かなり遅れましたが、日フィル@府中について

いっこうに春が来ませんが、いったいどうなっているのでしょうか? 普通の年ならもう桜が咲き始めているというのに。
というわけで、私もいっこうに筆が進みません。3月20日に府中で日フィルの演奏会に行ってきましたので、そちらのご報告を。
曲目はオールロシア。今年のラ・フォル・ジュルネと同じです。
* だったん人の踊り
* ラフマニノフ ピアノ協奏曲第二番
* チャイコフスキー 交響曲第五番
*指揮;大友直人
*ピアノ:横山幸雄
@府中の森芸術劇場

大友さんのこと

大友さん、昔、NHK-FMで番組を持っておられたころ、声だけはよく聴いていましたが、実演を聴くのは初めてでした。すらりとした長身で、あまりに素敵で上品な笑顔で、驚きました。あれは、作っているのではない。生まれながらに持っている笑顔ですね。すばらしい。
大友さんは指揮棒を使っていませんでした。ゲルギエフもブーレーズも使っていませんのであまり珍しくはないと思います。資料によれば、指揮棒がないほうが発音の表情をつけることが出来る、と言うことのようですが、私にとってはクリックがわかりにくならないか、と心配な感じでした。たとえば、裏拍がつくなど少し複雑な拍節となる部分の入りで、アンサンブルが浮遊し、一瞬混乱したように聞こえました。私の認識がついて行かなかっただけかもしれませんが。。

ピアノ協奏曲

ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番は、横山幸雄氏のピアノでした。横山氏は、昨年の5月に、ショパンの全曲演奏(ただし、ショパン生前に発表済みだった作品に限る)を一日でやられたそうです。今年もやられるそうで、朝の8時から夜の11時まで15時間弾きまくるそうです。それから、レストランをプロデュースされたりしているとか。
演奏のほうですが、男らしく力強い演奏なのですが、あるいは男らしく豪放でもあり、ラフマニノフの音符を力でねじ伏せるようなところがあり、そこでなにか微細な狂いが生じてしまう、そういう演奏でした。

いわゆるチャイ5

チャイコフスキーの5番は、本当に楽しかったです。大友さんの指揮は、かなり冷静な部類に入ると思います。広上さんのように粘ることもなく、コバケンさんのように沸騰することもなく。それでいて高関健さんのような硬さもなく、冷静さを兼ね備えた演奏だと思いました。ですが、もちろん全体でいえば、大きなうねりを感じる演奏だったと思います。チャイコフスキーの5番の素晴らしさを十全に堪能できたと思います。
チャイコフスキーの5番は本当に良い曲ですね。全楽章共通して、一貫した旋律群が登場して、統一感のある音楽ですね。ホルンも素敵ですし。最後のコーダで盛り上がらないわけはなく、府中なのにブラボーがかかりました。私の中では、この曲は映画音楽のようにドラマティックです。

最後に

今回も、お世話になった方のおかげで、愉しむことができました。ありがとうございます。
今回も落涙しました。年をとるとどんどん涙腺がゆるみますねえ。
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新国シーズン券ポチッと。。

追伸。
先日の「さまよえるオランダ人」を観たり、オテロの話を聞いて、やはり、新国に通い続けたいと思い、また今年もコミットしよう、と本日決心したのでした。
というわけで、ホリデーAに申請をしてみました。今年は冒険しました。前のほうの席にしてみました。ちゃんと取れれば音はいいと思いますが、字幕が見えるかが心配。。

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新国立劇場 オテロ出演者変更

先ほど新国立劇場からメールが来ました。
デズデーモナ役で出演を予定していたマリーナ・ポプラフスカヤは、健康上の理由のため出演できなくなりました。
代わって、マリア・ルイジア・ボルシが 出演いたします
http://www.nntt.jac.go.jp/release/updata/20001926.html
ポプラフスカヤは、先日届いた「ジ・アトレ」にインタビユーが載っていたりと、楽しみにしていたのですが、残念ながらキャンセルです。
代わりにいらっしゃるのがマリア・ルイジア・ボルシ。あの楽しかった昨年の「コジ」でフィオルディリージを歌っていたのがマリア・ルイジア・ボルジ。安定した歌唱だったと思います。
これから、アンサンブルに合流されるマリア・ルイジア・ボルシさんや劇場スタッフの方々は、大変だと思います。どうかがんばってください。応援しています。
私も、最近オテロに目覚めてますので、今回のパフォーマンスに期待大です。今日もデル・モナコで予習中です。
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記録が大事──「牧神の午後への前奏曲」

昨夜18時頃会社に呼び出され、3時過ぎまで対応して、帰宅したのが4時半頃。とりあえず就寝して9時半に起床でした。来客がありましたが、私はダウン気味で、失礼してしまった感じで申し訳ありません。
というわけで、今日はカラヤンのフランス音楽です。
ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」は、昨年日フィル定期で二回も聴いてしまい、やっと曲への理解が深まった気がします。
冒頭のフルートソロが格好良すぎる。録音は1965年ですので、カールハインツ・ツェラーです。ライナーにも記載ありました。
こちらのサイトにベルリンフィルフルート奏者年代記がありますね。
http://blogs.yahoo.co.jp/yosid/42745598.html
たゆたう浮遊感は不協和音に支えられているわけですが、音楽は不協和音じゃなきゃイヤです。もう協和世界には戻れません。
ジャズの和声は、印象派の響きを再現するためのシステムである、というテーゼを思い出します。
ジャズにおいて「テンション・コード」とよばれているものも、ジャズ・ミュージシャンが、ドビュッシーやラヴェルといった作曲の作品から自由に気に入った響きを取り出して、コード・ネーム化していったものである、というふうに考えることも可能なのである。
山下邦彦「チック・コリアの音楽─ポスト・ビバップの真実とジャズの可能性を求めて」音楽之友社、1995
この言葉で、ずいぶん視野が開けた気がしたものです。なぜ、ワーグナー以降が好きなのか、という観点においてです。
関連エントリー 私が「牧神」に開眼したコンサート
会社帰りに夢があった。──日本フィル定期演奏会
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ゼンダは少女ではない──新国立劇場「さまよえるオランダ人」

行って参りました。新国立劇場の「さまよえるオランダ人」。
久々のワーグナーオペラでした。不協和音に痺れました。

ジェニファー・ウィルソン

ゼンダのジェニファー・ウィルソンは歌唱力は抜群でした。。ピッチの狂いなく、高音域もパワーを保持しながら難なくきちんとヒットしていくさまは本当に見事でした。完全に今日のナンバーワンでしょう。

男声合唱の素晴らしさ

次の男声合唱が素晴らしかった。PAが補完していた可能性もあるが、水夫達のワイルドな心持ちが十分に届いて来るものだった。カーテンコールでは、合唱団員にいつもにもまして盛んな拍手が贈られたし、珍しくブラボーもかかった。私は10年ほど新国立劇場に通っているが、合唱にブラボーがかかったのは初めてでした。

オランダ人のエフゲニー・ニキティン

オランダ人のエフゲニー・ニキティン。性質は抜群です。。オランダ人のミステリアスさをよく表現していました。ただ、前半特にピッチが不安定であったのが気にりました。不安を覚えながら聴いていましたが、後半はそうした問題もだいぶ解決してきました。ウィルソンとの二重唱におけるバトルは壮絶でした。

オケが……。

オケについては書くのはなかなか難しいなあ。。あえて書かないことにいたします。ホルンって難しいのでしょうね。

まとめ

久々の本格ドイツオペラでした。12月の「こうもり」以来。「こうもり」はオペレッタかもしれませんが。
しかし、今日も二階席の音響に物足りなさを感じてしまいました。日フィルで最前列の音響のすごさを体感して以来です。今日もボリュームを上げたくなる欲求が何度も。きっともっとすごいサウンドなんだろうなあ、と思います。一度で良いからS席前方ブロックで観てみたいです。

おまけ

帰宅しようとしたら会社に呼び出され、7時間ほど勤務。帰宅したら4時半。夜の都心のタクシーは刺激的。今日のタクシー運転手は記憶力がある方だったなあ。これまでの核実験総数は2085回。日本の原発は54基、フランスの原発は56基。などなど。営業マインドもあったし、経営のセンスもありました。
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酸いも甘いも知っている──家庭交響曲

シュトラウスの家庭交響曲をカラヤンにて。
シュトラウスの洒脱さにはひれ伏すのみ。。酸いも甘いも知っているが故の余裕なんだろうなあ。
この曲は確か2009年にN響で聞いて以来理解が深まったと思う。指揮はプレヴィン。年老いてもなお若さを持つプレヴィン翁の指揮だった。
この曲を聞いているとシュトラウス一家の様子が手に取るように見えてきたのには驚いた。パウリーネ夫人の癇癪とか、しまいには泣き出してシュトラウスが必死になだめていたり。息子のフランツが走り回ったり。しまいにはピロートークまで始まってしまうというところ。きっとあそこはラヴシーンだと思うところもある。ばらの騎士でベットシーンを作曲したシュトラウスなら可能なんだが、自分の家を赤裸々に描き過ぎな気もする。
しかし、若い頃の私には家庭交響曲はさっぱりわからなかった。当時はブルックナーばかり聞いていたので、おおよそ、このようなエスプリはわからなかったということもる。
だが、それだけではない。もっとも効果的だったのはインテルメッツォを聞いたからだとおもっている。このオペラもやはりシュトラウス一家のゴタゴタを描いたもの。ここで、私は筋書きと音楽の相関関係を学んだらしい。旋律に台詞が絡み合うときに、旋律の持つ意味性を感じ取っていたらしい。
私は、まだ幼き頃は、この旋律に意味を見出すということが許せなかった。ヴィヴァルディの四季なんていうのはもってのほかだった。理由はよくわからない。別にハンスリックを読んだわけでもないし、赤いハリネズミ亭に通ったわけでもない。
やはりオペラを聞き始めたのかわ大きかったのだと思う。
つまりはワーグナーのライトモティーフを理解し始めたということなのだろう。音楽は筋書き以上に饒舌なのだ。オペラの台詞を越えた音楽表現がに思い当たるのは、CDラックから宝物を掘り出したときと同じだ。大事なものは眼前にあるものなのだ。
あとは、私も齢をかさねたのだろう。世の儚さや背理性を理解したその先には笑いや皮肉、洒脱さや鷹揚さがある。そうした気分にフィットするのがシュトラウスの音楽なのだ、と考えている。
そんな世疲れてアンニュイなあなたにはこの曲がお勧め。
マゼールの家庭交響曲はとにかく大きい。雄大な家庭交響曲。だが、中盤部のねっとりとした語らいの場面の官能度も高い。録音面でも優れている。洒脱なんだが、肝心なときには真面目な顔をして見せる悪い男の姿が目に浮かぶ。
耽美的なあなたにはカラヤンがお勧め。中低音のリバーヴ感が強すぎるとか、SN比が高いなど録音はまりよくない。最終部の盛り上がりは相当なもの。カラヤン円熟期の素晴らしい遺産。
サヴァリッシュ盤も最近入手した。職人の築く手堅い住まいである。それは質素なそれではない。装飾の美しい日当たりの良い屋敷のそれだ。若き日のサヴァリッシュの面影を感じる。音響も悪くない。
上岡敏之もあるが、これはまたの機会に。
これまでの家庭交響曲関連の記事。
ケンペ/シュトラウス 家庭交響曲
マゼールをそんなにいじめないで~シュトラウス「家庭交響曲」
帝王カラヤンの家庭は?
プレヴィン、シュトラウス その2

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