夏来る。あるいは《ばらの騎士》雑感。

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いや、すいません。今日も、ちゃんと書けなくて。

でも、《ばらの騎士》については、今回はパフォーマンスも素敵すぎたのですが、それ以上に、劇についていろいろ気づきがありました。

前から思っていたのですが、とあるあのオペラ(あるいはオペレッタ?)と実に似ているのではないか、とか。

あとは元帥夫人のモノローグがことのほか味わい深く、8年前に比べてずいぶんと感じ方が変わっていたり、とか。まあこちらも歳をとっていますので当たり前です。もしかすると、元帥夫人の週末感のようなものはすでに超えてしまったような気がします。

ホフマンスタールが《ばらの騎士》を書いたのは30歳台後半です。確かに《ばらの騎士》を初めて観た時は、元帥夫人と同じぐらいの年齢でした。

ですが、私はすでにそこを超えましたので、ホフマンスタールの感じる終末感を超えていてもおかしくありません。この感覚、昔、少し上の世代のかたと《ばらの騎士》について語った時に、その方がおっしゃっていたことなのかあ、などと思いました。

ということは《ばらの騎士》については、別の見方ができるようになってきてもいいんだろうなあ、と思います。それが今回の課題かもなあ、などと。

で、夏が来てしまいます。今年の立夏は5月6日ですが、小学生の時にならった目安でいうと、5月までは春で、6月からは夏、ということに成りますので、とうとう夏がきました、ということになりますね。

冒頭の写真は、近所の桜の木とかえでのコラボ。

近所の桜。江戸彼岸で、染井吉野よりも早く満開を迎えています。

4月に撮影したあの桜の木、つまりエドヒガンは、冒頭の写真のように青々と生い茂っているわけです。

時のうつりゆくのはやはり早いものですね。もちろん、歳をとればとるほど早くなるわけですが、その早くなる加速度は歳をとればとるほど小さくなります。

それではまた明日。グーテナハトです。

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《短信》なぜ腹が立つの? これが世の中だというのに。──新国立劇場《ばらの騎士》

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なんとか行ってまいりました。新国立劇場《ばらの騎士》。

このプロダクションは、2007年、2011年につづいて3回目でしたが、3回見ても飽きない、本当に上品で洗練された演出です。

今日は時間がないのであまり書けませんが、取り急ぎ、標題に書いたこちら。

なぜ腹が立つの? これが世の中だというのに。

第一幕でおしかけてきたオックス男爵を追い払った後に嘆息するように呟く言葉です。

この言葉を日々眺めてみるといいかも、などと。

元帥府人は、これ以降ずっと機嫌が悪いですね。第三幕の登場時点でもやはり機嫌がわるいですね。観ているこちらも怒られている気分になります。元帥夫人は男性全員を怒っているのですから…。

今日は取り急ぎです。また明日。おやすみなさい。

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新国立劇場合唱団パワーアップの秘密

これも、私のタスク台帳にずっと残っていたのが、こちらの本について。

オペラ座のお仕事――世界最高の舞台をつくる
三澤洋史
早川書房
売り上げランキング: 186,811

新国立劇場の合唱指揮をしておられる三澤さんの本です。

オペラの舞台裏が分かる最高な一冊なのですが、私の積年の謎が解けた、と思った部分がありました。

今手元に本がないのですが、たしか「バイロイトの合唱ではなく、ベルカントをめざすことにした。日本人にはそちらのほうがあっている」といった趣旨のことを書いておられたと思います。それが、2011年の夏以降だされていた、と記憶しています。
どうもその辺りに、新国立劇場合唱団のレベルアップの秘密があるのではないか。そう思いました。

一方、私が「新国立劇場の合唱が変わった!」と思ったのが2012年3月の《さまよえるオランダ人》公演でした。あの時の男声合唱の迫力、力強さには身を乗り出して聴き入った記憶があります。

それ以降の合唱の力強さにはいつも感服しています。演技もきっちりやられますし、声もすごく出ていて、スゴイなあ、といつも思っています。

ここ数年、合唱指揮の三澤さんが、指揮者に乞われてカーテンコールに呼ばれるシーンを良く目にするような気がします。それほど素晴らしいということなんだと思います。

明日は運が良ければ《ばらの騎士》です。ハイティンク、ショルティ、ウェルザー=メストで予習しました。どんなパフォーマンスなのか。期待大です。

ではグーテナハトです。

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新国立劇場《椿姫》その2

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先日の新国立劇場《椿姫》について。書きたいことがタスク台帳に残っていましたので、忘れないうちに書かないと。。

ヴェルディらしい楽しさがありましたが、やはり、台本はかなり無理をして刈り込んでいるのですね。第二幕の最初のところ、ヴィオレッタが宝飾品を売り払っている、ということに気づいたアルフレードは、張り裂けるように自分の未熟さを恥じ入り、パリへと向かいます。

この部分の劇の長さがバランスがおかしいほどに短いのです。

特に今回の新国立劇場の演出だと、あれあれあれ、という間にアルフレードが激昂して去っていき、そのあと、ヴィオレッタがすかさず登場、という感じで、なんだか紙芝居のような展開の早さでした。

オペラ化するにあたっては、台本を大きく省略することは多いですので、まあ、当たり前といえば当たり前なのです。

あとは、今回の演出ですと、ジェルモンの登場もかなりスピード感がありました。

それにしても、最近の新国立劇場の歌手の皆さんは安定しています。昔は、なんだかこのあとはずさないか、と心配になってしまうようなこともあったのですが、この数年は、そうした不安のようなものもなく、自然体で集中して見ることができるように思います。本当にすばらしい劇場になってきたんだなあ、と思います。

開場して17年。私が初めて観に行ったのが2002年ですので、あれから13年がたちますが、どんどん成熟しているような気がしてなりません。

今週末の《ばらの騎士》も期待ばかり、です。

では、とりいそぎおやすみなさい。グーテナハトです。

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日本酒をば

今日は四半世紀に渡る友人と日本酒を東京駅構内の日本酒バーにて。

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たまには、こういう機会を作らないと怒られます。夜遅くまで働かないと結果が出せない、と思われるのは問題なのです。

日本酒といえば、学生時代においては「ヤバイ酒」でした。

日本酒の熱燗となれば、徹夜を覚悟したものです。 ですが、その友人によれば、それは粗悪な日本酒だからということで、昨今はそんな日本酒ではない日本酒が多いとのこと。昨今といっても、この10年ぐらいなのでしょうか。完全に時間感覚が合いません。

日本酒の素養は全くありませんが、甘口、辛口、熱燗を味わいました。最後に熱燗が出たのは、翌日に向けて体調を整えるためとのこと。暖かいお酒はアルコールの分解をたすけ、翌日に備えるためなのだとか。(天邪鬼なわたしは、酒飲みにとっての福音と思いました)
なんだか人生の楽しみを覚えてしまったような。

さて、 今日は、週末に向けてショルティの《ばらの騎士》を。第一幕を聴いています。最後のマルシャリンのモノローグの部分?意外にも濃くて甘い味わいです。ショルティらしい。もっとすっきりした辛口の味わいと思いました。

R.シュトラウス:楽劇「ばらの騎士」
ショルティ(サー・ゲオルク) ユングヴィルト(マンフレート) クレスパン(レジーヌ) ミントン(イヴォンヌ) パヴァロッティ(ルチアーノ) ヴィーナー(オットー) ドナート(ヘレン) ディッキー(マレー) デルモータ(アントン) ラクナー(ヘルベルト)
ユニバーサル ミュージック クラシック (2012-10-17)
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そうか。齢を重ねるというのは、ねっとりとした甘い味わいにも似たものなのか、などと思います。酸いも辛いも越えた甘さのようなもの。飲み干せば、その先には甘い酩酊と倦怠という魅惑と倦怠が待っている。が故に、さらにそれを越えなければならないということ。

マルシャリンのモノローグは、そうした、時間と齢の超越がありますので、これでいいのかなあ、などと。 新国立劇場の第一幕の最終部分、降りしきる雨が窓をつたい、そこで元帥夫人がタバコを吸うという、シーンが有ります。あの身を切られるような倦怠と諦念こそが、人生の行き着くところではないかともおもいますが、そこまで行くのはまだまだ先なのかなあ、とも。まだまだそこにいくには小童すぎます。

先日、ラジオを聴いていたら林真理子さんがゲストでして、「咲いてこそ花!」という言葉をおっしゃってましたが、花が咲いて甘い匂いをだして、その先の倦怠、というのが人生なのかも。 なにはともあれ、明日には現実に戻らないと。

ではみなさま、ゆっくりお休みください。グーテナハトです。

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Apple Watchつれづれ

写真 1 - 2015-05-27

Apple Watchを使い始めたのが4月29日でしたので、ちょうど4週間になります。音楽にも本にも全く関係ありませんが、感想などを。

総評

総評ですが、いくつか。

これは、iPhoneと密接な関係にあるデバイスです。iPhoneが母艦で、母艦の偵察機的な役割を果たすのがWatchである、といえます。 4週間つかいましたが、Appleは、うまくバランス撮ってってきたなあ、と思います。

背景が黒なのは、バックライトをなるべく使わず、バッテリーの消耗を防ぐためでしょうし、ウェブ閲覧ができないのは、Watchの画面でウェブをみても意味がないから割り切ったのでしょう。

また、時計の種類も抑えていますし、まだ、サードパーティの時計をリリースさせていません。粗悪なサードパーティアプリが出てくると、過度にバッテリーを消費する、などの影響があるかもしれず、そうしたことを懸念しているためではないか、とも思っています。

それから、デジタル時計ではなんと秒読みがありません。これはスペックを抑制することで実用性を確保した結果といえそうです。。

日本のメーカーなら、多機能勝負するところを、ドライにバランスを取っているというわけで、さすが、と思います。

逆にいえば、こうした割り切りに不満を持つ向きもあるはずですけれど。たしかに、操作がもたつ場面も多々あります。Siriがうまく立ち上がらなかったり、アプリケーションを開くのに時間がかかったり、ということです。特にグランスに入っていないアプリを立ち上げようとするとかなり時間をとります。そうしたパフォーマンス面は、今後のチューンナップなどで改善していけばいいなあ、と思っています。

私の思うメリット

ですが、それにもまして余りあるものがあります。この辺りは個人の価値観の差かもしれませんが、iPhoneをかばんやポケットにしまって、観られないような環境にあっても、Watchがあれば、常に外界とのコンタクトがとれているという安心感です。

さらに、音ではなく振動で通知を知らせてくれますので、うるさいところで聞こえないのではないか、とか、マナーモードにしていて聞こえないのではないか、などの杞憂に悩まされることはないのです。

手首に振動が来れば、さすがに気づくことができます。ですので、安心して仕事に集中することができます。

たとえば、子育てをしている方とか、介護をしている方など、緊急の連絡を常に受けたいような方にとっては、いつなるか分からない電話を過度に気にすることなく仕事に集中できるはずです。

そうでなかったとしても、たとえば、30分と決めて仕事に集中しよう、という時などは、タイマーが振動で30分という時間を教えてくれますので、仕事場のメンバーに気兼ねせずタイマー設定を行えます。

もしかすると、仕事をする上で、直接的ではないにせよ、間接的に大きなアドバンテージをもたらすデバイスなのかも、と思っています。

(Watchの振動ですが、そうそう強いものではありませんので、眠っている時には気づくことはないとおもいます)

取り急ぎグーテナハトです。まだ続くかも。。

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人間は腹をくくった分だけ価値があがる

半年ほど前に、仕事場で講師をやりました。トラブル発生時の心構えのような講習だったのですが、「こういう時はまず最初に腹くくってください!」と言ったシーンを思い出して、はて、そういう自分はどれぐらい腹くくったかな、と思いました。

腹くくって、腹がへこむといいのですが。

あるいは、そろそろ大きく腹をくくってみてもいいのかもね、などともおもいつつ。

今日は、帰宅に際して、大音量でハイティンクが降る《アルプス交響曲》を。

R.シュトラウス:アルプス交響曲
ハイティンク(ベルナルト)
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指揮者も、指揮台に上がる時には腹をくくるのでしょう。ハイティンクも腹をくくっているのでしょうか。

かつて見たテレビ番組で、とある指揮者が、楽屋で「緊張するなあ!」と大声をあげたのが印象に残っています。あんなに自信たっぷりににこやかにやっているのに、あれは演じているのですね、という感じ。

演じるのはどこの世界でも同じです。腹をくくれないと演じることなんてできませんから。

ということは、ずいぶん私も腹をくくっているかも。でも、もっとらくくらないと。

ではグーテナハトです。

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正月を「棄てた」辻邦生

先日の喰違見附の記事の出典を探すために読んでいたこちらの本。ついぞ見つからなかったのですが、ついつい読みふけってしまいました。

写真 1 - 2015-05-24

時刻(とき)のなかの肖像
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辻 邦生 新潮社
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この本を買ったのはおそらくは1992年だと思います。もう23年前になりますか。当時は古書店に行く習慣もありませんでしたので、駅前デパートの書店で新刊として購入しました。当時1500円ですが、今から思えば安いと思います。いまなら2000円以上はするのではないでしょうか。

このなかに「初日影のなかで」というエッセイが収められています。
ここでは、辻邦生が正月になると「どこかに逃げ出す」ということから始まります。正月は、自分一人で自分流に新年を祝うというわけです。

その後、特に日本的な正月が嫌いなわけではない、というふうに続き、幼い頃の正月の美しい思い出や、パリ留学時代の正月の思い出などが綴られます。

正月は静かに明けてくる朝のすがすがしさがよく、初詣は、大勢の参拝客でごった返すようなものではなく、「霜の暁闇の震源な気分」や「太古の清浄感」などとあります。

しかし、ある時期それを棄てた、といいます。その理由は、「戦前の古い生活形態や戦争中のいまわしい記憶が、そこにまつわりついていたから」であり、「古い亡霊までよびだすのでは、なんともやり切れない。だれだって、戦後三十年をムダに暮らしたわけではない。亡霊はもういなくなったと思って古い部屋の鍵をあけたら、またそれのとりこになる、では、戦後が何のためにあったのか、わからなくなる」と書いています。

やはり戦争中を体験した方にはこうした共通意識があるのだなあ、と思いました。今年は戦後70年にあたりますが、1978年がすでに40年近く前となっていて、と思うと、当時は、ついこの間戦争をしていた、という気分だったのだろう、などと想像すると、なにか辻邦生の感覚が理解できるような気がします。

「時代を生きたということ」と、「歴史として知っているだけ」ということのあいだには、決して乗り越えることのできない壁のような大きな断絶があるのでしょう。それを乗り越えようとしても乗り越えられないのでしょうから、乗り越えられないと思えば、壁の向こうにあるだけで、耳をそばだてても、目を凝らしても、ただそこにあるのは、無機質な未知でしかない、ということになるのだと思いました。

一方で、辻邦生は、正月があってくれたほうがいい、と言ってエッセイを締めくくります。自分流に深く正月気分を味わうために、正月から逃げ出すのだ、ということなのだそうです。

初出は1978年1月1日。読売新聞に掲載されたものだそうです。そうした事実もまた味わい深いものがあります。

では、おやすみなさい。グーテナハトです。

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赤坂喰違見附界隈

紀尾井ホールは、四ツ谷から赤坂方面へ、上智大学横の土手を歩いたところにあります。 辻邦生は赤坂界隈に住んでいたことがあり、その頃の遊び場が、紀尾井坂から外堀をわたる喰違見附界隈だったはずなのですが、出典が見つけていないので、しばらくお待ちを。 都内中央とは思えない風景です。紀尾井坂と同じく木々が育ったなあ、という印象です。 かつて、ここで岩倉具視が襲われたとか。土地にそういう史実が残るのも東京の楽しみですね。     ではおやすみなさい。

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ピンカス・ズーカーマンを紀尾井ホールにて

最後に追加した項目-275 今日は仕事帰りに紀尾井ホールで、ピンカス・ズーカーマンを聴いてきました。

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Pinchas Zukerman Sony Classical Imp (2013-04-30)
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ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第一番と第五番「春」、それから奥さんのアマンダ・フォーサイスを加えてのピアノ三重奏曲「大公」の3曲です。

ズーカーマン。音には甘みというよりも鋭さのようなものがあるのですが、そうでありながら水がしたたるような潤いがある音でした。

急に行くことになったので、特にヴァイオリン・ソナタ第一番の予習がいまいちだったんですが、それでもやはりソナタ形式や、ロンド形式だったりしますので、楽曲の構成がよくわかります。だいたいの全体観をつかみながら、ああ、こうくるか、みたいな頭の体操を楽しんだかんじでした。

音楽というのは、演奏するには訓練とか才能とかが必要で、私はどうやらそうした才能にはあまり恵まれていないのではないか、と思うこともしばしばですが、聴くことに関してはずいぶん訓練してきたなあ、と思います。ただ、楽譜の裏付けがないので、そこが永遠の課題です。

それにしても、「春」とか美しいですよね。あれ、下手でもいいから弾いてみたいと思いました。バルトークの教え「下手でもいいから楽器をやれ」(?)を最近忘れているので、そろそろ初めないとなあ、と思いました。

ちなみに、紀尾井ホール界隈ですが、20年ほど前の記憶があって、その頃と比べると、街路樹が鬱蒼と生い茂っていて驚きました。なんだか森のなかに道があるようでした。すごくいい雰囲気です。

最後に追加した項目-264

それでは、みなさまおやすみなさい。

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