世界を笑い飛ばす──辻邦生「嵯峨野明月記」

目白駅。辻邦生ゆかりの地です。

先週もですが、今週もまた目白に来ました。目白駅の階段を登りながら、20年前、きっと辻先生もここをのぼりおりしておられたんだろうなあ、と思いました。たしか山手線で福永武彦と文学談義をしていた、というエピソードがあったと思います。一緒にこのホームに立っていたこともあったのでしょうかね。

で、気迷いのころは、この本に必ず戻ってきます。私の座右の書にしてバイブル。嵯峨野明月記。毎度毎度取り上げていて、飽きてしまうこともあると思います。申し訳ないです。

嵯峨野明月記 (中公文庫)
辻 邦生
中央公論社
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この世のことは、すべてが、道理に背き、何一つとして、納得ゆく、正しい道すじのものはないのだ。お前さんはそれを不正として憤怒し、憎悪し、呪詛した。だが、この世が背理であると気づいたとき、そのとき生れるのは憎悪ではなく、笑いなのだ。<中略>だが、この世の背理に気づいた者は、その背理を受け入れるのだ。そしてそのうえで、それを笑うのだ。だが、それは嘲笑でも、憫笑でもない。それは哄笑なのだ。高らかな笑いなのだ。生命が真に自分を自覚したときの笑いなのだ。<中略>おれはまだまだ描きつくすものがある。絵師とは、ただ絵を乾坤の真ん中に据えて、黙々と、激情をそのあかりとして、絵の鉱道を掘りすすむ人間だ。くそっ、こんなところで、おれが足踏みしてたまるか。おれという人間なぞ、どうでもいいのだ。風神雷神の前で、おれなど、いったい、何だろう……おれなど、この俵屋宗達という男などは……。

辻邦生「嵯峨野明月記」

俵屋宗達の最終場面のモノローグです。これまでここで取り上げたのは、この世の背理を哄笑する、という場面だけに着目してそこから先まで取り上げていませんでした。哄笑するだけでは先に進まないこともありますが、ここでは哄笑し、自分を自覚する、とあります。ですが、その最後、自作の風神雷神像の前で自分がなくなっているように思います。つまり、自作のまえで自我が極小かしているわけです。おそらくは風神雷神の中に自我が溶け込んだような境地と言いましょうか。

このあと取り上げられる本阿弥光悦のモノローグにおいて、「太虚」の境地が出てきます。この中では「私」が太陽や空や花と同じものになる、とあります。

つまり、芸術作品のような自己の創造的営為により、まるで禅の悟りのように世界と一体化し、そこには主客がない状態になっている、という風に感じられます。

引用で「お前さん」として登場するのは、又七という絵師です。彼はこの世の不条理を呪詛するがごとく、極彩色の毒々しい絵を書き連ねているわけです。

そうした世の不条理も笑い飛ばせ、というわけです。

これは、この笑いは、もともとはニーチェではないかと考えています。

哄笑する者のこれらの王冠、バラの花を編んだこれらの王冠、これらの王冠を、私の兄弟たちよ、私はあなたがたに投げかける。哄笑をわたしは聖なるものと宣言した。あなたがた、高人たちよ、学べ──哄笑することを。

このあたりは継続調査ですね。

ただ、最近わからないのは、哄笑し続けることで生きることができるのか、ということです。あまりに実践的なといで、同じレベルで考えることができるものではないのはわかっていますが……。なんだかまとまりのないつぶやきのようなエントリーになりました。この間違った世界を笑い飛ばしてそのあとどうする?という疑問の回答は人それぞれで、それは一生かけて答えを出していくものなのだと思います。私にも私なりの答えがあるはずなんですがまだ見つからないです。見つからないのが当たり前です。

すこし時間がかかりました。もうすっかり秋の夜長になってしまいました。もうすぐ9月。名実ともに秋となります。みなさまも良い秋をお過ごしになれれますように。

それではおやすみなさい。

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充電大好き──ダイアナ・クラール Look of Love

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私は充電マニアです。ガジェットが充電されているのを見るだけで癒やされるのですね。この画像はフィクションではなく、全部わたしのもの。先日記念に撮りました。アホですね。でも、右上の銀のiPodClassicは充電されてませんね。すいません。

今日の一枚。

Look of Love
Look of Love

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Diana Krall
Umvd Labels (2002-10-29)
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発売当時ジャケ買いしました。ほんとすいません。でも、その他にも理由はありました。このアルバム、あのクラウス・オガーマンが入っています。だからオーケストレーションが最高です。あのぶつかる不協和音。マイケル・ブレッカーとやったCity Scapeを思いだします。ダイアナ・クラールは低音の美しいアルトです。

データを見ると、そうそうたるメンバーなんですね。そうか。これ、ロンドン交響楽団だったんだ。。

こちらはYoutube。オケ付。ホルンとフルートのあたり具合が最高。これがクラウス・オガーマンのアレンジです。最高・

ではそろそろ眠ってわたしも充電します。みなさま、おやすみなさい。

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珍しく寄り道──ヴォーン・ウィリアムズの田園交響曲

なんだか、夏バテが思いのほか長引いてしまっています。思い返せば、仕事場が変わってからかなあ、などと思います。前の仕事場は40年以上前の古いビルでした。空調も古かったはずで、べつにそれなりに効いていたけれど、効きすぎとまではおもいませんでした。
ですが、3年前に仕事場が変わってからか、どうも空調がきついようなきがしています。どうも体温調整がおかしくなってしまっているようで、寒くて寒くてしかたがありません。最近は上着着てかよってますし。上着を着ると、道ゆく人にジロジロと眺められてしまいます。名実ともに変人です。
ですので、どうも体調もすぐれません。アルコールもやめて見ましたが、どうにもこうにも。

今日も調子が悪いの早々に撤収しました。昔の私なら無理をして働きますが、少しは私も大人?になったようで、今日は潔く仕事場を出たのです。

ですが、運の悪いことに電車が止まってしまいました。そこで、寄り道して、電車がの再開を待っています。

それで、ひさびさに寄り道してビール屋に来ました。はい。

このびーる。カラコル・サクソーというそうです。ベルギーナミュール州ディナン近くのカラコル醸造所のビール。ここはアドルフ・サックスの出身地だそうです。つまり、サクソフォーンの発明者の故郷のビールということになりましょうか。

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こちらは、セリス・ホワイトという定番ビールだそうです。爽やかな甘みが素晴らしいです。日本のビールにはない味わいです。

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今日は、夏バテの私にぴったりの一枚を今日は聞きました。(長いフリですいません)

ヴォーン・ウィリアムズの交響曲第3番、つまり田園交響曲です。EMIのボックスです。ボーイトの指揮。このボックスを買ったのは2002年ごろですかね。おりに触れて聴いています。

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この曲は実際にはヴォーン・ウィリアムズが第一次世界大戦に従軍していたときの思い出によるものだそうです。ですが、そこには戦争の陰惨さのようなものがあらわれているというわけではなく、なにか静謐で落ち着いた情感で、曇り空のした、霧がひたひたと草原を覆いはじめるような、そんな音楽です。夏の夜にビールやワインを飲みながら涼むには絶好の音楽かとおもいます。

私もずいぶんいやされました。また明日から頑張ります。

というわけで、みなさま良い週末をお過ごしください。おやすみなさい。

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仕事場に向かうとき戦闘力を高める音楽

今日の東京地方は涼しい天気でした。小雨がぱらついたり、なにか秋雨を思わせるような風情です。

どうも最近戦闘モードに入ることが多くて困っていました。何かあると勝負ごとに置き換えて考えてしまい、その結果に一喜一憂という感じです。競争社会ですので、勝負は大切ですが、全てが勝負になってしまうのもどうかと思います。

で、そんな勝負に疲れてしまい、どうしたらいいのかと考えていたんですが、ふと気づいたのです。私は赤いものを沢山持っているということに。赤い手帳、赤いペン、赤いインクの万年筆などなど。赤は戦闘色です。シャアだって赤い彗星でした。

そこで、赤いインクではなく青いインクの万年筆い切り替えました。赤い手帳は使うのをやめて白い手帳にしました。

その結果、最近はずいぶんと落ち着いた気がします。まだまだですけれど。

実は私のラッキーカラーは赤です。なので赤を選んだんですが、やりすぎちゃいました。

なるほど。自ずとEMIの所有が増えてしまったのもこのためですかね。

EMI

今日の一枚は、仕事場に向かうときに戦闘力を高める音楽です。レスピーギの交響詩《ローマの松》の第三曲、アッピア街道の松。
この曲は本当に素晴らしい。何が素晴らしいかと、クライマックスへ至る男性的直線的高揚がすごいわけですね。一貫して低音部が一定のリズムを刻む中、上で木管のざわめきから始まり、最後の金管の咆哮にいたるまでの爆発力はたまりません。
この曲のイメージするところは、アッピア街道をローマ軍の兵士が更新するシーンなんだそうです。やっぱり聴けば戦闘力は高まりますね。

レスピーギ:ローマの松(ローマ三部作)
フィラデルフィア管弦楽団 ムーティ(リッカルド)
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こちらももとは赤いEMIの音源です。

レスピーギ:ローマの松、ローマの噴水&ローマの祭り
ムーティ(リッカルド)
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寝る前に、刺激の強いものを聴いてしまいました。これは寝る前に聴くときっと不眠症になります。聴くのは会社に行く前とか、勝負事の前とかのほうがいいと思います。

ではおやすみなさい。

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人間レーダーになりました──チック・コリア ペイント・ザ・ワールド

人間レーダ

最近、気圧が下がると頭痛が起こるようになりました。これが人間レーダーってやつか、って感じです。私の友人のご兄弟で、南海上に台風が発生すると頭痛する、という方がいらっしゃいます。台風を察知する頭痛に私もなってきたのでしょうかね。

天気図を見ると、残念ながら本日時点で台風は発生していませんので、私の偏頭痛はまだ台風を捉えるまでに至っていません。しかしながら、どうやら 現在太平洋を制振している低気圧か、日本海にいる低気圧をキャッチしているようです。あるいは北太平洋の低気圧でしょうか??

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今日の一枚

今日の一枚はこちら。チック・コリアのペイント・ザ・ワールドです。チック・コリアのエレクトリックバンドの系譜で言うと、事実上最後の一枚です。このアルバム、第二期エレクトリックバンドということでリズム隊が入れ替わっています。ベースのジミー・アールの音が個人的には好きです。

そのなかでもCTAという曲がありますが、これが循環コードです。OleoやAntholopologyと一緒。それをエリック・マリエンサルがメカニカルにふきまくるのでたのしいったらありはしません。ついつい鼻歌で歌ってしまいます。

Paint the World
Paint the World

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Chick Elektric Band II Corea
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そのエレクトリックバンドのライブはこちら。ジミー・アールも登場してます。そして、エリック・マリエンサルは本当に素敵です。この人のサックスの微妙なベンドが巧いんですよね。やり過ぎると演歌っぽくネバネバしてしまうんですが、なんだかツヤのようなものだけが残ったピッチベンドだと思います。

今日も短めです。おやすみなさい。

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WordPressに移ってよかったです。そして今日の一枚。

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はじめに

私がブログを始めたのは2003年9月でした。もう11年になります。当時からMovableTypeを使い続けていました。一時期FC2に移りましたが、広告が鬱陶しくなり、再びMovableTypeに戻り、かれこれ6年ぐらいでしょう。MovableTypeのテンプレートの仕組みなどを手探りで理解してずいぶん楽しい思いをしました。

ですが、本当に融通が効かないことが多く悩んでいました。MovableTypeでは、投稿すると、静的なHTMLあるいはPHPファイルを生成するなどの再構築と呼ばれるプロセスがあり、投稿に時間がかかります。サーバーの状況によっては、失敗することもあるという状況でした。

また、コメントが巧く入らないとか、プラグインという拡張機能をインストールするの大変で、インストール先も複数に渡るなど、手間のかかるものでした。

また、バージョンアップに際しては、バックアップとったり、プラグインをあらためてインストールしたりと色々と気を使うことが多かったのです。

目からうろこが落ちました

ですが、今回Wordpressに移って、本当に目からうろこが落ちた思いです。

MovableTypeにあった面倒な作業があまりないわけです。非常に簡単なのです。やはりユーザーが多く、開発者も多いということもあり、プラグインが充実しています。またそのプラグインのインストールも非常に簡単です。これは、もうAmebaやFC2などのお仕着せのブログシステムと同じぐらい簡便です。

ここまで便利とは思いませんでした。

確かに移行に伴うリスクやコスト(時間ですが)はありましたが、やってよかったと思います。

もう少し詳しく書くかもしれませんが、今日は時間がありません。とりあえず、感動だけでも伝えておきます。迷っている方は(リスクはありますが)お勧めです。

次回は移行作業について少し書こうと思います。

今日の一枚

今日はこちら。NMLで紹介されていました。フィル・マンザネラとセルジオ・ディアスによるMato Grosso。これはいいアルバム。アンビエントっていうのはこういうことを言うんですね。90年代サウンドを満喫です。まだ聴いたばかりなのできちんと書けません。詳しく紹介したいですが、ちょっと調査がすすみません。が、取り急ぎ紹介したかったので書きました。

Mato Grosso
Mato Grosso

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Phil Manzanera Sergio Dias
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ではおやすみなさい。

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コンスタンティン・トリンクスのモーツァルト。ひいては指揮についてのつれづれ。

これも夏の花?

今日の東京は曇り空で蒸し暑い一日でした。仕事場の近くに咲いていた花。なんの花なのか。

Symphonies Arias
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NMLはこちら。

コンスタンティン・トリンクスのモーツァルト。この方、ダルムシュタット州立歌劇場でタクトをとっているかたで、2010年に《ばらの騎士》をダルムシュタットで振っています。この時の音源を持っておりましたので、今日聴いていたんですが、旋律を歌わせるスケールの大きい演奏で楽しかったのです。

ということで、モーツァルトのCDのをNMLで聴いています。交響曲第39番。たしかに、旋律を拡大させて聴かせてくれるあたりなどは、わかりやすさというか押しの強さのようなものを感じます。(最近は新国立劇場で聴いていたにすぎませんが)、どうも若い世代の指揮者は、旋律を歌わせたり、リズムを拡大したりということが多いような気がします。カラヤンのような無機質で機械的な(これも異論はあると思いますが)ではなく、機械的でありながらもそこになにかエンブレムをつけたりするような飾りをしていて、しかもその飾りがきちんと全体の中で生きている、そういう指揮のタイプが多いような気がします。たとえば、ダン・エッティンガーなんかにはそういうものを感じます。ただ、確かにそれがやり過ぎとして感じられてしまうこともあるのです。おそらくはオールドファンはそういう指揮になにか違和感のようなものを感じるでしょう。

ただ、そうしたやり方にはたしてどこまでのオリジナリティがあるのか。私にはそれが分かるまでの音楽経験をさらにつける必要があるでしょう。そして、それが、同曲異演を聴いて認識できるものと、ただそれだけで認識できるものにわけて考える必要があるのではないかと思っています。つまり、カラヤンのブラ4はあーだったから、クライバーのブラ4はこうである、という評なのか。あるいは、ショルティのブラ4はこうである、という評なのか、ということです。

と語っている言葉自体も音楽を語っている時点でなにかうつろいゆくものであるかのように感じます。そこには何らの普遍的妥当性はなく、この瞬間の《私》の感情の発露であるに過ぎません。そうした感想がはたしてどこまで意味を持つのか。そして分かり合えるのか。私にはまだ良くわかりませんが、さしあたり書いてみるしかないので書いています。これがなにかしらの共感を呼べばいいのですが。。

今日の午前中の喚問は無事に終わりましたが、夜は数字パズルに苦しみました。数字が頭に入ってこないことがよくわかりました。小学生の頃から算数は本当に苦手です。数字にも美しさがあるようですが、どうもそうした美しさには嫌われているようです。祖父は数学の先生なので、数字は得意なはずなんですけれど。。。

ではグーテナハトです。

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クライバー《運命》の画期性を理解するためには?

はじめに

今日も暑い一日。ですが、まだ晴れているだけ良いのかもしれません。西日本では晴天の日が少なく、経済への影響が懸念されているようです。広島の件は本当に心が痛みます。

今日も一日家で休息をしました。休まなければ次に続きません。

カルロス・クライバーの運命

でもコレは書かないといけません。先日ご紹介したRadio Classiqueですが、今日も聴いていました。するとこちらが登場です。

Beethoven:Symphonies 5 & 7
Beethoven:Symphonies 5 & 7

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カルロス・クライバーがウィーンフィルと演奏したベートーヴェンの《運命》。

クラシックファン必聴の名盤ですが、初めて聴いた人に、その画期的であることはどういうことか、ということをいろいろと話したのですが、まあなんだか私一人が話しているだけでした。いまひとつ。言葉で話しても意味が無いということなのかもしれません。もしかしたらその場でフルトヴェングラーの音源などを聞いてもらうとよりわかったかもしれません。

やはり、歴史的な文脈の中でしかその音楽の位置づけとか評価というものはなかなか判断できないということなのでしょう。あの聞く人によれば重いフルトヴェングラーの運命を聴いてから、この演奏を聴くと、その画期的な意味が分かる、ということなんでしょう。書いていながら、あれ、カラヤンやトスカニーニだってこんな感じだったのになあ、と思いましたが、録音やホールの音響なども相まって、この音源の価値があるのだと思います。

音楽を理解するために

ということは、絶対的な価値判断というものはなかなか難しいということなんですね。言わずもがなですけれど、改めて思いました。音楽の理解には時間が機会が必要です。寸暇を惜しんで何枚も何枚も聴かなければ成りません。あるいは何度も何度も劇場やホールに足を運ばないと行けないのかもしれません。それを全うできるのは本当に限られた幸運な人々だけなのだろう、と思います。私はそこまで行けていません。努力はしていましたが、少し休んでいました。これからまた努力をしなければと思います(クラシックもジャズも)。

何度も引用して恐縮ですが、あらためて、小澤征爾と村上春樹の対談を思い出します。

舞台と客席の断絶は広く深いのか。
続 舞台と客席の断絶は広く深いのか。

小澤征爾さんと、音楽について話をする
小澤 征爾 村上 春樹
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音楽を聴く環境は整ってきている?

ただ、そうした事情も、もしかすると徐々に変わってきているのかも、などと思います。

もちろん劇場やホールに足を運ぶのは物理的時間的成約があり難しいのかもしれません。地方に住んでいる人にとってみれば、東京であまた開かれているコンサートやオペラに足を運びなさい、といってもよほどめぐまれていないと難しいです。

ですが、ナクソス・ミュージック・ライブラリーやベルリン・フィル・デジタルコンサートホール、ウェブ・ラジオなどのウェブを通じた音楽聴取の機会というものは本当に増えています。もちろん実演に比べるとその情報量は下がりますので、本当に音楽を聞けているかというと疑問ですが、それでも、かつてに比べて安価に音楽を聞けるチャンスは増えたのです。

ただ、問題は、普通の会社勤めや学生の方々はきっとそんな時間もないのかもしれない、ということだけですが 。その場合は、音楽評論家のCD評論や音楽愛好家のネットにおける情報をたよりに効果的に音源を選ぶこともできるかもしれません。

そう言っても、もとの議論に戻りますが、名盤だけでなく凡盤(?)も聴かなければ、名盤の良さは分からないので、効果的に良いものだけを聴くというやり方にも問題はあるとは思いますね。

いずれにせよ、思うほどチャンスは縮まっていないのではないかとも思います。時間さえあればですが。

結局のところ、落ち着いて一時間とか二時間とか音楽を聴ける時間と、ウェブにつながる環境があれば、どこに居ても、どんな方でも、その気になれば音楽を楽しみ学ぶ環境が整っているのが現代の日本なのではないか、と思います。

繰り返しになりますが、問題は時間がない、ということに尽きるのです。悲観的なのか楽観的なのかわからない結論ですが、そう思います。そして、私に足らないのは時間だということも再認識しました。時間は作れ、ともいいますが、限界もまたありますので。

明日は朝から喚問されます。無事におわるといいのですが。というわけでグーテナハトです。

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妄想のオーボエ その18 バッハがついついジャズっぽくなってしまう。。

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今日はオーボエレッスンでした。

レッスン前に、練習場近くの喫茶店に入りました。美味しいコーヒーでした。雰囲気は昭和時代です。最近のカフェは禁煙ばかりですが、ここは昭和からのトラディショナルな喫茶店ですので、皆さん煙草を吸うことができます。私はすいませんので少し居心地が悪かったですが、昭和の風情を満喫しました。

さて、オーボエですが、最近も引き続き勤しんでいます。

ですが、やはりジャズ的かつサックス的な吹き方になってしまっていて、どうにもこうにも。

たとえば、スケールの上行フレーズの裏にアクセントが入ってしまったり。高い音程になると、伊東たけしのような吹き方に鳴ってしまったり。あるいは、サックスのようにキーをガチャガチャ動かしてしまったり。

昔、大学のドイツ語の授業で先生がこうおっしゃっていました。曰く「ドイツ語の授業で間違って英語を喋ってしまう人がいるんですが、そういう人は英語ができない人なんですよね」だそうです。それと同じような状態なのでしょうか。

つまり、楽器を意識してコントロールしていないということなんでしょう。出来る人は、裏拍だろうが表拍だろうが使いこなせるんでしょうから。まあ、そういう方はもしかするとプロなのかもしれないですけれど。

最近、またサックスを吹き始めたので、そのせいなのかもしれません。

とにかく、なかなか難しい今日このごろです。ちょっと無理あるのかなあ、なんて。楽器の掛け持ちだけならともかくジャンルも掛け持ちしているということは、相当高い壁なんじゃないだろうか、などと。

だいたい、ものごとに取り掛かるとこういう壁のようなものに突き当たるものなので、驚きはしませんが。

それから、やはり、音楽を習うという経験は本当に貴重ですし。何百年脈々と受け継がれてきた音楽教育の一端に触れているということ自体が勉強だと思います。

いつか、《ばらの騎士》第二幕のばらの献呈の場面を吹けるようになりたいものですが、いつのことやら。。

ではみなさまおやすみなさい。

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ヴォツェックへの哀切なる追悼曲

Wozzeck
Wozzeck

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昨日から聴いているヴォツェック。第三幕第四場、ヴォツェックが死に至った後の間奏曲に心を打たれました。

ヴォツェックは錯乱して、妻のマリーを殺してしまい、その後酒場で酒を飲んでいます。すると、酒場の女に返り血を浴びていることを指摘されてしまいます。で、凶器のナイフを池に捨てようとするんですが、そのまま池にはまって溺れ死んでしまいます。

その後に流れる哀切で深刻な音楽が、ヴォツェックへの追悼曲なんでしょうね。「わたしら貧乏人には!」という強烈な旋律がここぞとばかりに響き渡るところ、感動的というか厳粛というか。ヴォツェックへの心からたむけられた花でしょう。マーラーのような哀感のある重い弦楽器の旋律、怒りに満ちたティンパニの打撃など、聞きどころがたくさんあります。三分余りの音楽ですが、本当にドラマティックです。

で、皮肉なのはその後です。ヴォツェックの息子が登場するんですが、ワルガキどもが「お前の母さん、しんだってよ!」と言いながら、遺体が発見される池へ駆け出していくシーンになります。で、息子も一緒に木馬に乗って走って行くんです。まったく。。皮肉というか悪趣味というか。。。追悼で終わればいいものを、その後、息子をからめてその凄惨な人生模様をさらに引き出しているということになります。でも、こうした背理こそ現実なんですけれど。

今日はケーゲル盤。たしか、これはドレスデンに行った時に記念に買ったんだと思います。ドレスデンといえばケーゲルですから。ケーゲルらしいとんがった演奏です。割りと好きだなあ、と思います。

こちらは新国立劇場2009年の模様。余りに凄惨でホラー映画のような舞台ですので、子供には見せられません。登場している子役の男の子はトラウマになったりしないんだろうか、と心配です。

今日も暑い一日でした。今日は、幸いにも上着を着なくても仕事場で過ごせました。少しまともに体温調節ができるようになってきたのかも。良かったです。

それにしても心配なのは広島の件。胸が痛みます。今朝方のラジオを聴いていたところでは、これから危険のある地域として対策をとろうとしていた矢先におきてしまったのだとか。これをお役所仕事と批判するのは簡単ですが、実際にはどうだったのでしょうか。お役所の仕事の遅さということなのかもしれませんが、きっと規則でがんじがらめになっていたり、仕事量が膨大だったり、と事情があるんではないか、などと想像してしまいます。巨大な組織は難しいですね。

ちなみに、私が好きなLifehackerというウェブサイトの記事に以下の本が紹介されましたら。あるある、って感じで面白かったです。本は読んでませんけど。

悪人のススメ いつまで「いい人」を続けるのですか (自己啓発)
川北 義則
KADOKAWA/中経出版
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では、おやすみなさい。

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