人見記念講堂で杏里を。

昨日は、人生で初めて日本人歌手のライブに行ってきました。
杏里のコンサートツアーということで、三軒茶屋の昭和女子大学人見記念講堂へ。ここにカルロス・クライバーが来たんだなあ、とか、チック・コリアのライブがあったんだなあ、などと感慨深いものがありました。
杏里の曲は、思考がフュージョンと親和性が高い。というか、88年のアルバム「BOOGIE WOOGIE MAINLAND」には、ポール・ジャクソン・JRや、ネイザン・イースト、アレックス・アクーニャといったジャズプレイヤーが参加しています。それ自体上質なフュージョンとして聴けるぐらい。
それにしてもバンドがめちゃ巧かったです。リズム隊が凄く重くて、がっしりしていたのが一番。特にベース。めちゃカッコイイ。本物。私だけベースのナイスプレイに絶叫していました。
ホーンセクションとしては、サックスが一人いらっしゃいました。ソプラノ、アルト、テナー、フルートを操っていました。アルトもテナーも当然セルマー。テナーはシルバーだと思われます。マウスピースは、テナーはオットーリンク? アルトはおそらくデュコフだと思います。
当然ですが、杏里もカッコイイ。もう50だというのにあの身のこなしですか。凄すぎる。杏里のよさの一つはピッチベンドのコントロールにあると思います。あとは、高音域の声質かなあ。十全に堪能しました

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感涙したネルソンスの「ばらの騎士」組曲

はじめに

今日は、ベルリンフィル・デジタル・コンサートホールで、ベルリンフィルハーモニーのマチネがネットで生中継されました。ベルリンとの時差は7時間ですので、18時から聴けるという恵まれた条件でした。

ネルソンスの「ばらの騎士」組曲

ネルソンスの「ばらの騎士」組曲。最初、なんだかもたついている感じがありました。オケもばらついている感じで、線がそろっていない。あれれ、こんなはずじゃないのに、とハラハラしていたのです。
けれども、「ばらの献呈」のあたりから、空気が変わり始めました。もたついているのが、豪華絢爛な重みに取って代わってきたんですね。
ここ、オーボエのアルブレヒト・メイヤーと、ヴェンツェル・フックスがユニゾンでゾフィーとオクタヴィアンのパートを歌い上げるところで、流れが変わりました。この部分、「ばらの騎士」のなかで最も感動的な場面の一つなのです。
なぜそう思うのか。ネルソンスの姿が、カルロス・クライバーに重なって見えました。その音楽に純粋な悦びを見いだした少年のような笑顔は、クライバーと同じです。
最後の部分、つまり、元帥夫人、オクタヴィアン、ゾフィーの三重唱の部分。ここは「ばらの騎士」の決定的な場面、テンポを落としネルソンスは旋律のパワーをためにためて、最後に炸裂させました。この微妙な間合いは、ペーター・シュナイダーの洗練された間合いよりも、はるかに原初的で人間的なもので、洒脱さはなくとも、絢爛さがある、そういう感じでした。
この場面、独りノートパソコンで見てたんですが、涙出ました。。

最後に

先週、NHK-FMで東京ジャズのライブ放送を聴いて、すごくワクワクしながら聴いていたのですが、今日のベルリンフィルデジタルコンサートホールでのライブ中継も同じぐらい興奮しました。ネットやラジオで音を聞いているだけですが、「そのとき一度」という機会の持つ魔力は思った以上に強いことが分かります。
ベルリンフィルデジタルコンサートホールの生中継はだいたい明け方なんですが、これからはちゃんと起きて聴こう、と思います。
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日フィルサントリー定期のこと

はじめに

ご無沙汰しておりますが、ちゃんと生きております。
今年に入っていろいろありまして、わりと忙しい感じになってきましたし、会社のオフィスも関東西部から東京湾岸に移りました。前にも書きましたが。。
それにともない、転居してと、まあ、目の回るようなこの数ヶ月です。ですが、これからもっと目が回ると思われる。がんばろう。
で、忙しいとはいえ、仕事ばかりしているとあまりよろしくないと言うことなので、輪番休業日を利用してサントリーホールでマーラーを聴いてきました。こちらも、いつもお世話になっている先生とのご縁で行くことが出来た次第で、本当に感謝しております。

報告

先生に書いたメールをもとに、書いてみると……。
指揮は、フィンランドの俊英であるピエタリ・インキネン氏。聴くのは初めてでしたが、スタイリッシュで筋肉質、鋭敏で明快な指揮で、スポーツカーに乗っているかのような心地よさがありました。オケをしっかり統制している感じです。
一番驚いたのは、第一楽章最終部分で、あそこだけ、他の部分よりも遙かに早い超絶テンポで演奏したところです。日フィルメンバーもきちんと追随していたように思えました。前から二列目ということで、日フィルの方の気迫に恐れ入りました。
あとは、コンミスの江口さんのヴァイオリンソロが格別でした。音が引き締まりながらも柔らかみを帯びた演奏で、以前もいただいたチケット「ツァラトゥストラ」の時と同じく感動しました。
今回も、サントリーホールの前列方面で、大変な贅沢でした。いつも思うのですが、前列の席は、指揮者や弦楽器奏者の息づかいや表情がよく見えるので、感情移入してしまうことが多いです。
曲中、オケの方々は本当に真剣で、当然ですが笑うことすらしないんですが、曲が終わって得、音がサントリーホールの天井ではじけ飛んだ瞬間、オケのメンバーの顔が一転晴れやかになって、充実の笑顔を見せたのが印象的でした。
そこからは大盛り上がりで、オケのメンバーもお互いをほめ合っていた気がします。前の列ですので、木管や金管の方々が見えなかったんですが、そのなかでも木管の若い男の方が、指揮者に指名されて立ち上がって拍手を浴びたとき、感極まって泣いていたようにみえたのが印象的でした。
この曲、本当に大変な曲だなあ、と思います。

楽曲について思ったこと

この曲は、大自然を描写したもので、マーラーが、ブルノ・ワルターに、自然の風景を見る必要はない、なぜなら、すべて私が楽譜にしたのだから、等と言った、というのは有名な話のようです。
そういうこともあって、鳥のさえずりが聞こえたり、沸きたつ雲が見えたり、断崖絶壁が見えたりします。
で、それが徐々に変質していく。第三楽章で、舞台裏から聞こえるトランペットは、ララバイか、あるいは羊に帰営を促すメロディーなのか。で、最後には、もうこれは帰営ラッパとしか思えないようなトランペットの旋律が聞こえてきます。
第四楽章で、アルトが入ってくるあたりから、これはもう自然賛美を超越してしまう。おそらくは日が暮れて夜も更け、思索に耽り始めて登場する妄念や観念が飛び交う時間。
第五楽章になると、ほとんど夢幻の世界になってしまう。女声合唱および児童合唱と、アルト独唱は対立しっぱなしです。完全に精神が分裂していてほとんど二重人格状態。
ミクスチャ多様性は、色んな音楽に見られるものですが、その中でもマーラーの音楽においては、その断絶が激しい気がします。世の中は多様で相反する様々なものが蠢く複雑怪奇なものですが、それがそのまま反映している気がするのです。

おわりに

というわけで、私の今シーズンの幕開けは素晴らしいものでした。このシーズンも忙しいですが合間をぬって、いろいろ聞いていきたいと思います。
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