買ってしまった…「スワン家のほうへ」

買ってしまった…。

ああ、買ってしまいましたよ。まったく。この歳になって、「失われた時を求めて」なんて読めるわけないのに、と思いながらも。読書の秋。でも食欲の秋。どちらの欲で買ったのかはわかりません。

光文社古典新訳文庫でも出ているんですが、まずはこちらから。

そういえば、「失われた時を求めて」を読み終わったら、それが一つのステータスと成り、名刺に書いても良いのである、という話がありますね。

で、最近はなかなか読む時間がない状況ですが、時間があるときにつまみ読みするだけでも癒やされる感じ。しばらくそばにおいておきます。

これ、全部読まないと辻邦生に行き着かない気がしてきました。このまえ「風越峠」をプルーストが、なんて書いてしまいましたので。

ではみなさまも秋の夜長を満喫ください。おやすみなさい。グーテナハト。

《短信》紅葉始めました。

紅葉始まりした。

昼休みに近所のショッピングセンターまで散歩しました。並木になんだか花が咲いているような。どうやら紅葉が始まったようです。季節の回るのは早いもの。流されずに、杭を一つ一つ打ちながら進んでいきたいものです。

ではグーテナハトです。

悪夢の世界──「バベルの図書館」

ボルヘスの「伝奇集」。このなかから「バベルの図書館」を読みました。

吐き気というかめまいというか。

無限の図書館に収められた知識の集合ですか。もう気が遠くなる悪夢の世界です。

もっとも、これは悪夢の世界ではなく現実の世界なのですが。大量に増幅拡散する多様な情報と価値観が統御不能になったイメージ。

このブログもそうした膨張する情報の一つなわけで心苦しさもありますが、もはやそれをまとめるものなどなく、エントロピーが大きくなるように、世界は崩壊していく。もっとも、その崩壊は人間にとってであって、全体認識が可能な主体=神のようなものがあるとすれば、それも統御された法則の中名のかもしれない、などと。

現代は「バベルの図書館」はネット上に展開しています。パブリックなものもあればプライベート(とされている)ものもあります。だれも全貌は掴み得ない。それでいいのですが、想像すらできないそうした情報は、おそらくはGoogleが機械的に整理しているのでしょうが、ヒタヒタと水位を上げ、いつか氾濫する大河のような不気味さをたたえています。

そうした過程を冷徹にとらえているものと、と読んでしまいました。

我が家の本も統御不能かも、などと。なんとかしないと。。

それでは、みなさまおやすみなさい。

休息の日が…──ビル・エヴァンス「ワルフ・フォー・デビイ」

万年筆洗浄中。一晩つけます。

今日は完全休息日と決め、難しいことはしないことにしました。といいながら、万年筆の洗浄をして、プールで泳ぎ、iPhoneの予約をしました。風邪は徐々に治ってきていますが、体の怠さは取れず。全く。写真は万年筆の洗浄風景。

近頃思うのは、まとまった時間なんてとれっこない、ということ。細かい時間でもいいから、積ん読をしたり、細々とものごとをEvernoteに書き留めて行くしかないなあ、と思います。

最近の悩みは、iPodの音が飽きたらなくなってきたこと。昔は、192KbpsでCDを録音していましたが、そのせいでしょうかね。というわけで、試聴きということで、こちら。ビル・エヴァンスのワルツ・フォー・デビー。1961年7月25日にニューヨークビレッジバンガードでの録音。

このアルバムは、Appleロスレスで録音し、ゼンハイザーのHD600で聞いています。音質は、うーん。どうかな、というところ。音質については、相対的な評価しかできなかったり、「慣れ」とか「飽き」という要素もあります。評価や判断は主観的なものと思います。突き詰めるとオカルトになります。

本当にこのアルバムのスコット・ラファロの画期性が全てなんでしょうね。

実は、あまり人に買っ立ったことはありませんが、私は、高校時代にビル・エヴァンスばかり聞いていたころがあります。私の父親のオムニバス盤をカセットテープに録って毎日のように繰り返し繰り返しウォークマンで聴いていたのでした。

そのほとんどがスコット・ラファロのベースだったはず。ですから、これがデフォルトでした。これがジャズ・ベースだと思ってしまったと言っても過言ではありません。ですので、この方の画期性が解るようになったのはずっと経ってからです。

これって、現在の幸福を認識することができない、というのと似ています。

これが普通と思っていましたので。例えば、同じ曲を、ジャズ研の若いベーシストとやると普通の昔風の曲にしかならないのですね。あれ、そういうふうなラインだとぜんぜん違うじゃない、みたいな経験が何度かありました。いや、あっているのですよ、ラインとしては。ですが、こうはならないのですね。名だたるベーシストの方々が何を負っているのかをスコット・ラファロを聴いて理解した気がします。って、ことを本物のベーシストと話したことはありませんが、どうなんでしょうか。

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今日は早寝します。みなさまの明日も充実した一日でありますように。おやすみなさい。グーテナハトです。

《短信》Peaceful

先日訪れた神社。お宮参りですね。つかの間の平和。これを維持するのが大人の役割なんですけれど。次の世代に良いものを残したいですね。

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帰宅の電車で、夜遅いのに近くの私立小学校の生徒が乗っていて、《魔笛》のリブレット読んでました。あんなに難しいストーリーを読むとは…。

ではおやすみなさい。

《短信》岡本かの子「仏教人生読本」

岡本かの子って、凄いです。

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こちら、著作権切れで無料でKindle版が配布されている岡本かの子の「仏教人生読本」まだ読み始めですが、なかなかわかりやすいです。岡本かの子が苦しんだ末に辿り着いた境地だからと思います。

憂鬱のときは、兎に角笑ってみましょう。笑えなくとも勇気を出して笑ってみましょう。 形に心はついて来ます。笑って、笑って、笑ううちに、笑いについて憂鬱がとけて来ます。一種の生理的作用でもあります。

昔も今も変わらないです。

もっとも、実際には誰が書いたものなのか。。

この仏教人生読本はちくま文庫の全集には入っていないようです。中公文庫で出版されたものが青空文庫に収録されたようです。

岡本かの子は、本当に奔放な人生を送った方です。自分の夫、子どもと、自分の愛人と5人で一緒に暮らしたりと、通常の常識を逸脱した生活のようです。まあなにか通常なのか、という問題は有りますが。そうした苦しみのなかで仏教に傾倒したそうです。

とにかく、文章が緊密で、よく磨かれ光り輝いています。短歌をながく歌っていたからでしょうかね。短い文章を繊細に書くことができるからこそ、長編が緊密になるということでしょうか。前から書いていますが結構好きで、短篇はずいぶん読みました。すでに著作権切れていますので、青空文庫で読めます。ただ、長編は未読。まだ到達していないですね。。

今日の一枚

今日の一枚。今日も聴いてしまったレイフ・ヴォーン=ウィリアムズ。ゆったりと時間を書けて聴きたいですが、そんな時間はあるわけもなく。とにかくイングランドってこういう感じではないか、という真実在がここにあるように思います。もしかするとそういうイングランドは実際にはないのかもしれません。ただ、曲としては現前としています。これはこれで一つのイングランド。実際のイングランドと異なっていてもいいのでしょう。

イギリスと書けないのは、最近のスコットランド独立の話題があったから。でも、イギリスって結局イングランドを日本語読みしただけだから、意味ないですね。。イギリスではなく、ブリティッシュとか、ブリテンとか言うべきなんですかね、などと。

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風邪ひきました。急に寒くなって体温調整が全く出来ておりません。。薬飲んで寝ます。みなさまに「体に起きをつけて」と申していましたが、結局私ができておりませんでした。。

ではグーテナハトです。

本日辻邦生先生の誕生日です。

本日辻邦生先生の誕生日です。あのお別れの会も15年前の今日ということに成りました。あの日と同じく今日の東京地方は雨模様でした。 

昨日も、「のちの思いに」や「風越峠」をよみながら思いましたが、あの戦中戦後の空気と言うものとの決定的な断絶がそろそろ迫っているのでしょう。

同じ狂気の時代としても、なかなか伝わらないことも多いはず。こうして、時代の記憶は歴史へと姿を変えていくのだと思います。

先日も触れましたが、文学にアクチュアリティを見出すのが良き読み手なわけですが、そうしたものをどうやって普遍化して行くのか。それが課題なのだと思います。

時代は流れますが、人間は変わりません。だからこそ、何千年も命脈を保つ思想というものがあります。思想の享受者である人間は変わらず、欲望を持ち殺戮を繰り返す。それでいてなお、自由と不自由の間を行き来します。現代社会は進んでいるようでいて、実際には回帰しているに過ぎないと思うこともあります。

今日読んだ「のちの思いに」。
のちの思いに

いずれもノンフィクションのように思いますが、実際にはフィクションだそうです。なにか、戦後の新しい時代が到来したというワクワクした感じを感じるのは私だけでしょうか。これは、バブルが崩壊した後に、ITバブルへと至る1995年移行の「世界が変わるのではないか?」という気分に似ているような気がしてなりませんでした。実際にはITは、世界を変えはしましたが、逆に世界を統制する装置として機能しつつあります。

いよいよ秋本番。秋分の日も過ぎ、日は短くなるいっぽうですね。日本は冬の闇の世界へと降りていくわけです。早く冬至が過ぎて、また光の世界へ戻って行きたいものです。

季節の変わり目ですので、みなさまもどうかお身体にはお気をつけて。

それではグーテナハトです。おやすみなさい。

辻邦生「風越峠にて」──その語り方、あるいは誤植の発見

辻邦生「風越峠」。万葉古歌が散りばめられ、戦中の悲壮さと古代史の悲劇を重ねあわせた作品です。

誤植を発見

私が最初に読んだこちら版。中公文庫の「辻邦生全短篇2」。今日、風呂に浸かりながら再読しましたが、なんと誤植を発見。なんで今まで気づかなかったのか。。

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谷村が語り手に、大津皇子の物語を熱く語るシーン。語り手が「日本書紀には何て書いてあるんだい?」と谷村に問いかけるシーンなんですが、そのあと「彼は熱っぽく話す谷村に調子を合わせて訊ねた」と続きます。この「彼は」は「私は」の誤植のはず、と思いました。

で、全集を当たりましたが、「私は熱っぽく話す谷村に調子を合わせて訊ねた」に訂正されていました。良かったです。

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ちなみに、新潮文庫「見知らぬ町にて」に収められているバージョンはこちら。正しいです。
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ちなみにこの「見知らぬ町にて」が私が初めて買った辻邦生本。多分1991年か1992年に買ってますので、そろそろ四半世紀近くになります。
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語り方の素晴らしさ

確かに少し出来過ぎたストーリーなのかもしれませんが、私はこの本を高校時代によんで、なんだか感動してしました。戦争に赴く学徒と、実らぬ恋という恋愛小説。で実らぬ恋に、殉死さえしてしまう一途さったら、これはもう現代では決してありえない純愛小説で、まあ、若者にはキュンと来ます。

ですが、どうも最近読むとそういう面とは違う面がクローズアップされてくるような気がします。自分が情熱をかけたものを、一度諦めるわけですが、埋み火のように胸の底でくすぶり続けていて、あるときそれが噴出してしまう物語。そういう後日談的な興味深さというものがあります。

この小説は、ストーリというより、物語りかたにその真骨頂があるのかもしれないですね。回想と書簡を縦横無尽につかって、時系列に沿わずに物語を語る、という構造。で、それが本当に自然なのです。語り手の回想という意味では、時系列にそっているのですが。

これ、プルーストなんだ、と思いました。あの、プルーストの「失われた時を求めて」的な語り方なんだなあ、と思います。緊密な語り方で名人芸です。

気になること

で、他にもこの小説で気になることがあります。ネタバレ注意ですが。。

谷村が当時愛した女性である麻生志貴子は、実は自分の妹で、それが分かるシーン。自分の母親とあって、事の顛末、つまり恋人=妹が自ら命をたったことを告げられるんですが(そこの語り方も見事なんですが)、その時にこういうわけです。

『あなたがたのことを、あの子も知ったんです』と。

この「あなたがた」を「あの子」が知ったというのがどういうことなのか。

「あの子」は志貴子です。で「あなたがた」とは? 谷村と志貴子のことですかね。志貴子が、谷村と志貴子の関係、つまり異父兄妹であるということをしったということを「あなたがたのこと、あの子も知ったんです」と表現しているということになります。「谷村の志貴子が兄妹であることを、志貴子も知ったんです」ということです。

この表現は、個人的には違和感があります。なにか主語のずれが感じられるんです。「あなたがた」と「あの子
」には、志貴子が含まれますので、ちょっと気になるのです。

この部分は、「私たちのこと、あの子も知ったんです」の誤植ではないか、という気もしていたんですが、全集でもそのままでした。なにか緊密な構造体の中に一つだけ隠された暗号のようなもののように思えます。私のセンスの問題かもしれないですが……。

ただ、よく考えてみると、これでもいいのかもしれないのです。ただ、母親の感情として、谷村も志貴子に対する強い遠慮のようなものがあって、そういう言葉になったのかもしれない。そう思いました。

参考

風越峠については、こちらも。昔、地名について調べていました。

「風越峠にて」の土地の名 一考

それではおやすみなさい。グーテナハトです。

《短信》松茸、フーコー

IMG_0539.JPG 今日は仕事場のみなさんと松茸をいただきました。ありがたいことです。というか、松茸をちゃんと食べたのは初めてかも。

昨日から図書館で借りたフーコーの解説本を読んでいます。価値転倒? 考え抜くとこうなるのか、と言う感じ。戦後の思潮と辻邦生文学の結節点を探している感じです。

ではおやすみなさい。グーテナハト。

《短信》デカルト街37番地

2002年に訪れたデカルト街37番地。辻邦生が住んだ部屋です。

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建物を見上げる。いまはプレートが付いているはずですが、当時はありませんでした。

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通りの様子。隣の中華料理店の建物には、ヘミングウェイが住んでいた部屋があります。

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自宅にあるこちらを読んでいまして写真を載せることにしました。

たえず書く人