登壇された方々── 「コジ・ファン・トゥテ」の舞台美術 その2──

 

昨日に続いてご報告する、先週5月28日(土)に東京初台の新国立劇場地下2階リハーサル室Bで開催された「「コジ・ファン・トゥテ」の舞台美術」の模様です。

登壇されたのは以下の方々でした。

パオロ・ファンティン氏

パオロ・ファンティン氏は、今回の新国立劇場「コジ・ファン・トゥッテ」の舞台美術を担当される方です。私は、今ひとつ演出家と舞台美術の役割分担についての理解が曖昧としたものでしたが、舞台セットのデザインや、大道具から小道具の設定を考えるのだそうです。今回のプロダクションの演出をされたダミアーノ・ミキエレット氏とはこれまでもタッグを組んで舞台を作り上げてきたとのこと。ファンティン氏は、にこやかで、気さくな方でした。

白石恵子氏

白石さんは、モデナ歌劇場の工房で舞台美術を担当される方で、今回のプロダクションでは舞台美術コーディネーターとクレジットされています。そのお仕事は、私の想像を絶するものでした。笑顔が素敵な方でした。

ネヴィオ・カヴィーナ氏

カヴィーナ氏は、ライティング・デザイナーとして有名な方で、神戸の震災後に催されたルミナリエや、丸の内を彩ったミレナリオの監督をされた方。実は白石さんの旦那様でいらっしゃいます。事前には登壇の予定はなかったのだそうですが、この方には隠された使命があったのです!

 

それから、新国立劇場に今年から開設された、国際連携協力室の室長でいらっしゃる小川さん(漢字は違うかもしれません)という方が司会を務められました。この方、何でも知っていらっしゃる感じで、うまく場をリードされていました。さすがです。

 

明日は講演の内容について。

現在、通勤電車にて執筆(?)中。電車に座れてPC使えるのもあと数ヶ月ですか。。。オフィスの引っ越しにより、3ヶ月後の今頃は満員電車で押しつぶされているんだろうなあ。

新国立劇場のリハーサル室に潜入!── 「コジ・ファン・トゥテ」の舞台美術 その1──

「コジ・ファン・トゥッテ」の舞台美術~イタリアの工房から~」というイベントが、5月28日(土)に東京初台の新国立劇場の地下2階リハーサル室で開催されました。新国立劇場のウェブサイトにニュースが出たのが4月27日のこと。私はウェブを見ていましたので、そこですぐさまエントリーしました。
当初は、新国立劇場5階のビデオシアターで開催する予定だったそうですが、予想以上の申込者が会ったとのことで、急遽リハーサル室に会場を変更したのだそうです。おかげで、リハーサル室に潜入(?)する機会をいただきました。運が良かったです。
この写真がリハーサル室の入り口。ちょっと画質が悪くてごめんなさい。
地下の初台駅から階段を上ると、小劇場の入り口がありますが、その右斜め前方にあるのが楽屋口です。少し緊張して入り口に向かうと、守衛さんに用件を聴かれました。一人一人にちゃんと確認をとっているようです。どうやらそれが決まりらしい。で、用向きを伝えると中に通していただけました。
楽屋の入り口を入って真っ先に目に入ったのが神棚でした。神棚の下にはお酒が供えられています。DANCE to the Future 2011の出演者一同からのお供えものでした。5月28日が初日だったのですね。
その横には食堂があります。アルコールもおいてあるのですね。なるほど。
その先には地上から地下二階へと貫く吹き抜けがあって、地下とはいえ自然光を取り込むことが出来るようになっています。階段を下った地下二階が19室のリハーサル室があるフロアです。微かに歌手の方が発声練習をしているのが聞こえてきました。
会場はリハーサル室Bという部屋で、バレエやダンスのリハに使う部屋だそうです。2009年の冬でしたか、NHK教育のイタリア語会話で、新国で上演された「トゥーランドット」のリハーサルの様子が少し紹介されたことがありましたし、会報誌「ジ・アトレ」の写真などで、何となく雰囲気は分かっていましたが、中に入ると、なかなか広々としていましたし、天井も高く、壁面には音響を考慮したと思われる凹凸が設えられていたりと、新鮮です。
入り口には、今回の「コジ・ファン・トゥッテ」のセットと思われる舞台の模型などがおいてあったりして、否応なく気分が高まります。
明日に続きます。

新国立劇場オペラトーク「コジ・ファン・トゥッテ」その3

新国立劇場の写真。通い始めてもう8年近くになりますが、建築的にも大好きです。幾何学的な構造美もありますし、随所に日本的意匠が凝らされているということもあり、いつぞやかは、朝早く、6時半頃に新国に出かけて夢中で写真を撮ったことがありました。
さて、 すっかり頓挫していたオペラトークの模様の最後の回。本日が初日でしたので、かなり遅れてしまいました。仕事にもっとスピード感を持たせないと、と思う今日この頃。

演出に際してのト書きの扱い

演出をする上での発想は、セリフと音楽から考え、ト書きは重要視しません。画家は白いキャンパスを使うが、演出家としても、やはり白いキャンパスを使いたいからです。音楽と台詞は、どこで上演しようとも同じものを使うことになるから、そこから出来るだけ自由な発想を得たいのです。
確かに台詞の真意や意味合いが変わってしまうと言う恐れはあります。ただ、ト書きにただ沿っていくのは、目隠しをした馬に道を示して山を単に登る、ということです。それではおもしろみがありません。山に自由な道を使って登れば違った楽しみを見いだすことが出来るでしょう。

モーツァルトの醍醐味

モーツァルトの醍醐味は、ドラマの構造にあります。対立する複数のドラマが並立して描かれています。とかく人生というものはそう言うものであり、観客誰しもの人生もまたそうなのです。朝起きて悲しいことがあったとしても、夜になれば楽しくなることだってある。
これこそが現実なのです。これが、ダ・ポンテやモーツァルトを現代的たらしめているものなのです。なぜなら、彼らはすでに我々自身のことを書いているのですから。

見えない内面を描き出す素晴らしい演出

アリアやデュエットの時間をクリエイティブなものにするためには、その時々の心情をビジュアル化していくことが重要なのです。たとえば、化粧を濃くしたり、服を変えたりすることで、台詞とは逆の方向を見せたりします。

オペラを見るということは?

オペラに行くということは、知っていること、知っているはずのこと見に行くということです。
ですが、本当に知っているか? という疑いを持って、心を空っぽにしてプロダクションに行って欲しいのです。
オペラは考える装置なのです。

まとめ

ミキエレット氏は、怜悧な頭脳を持った若きやり手演出家、という印象でした。ジーンズに白いシャツというすっきりとした出で立ちで登場して、冷静に話しておられました。このファッションセンスは、私らが若い頃のものではないかなあ。
ダミアーノ・ミキエレット氏は、昨日のワークショップで話をうかがった舞台美術のパオロ・ファンティン氏とタッグを組んで欧州オペラ界に衝撃を与えているようですが、昨日この二人の手による演出の映像を少し見ることができました。
めちゃくちゃカッコイイですよ。水が張られた舞台に、燃えさかる紙を落とすと、一気に火が広がったり、巨大な鏡を舞台奥に斜めに置いて、観客が舞台を上から見ることができるとか。
たとえば、こちらに写真があります。
http://www.scenesmagazine.com/spip.php?article1970
http://colleghi.blog.so-net.ne.jp/2009-11-23
本当に本当に楽しみです。
「コジ・ファン・トゥッテ」。まだ間に合いますよ → チケットぴあ

【短信】「コジ・ファン・トゥッテ」の舞台美術に行ってきました!

東京も入梅しました。ご覧のようにオペラシティの高層階部分は雲の中に入りかかっています。
今日、新国立劇場にて開催された「「コジ・ファン・トゥッテ」の舞台美術~イタリアの工房から~ 」に行ってきました! 今回のコジの舞台美術を担当されたパオロ・ファンティンさんと、舞台美術コーディネーターを勤めておられる白石恵子さんのお話をうかがう充実の2時間半でした。
前半の一時間はパオロ・ファンティンさんが今回のコジ・ファン・トゥッテの舞台美術の意図を説明してくださり、後半の一時間は、白石恵子さんが、今回の舞台の大道具をモデナで作ってこられたエピソードなどを話してくださいました。
もう、興味深いことや目から鱗が落ちることがたくさんで、充実しすぎです。しかも無料ですから。これはもう素晴らしいの一言に尽きます。今後もこうしたイベントが開催されるようです。なぜなら今回のタイトルは「国際連携プロジェクトⅠ」なんですから。きっとⅡとかⅢもあるはず。
今日はさわりだけ。もう、書かねばならないことがたくさんあります。またシリーズがふえてしまう。。
ともかく、20年前に、こんな世界があることを知っていたら人生変わっていただろうなあ。

わたくしの青春のはじまり

ブレッカー兄弟による「サム・スカンク・ファンク」の映像。先日も取り上げましたね。

この映像こそ、私がマイケル・ブレッカーを初めて目にした映像です。1992年の夏のこと。マウント・フジ・ジャズフェスティバルというものがあった時代です。これで、コロッとブレッカーいかれになってしまいました。
この音源におけるマイケル・ブレッカーによるサム・スカンク・ファンクのインプロヴァイズは、私が聴いたことのあるマイケルのサムスカインプロヴァイズのなかで、もっとも素晴らしいものと思います。
今日はこのあたりで。最近帰宅時間が遅い。若返った気がします。っていうか、また忙しくなっただけだが。。。

数字で見る新国立劇場 その1 これまでの本公演で最も取り上げられた作曲家は?

新企画「数字で見る新国立劇場」。いままでの数ある企画は終わっていませんが、かなり前から調べたいことでしたので、今回アップいたします。
新国立劇場がオープンしたのは1997年10月10日の「建・TAKERU」ですので、はや14年が経とうとしています。私が新国に行き始めたのは2002年ですが、演目の傾向などをまとめたら面白いだろうな、と準備を進めていました。最近やっとデータの確保が出来ましたので、今後徐々に分析していきます(最近、仕事でこういう作業が多い。。。)
第一回は、どんな作曲家が取り上げられているのか、について。
1 ヴェルディ  26回
2 プッチーニ     19回
3 モーツァルト 15回
4 ワーグナー 13回
5 リヒャルト・シュトラウス 12回
6 ロッシーニ 6回
7 ビゼー 5回
8 團伊玖磨 3回
9 マスネ 3回
10 ヨハン・シュトラウス二世 3回
11 以外 34回
1位、2位は、イタリアの両巨頭であるヴェルディとプッチーニが占めています。これは、これまでの新国立劇場の本公演139回のうち、おおよそ45%を占めるという高占有率です。なるほど。やはり、日本にとってのオペラというものは、イタリアオペラの比重が高いと言うことでしょう。あとで国別でも集計してみます。
つづいて、3位から5位までは、ドイツ=オーストリア系の作曲家であるモーツァルト、ワーグナー、リヒャルト・シュトラウスが占めています。オペラと言えばワーグナー、という向きもあると思いますので、それはまったくうべなうことが出来ます。
シュトラウスファンとしては、ワーグナーに1本次いでリヒャルト・シュトラウスが続いていると言うのがうれしいです。リヒャルト・シュトラウスの上演回数は12回。第6位のロッシーニが6回です。なるほど。
※ データは、1998年から2010・2011シーズンまでを、新国立劇場のウェブサイトの「過去の公演から」を参照して、分析してみました。
つづきます。

【短信】:ベームのカプリッチョを

短いエントリー。
ベームのカプリッチョ、これはひとつの偉大な美意識だなあ。ヤノヴィッツの高く響く無垢な声に癒されました。ディースカウだってすばらしい。というか、贅沢。
録音が素晴らしい。残響具合が絶妙。録音はゾフィエンザール。
帰宅時間に聴いて、すっかりリフレッシュしました。これこそ通勤リゾート。
しかし、カプリッチョは、私には分からない秘密がたくさんあるはず。18世紀オペラの引用に満ちあふれているらしい。だが、オペラ暦の短い私にはこれから勉強が必要です。引用で分かったのは、シュトラウス自身のオペラである「ナクソス島のアリアドネ」と「ダフネ」のフレーズでしょうか。あと、「ばらの騎士」のオーボエの旋律が出てきたはずなんですが、まだ確認とれていません。
過去のカプリッチョ関連はこちら

MET ライブビューイング「カプリッチョ」短信

先週末、思いがけず休みになりましたので、予定を変えて今日のうちにMETライブビューイングに行ってきました。恥ずかしながら、METライブビューイングは初めてでしたが、楽しく感動的なひとときでした。
私が言ったのは、新宿ピカデリー。昔は古びた映画館だった気がするのですが、大変な変わりようでした。スクリーン1という大きめの劇場でしたが、お客さんの入りは5,6割ぐらいでしょうか。
本当のオペラやコンサートと違うのは、
* 座席がゆったりしている。
* ものを食べてもよい。
* 拍手しない。
* 当然ですが、サウンドは今ひとつ
といったところでしょうか。
* 伯爵夫人マドレーヌ:ルネ・フレミング
* 作曲家フラマン:ジョセフ・カイザー
* 詩人オリヴィエ:ラッセル・ブローン
* 伯爵:モルテン・フランク・ラーセン
* 劇場支配人ラ・ローシュ:ピーター・ローズ
* 女優クレロン:サラ・コノリー
* 指揮:アンドリュー・デイヴィス
フレミング、素敵すぎますねー。当代一のシュトラウス歌いなんでしょう。柔らかい羽毛に包まれたような歌声で、ほかのどの歌手ともあきらかに違う個性的な声だと思います。
本編前のインタビューで、フレミングがいっていたことが印象的でした。
曰く「伯爵夫人マドレーヌも、アラベラも、元帥夫人も、同じ女性が違う時代の別の場所に居ただけに過ぎないのである」
なるほど。
3人とも、世の中の、酸いも甘いも知っていて、諦念する分別をも持ち合わせる大人な女性です。
フレミングは、学生時代に、フランクフルトで「カプリッチョ」に感動して、3回も観に行ったんだそうです。
私もその気持ち、よくわかります。
先週の日曜日、N響アワーで、2009年のN響定演でフェリシティ・ロットが歌ったカプリッチョ終幕の場が出ていましたが、途中できられて、極めて残念。
そうそう。フラマンをうたったジョセフ・カイザーも素晴らしかったですよ。伯爵夫人への告白の場面、あれは泣きました。。

新国立劇場オペラトーク「コジ・ファン・トゥッテ」その2

午前11時前の新国立劇場のエントランスにて。入った途端にこの風景で、感動です。こんな光の入り方をするなんて知りませんでした。この季節のこの時間だからこその風景かもしれません。
昨日に続いて、「コジ・ファン・トゥッテ」のオペラトークにて、ミキエレット氏がお話しした内容を、個人的にまとめてみます。ネタバレありますのでご注意ください。

人間の理性について

 最終部の台詞に「理性に従って行動できる人間は幸いである」という台詞がある。理性的であればどのような困難も克服できるという18世紀的な理性偏重のモラリストの考え方ですが、これは偽善的な台詞でしょう。端的に言うと、この台詞で安心を得ているともいえましょう。我々は人間とは何か、という問いに恐怖を抱くのです。それは、見たくないものが見えてしまうからです。我々の本能的な部分、動物的な部分が見えてしまうのです。こういう見たくないものに蓋をしまてしまおう、というのがこの「理性に従って~」という台詞であり、このフィナーレなのです。

演出に際してのト書きの扱い

演出をする上での発想は、セリフと音楽から考え、ト書きは重要視しません。画家は白いキャンパスを使うが、演出家としても、やはり白いキャンパスを使いたいからである。音楽と台詞は、どこで上演しようとも同じものを使うことになるから、そこから出来るだけ自由な発想を得たいのです。確かに台詞の真意や意味合いが変わってしまうと言う恐れはあります。ただ、ト書きにただ沿っていくのは、目隠しをした馬に道を示して山を単に登る、ということになるのです。それではおもしろみがありません。山に自由な道を使って登れば違った楽しみを見いだすことが出来るでしょう。
つづく
あと2回ほどで終わる予定です。5月29日が初日の「コジ・ファン・トゥッテ」。まだ間に合いますよ → チケットぴあ

新国立劇場オペラトーク「コジ・ファン・トゥッテ」その1

行って参りました。新国立劇場オペラトーク「コジ・ファン・トゥッテ」ですが、本日の11時よりオペラトークにて、演出のダミアーノ・ミキエレット氏のお話を聞いてきました。ネタバレありですが、オペラトークの模様を2回に分けて報告いたします。なお、私の主観で再構成してお届けします。

念のためあらすじ

 二人の士官と、二人の姉妹の恋愛模様。士官フェルランドはフィオルリージ、士官グリエルモはドラベッラと婚約している。フェルランドもグリエルモも自分の恋人の貞操を疑わない。だが哲学者アルフォンソはそんなことはない、と言い張り、賭をすることになる。フェルランドもグリエルモも変奏をして、互いの恋人を好感してくどき始める。最初はフィオルリージもドラベッラもはねのけるのだが、最恋人を捨てて新たな恋に身を任せてしまう。結局、すべてが露呈するが、互いに許し合うのだった。

演出の方針 

 舞台設定は現代イタリアのキャンプ場になっています。これは以下の理由によります。
ストーリー自身はシンプルであるが、フィナーレを考えると実はシンプルではありません。含みを持たせた最後と言うことであり、恋や愛を信じられなくなった若者四人がこれからどうなるのか、という疑問が残るのです。
演出家として様々な選択を重ねて作品を作り上げていきますが、現代のキャンプ場に場を移したのは、理由はただ一つであり、舞台上の登場人物に現実味を与えるためです。最も重要なのはわかりやすさである。誰にでも分かると言うこと。素養があろうと亡かろうと分かるものを作りたいのです。その上で、そこに、通の人に分かるような趣向を凝らす、そういう二層構造になります。
グリエルモもフェルランドもドラベッラもフィオルリージは学生で、一週間のキャンプで自然に囲まれたところでキャンプ場で楽しもうというのです。ですが、男性は二人キャンプ場から去ってしまいます。バカンスのキャンプ場には誘惑がたくさん存在しています。(独身男性もたくさん来ているでしょうから)
もう一つ重要な要素は自然に囲まれていると言うことです。自然の中では人間社会を離れているのです。また、舞台の時間設定は、第一幕は昼間から夕暮れ、第二幕は夜となります。夜であれば、自然の中で人間は本能を見いだすのではないでしょうか。アルフォンソのセリフに「社会的枠組みを外れると本能に立ち戻る」というものがありあますが、この森の中でそれがあらわになるのです。動物的で本能的な者に目覚めると言うことなのです。

デスピーナとアルフォンソは?

 もともとは、フィオルリージとデスピーナの小間使いであるデスピーナは、キャンプ場のバーの店員という設定です。そして、哲学者アルフォンソは、キャンプ場のオーナーという設定です。アルフォンソは、若者達をキャンプ場に招き入れているわけですが、そうしたことで、アルフォンソは若者達を自分の手のひらの内で動かしているよというような意味合いがあり、歌手達の演技もそれに基づいた者になります。

ドン・アルフォンソはなぜこうした賭をするのか?

 オペラの解釈をする上で一番大切なことは、すぐに答えを得ようとするのではなく、あらゆることに疑問を持つと言うことなのです。この答えを求めようとするプロセスが重要です。こうしたオペラの解釈には答えがたくさんあるわけであり、だからこそ一つのオペラに複数の演出あるのです。
 そうしたなかでアルフォンソの台詞にこだわりを持つことにしたのです。なぜ、アルフォンソは若者四人を動かして,互いの恋人の貞操
をぶちこわして、若者達の幻想を打ち砕いたのか? 
 この作品のテーマは愛や恋といったもので、台本のダ・ポンテやモーツァルトがこのオペラに込めたテーマなのです。恋愛の法則や原因を考えることがテーマなのです。アルフォンソもこうした愛やら恋やらに疑問を持っているのではないか、と考えたのです。たとえば、アルフォンソは過去に辛い恋愛体験があって、それがゆえに、若者達の幻想を砕くようなことをしているのではないでしょうか? したがって、今回の演出では、最終部においてはある種悲劇的な結末となります。結局は孤独や悲しみに行き着くのではないかということなのです。
つづく
ちなみに、今朝時点ではまだ席が空いているようです。まだ間に合いますよ → チケットぴあ