Béla Bartók,Classical

父・バルトーク 〜息子による大作曲家の思い出
ペーテル・バルトーク
スタイルノート
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はじめに

11月に入ってから、私のブログはバルトークに埋め尽くされている感があります。なにもかも、バルトークのご子息であるペーテル・バルトーク氏による「父・バルトーク」によるわけです。
バルトークのことを書いた日に限って、アクセスが増える気がします。twitterでもリツイート頂いたりもしました。
これは、これまでにはないことのような感覚を持っています。バルトークはかなり人気があるのだなあ、と思ったわけです。

福田総理とバルトーク

私の記事に付いている「関連記事」の中に、2007年に書かれたitmediaのオルタナティブ・ブログのなかで藤井等さんという方が書いておられる記事が出てきまして読んでいたのです。
“http://blogs.itmedia.co.jp/barbaro/2007/09/post_b0ed.html":http://blogs.itmedia.co.jp/barbaro/2007/09/post_b0ed.html
題して「福田総理とバルトーク」
2007年は福田総理の治世下でした。そんな折に、日経新聞の「春秋」欄に福田総理とバルトークの関連が書かれていたそうです。福田総理は、クラシック好きであり、
ここからが本題でして、バルトークが好きな世代は60歳から70歳台の方が多いのではないか、と推理されるのです。そのポイントは1981年。ブログの中には明示されていませんが、1981年はバルトーク生誕100年でした。この歳にバルトーク全集がLPで発売されたのだそうです。40枚組だったようです。
1981年といえば、オーディオが趣味として全盛だった時代です。私の父も、SONYの新しいカセットデッキとFMチューナー、外付けのFMアンテナを買ってましたね。
ちょうどそのころ働き盛りでバイタリティの会った方々が、今頃がちょうど60歳から70歳にあたるのではないか、というのが藤井等さんの推理です。
なるほど、そういう見方もありますね。

私がバルトークを知ったいきさつ

それで、この見方を補強する私のエピソードをお聞きください。
カミングアウトしていいですか。
私がバルトークの名前を初めて知ったのは、こちらの本でした。

この本を懐かしく思う方は多いと思います。那須正幹さんのズッコケ三人組シリーズ第6作です。この本では、ズッコケ三人組が江戸時代にタイムスリップして平賀源内の世話になる、というSF時空ものです。三人が江戸時代へとタイムスリップするのは、音楽室においてある鏡でした。この鏡を通り抜けることで、タイムスリップをしてしまうのです。この鏡は江戸時代においてはとある大名家が保有していましたが、原爆のからみで三人組が通う小学校に鏡が置かれるという設定でした。そうそう、ズッコケ三人組の舞台は広島市ですね。
で、この鏡を取り戻すために大名家のお姫様が音楽の先生になって小学校に赴任してくるわけです。美人な音楽の先生で三人組のハチベエはメロメロに。この音楽の先生が弾いていたの曲の一つがバルトークでした。ハチベエは、バカの一つ覚えのように「あれは、バルトークだな」とつぶやいたりするという設定でした。
この時弾いていたバルトークの曲は何だったのでしょうかね? 《ミクロコスモス》だったのか。
この本で私はバルトークの名前を初めて知りました。多分小学生の頃。
たしか、他にも作曲家の名前は出てきていたはずです。ショパンだったか、ベートーヴェンだったか。ですが、唐突にバルトークの名前が出てきて、幼いながらも私は奇異を感じた記憶があります。
この本、じつのところ刊行は1982年なのです! つまり、バルトーク生誕百年の翌年です。バルトークが流行っていた頃でしょうか。作者の那須正幹さんは、1942年生まれです。当時の御年は40歳。現在は71歳。先ほどの藤井さんの仮説に適合してしまいます。
那須正幹さんとバルトークの関連は残念ですがネットでは分からずじまいで、継続調査です。

おわりに

というわけで、今日もバルトーク。
あ、東京オペラ・オケ事情ですが、すこし重複あったのでこれから調整します。というか、この幅では見難いですね。レイアウトの変更は考えないと、と思っています。最近いらっしゃる方の解像度の横幅が1200ピクセル以上なので。。
それでは、グーテナハト。