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はじめに

今年のGWは本当に疲れました。というのもやっぱり5月1日夜間の徹夜勤務でリズムが狂った感じ。ここのところ徹夜勤務続きで、昔は平気だったんですが、迫り来る何とやらには、注意して行かなければならないですね。

大学の友人達と

それで、オフだったGWとある日、大学時代の友人たちと食事を。3人で会ったですが、皆が皆重いものを背負っていることがわかって、なんだか寂しくもあり悲しくもあり、といった感じでした。私の尊敬する友人で、作曲家を目指して頑張っていた友人もあまり、深く音楽に関われていないみたいで寂しい限り。音楽家になると言うことは本当に大変なことです。

最近のアカデミックな音楽の事情

ここで言う「アカデミック」というのは、西洋音楽の流れを受け継ぎ、東京芸大などで教えられる音楽のこと。「現代音楽」と言い換えても良いと思います。決してジャズやポップスなどの音楽とは違います。

ところがここの十数年で、すっかり「アカデミック」な音楽は力を失っているのだとか。

その符牒はいくつもあって、天皇陛下在位十年の奉祝曲はYOSHIKIが作曲し、在位二十年奉祝曲はEXILEが作っているという事実。かつてなら、「アカデミック」な領域にいるであろう團伊久摩や黛敏郎が書いてでいただろうに。

それから、この数年のNHK合唱コンクールの課題曲が純粋合唱曲から歌謡曲の編曲版に変わっているという事実も。

先日書いた「音楽芸術」の休刊もその流れの一つ。

彼はいわゆる「アカデミック」な場で学び続けていたので、商業音楽には属しておらず。強い違和感を感じていたみたい。すでに「アカデミック」な音楽、「現代音楽」などで生計をたてるとか、影響力を持つということはなくなってしまったようです。

もっとも、彼にいわせると商業音楽の聖典であるバークレーメソッドや、MIDIなんかもすでに時代遅れで、時代はサンプリング全盛なのだとか。

なるほど。のんきにシュトラウスやワーグナーに涙し続けたことに何の意味があるのか考えなくてはならないなあ、という重い課題が現れてしまいました。

聴取者の最大の音楽行為

世にはDJという、いろいろな楽曲の再生技法を用いて音楽空間を作る職業があります。ちょっと強引に引き寄せている感もありますが、我々が演奏会に足を運んだり、オペラをみるという行為はDJの行為と実に似ています。昔、女優の岡部まりがレコード芸術で「聴取者の最大の音楽行為は選曲である」といっていたのを思い出しました。

聴いているものが重要なのではなく、それをいかに聞くか、いかに聴かせるか。ここにしかクラシック音楽の進むべき道はないのではないか。だが、それはあまりに豊穣な無限の可能性を持つ自由な世界なのであり、悲観的にはとらえていません。

結論

これからの音楽は、既存の素材の再使用だったり解釈可能性の拡大にあるはずです。私がここで何とかしようと努力しているのも解釈可能性拡大への挑戦なのかもしれません。とりあえずは、「現代音楽」なども含めて、これまでのようにただただひたすら、聴いて意味づけして書いていく、という行為を続けないといかんですね。

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