福永武彦の「象徴主義」

すべての写真-775 昭和39年に出版され、昭和46年に17刷となった講談社現代新書の「現代思想事典」。

大学に入った頃、事典ばかり読んでいて、それでなんとかしないと、と思っていたころに古本屋で250円で買いました。

「シュールレアリスム」について調べていたんですが、その次の項目である「象徴主義」をなんと福永武彦が書いているのですね。驚きました。マラルメ、ランボー、ヴェルレーヌなどの詩人の名前をあげて、その源流がボードレールだと言います。それは「暗示によって映像を喚起する方法」として総括されていて、「詩の中に、超感覚と批評と魂の告白と詩句の音楽性」を育てた、ということになっています。「美が想像力のうちに、いいかえれば仮象的世界の暗示的現前のうちに整理する」とも。

最後に、小説における象徴主義のことが書いてあって、これが実に面白いのです。当たり前の方には当たり前かもしれませんが。

詩は一人でもかけるが、小説は読者なしには作れない。なぜなら、小説は「その世界がなんらかの形で、暗示的、喚起的な映像によって読者の参加を待つ」というのです。これがなければ、小説は「たんなる読み物」で、映画やテレビに太刀打ち出来ない、とあります。

この「読者の参加」インタラクティブ性が、小説の小説たる所以、ということになるのでしょうか。語りすぎず、読者を引きずり込むような小説こそが、真の小説である、ということなのでしょうか。まあ、あまりに「象徴的」過ぎるものもなかなか困りますが。

余談ですが、面白いことに、福永武彦は、昭和39年当時にあって、当時を「小説の衰弱した時代」としています。先日来書いているレリスの「オペラティック」においても、やはり、オペラは常に衰退している、とありました。まあ、長く続く芸術形式というのは、衰退し続ける運命にあるのでしょう。つまりに、人間は不治の病に侵されている。つまりそれは死という病である、というあの手の議論になるのかもしれません。

今晩も鍋を食べました。冬は鍋に限りますね。

ではグーテナハトです。

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