リー・リトナー「Alive In L.A.」

Alive In L.A.
Alive In L.A.
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Universal Music LLC (2009-07-14)
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暑い日が続きますね。

今日はこちらを聴きながら通勤。リトナーのアルバムです。

 

サックスがビル・エヴァンスで、それが以外でした。ビル・エヴァンスといえば、マイルスに抜擢されたサックス奏者です。私のイメージでは、東海岸のゴツゴツしたジャズをやっているイメージです。たとえば、ランディ・ブレッカーと組んでました。それも、マイケル・ブレッカーの代役として起用されるようなことが多かった気がします。ビル・エヴァンスのサム・スカンク・ファンクみたいな映像もありますし。

なので、意外にもリトナーサウンドにあっていることに驚きました。ビル・エヴァンスがソプラノ・サックスを吹くと、デイブ・リーブマンのようなおどろおどろしさなんですが、なかなかあってます。テナー・サックスを吹くと、メロディアスでなかなか歌ってます。

つうか、ドラムが強力です。ソニー・エモリーって方なんですが、実に重心の低いドラムです。リトナーの流れるフレーズがドラムできちんとバランスをとっているという感じです。

 

結構お勧めかもしれません。

 

最近は、なんだかリトナーを聴くことが多いです。疲れた体にはぴったりなのです。昼休みに聴いてなんか癒やされています。

 

ではグーテナハトです。

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辻邦生没後15年によせて その10 本日ご命日でした。

文章を書くというのは、ワープロを打っても同じですけれども、自分の体のなかからリズムになって、文章のかたちで出てくるというふうにしないといけない。そのためには絶えず書く。そして、書いたことに絶望したり、おれは駄目だと、そんななまやさしい、甘っちょろい考えを絶対起こしてはいけない。たった一回きりの人生をひたすら生きている。これは書く喜びで生きているのだから、だれにも文句は言わせない。だれかにこてんぱんにやられたって、全然平気。書く喜びがあれば耐えられる。
辻邦生「言葉の箱」
今日は命日ですね。15年目にあたります。新聞記事の切り抜きも時代を感じさせるぐらい変色してきてしまいました。
この文章は、「言葉の箱」という死後出版された講演録からの引用です。CWSという小説家を目指す方の講座があるのですが、そちらに講師として招かれてなんどか講演をされたようで、その模様がこの本に収められています。何度か紹介もしています。
言葉の箱―小説を書くということ (中公文庫)
辻 邦生
中央公論新社
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通常、辻先生の講演は、ご自分で書き直しをされてから出版されることが多いのですが、この本は書き直しがありませんので臨場感あります。特にこの最後の部分ですが、逆に言うと、こういうご苦労があった、というふうにもとれるわけです。どこかで読んだのですが、最晩年の頃、なかなかいろいろな場面で取り上げられず、辛い思いをされていたようです。たとえ、そうであっても「絶望」したり「オレは駄目だ」などというような「なまやさしい」「あまっちょろい」考えを起こしてはならない、という強い意志が現れているのだ、と思っています。
たった一回きりの人生を、諦めずに喜びにあふれたものにしないといけないですね。小説を書かない人間にとっても励まされるような気分になる言葉です。
ではグーテナハトです。
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家のみ禁止二週間

IMG 0369 この数年、晩酌が欠かせない日々が続いていましたが、この二週間ほど、なんとか家では禁酒できています。
このところ芋づる式に酒量が増えていましたので、そろそろやめないと今後の健康がきつくなる、といのがその理由です。
ですが、予想通りですが、短期的にもいいことが幾つかありました。
一つは、よく眠れるようになったということです。それまでは、夜中に一度は目を覚めしていましたが、そんなことはなくなりました。おかげで、昼間のパフォーマンスも少しは改善した気がします。
また、体重も減っている気がします。これは、カロリーをへらしたり、夕食のタイミングを変えたりなどの理由はあります。
それから、酒代が浮きますので家計にもいいですね。
先日の飲みの席では、ビールのジョッキ二杯でもうたくさん、と思いました。ということは、昔に比べてどんどん弱くなっているということなんでしょう。禁酒してはいますが、すでに体は悪くなっていたりして、などとおもったり。
ちなみに、写真は、LiftというiPhoneアプリです。緑色のところがアルコールを飲まなかった日です。そうでないところは、外で軽く飲みました。オレンジ色は連続記録達成中という意味です。on weekdayと書いてある割には週末も飲まないように努めてます。
ちなみに、最近聞いているのはこちら。ベルリオーズの歌曲「夏の夜」。ゴーチエの詩にベルリオーズが曲をつけています。ベルリオーズに歌曲を聴く機会はこれまで殆どなかったので新鮮です。オケ伴奏版ですので、おのずと気が休まります。いろいろな歌手のバージョンを聞きましたが、やはりアンネ・ゾフィー・フォン・オッター様が一番です。いまのところ。
Berlioz: Les Nuits d'ete, Harold en Italie, Le roi de Thule

Naive (2011-09-29)
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明日は辻邦生先生の命日です。
ではグーテナハト。
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五百羅漢に、オーボエ吹きとロダンを観た

先週に行った川越の喜多院には五百羅漢がありました。

羅漢というのは仏教における聖者の方々、修行者の方々ということだそうです。いろんな修行者の方がいらっしゃいます。まあ、人生というものは娑婆にいても修行のようなもんですので、ここにいらっしゃる方は私たちなんでしょう、とも思います。

IMG_0644.JPG

そんななかで、オーボエ吹き(?)を発見。いや、ソプラノサックスかもしれません。

 

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微妙にポーズが違いますが、考える人です。

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こんなふうに修行をする人もいるんですね。

 

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私も、どうやら熱中症になったらしく、微熱と疲労でふうふう言ってます。まったく。。

 

ではグーテナハトです。

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ヒルデガルド・フォン・ビンゲン号のこと

休日でしたが、充実した一日でした。
午後は、新宿でオーボエ・レッスン。今後触れることがあるかもしれませんが、音楽レッスンというのはどんなCDを聴くことよりも音楽を理解することができるよいきっかけです。
夕方からは大学の先輩と一席。
先輩とは、1999年に一緒にドイツ旅行をしたのですが、その時の思い出話に花が咲きました。(まあ、それ以外の話もかなり盛り上がりましたが)
その一つが、ドイツのICEに付けられた名前のことです。
ICEというのは、言うまでもありませんが、ドイツ版新幹線です。以下の写真は当時のものです。おそらくは現在はデザインが変わっているはずです。
IMG_0788 ドイツの特急列車には、日本と同じように愛称がついています。日本で言うと、のぞみ、とか、ひかり、などになるわけですがドイツの場合は人名が付く場合がありました。以下のリンクにはそうした愛称が一覧化されていますが、2002年12月14日まで、と記載がありますので、現在はどうでしょうか
http://www.bahnseite.de/purespace/zugnamen02.html
たとえば、当時、デュッセルドルフからベルリンまで乗ったICEには、ヒルデガルド・フォン・ビンゲンという名前がついていました(写真ボケてすいません)。これは、ICEのデッキにあった液晶画面の写真です。上から二行目にうっすらと名前が見えます。
IMG_0336 また、ベルリンからフランクフルトまで乗ったICEには、オットー・フォン・ビスマルクという名前がついていました。(写真ぶれていてすいません)
IMG_0718 このヒルデガルド・フォン・ビンゲンに、当時先輩は衝撃を受けていました。ヒルデガルド・フォン・ビンゲンは、12世紀のドイツの女性思想家で、修道院などを創設するなどして活躍した方です。また、作曲家としても知られています。このような思想家の名前を特急電車の愛称につけてしまう、ということに驚いていたわけです。そして多分喜んでおられたとも思います。
こちらが、ヒルデガルドの写真です。


Hildegard von Bingen” by このファイルには作者に関する情報がありません。 – Miniatur aus dem Rupertsberger Codex des Liber Scivias.. Licensed under Public domain via ウィキメディア・コモンズ.

オットー・フォン・ビスマルクは言うまでもないですね。ドイツ帝国の宰相で、鉄血政策を推進しドイツ統一の立役者の一人です。私は世界史の授業を受けている中で、このビスマルクのリアリズムに基づいた政治手腕に感動した記憶があります。
というわけで、本日はこれまで。グーテナハトです。
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辻邦生没後15年によせて その9 芸術的真摯

小説への序章
「われわれの意識、われわれの認識、われわれの真理感覚が今日のような状況にあるとき、(外見を目的とするような)遊びがなお許され、まだ精神的に可能で、真剣に取り上げられるべきかどうか。自足的、調和的にまとまった作品そのものが、われわれの社会情勢の不安定さと問題性と不調和とに対して、なお何らかの正当な関係を有しているか」
辻邦生(1976)「小説への序章」河出文藝選書 245ページ
これも辻邦生「小説への序章」にかかれていた、悲痛なまでの芸術的真摯です。倫理と美学の相克に悩んだ辻邦生が昭和36年から昭和41年、つまり1961年から66年にかけて、書いていたことです。歳で言うと36歳から41歳にあたります。
芸術が、社会と如何に関わりを持ち続けるか。乖離してしまうことなく、あるいはあまりに接近することなく、正当に関係を持ち続けることができるか、ということです。
音楽や文学を「社会におけるデザートのようなもの」と評することもあるようです。なくても大丈夫、みたいな。ですが、そうとも一概にはいえないのだ、ということは直感的には分かるのですが、それを述べること自体に抵抗を覚える、あるいは、述べたところで屁理屈にしかならないのではないかというおそれを抱く、などなど難しい問題であるはず。エチカとエステティックの問題です。新カント学派なら「真善美は一致する。だからいいじゃない」というと思いますが。
この本、一昨日から引っ張り出してきて読んでいます。おそらくこれまで一読はしていますが、一読では済まない本だと思ってます。20世紀中盤までのの哲学状況を抑えておかないときちんと読むことができないわけで、ニーチェ、実存、ハイデガーなどが必要です。今となってはこの本で描かれる「現代思想」のあとがあるわけなんですが(構造主義など)、当時の空気を想像しながら読むと楽しいものです。
中身は、楽しいなんて行っていられないぐらいスリリングなんですけどね。
疲労困憊です。暑い一日でした。いつもは昼休みには散歩に出かけますが今日はそれどころではありませんでした。一日中会社にこもってました。
最近眼があまりに疲れます。メガネ屋に行ったら、「老眼ですよ。度を下げましょう」と言われますし。それも恐縮したような感じで言われるもんだから、余計に腹立たしいことこの上ありません。
というか、眼を使いすぎ。スマホで兵器で30分ぐらいはKindle読んでますので、眼が悪くなるに決まっているのです。老眼というより眼精疲労かな、とも思います。そろそろ生活を変えたいものです。
ではグーテナハトです。
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辻邦生没後15年によせて その8 全体像を恢復する手段が小説である。

昨日の続き。考えるうちに、ブログで語りきるのは難仕事だと思いましたが、すこしあがいてみます。
歴史小説論 歴史小説創作ノート (辻邦生歴史小説集成 第12巻)
辻 邦生
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世界を全体的に描くためには、世界のなかに身をおきながら世界を超越しなければならない、とも言います。世界を一つのモデルとして把握する透徹した認識量が必要というわけです。
そうした世界を描くために、外から眺めてそれを叙述するのは、どこまでいっても帰納法的なアプローチしかできません。「嵯峨野明月記」で、全てのものを描こうとしながら命を落とす画家が登場しました。狩野光徳という名前でした。世の中を表現するためにそうした方法をとったのです。ですが、もちろんそんなことはできるわけはないのです。世界のすべてを描くということは、有限な存在の人間にはどだい無理なのですから。
この辺りの議論はかなり難しいのですが、「小説への序章」でも同じようなことが言われていました。
IMG_0657.JPG プルーストやトーマス・マンを取り上げて、物語主体が全体世界を把捉できる可能性を論じているのです。物語主体は常に過去形で物語るわけで、それはすなわち、終末から全体を見遣る主体であり、全体を把捉できるのである、という議論でした。それが、無限拡散する現実を克服し、全体像を恢復する手段である、ということなのです。
私は、これは西田幾多郎の純粋経験のようなものと捉えています。私の理解では、刹那の経験の中に豊かな世界が含まれているのが西田幾多郎の純粋経験だったはず。たしか「善の研究」では統一力というような書かれ方をしているはずです。
物語の中において、個々の要素を描くことが、全体把捉につながるという考え方で、それが小説=物語形式が、世界認識あるいは世界表現の様式として有効なのである、という議論です。
まったくもって科学的な方法でも論理的な方法でもありませんが、そもそも小説は科学でも論理でもないはず。ですが、この個々の要素と全体のつなぎが、辻先生の言う「透徹とした認識力」というもので、書き手が持つ何かしらの能力、ということになるのだと思います。
長くなりすいません。グーテナハトです。
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辻邦生没後15年によせて その7 小説が書かれる意味とは?

歴史小説論 歴史小説創作ノート (辻邦生歴史小説集成 第12巻)
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辻邦生歴史小説集成の最終巻には、背教者ユリアヌスの手書きノートがそのまま掲載されています。これは、まるで、辻邦生作品集の最終巻に「夏の砦」の初稿が載せられているのに似ています。辻文学の生成はこうしたあらすじにも似たプロットが書かれるなかで作り込まれていったものだということが理解できます。なかなか読むにわは一苦労ですが、辻先生の頭の中を覗きこんでいる感覚になります。
IMG_0656.JPG また、小説についての重要な考え方が示されていました。芸術の表現形式として、小説が相応しい理由は、ひとえに「柔軟な感性の力があって初めて現代が直覚的に掴める」からです。抽象性と同時に感覚性のある言語による表現形式でなければ、現代をつかめない、というわけです。抽象的な思想にも、映画、絵画、音楽など感覚的な表現でも、やはり限界があるというわけです。
これは最近も思うところで、やはり、小説などの物語形式で思ったことのほうが、説明文を読むよりも体で覚える事ができると思います。私の人生は「嵯峨野明月記」で変わりましたが、あの「世の中は背理であり、哄笑するしかない」という境地を若いころに腹でグッと感じました。これ、他の人にどう言われようと、納得出来ない境地なはずです。卑近な例ですが、現代をつかむには、私も小説のような物語であるべきと思います。作家と同じ体験を読者ができる可能性を秘めた表現形式なのですから、もしかすると一番伝わりやすいのかもしれません。人間は論理だけでもないですし、感情だけでもありません。
明日も少し続きます。もう一つ小説についての重要な考えがあるのです。
ではグーテナハトです。

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ヴェルディはオテロに限る。あるいは音楽は秘儀なのか。

本日は休息日。どうも、体をしっかり休めないとパフォーマンスを発揮できませんので。といいながらも、PCに向かって作業をしてしまいました。
朝食はフルーツにヨーグルトをかけて食べるいつものも。昼食は素麺。梅雨にかんずりと柚子胡椒を入れて食べました。その後部屋を片付けて、近くのスタバで物思いしつつ書物。帰宅して風呂掃除をして入浴。たまった大河ドラマの録画を二倍速で鑑賞。その後PCで家計簿をつける。
休みましたが、休んでないですね。まったく。
最近は、どうもジャズ系をよく聴いてましたが、なにかドカンと迫力のある音源が聞きたくて、こちらを。
Otello
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Vienna Philharmonic Orchestra
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かつてヴェルディに苦手意識を持っていましたが、この音源を聴いてヴェルディが好きになりました。といってもやはり初期ヴェルディはまだ難しいですけれど。
オケのダイナミズムが素晴らしいのは言うまでもないのですが、デル・モナコのオテロの迫力も相当なもんです。
私の義理の父が、デル・モナコを昔から知っていて、「パヴァロッティの比じゃない」と真剣な面持ちで言っていたのを思い出しました。比較するのは意味がありませんが、それほどの歌手だということなんでしょう。
デズデモーナは、レナータ・テバルディ。
下の画像は別のCDのものですが、私が顔写真を載せたかったので。1940年代にデビューし、1976年に引退。マリア・カラスのライバルと喧伝されていますが、ウィキを読むとまあそんなことはなかったようです。
ところで、最近はどうもクラシック音楽になにかしら違和感を感じています。まあ、半年前のバカバカしい事件のことなんかもあったんでしょう。それが一番かもしれません。あれでずいぶんとしらけてしまいました。結局、まことしやかに語られていることが、実際には真実ではなく、だれも勇気を持って言ってのけなかった、ということですから。裸の王様の世界。
あとは、以前リンク先に書いた小澤征爾と村上春樹対談の問題とか。
舞台と客席の断絶は広く深いのか。
続 舞台と客席の断絶は広く深いのか。
どうにも音楽だけを聴くという贅沢な時間までとることができないのが悩みです。
やはり、小澤征爾は正しいのでしょう。曰く「忙しい人は音楽をろくに聴いていないから」というわけですね。忙しいというか、優先度が下げざるをえないというか。
音楽は万人に開かれているのか。あるいは、少数の人間にとっての秘儀に過ぎないのか。
あらゆる芸術は後者のような側面を持っています。ただ、音楽の場合はその秘儀に加われるかどうかの判定における先天的要素が非常に強いのも事実でしょう。
音楽との向かい方は人それぞれです。そのそれぞれをどうすべきか、というのが問題なのです。
ではグーテナハトです。
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川越鰻旅行

小江戸として知られる川越に、今日の午後少しばかり出かけてきました。
お昼前に家を出て13時頃に到着。
鰻をたべようと、有名店に行きましたが、とてもとても込んでいました。しかし待つ甲斐あって、出てきた鰻を大変美味しくいただきました。絶妙な香ばしさ、甘みのあるタレ、そして柔らかい鰻です。13時過ぎに見せに行きましたが、長蛇の列でした。我々の前に20組ぐらい並んでいましたが、30分ぐらいでなんとか席へ。席へ着いてもやはりなかなか時間がかかりまして、最後に食べ終わったのは15時前ぐらいでした。でも時間をかけて食べられたので、ゆったりとくつろげました。
IMG_0598.JPG その後、喜多院へ。徳川家康の信任が厚かった天海が住職を務めた喜多院は、その後も江戸幕府の庇護を受けました。喜多院が火災で焼けたのをうけて、徳川家光は、江戸城の建物を喜多院に移築しました。その建物が残っており、家光誕生の間であるとか、春日局化粧の間などが残っています。
久々に旧い建物からみる日本庭園に癒やされました。子供の頃に、両親によく京都の寺院に連れて行かれましたので、そうした記憶が積み重なっているんでしょう。鄙びた木造建築の香りや、かすかに感じるお香の香りなどを感じると、ホッとします。しばらくボーっとして英気を養いました。また行かなければ。
ちなみに、左側の枝垂れ桜は徳川家光のお手植え二代目の枝垂れ桜だそうです。
IMG_0614.JPG そして、喜多院で見かけた猫。泰然としていました。
IMG_0623.JPG それではまた明日。グーテナハト。

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