階級の壁を壊す──《こうもり》その2

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新国立劇場の隣にそびえるオペラシティ。もう竣工から18年ですか。

今日も《こうもり》について。

オペラ《こうもり》は、ウィーンのどんちゃん騒ぎを描いたくったくのない娯楽オペラだと思っていました。際にはヨハン・シュトラウス二世の政治的主張が色濃く織り込まれているオペラなのではないか、といまさらながら気づいてしまいました。

それは、今回の公演パンフレットの中で、西原稔さんが書いておられた「ヨハン・シュトラウス──ワルツの父とワルツ王との親子の確執」のなかで、ヨハン・シュトラウス二世が三月革命を支持していたことが書かれていて、確かに当時のシュトラウス二世ぐらいの世代だとそうだろうなあ、と思ったのです。シュトラウス二世は1825年生まれ。1848年の三月革命当時は、23歳です。若いシュトラウス二世がそうした新しい思想に感化されることに不思議はありません。

そうしてみると、いろいろなことがわかります。

たとえば、小間使いアデーレのおかれている境遇が描かれています。それが嘘だとしても、病気の叔母を見舞うのも雇い主の許可無くしてはなりません。また、アイゼンシュタインが、女優としてパーティに出ていたアデーレを「うちの小間使い」というと、「そんな侮辱をよくも!」とパーティの参加者に糾弾されます。つまり、小間使いというのは実に低い地位に置かれていた存在というわけです。こうした使用人の地位の低さは、たとえばカズオ・イシグロの「日の名残り」や、ロバート・アルトマン監督の「ゴスフォード・パーク」などに見られるものです。その小間使いが、女優に化けて、階級を超えていこうとする姿が描かれている、ということになります。

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特に、第三幕は圧巻です。女優の才能を見せる場面で、女王を演じるまでになります。これは小間使いが女王にもなりうる、という階級の崩壊をも描いているものと捉えられるのではないでしょうか。このオペラ、全てはシャンパンがもたらす幻であるというものです。つまりは、こうした階級ですら、幻である、ということになります。これは、実に革命的であり、当時においては反体制思想です。

そういう意味において、まるで《フィガロの結婚》のような政治的オペラといえるわけです。

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今日も寒い一日。毎日お昼に散歩することにしています。いつものようにコートを着ないで外に出ましたが、さすがに寒いですね。寒さが鋭く突き刺さってきました。周りにはコートを着ないで歩いている方々がいましたが、みなポケットに手を入れて前かがみになって足早に歩いていたようです。

鉛色の空は無慈悲に太陽の暖かさを阻んでいました。

ではグーテナハトです。

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