Béla Bartók,Classical,Concert

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さて、昨日の読響のバルトークその2です。

リゲティ《ロンターノ》

この日のプログラムはハンガリー繋がりということで、ハンガリー出身のリゲティがまずは取り上げられました。それにしてもすごい曲でした。フルートから始まる持続音が、ビオラの4列目とか、チェロの2列目とか、オケのいろいろなところを移動していくのです。私の席はかなりの前方でしたので、そうした音の移動がよくわかりました。

バルトークプログラム!

二曲目は、金子三勇士をソリストにピアノ協奏曲第3番でした。
いや、この曲はアメリカへのオマージュだなあ、と。第一楽章、リズムが裏を撮ってグルーヴし始めるあたりはジャズを表しているんじゃないかと、実演聞きながらそう思いました。金子三勇士のタッチが強くて音圧がかなりありました。この強烈なタッチがジャズっぽさを感じさせたのかもしれない、と思いました。第二楽章は、牧歌調で、バルトークが過ごした保養地での思い出にあふれていて、鳥の鳴き声が聞こえるのはそうしたわけなのです。で、冒頭のところにフォスターが聴こえたりもしました。
《6つのルーマニア民族舞曲》は牧歌調。恥ずかしながら私は初めて聴きましたが、親しみやすい小曲です。次の曲への肩慣らしなのかも。
で最後がメインディッシュ《中国の不思議な役人》の組曲版。圧巻でした。冒頭のヴァイオリンのグリッサンドがビジュアル的にすごくて、音楽よりも先にその鬼気迫る演奏に魅入ってしまいました。テンポは少し遅めに感じますがもたついたりする印象はありませんでした。これはおそらくはリズムがしっかりとあっている、縦の線がきちんと出ているということなのでしょう。それは終始一貫していたはずです。
最後の役人と少女がからむ場面の制御された激しさとは、それぞれの音の要素が、カンブルランの指揮棒の先に繋がっていて、いろいろな方向を向いているにもかかわらず全体としては前に進み続ける、そういった印象でした。
最終場面のトロンボーンとクラリネットのソロが圧巻で、カンブルランは、自分が拍手を受ける前に、クラリネットとトロンボーンを立たせてねぎらっていたぐらいです。
やはり、組曲版はあっという間に終わってしまいます。それが少し残念です。

おわりに

昨日も書きましたが、「父・バルトーク」を訳された村上さんと少しお話出来たのがとても嬉しかったです。村上さんのホームページに《中国の不思議な役人》の歴史や校訂の過程がまとめられた大変素晴らしいページ「The Music-maker’s Paradise」があります。本当に圧巻です。そして、バルトーク・レコード・ジャパンでは、資料や楽譜音源の販売が行われています。
しかし、まあ、仕事は面白いですわ。いろいろな難問が降り掛かってくるけれど、頭使って乗り越えていくのは、ほとんどゲームだなあ、などと。もちろん、命を失う可能性もあるのでゲームじゃなくて実戦といえば実戦で、確かに撃ってはいるけれど、撃たれてもいるなあ、などと。
ではグーテナハト。

Béla Bartók

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今日の読響定期のバルトーク・プログラムに、相当無理して行ってきました。明日は早く起きて仕事しないと。
で、カンブルランの《中国の不思議な役人》の凄まじさは、筆舌につくしがたく、ピアノ協奏曲第三番にアメリカの風景を見たりと、実に素晴らしい体験でしたが、そのあたりは明日に。
終幕のあと、少し遅れてサントリーホールをでたのですが、どこかでお見かけした方がいらっしゃいました。
あ、やはり!
「父・バルトーク」を訳された村上泰裕さんだったのです。
思わず声をお掛けしてしまいました。
私をバルトークに導いてくれたのがこの本ですので、感謝感謝でした。
村上さんもコンサートにとても感動しておられたようでした。私もコンサートにも感動しましたが、村上さんとお会いできたのも感動的でした。
近々「父・バルトーク」の書評を発表します。良いものをお届けできるといいのですが
今日は取り急ぎ、グーテナハト。

父・バルトーク 〜息子による大作曲家の思い出
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スタイルノート
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Béla Bartók,Concert

はじめに

今日は東京芸術劇場で、ベートーヴェン、ハチャトゥリアン、バルトークを聞いてきました。音楽大学オーケストラ・フェスティバルの四回目で、今日は東京音楽大学と国立音楽大学のオケが登場です。きっと、「のだめカンタービレ」のAオケにあたる方々なんだろうなあ、とか勝手に思いながら聴いてました。すいません。
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演奏

まずは東京音大ベートーヴェン交響曲第8番。学生オケといっても音大のオケですので、メチャ巧いです。これを1000円で聴けるのはずいぶんお得だと思いました。
本当にキレのある演奏でした。ある種の明快さがあって、沸き立つ感興を十分に感じました。とにかくリズムが良いのです。指揮の川瀬さんは、ある時は裏拍でクリック出していたぐらい。裏で取るとリズムがしっかりしますので。
ハチャトゥリアンの《ガイーヌ》からは、定例の《剣の舞》がまずは盛り上がり、最後の《レズギンカ舞曲》で最高峰に達しました。《レズギンカ》のパーカッション、音が大きかったけれど、グルーヴしてましたよ。若さがほとばしっていたと思います
後半は国立音大のオケによるバルトークの《管弦楽のための協奏曲》でした。
いや、ほんとこの曲は難しいです。オケはきちんと演奏出来ていました。それも素晴らしく。木管も良かったのです。
でもなにか微妙な重みのようなものがあって、この曲のある種の皮肉と洒脱さの表出が難しかったのだとも。日本的なノリとは違うのでかなり難しい話だとも思います。
今日は、スコアを見ながら《管弦楽のための協奏曲》の予習をしてました。それはそれで楽しくて、その勢いで、コンサート中も見ながら、と思いましたが、さすがに見れないです。音聞いているだけなのに、オケを見たくなってしまうというのは、なんなのでしょうかね。音楽における視覚の占めるものとは? の問題です。

東京芸術劇場の音

東京芸術劇場の音は、今ひとつと言われることが多いですが、ずいぶん良さがわかってきました。私の今日の席はやはり今ひとつでして、右側前方でした。それでも、ホールの中を回って潤った音響が伝わってきたと思います。
ただ、レズギンカ舞曲は相当音が回っていました。まあ、若いパワーを引き出そうという意図があったのだと思いますが、金管もパーカッションも炸裂してましたので、弦や木管は殆ど聞こえないという音の奔流状態になっていました。あるいは、弦の音がもう少し必要だったのか、などとも。プロオケとの違いはもしかしたら、そういうことなのかも、などと思ったり。

おわりに

あっという間に週末終了。本読んで勉強しないと。でも、きょうは早めに就寝します。
ではグーテナハト。
あ、ちなみに今日これ届きました。
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Béla Bartók,Classical

明日、東京芸術劇場で国立音楽大学のオケが《管弦楽のための協奏曲》を演奏しますす。指揮は山下一史さん。バルトークファンとしては、いかなければ。。
https://www.geigeki.jp/performance/concert023/concert023-4/
そうそう、ラトルのバルトークボックスと、ブーレーズがCBSに録音したバルトークのCDが本日届きました。こちらも楽しみ。
今日は短く。

Béla Bartók,CD紹介,Classical

バルトーク:管弦楽のための協奏曲、中国の不思議な役人
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本業真っ盛り。
今日はラトルの《管弦楽のための協奏曲》です。
ラトルの好きなところは、絶妙なテンポコントロールと音量コントロール。それも大仰と思われないぐらい絶妙なコントロールを見せてくれるのです。何時頃か覚えていないのですが、ドビュッシーの《海》を聴いた時に感じた感動です。
この音源でもやはりそうです。インテンポな演奏でもなく、大時代的な情感の入った演奏でもないものです。熱くて冷静というコントロールされたものです。伸縮自在なゴムのような弾力性のある演奏。どこまでも拡散することなく、常に均整のとれた抑制美。だからといってダイナミズムはちゃんとある。湧き出す噴水の揺らめく形をいつまでも愉しむかのような感覚。そして、その絶え間ない形の変化は、どれだけ眺めても飽きることはない。
そんな感じの演奏だと思います。ショルティのような直線的で筋肉質な演奏とは違いますが、私はこういう演奏も大好きです。というか、ラトルのこういうところが大好きです。
それにしても、様々なスケールが入り交じるバルトークの音楽の絢爛さは格別です。その複雑な形状は、聴けば聴くほど新たな意味を見出すこと解釈多様性を帯びています。第二楽章で聞こえるバロック風の金管のファンファーレはなんなんでしょうかね? 現代文明以前の何かを懐古するもの、アメリカから欧州を懐古するものなんじゃないか、と思ってしまうぐらいです。
今日はこの辺りで。日々戦場。敵はどこにいるかわからない。
ではグーテナハト。

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なんでこんなにバルトークな毎日なんですかね。バルトークに捉えられてしまった感があります。音楽も人格も高貴である、とtwitterでやりとりさせてもらったりしましたが、全くそのとおりだと思いますね。ほれこんでしまっているようです。
さて、代表作である《管弦楽のための協奏曲》を。通称オケコン。
ずっとブーレーズ盤を聴いていましたが、ショルティ盤のほうが好みにあってきた感があります。
ショルティのバルトークは、鋭く鮮やかです。アタックもするどく、よく統率されています。
どうもブーレーズ盤はこの点に関してショルティ盤に譲るのではないかと思っています。ブーレーズにはなにか冷たさのようなものを感じていて、それが私の中で引き締まった印象となっていたのですが、それはすこし違うようです。
ただブーレーズ盤に比べて木管に物足りなさを感じます。これは録音の問題なのかもしれません。
全体の完成度はショルティ盤の方が好みかも。
ラトルの音源もあるので、次回の「バルトークな日々」は、そちらを取り上げる予定です。
いや、ほんと仕事はスリリングです。ジェットコースターな日々。
今日は真正なグーテナハト。

Music

以下その1に続くエッセイ風。
https://museum.projectmnh.com/2013/10/30232014.php
私の友人N氏からの情報提供で、T-SQUAREの「宝島」という曲を色々聞いたという話です。
この曲はニュー・サウンズ・イン・ブラスシリーズの一つとして、真島俊夫さんにより1987年に吹奏楽用に編曲されたました。
こちらのCDのに音源があります。

原曲との違いはいろいろあって、前回にも触れましたが、ラテンフレーバーが加えられていること、メロディーが原曲と微妙に違うなどの違いが大きいです。個人的には、この編曲の白眉は、サビのテーマの後ろで動くホルンの旋律だと思っています。
数ある映像の中からこちら。中学生の演奏ですが、アルトサックスのソロの音が結構いいのですよ。このような音をだす宝島のソロはありませんでした。プロの楽壇の奏者より良い音しているかも、などと。

もう一つ紹介したい映像がありますが、そちらは次回。
ではグーテナハト。

2013/2014シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera

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昨日に続き、《ホフマン物語》関連です。

彼女は、死んでいるという噂だ。いや、生きていないんだ。

僕は人形を愛していたのか!

第二幕でのホフマンのロマンスの相手はオランピアでした。オランピアは、今で言えばロボットでした。歌をうたうことはできて、「はい」という肯定の返事しかできないのです。
最近でもおもちゃ屋で売っているしゃべる人形と同じです。そんな人形に恋をしてしまったというのが
オランピアの幕では、オランピアのアリアのところで、ニクラウスの表情をずっと見ていました。真実を冷静に見極めているのはニクラウスだけ。ホフマンは色眼鏡をかけさせられていて、真実をつかめないのです。ニクラウスの冷たい微笑。恋は盲目ですが自動人形を愛するとは、今から思えば馬鹿げています。
1816年のかかれたE.T.A.ホフマンの「砂男」を原作に持つオランピアの幕ですが、原作当時は、オランピアに入れる魂を主人公が奪われそうになるという筋だてであるのに対し、オッフェンバックの《ホフマン物語》においては、科学技術の発展の結果としてオランピアが誕生したとされ、魔術的要素は少なくなっています。未完成だったホフマン物語はオッフェンバックが亡くなる1880年まで作られ続けました。19世紀後半ともなると、科学技術の捉え方も変わってくるということでしょう。
ここでは科学技術への楽観主義がみられるのでしょう。「歴史」が発展し続けていた時代です。まだまだ無限に人類は発展していく。その中の一つに、人類は神にも近づき、科学によって生命をも創り出すことができるようになるに違いない、という楽観主義であり、その極地がオランピアなのでしょう。これは、近代以前においてはありえないことです。フランス革命とニーチェによって、宗教価値観が変貌したからこそ可能になったことなのでしょう。スパランツィーニが科学技術の発展を称揚できたのはこうした背景があるはずです。
ですが、やっぱりオランピアは恋の対象ではありえなかった。ホフマンが「人形だったのだ」と悲嘆にくれることこそが現実です。壊れてしまったのは科学技術が未熟だからなのか、あるいは科学技術の構造的な問題なのか。前者であれば素朴な科学技術信奉であり、後者であれば科学技術の先行きを見通した批判精神があるのでしょう。
オランピアが、スパランツィーニとコッペリウスの金銭問題を発端に破壊されてしまうのも象徴的です。経済優位を見通したものなのだとすると、100年後を見通していると思いました。いくら科学が発展しても、経済に貢献しない科学技術は打ち捨てられるのですから。
http://www2.tbb.t-com.ne.jp/meisakudrama/meisakudrama/Coppelia.html
昨夜脱稿したので、本日は日付切り替え後投稿でした。ではグーテナハト。

2013/2014シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera

NNTT_Chirstmas

はじめに

もう12月。あと30回ほど寝るとお正月です。お正月は笛吹いてお絵かきして遊びましょう。

新国立劇場《ホフマン物語》

さて、新国立劇場《ホフマン物語》に言ってまいりました。まったく凄いオペラでした。
* 指揮:フレデリック・シャスラン
* 演出:フィリップ・アルロー
* ホフマン:アルトゥーロ・チャコン=クルス
* ニクラウス/ミューズ:アンジェラ・ブラウアー
* オランピア:幸田浩子
* アントニア:浜田理恵
* ジュリエッタ:横山恵子
* リンドルフ/コッペリウス/ミラクル博士/ダペルトゥット:マーク・S・ドス
まずは、フレデリック・シャスランの巧みな職人芸的指揮が素晴らしかったです。微妙なニュアンスがツボにはまります。音量も細かくコントロールしてましたね。パーカッションの音を抑制していたのが印象的でした。アンサンブルが実にまとまっていて、安心して聞くことができました。
悪役4名はマーク・S・ドスが完全掌握です。シリアスな演技からコミカルな演技まで幅広くこなしていて、多才ぶりを発揮していました。目をギラリと光らすんですが、マイルス・デイヴィスのような目つきの鋭さでドキドキしてしまいました。
Twitterでも前評判が高かった浜田理恵さん、たしかに凄い。声の深みや豊かさは相当なものです。歌手の歌というものは一点の素晴らしさに加えて、持続する素晴らしさというものも必要なのですが、そういうところもいい感じでした。
あとは、ジュリエッタを歌った横山さんも。ジュリエッタの妖艶さがよくでていたと思います。抱きつくホフマンを尻目に、ギラッと目を輝かせる演技なんかも絶品。高級娼婦は恐ろしい。
チャコン=クルス、最初の《クラインザックの歌》のあたりでは、なにか物足りなさが会ったんですが、幕が進むに連れてどんどん良くなっていきました。第4幕あたりからは、あとを気にせずフルスロットルで歌ってくれました。鋭さと甘さのあるバランスある声でした。もう少し厚みがあると嬉しい。エラソーですいません。

アントニアの幕

それにしても、《ホフマン物語》はすごい曲です。歌詞の中身もさることながら、音楽的にもすごくて、こんなに単純なコード進行なのに、ここまで緊迫感と絢爛さを醸成できるのか、と関心します。
特に、アントニアの幕で、アントニアの母親が登場するところは、実にオーソドックスなコード進行ですが、母親の亡霊、悪魔の化身の医者、そして死に至るまで歌わされるアントニアの三人の金箔の盛り上がりが効果的に表現されています。あそこの1音ずつ上がっていくスケールが、緊迫感を増すのです。上がりきったところで、ミラクル博士が哄笑したりして。恐ろしい。
この場面を初めて観たのはウィーン国立歌劇場でしたっけ。安い席で舞台が全然見えない桟敷席の奥から必死に見てたんですが、あの時の恐ろしいまでの感動を思い出しました。ウィーンでの演出では母親の肖像画がバタンと開いてなかから母親の亡霊が現れるという恐ろしさでした。
今回のアントニアの母親は山下牧子さんだったんですが、あの方独特の妖しい魅力で、アントニアは冥界へと旅立ってしまったような感じでした。
ちなみに山下さんはステラ役かぶっています。アントニアの母親がステラという問題。深遠。

おわりに

8年ぶりに上演されたプロダクションでしたが、あらためて《ホフマン物語》を見ると、いろいろと面白い視点があることに改めて気づきます。科学批判、芸術批判などが織り込まれた「現代批判」の側面も持っているということになりそうです。オペラの愉しみというのが現代批判であるとしたら、《ホフマン物語》のアクチュアリティというものも考えることができるでしょう。これは明日考えてみたいと思います。
明日は健康診断に再検査。いや、別にどこが悪いというわけではなく、3日連続で徹夜勤務したり、半年で規定以上の深夜勤務をしたからだそうです。まあ、どこも悪いわけないんですけれど。
それではグーテナハト。

付録

昨日、近所のカラオケにカミさんと二人で行ってきました。
昔はできていたはずのピッチコントロールがぜーんぜんできてなくってショックです。
で、これはどういうショックなのか、というと(1)昔は、本当にうまかったけれど、今はうまくないというショック、あるいは(2)昔も下手だったけれど、最近になってピッチを聞き分ける耳ができて、昔からヘタだったことにいまさら気づいたショック、のいずれかどちらかなわけで、いずれにしてもショックであることにはかわりはないということになります。
(1)のほうがいいんだけど、(2)だったらイヤだなあ、と思います。
しかし、オペラ歌手の方々の微妙なピッチの違いが最近分かるような気がするので、もしかすると(2)である可能性のほうが高いのではないか、と危惧しています。だとすると。。いままで本当にすいません。