ。そこが、賛否両論があるところなのかもしれませんが、くたびれた体には、ショルティのようなすっきりとした味わいもまた格別でした。虚脱状態の私にはちょうど良いカンフル剤的状況でした。第四楽章が意外と遅いテンポで、ショルティらしくないなあ、とも思ったり。逆にその方が良いんですけれど。
さて、先だって注文していた新しいノートPCが届きました。Windows7に初めて触れましたが、なかなか好感が持てます。私は、MSの戦略にはまらぬよう、メインPCは未だにXPですが、食わず嫌いも良くないなあ、とちょっと反省しまし
Thu
27
05
2010
来年は「ばらの騎士」イヤーでもあります。「ばらの騎士」は1911年1月26日にドレスデンにて初演です。マーラーは「ばらの騎士」を聞いたでしょうか?
シュトラウスとマーラーというと、仲がよさそうにも見えるし、悪そうにも見える。アルマ・マーラーの回想録では、エコノミカルな面に腐心するシュトラウスの姿が批判的に書かれていました。もっとも、アルマ・マーラーの回想録自体どこまで真実に近づいているかはよくわからないのですが。
いずれにせよ、二人は同年代ですし、互いを意識していたんだろうなあ、というのは音楽を聴いていてもわかります。特に「影のない女」では数箇所、マーラー的な場所が驚いてびっくり。たとえば赤い鷹のモティーフ、マーラー的に聞こえるのは私だけでしょうか。
話を戻して、来年が初演100周年となるばらの騎士をハイティンク@ドレスデンで聞いてみましょう。ハイティンクを好きになったのはこの一年ですので、この「ばらの騎士」も一箇所を除いては大変すばらしい演奏だと思います。私なんて、第一幕冒頭のっけから、平伏しましたし。
今日はばらの騎士を聞いて心を落ち着かせましょう。
そうそう。今週の土曜日は大学の先輩後輩のジャズライヴがあるので、遠出(っていても錦糸町ですが)します。久々のジャズライヴで楽しみ。私も参加したいぐらい。EWIがんばろう!
あ、明日、iPad、運がよければ家に届くかも。。。
Fri
28
05
2010
うふふ。iPad、本日届きましたですよ。ちと嬉しい。
まだ、ざっくりしか使っていないのですが、PC以外のプラットフォームで違和感を感じることなくウェブの操作をできるのには本当に驚きました。Apple製品はiPodしかしらない私ですので、Safariやらなんやら、まだ操作に不慣れな感じはあります。
あとは、Wimaxでの接続がうまくいくかどうか、ですが、ちょっとうまくいかない。このルーターを買って、PCでもiPadでも使えるように、と準備したのですが。
まあ、気長にやります。
あ、クライバーのミュンヘンでの「ばらの騎士」を入れてみました。出先で聴いてみよう。
Jazzのライヴ
あまりにあっという間な錦糸町の夜のひとときでした。
先輩方や後輩の演奏は昔と変わらずどころか進化しているようにも思えます。ベースの先輩は巧くなっているし、サックスの先輩もアグレッシブな演奏でした。テナーサックスにおける、ジャズのインプロヴァイズはフラジオなしには考えられませんが、先輩はちゃんとフラジオ音域まで使っておられましたからね。楽器を替えたと思ったのですが、マウスピースを替えたのだそうです。曲はスタンダード中心で、終始安心してきていることが出来ました。
先日取り上げた 「スコラ」 では、ジャズシリーズをやっておりましたが、ブルーノートとテンションが織りなす感覚がとても懐かしかったです。
私も少し吹きたくなりましたが、今の生活にバンド活動をアドオンするのは極めて難しいです。残念ですが。タスクがもう少し減ればいいのですが。EWI練習しよう。毎日毎日。がんばるぞ。
iPadのこと
で、ベースの先輩に、iPadのことでいじられました。今日は持って行くのをあえてやめておいたんですが、持って行けばよかったです。
今考えているiPadの利点は。
- ウェブへのアクセスが極めて早い。ノートPCをハイパーネーションで立ち上げる手間がうざくなりました。
- これは、iPhoneやiPod touchのほうが優れていると思いますが、メモしていても仰々しさがないです。ノートPCだと、文書書いてます、的なオーラが強すぎることもある。まあ、紙にメモればいいのですが、でんしかしておきたいこともありますので。
欠点、というか問題点は、
WM3300RというNEC製のWimax端末と巧くつながらないのです。iPadとWimaxで乗り切ろうと思っていただけに残念。みんな同じ問題に直面しているんだろうなあ。NECのサポートに電話してみるかな、というところ。
シングルタスクは思った以上にストレスフルです。音楽聴きながらネットサーフィンが出来ないという事態。まあ、PCじゃないと割り切るしかないのですが。秋にはOSのアップデートが予定されているとのことで、ここでどこまで善くなるかというところ。
思ったより外枠が広いですね。もう数年経つと、もっと小さくなるんだろうなあ。
アメリカに注文しているケースが届かないので、中途半端なケースを買ってしまい後悔。安物買いの銭失いとはこういうことをいうのだろう。吝嗇は不幸なり。
聞いているのは
今日は、息子のほうのクライバーが振っている「カルメン」をば。DVDで発売されているもので、ドミンゴが悲壮な感じで歌っていていいんですよ。クライバーもドライヴのかかった指揮っぷりで、興奮せずにはおられない。これ、6月の新国の演目を意識しています。いい演奏、パフォーマンスだといいなあ。
Sun
30
05
2010
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una
クライバーファンなら☆100個
総合的には高いレベルだが、ラテンの香りがしないカルメン
絶好調のクライバー!
おお!すばらしい!iPadが来て二日目。大分なれてきました。
良いところ
天気予報のアプリなのですが、あまりの美しさと多機能に度肝を抜かれました。
それから、青空文庫からシームレスに本をダウンロードできるのは凄い。iBookが日本で根付くかどうかはわからないのですが、青空文庫はもうかなり歴史ありますからね。昔、Palmに落として、芥川を読んだり、岡本かの子を読んだりしていましたので、これは本当にありがたい。
本題
さて、本題。
カルロス・クライバーが、エレーナ・オブラスツォワ、プラシド・ドミンゴと組んで演奏したもので、ウィーン国立歌劇場で1978年2月に収録されたライヴ盤。
2006年にゼンパーオーパーで「カルメン」を観るための予習用に買ったものですが、クライバーとドミンゴとくれば、悪い演奏なわけがない。
特に激烈なのが20トラック目「セビリアの城壁近く」。スペイン的フレーズなんですが、このフレーズが凄くて、導入はマイナースケールで上昇するんですが、下降するときにはメジャースケールに変わっている。カルメンの表裏を表しているように思えます。美しきものの裏に隠れる狡猾さ。途中でオケが、激しく慟哭するんですが、あの場面のクライバーのドライヴ感は凄まじいものがあります。
1978年と言えば、ドミンゴは37歳ですか。一番脂がのっていそうな年頃です。クライバーは1930年生まれですので、48歳。こちらも一番元気な頃じゃないでしょうか。
しかし、カルメン役のオブラスツォワは、カルメンのために生まれてきたのではないか、と思うぐらい役にマッチしています。声の質は太く柔らかいメゾで、パワーもあるし、妖しさもある。私は、カラヤン盤抜粋でアグネス・バルツァのカルメンも聴きましたが、オブラスツォワのほうが、良い意味でカルメン的な野卑さを持っていると思います。
というわけで、お勧めしたところですが、この盤はもう市場の表舞台から消え去っていますね。AMAZONではMPでしか売っていないみたい。やっぱりコンテンツ産業は大変なんだろうな。DVDは高いですが、重要なものは落としてはならんのですね。
追記:ああ、こういう媒体で安く出ているのか......。なんと990円! 教えてくださったgarjyuさんに感謝。
→ http://www.fujisan.co.jp/Product/1281683685/b/323315
iPadが来て、時代が大きく変わったことを思い知ったことと相まって、ちょっといろいろ急いで考えないと、と思いました。頑張ろう!
Mon
31
05
2010
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私が敬愛するジャズサクソフォニストであるマイケル・ブレッカーの義理の姉君であった時期もあるイリアーヌ・イリアスのSo far So Closeというアルバムの音源を入手しました。
イリアーヌ・イリアスとは
イリアーヌは昨今では歌手として知られるようになりましたが、かつてはピアニストとしてあのSTEPSに在籍していたこともあるのです。その天才ぶりは幼い頃から発揮されていて、ジョビンをして「私のイパネマがこんな曲だったとは知らなかった」とまで言わしめた天才少女だったのです。
そして、才色兼備を地で行ったような美貌に、若いミュージシャン達が群がったであろうことは容易に想像できてしまうのです。そして結婚した相手はランディー・ブレッカー、つまりマイケルの兄君だったのです。もちろん離婚してしまうわけですが。
今はベースのマーク・ジョンソンと結婚しているらしい。だから、彼女のアルバムのベーシストはマーク・ジョンソンなのか。今さら知った無知蒙昧に恥じ入るところ。
さて、ランディとイリアーヌの間には、アマンダという女の子が生まれました。彼女はいま両親から受け継いだ様々なアドバンテージを活かして歌手になっています。
アマンダについては、こちらも。
http://museum.projectmnh.com/2009/06/24195833.php
Stepsとの関係について
さて、STEPSといえば、80年台初頭にマイク・マイニエリが結成したバンドで、当初は4ビートなどもやっていたのですが、徐々に電化を進み、マイケル・ブレッカーがEWIと呼ばれるウィンドシンセを使い、マイク・スターンがディストーションをかけたギターソロを披露するようになったのでした。バンド名もSTEPSからSTEPS AHEADと改名しました。
その改名前後に発表されたアルバムのMAGNETIC(1986)は、Live in Tokyoという1986年のライヴ盤重要な音源につながっていきます。
http://museum.projectmnh.com/2007/08/19175353.php
Sor Far So Close
私の聴いたSo Far So Closeは1988年の作品。雰囲気がMAGNETICとそっくりなのに驚きました。これは、裏Steps Aheadと呼んでも良いのではないかと。
もちろんマイケル・ブレッカーもランディ・ブレッカーも参加しております。
さらにポイントなのは、シンセサイザーのプログラミングにジム・ベアードが参加していると言うこと。ジム・ベアードは、マイケル・ブレッカーのNow you see itというアルバムに参加して、電脳才能のフルに発揮している人物。ランディ・ブレッカーがWDRのビッグバンドと共演している以下のアルバムでは、キーボーディスとしても大活躍しています。私のレコメンドなミュージシャンです。WDRのジャズバンドとのエントリは以下の通り。
http://museum.projectmnh.com/2007/08/11211441.php
さて、イリアーヌですが、そのアンニュイな感じの歌声で、私の癒しの音楽となっているDreamersというアルバム以降、自分はピアニストだけなのではなく、ヴォーカルとしてもやっていこうと決意したらしいのですが、ピアニストとしても素晴らしいですが、やっぱりヴォーカルが良いですなあ。
でも、ピアノもいいっすよ。コードの当て方とか結構格好良いのですよ。テンションを含んだ私好み。そうそう、ジャコ・パストリアスにささげられたStraight Acrossというナンバーではシンセベースまで弾いています。
この曲、結構アグレッシブ。で、ジャコに捧げられていると言うこともあって、音の雰囲気はWeather Reportそっくり。ということは、Weatherの影響下にあるYellow Jacketsにもそっくり。シンセベースの雰囲気なんてYellow JacketsのJimmy Haslipみたい。
イリアーヌのディスコグラフィ
Wikiによると、こんなにたくさんのディスコグラフィが。ああ、全然聴けておりません。収集活動を始めないと。◎がついているのが把握している音源。ファーストアルバムはお嬢様のAmandaの名前なんですね。Sor Far So Closeもお嬢様に捧げられたアルバム。本当に子煩悩なのですね。
- Amanda(1985)
- Illusions(1986)
- Cross Currents(1987)
- So Far So Close(1988) ◎★
- Eliane Elias Plays Jobim(邦題:風はジョビンのように)(1989)
- A Long Story(1991)
- Fantasia(1992)◎
- Paulistana(1993)
- Solos & Duets(1994)(with Herbie Hancock)
- The Three Americas(1997)
- Impulsive!(1997)
- Sings Jobim(邦題:海風とジョビンの午後)(1998)◎
- Everything I Love(2000)
- Kissed by Nature(2002)
- Giants of Jazz(2004)
- Dreamer(2004) ◎
- Around the City(2006)◎
- Something for You(2007)
- Bossa Nova Stories(邦題:私のボサ・ノヴァ)(2008)
- Eliane Elias Plays Live(邦題:デサフィナード)(2009)
iPadのつぶやき
iPad、素晴らしいですよ。
今日は、UQ Wimaxと一日600円の契約をして、自宅から会社の受信状況をチェックしました。電波は弱いものの8割程度の行程でWimaxが受信できることがわかりました。田舎の丘の上に立つうちの会社でも一応受信可能でした。ところどころでやっぱり受信できないところもありましたが。
それから、やっぱりiPadで文章を書くのはまだちと骨が折れる。このブログ記事の前半部分はiPadで書いてみたのですが、さすがにキーボードのように早く書くことは能わず。ああ、Bluetoothのキーボード買ってみようかな。
ちなみに、Bluetoothって、デンマークの王様の名前なんですよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Bluetooth#.E5.90.8D.E7.A7.B0.E3.81.AE.E7.94.B1.E6.9D.A5


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