7月29日は辻邦生のご命日

今年も今日という日が参りました。辻邦生のご命日です。

毎年、何度も、当時の思い出を書きましたので、今年はあまり語らないようにします。あれから16年となりますね。早いものです。

「人間であること」を除いたら、いったい何のために生きているのか。太陽を、河波の反映を、雲を、葡萄酒を、通り過ぎる女たちの微笑を、心から楽しまなくて、どうして生きているといえるのか ──

3月にも紹介した一文ですが、何度読んでも心を打たれます。

http://museum.projectmnh.com/2015/03/28235647.php

辻邦生の言葉を読むたびに、真剣に生きるということはどういうことなのか、ということを教えられます。ただ、それは、真に純粋なものであるので、この世界では簡単には得ることのできないものなのだと思います。

ですが、その真剣に生きる、ということも、時代に沿って変わっていくものでもあるのでしょう。

おそらく、ですが、そこにあるのは、一貫して、人間が人間であることの証明としての芸術、ということだったのだと思います。

地球上の存在の中で芸術を作れるのは人間だけです。物を食べ、歩き、呼吸し、争い、会話し、喧嘩をするのは、人間以外でも可能です。が、芸術作品だけは、人間だけしか作れません。がゆえに、芸術作品こそが、人間を人間たらしめているものなのである。芸術作品とは、芸術作品そのものではなく、おそらくは何かを美として認識するそのプロセスにおいてあるものでもある。

(我々がわからないだけで、動物も芸術作品を作っているかもしれませんが、それがないとして、ですけれど)

これが、私の捉えている辻先生のメッセージなんですが、まあ、出典なども不明瞭ですので、多分に私の曲解が入っているんだとは思います。

であるがゆえに、私たちはどうすればいいのか。真剣に生きるということとは、別に社会を投げ出してどうこうすることでもないはずであり、今ここでできる生きることをすれば良い、ということなのです。

が、具体的にはどうすればいいのかは、探すしかないんでしょうけれど。

最近、本が読めないというのは、先日書いたとおりです。少し、頭を冷やしたうえで、生活を乗り越えていかないと。

などというかたちで、今日はここまで。明日からまた頑張ります。

ではグーテナハトです。

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つれづれ──熱暑な毎日

夏やわー。

しかし、暑い日々が続いています。

昨今は、どうにも時事ニュースばかりが気になる日々で、なかなか読書まで到達できません。活字は常に読んでいるのですが、読書に到達する前に終わってしまうのですね、これが。

そういえば、「超整理法」で有名な野口悠紀雄さんだったと思いますが、「新聞を読まない」という時間創出アイディアを提唱しておられたのを思い出しました。

また、二週間ほど前のNHK-FM「トーキング ウィズ松尾堂」に出演していた谷川俊太郎も、「情報を制限したい」とおっしゃっていて、本当にその通りだなあ、と思います。

Facebookなどには、友人の記事だけではなくフォローしているベルリン・フィルやバイエルン国立歌劇場とか、あるいはプラシド・ドミンゴの記事なども出ていたりします。また、経済情勢や国際情勢の専門家が直接書く記事なども読めるわけです。

すでにFacebookが情報ハブのようになってしまい、様々な事情に配慮する通常のマスコミには出ないようなかなり有用な情報も得られたりするので、チェックしないわけには行かなくなります。

本当に、断捨離しないと、と思うこの頃です。

それにしても、夏こそは、夏休みと思っていましたが、先日、十分休めないまま終わってしまいましたし。グチャグチャになっている頭のなかを整理したいです。

そうこうしているうちに、バイロイト。キリル・ペトレンコの「ヴァルキューレ」は今晩です! ティーレマンの「トリスタン」は聴きたかったですが、後の祭り。再放送があればいいのに。

それではおやすみなさい。グーテナハトです。

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私のストレス解消

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はじめに

夏の日々、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

東京地方もやはり暑く、今日の自宅近辺は35度だったようで、あすはもう少し上がるとの予報です。

こちら、先週撮った夕暮れの写真。秋の空、というにはまだ早いですが、夕陽が美しい日が続いています。

私のストレス解消の方法

さて、この一年、2日に一度ほどのペースで、泳いでいます。ほんの10分から15分ぐらいですが、これがなかなか良いのです。

ところで、先日読んだウェブの記事。

どうやら、ストレスを解消するためには、運動をする、呼吸活動(ヨガ、瞑想、早足散歩)をする、音楽活動をする、ものを書く、という4つが効果的なのだそうです。

http://toyokeizai.net/articles/-/74334?page=4

音楽を聴いたり、ものを書くことはしていましたが、運動と呼吸活動はしていませんでした。

で、泳ぐと、この運動と呼吸活動が埋まる、ということになりそうです。10分程度泳いだことが運動になるかどうかはわかりませんが、まあ体が火照るぐらいにはなるので、おそらくは有酸素運動にはなっているはずです。

また、泳ぐということは、規則的に呼吸をすることになりますし、泳ぎながら心を無にしたり、あるいはぼーっと何かを考えることもできたりします。私の場合、いろいろな発想は、泳いでいる時か、シャワーを浴びたり湯船に使ったりしているときに訪れますし。

ちなみに、おそらく脳内血流がよくなるのか、以前よりもずっと面白い発想が浮かんだり、仕事が捗るようになった気がします。錯覚かもしれませんが、まあそう思っておいたほうがハッピーなので、そう思っておきますけれど。

そのデメリット

ということで、いいことづくめのはずですが問題も幾つか。

つまり、時間がかかるということです。自宅近くにあるとはいえ、一回に45分ぐらい時間がかかってしまいます。週末はともかく、平日は帰宅時間も遅くなり、なかなか自分の時間を作れなくなります。

そうなると、なぜかしわ寄せがものを書く活動に来てしまい、、みたいな状況で、最近、このブログを書く頻度が落ちてしまっているのもこれが原因の一つではないか、と。

(なんだか、キータッチも遅くなり、ミスタッチも多くなってしまっているという状況も。先日のシャットダウンデーがまずかったのか…)

今後は、通勤時間をもう少し活用できるように画策中です。具体的には、通勤時間に活用できるインフラを整えようかと思っています。9月以降までお預けではありますが。

今日も、徒然な感じですが、ここまで。

今日の一枚

今日もこちらを。なんだか毎日聴かないと気分が晴れません。なんですかね、このヒーリング感。アンビエント、ラヴ。

ではおやすみなさい。グーテナハトです。

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エレクトロニカというジャンル

エレクトロニカ、というジャンルに興味があったのですが、なかなか手を出せずじまいでした。ですがApple Musicのおかげでようやく勉強できるようになりました。

よく、「クラシックといっても何を聞いていいのかわからない」といった意見を聞くことがありますが、あまりピンときたことがありませんでした。そこにあるものを聞けばいいのだ、と思うからです。

ですが、いざ自分が新しいジャンルを登ろうとすると、途端に同じ疑問を感じてしまいました。何聴けばいいのか、と。やはり、歳を重ねて、時間も限られている中にあっては、体系的に効率よく聞かないと、と思ってしまうようです。手当たり次第だと、いつまでたってもわかったことにならないのではないか、と考えてしまうわけです。

そういう意味では、信じていいものかはまだわからないものの、Apple Musicのプレイリストはひとつのとっかかりにはなるのかも、と思いました。これは、大きな利点です。

また、ミュージシャンにとっても、こうした隠れた需要を掘り起こせるという点ではメリットがあるのかもしれません。(依然として、誰が得をするのかはわかりませんが。また新たな視点を見つけましたので、また書こうと思いますが)

ちなみに、このプレイリストの信憑性というのは、先日も触れましたが、クラシックのプレイリストであきらかな間違いを発見したので、感じているものです。

プレイリストをとっかかりに見つけて聴いているのは、The Orbというイギリスのグループ。90年代のアルバムを。

The Orb’s Adventures Beyond the Ultraworld (Deluxe Edition)

ミニマル、アンビエント、といった言葉を連想させるもの。ライヒのような繰り返しの旋律は、恐らくは人間の原初的なものを揺さぶるのでしょう。私はとくに、複雑な網の目のような旋律が現れたところでグッと引き込まれました。

新しいものと言っても、いまから20年前の音楽です。シンセサイザーの音も何か懐かしさを感じます。が、なかなか刺激的です。
今日も全国的に暑いようです。みなさまどうかお気をつけて。

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久々に日本文学を──上村亮平「みずうみのほうへ]

はじめに──久々に日本文学を。

最近の日本文学がどうなっているのか、正直あまりおさえていませんでした。ですが、最近また文学ブームになっているようで、私もブームに乗り遅れないようにしないといけませんので(?)ちょっと読んでみることのしました。

上村亮平「みずうみのほうへ」

とても重く、切なく、心に残る小説でした。

まずは、なんとも「読みにくさ」を感じました。なぜ読みにくいのか。それは、あまりに情感に訴えられるものだから、です。ここまで心が乱されるようなせつなさを読まされるというもは、かなりの苦痛を感じるのです。

ですが、文学というものが、こころを動かすものだとすれば、この作品にには、あまりにも感情が揺さぶられるがゆえに、あまりに文学的だ、といえると考えています。

父親と二人暮らしだった私にとって、その父親というのは、なにか不思議な魅力を持つ人物で、いつもでっち上げとも言えるような楽しい話をいくつも聴かせてくれるのだけれど、とある日にフェリーに乗った夜、船内で消息をたってしまうという物語の最初から、父親の存在と、それが海へと消えていったというイメージからして、なにか心をかき乱されるのです。

港町で働く私、サイモンという男、隣の家に住んでいた少女との思い出、アイスホッケー場で見かけた女、その夫、それからサイモンが面倒を見ていた移民の男の子という登場人物は、いずれも関係があるわけですが、明示的な記載は少なく、論理整合性というようなものがあまりありません。

たゆたうようでいて幻想的とも象徴的とも言える幾つかの印象的な場面があり、読者の解釈の自由が多く残されているように思います。

どうもオペラをこの10年観ていたということもあって、テクストの解釈とか、テクストをどう表現するのか、というようなことを考える習慣のようなものができてしまいました。この「みずうみのほうへ」は、素材としての文学が、読者においていかにして昇華していくのか、ということが問われているように思います。

とにかく、読むのが辛い小説なのですが、それはあらゆる悲劇と同じなのでしょう。もちろん、この作品の最期はハッピーエンドにもとれますが、ですが、それを許さない世界の重さをも感じるものであったと考えています。

今日の一枚

セルジオ・メンデスって、2011年の東京JAZZに登場しましたね。懐かしくてApple Musicで聴いてしまいました。
リー・リトナーも、かつてセルジオ・メンデスのバンドに傘下していたようで、リトナーのブラジリアンテイストの源流がセルジオ・メンデスにあることをあらためて認識しました。なんだか夏らしい曲で、散歩しながら聴いたのですが、なかなか楽しい体験でした。

それではまた。グーテナハトです。

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Apple Music はTowerを倒すのか? その4 聴き方が変われば音楽も変わる?

はじめに

あー、これやられてしまうと、レコード店は辛いですね。

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前から欲しかったロリン・マゼールの初期録音が収められたボックスセットですが、Apple Musicで聴けてしまうのです。ちなみに、某レコード店では8,000円弱で売られているものです。

The Complete Early Recordings on Deutsche Grammophon

本当に複雑な心境です。こうやって、文化というものは変わっていくのですね。

音楽の聴き方が変わる

今日はこちらも聴きました。Incognitoの昨年のアルバムであるAmplified Soulです。

Amplified Soul

いや、本当にカッコイイアルバムでしたよ。特に、14曲目のNever known A Love Like This。このホーンセクション、かっこ良すぎですわ。

今までであれば、このCDを買うかどうかをしばらく逡巡して、買おうと決めてから実際に手にした後に、ワクワクしながらCDプレーヤーに入れて、再生ボタンを押して、あ、カッケーとなるのが気持ちよかったのですが、今となっては、1クリックで聴けてしまうわけです。かつての、あの聴きたいと思ってからのタイムラグというものがまったくなくなってしまいました。

さらには、せっかく買ったのだから、何度も聴かねば、というある意味庶民的、あるいは学生的な感覚というものもなくなってしまうのでしょうか。かつては少し聴いただけで分からなければ、(せっかく買ったのだから!)何度か繰り返し聴くうちに、理解が深まり、ああ、イイ曲だったね、イイアルバムだったね、ということが会ったのです。ですが、Apple Musicではそうしたこともなくなる可能性があります。どんどん聴いて、気に入らなければその場でどんどん切り捨てていくという聴き方になってしまう恐れがあります。

こうした音楽の聴き方の変化というのは、CDが登場した時にも議論されたの ではないでしょうか? レコードのA面B面の裏返しがなくなるとか、頭出しが容易になるので、アルバムすべてを聞くことがなくなるのではないかといった議論です。

レコード時代からCD時代になって、音楽の聴き方が変わったかどうかは私にはわかりません。というのはレコード時代を知らないからです。

私が現代のストリーミング・ネイティブな方々の感覚を相互で理解できないように、私もレコード時代を知っている方と真に分かり合えることはできないのではないだろうか。

そうやって、時代とともに音楽とは変わっていくものではないか。同じ音楽であっても聴き方に酔って意味は変わるだろうから。

などと思います。

今日も妄想続きです。まったく。。

では、おやすみなさい。グーテナハトです。

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リブロよ、さらば。

なんとも寂しい限り。

はじめに──PC、スマホ、活字を断つ

今週、夏休みです。夏休みに是非やりたかったことが二つありました。一つは、一日でもよいので、PCやスマホを全く使わない日を作る、ということです。もう一つも同じく、一日でも良いので、活字を絶対に読まない日を作るということです。

今週の火曜日、水曜日と、PCもスマホも使わず、活字を読みませんでした。やってみて思ったことは、いつもと違うアンテナが強くなるということです。どうしても、ウェブの情報を多かったのですが、PCもスマホも活字も断つと、情報はテレビやラジオとなってしまいます。

おかげで、テレビの良さを少し見なおしたりしました。結構ETV(教育テレビ)が面白いです。「100分de名著」という番組では、小泉八雲「日本の面影」特集をやっていて、明治期の失われた日本文化のようなものを垣間見たりしました。

それから映画の大切さもあらためて痛感しました。120分という凝縮された時間のなかにストーリーを埋め込むという作業は驚異的ですね、などと。映画も観ないとなあ、とあらためて。

リブロよさらば──リブロ池袋店の閉店

昨日から、ようやく活字を読み始めました。もう少し新鮮味を感じたりするはずでしたが、淡々と新聞を読み始めたり、本屋に行ったりしました。

その本屋というのが、リブロです。リブロの池袋店は、セゾン文化発信の場として有名でした。人文思想系の品揃えが素晴らしく、というのが決まり文句のようですが、確かに、一階の一等地に思想書が沢山並んでいたのをつい最近も驚いたものです。また、地下の文学関連や文庫の品揃えも素晴らしかったです。採算に合うのか、本当に心配に思ってしまう程です。

数年前までは、家が遠かったこともありあまり利用する機会もありませんでしたが、この数年は池袋に立ち寄る機会が増えたこともあり、良く利用していたところでした。本当に残念です。

報道によれば、リブロの後継は三省堂書店池袋本店となるそうです。なにかリブロのとがったところが好きだったので、そうした路線がなくなることは本当に残念です。特に書籍館1Fの下りエスカレータの前にあったカルトグラフィアコーナーの企画なんて、本当に尖ってましたし、最近もそこでずいぶん勉強させられました。

終わりに

にしても、本読まないと。でも、こうやって「読まないと!」と意気込めば意気込むほど不毛な読書になりがちなので気をつけたいものです。活字断ちは、なにかこうした変な意気込みをデトックスしたかったというのもあるのですが、2日ぐらいでは効果は現れませんでした。つうか、本当は本が嫌いなんじゃないか、と疑ってしまう今日このごろです。

ではおやすみなさい。グーテナハトです。

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Apple Musicを楽しむ──チェリのブル7を再発見

引き続きApple Music

今日も引き続きApple Musicを楽しみました、Woody Hermanや菊地成孔などを楽しみつつ、ブログ記事を書こうと思いました。

Apple Musicには、For You、New、Radio、Connectをいう4つのセクションがあります。

For Youというのは、最初に設定するお気に入りのジャンルやミュージシャンにあわせて、様々なプレイリストやアルバムをサジェスチョンしてくれるものです。どうやら再生すればするほど、その傾向を見ていて、プレイリストのバリエーションが最適化されてくるようです。

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Newでは、お気に入りのジャンルにとらわれずに、全てのジャンルの楽曲を選ぶことができます。あるいは、iOSのiTunesでは、自分が探したい楽曲を選ぶのはこのNewがスタート地点になるようです。

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Radioはまだつかっていませんが、どうやらApple Musicの目玉の一つのようで、キュレーションされた音楽が提供されるようです。

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Connectでは、フォローしたミュージシャンからのメッセージを読んだり聴いたりできるようです。私の場合、EWFとサイモン・ラトルが表示されています。今後、増えていくのかと思いますが、これからの機能でしょうか。

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今日の一枚

で、面白かったのは、このプレイリストの中で、ミステイクを見つけたことです。最初だけの混乱かと思いますけれど、とある有名作曲家のプレイリストだったはずが、そこに誤った作曲家の楽曲だけが登録されていたというものです。一応フィードバックしてみましたが、最初なのでいろいろ混乱があるのかもね、と思いました。

ちなみに、そこに含まれていた誤った作曲家の楽曲というのがこちら。

Symphonies 3-5 & 7-9 (Coll)
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Deutsche Grammophon (2004-11-09)
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チェリビダッケが振ったブルックナーの交響曲第七番の音源です。チェリビダッケのブルックナーといえば、ミュンヘン・フィルとEMIに残した音源が有名ですが、グラモフォンにも、シュトゥットガルト放送管との音源が残っています。そちらの音源を聞いているのですが、録音も良く、ミュンヘン・フィルとの音源ほどテンポが緩くなく、実にスッキリとした端正で美しい演奏なのです。ちょっとこれはいいなあ、とあらためて聴きほれてしまいました。ちなみに、私、このCDもっていますが、この10年ぐらいお蔵入りでした。そういう意味では、Apple Musicのお陰でいろいろと新たな再発見をしたことになり、ますます音楽が楽しくなってきました。

ついこの間まで、なんだか新しい音楽の切り口がなくて悶々としていたのですが、Apple Music
のおかげで、立ち直れそうです。

ではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

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Apple Music はTowerを倒すのか? その3 音楽の変質のプロセス?

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すっかり夏ですね。木々の葉の色も濃い緑色に変わってきました。

今日から夏休み(的なもの)に入りました。今回は、自宅で家事などをしつつ、本を読んだり、環境を整えようと思います。旅行などに行ければいいのですが、今回は見送り。近場の古い町並みを見るぐらいにしようかなあ、と。

今日もApple Musicのことを。

歴史のプロセス

それにしても、これは音楽の歴史が変わる過程の一つなのでしょう。

ナップスターや、iTunesストアなどのストリーミングへの移行は、コンサートからレコードへ、レコードからCDへ、という媒体の変化の一つとして捉えられると思いますが、従量制ストリーミングから、定額制ストリーミングの移行は、音楽とのつきあいかたが変わるという意味において、一つの転回です。

これまでは、金銭を対価に選んだ音楽が、金銭とかかわりなく選べることになるのですから。そうした時代はあったでしょうか? 18世紀の王侯貴族以降はなかったでしょう。

こうした、選択の自由は何をもたらすのかといえば、音楽の希少性が失われるのではないかということでしょう。これも、古い音楽家達がよく言っていることですが、音楽がますます消費される対象となる、ということです。

このなんでも聴けてしまう、という事態は、音楽の希少性が剥がれていくことになるのでしょう。

あの、ありがたく買いに行ったCDが、いまや検索窓から探せばなんでも聴けてしまうというわけなのです。

ここで「音楽の希少性」ということを言ってしまう自体がこの音楽がある種の宗教性を持っている、という臆見に基づくものなのでしょうか。あるいは、「芸術」というジャンル全体のもつある種の「希少性」、「ありがたみ」が変質してきているということなのでしょうか。

(この希少性を「アウラ」と言っていいものなのか、悩んでいます)

19世紀ロマン派以降、音楽はある種の宗教であった、ということを、岡田暁生さんが「西欧音楽の歴史」のなかで指摘していました。

私は、大学で新カント派哲学の一端に振れましたが、そこで語られていたのは、ロマン派的真善美だったように思います。その事自体、教授に笑われましたが。いまや、音楽の中の宗教性や精神性といったものよりも、別のものに音楽は変わりつつあるのでしょうか。

音楽の自由。あるいは音楽のコモディティ化

もしかすると、それは音楽が大衆に戻ってくるということなのかもしれないと思いました。

19世紀から20世紀にかけては、ヴィルトーゾや大スターの時代でした。音楽というものに近づくことは難しく、演奏者は神であり、コンサートは宗教儀式であり、CDを買うことはお布施にも近いものでした。(極端ですが)

ですが、テクノロジーの発達で、音楽というものへの敷居が下がっているということなのでしょう。

プロのミュージシャンの音楽をApple Musicで廉価に聴くことができる。

あるいは、自分もガレージバンドなどのDAWで手軽に音楽を作ることができる。仲間と時間と努力で、バンドを組んでライブステージを行うことができるという時代です。

音楽が選ばれた人のものではない時代なのでしょう。

この状態を「音楽の自由化」と言うと聞こえはいいですが、一方で「音楽のコモディティ化」という言葉が浮かんできてしまうのです。

だれでもどこでも聴ける音楽。ファーストフードかコンビニエンスストアのように。

そうだとすると、ますます音楽の作り手がいなくなってしまうのではないか。音楽の質はどうなってしまうのか、などなど考えてしまうのです。

それでは、みなさまおやすみなさい。グーテナハト。

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Apple Music はTowerを倒すのか? その2 リスナーにとっての利点は実のところどうなのか?

はじめに

今日はApple Music のリスナーについての利点についてです。
ですが、実際には利点というのはかたるまでもない単純なものなのです。

当然ですが、なんでも聞けます。これに尽きます。

ハービー・ハンコックもチック・コリア、ベームのばらの騎士も、ベームのモーツァルトの交響曲全集もなんでも揃ってます。

私はこれで、ハービー・ハンコックのおさらいをはじめました。最新アルバムのThe imagine projectから、Riverへの遡ろうとしています。今日だけで2枚のCDを買ったのと同じことですので、すでに5,000円程度の効果があったことになります。

私は、昔よく聴いていたミュージシャンの最近の状況を真っ先に確かめたくなりました。

David Binny、Nelson Rangel、Najee、Spyro jyra

といった方々。

それから、なかなか手が出ない音源も聴けます。私が今聞いているのはこちら。

Parsifal
Parsifal

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R. Wagner
Mariinsky (2010-09-14)
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ゲルギエフの《パルジファル》です。 まともに買うと5,000円を超えてしまうわけですが、これも聞けてしまうという状況です。素晴らしいことこの上ありません。

実のところどうなのか?

リスナーにとっては、短期的には素晴らしいことのように思います。

ですが、実際にはどうなのでしょうか? という疑問がつきまとうのです。

少し古いですが以下のデータ。

http://soundrope.com/blog/howmuch-artists-online/

Apple Musicではありませんが、ストリーミングでミュージシャンが、月給で13万円を稼ぐためには、Spotifyで111万回以上の再生が必要なのだそうです。

消費者にとってはリーズナブルに見えますが、ミュージシャンにとって本当に収益となる仕組みになっているのか、という問題です。

音楽のコモディティ化

この十年ほど感じている、ミュージシャンのコモディティ化が進んでしまうのではないか、という問題です。

この20年ほどの技術革新でだれでも発信することが可能となりました。こうして私がブログを書いているのもこの技術革新のお陰です。また、だれもが素晴らしい写真を取ることができるようになったのはデジタルカメラの恩恵です。また音楽面でも同じでしょう。素晴らしいDAWソフトが沢山出てきましたので誰もが音楽を手軽に作るようになりました。

そして、現在の状況。どのような素晴らしい音楽を作っても、実際にお金になることはなく、だれもが同じように扱われてしまうコモディティな商品になってしまうのではないか。

それは結果的には、音楽全体にとっては不幸なことなのではないか、という疑問です。

今回のようなApple Musicのスキームによって、これまで音楽を聞かなかった人が音楽を聞くようになるかもしれません。あるいは、CDを買う機会を失っていたかつての音楽愛好家が音楽を聴くようになるようかも知れません(わたしのように?)。そうだとすると、音楽の裾野がひろがります。たとえ、音楽トラック一つの単価は下がったとしても、需要が喚起され、結果的にはミュージシャンの売上を向上させる可能性があるとされます。

ですが、本当にそうなるのか? という懐疑があります。

また、実際には、多数のリスナーを獲得したミュージシャンだけが生き残り、ニッチな分野で活躍していたミュージシャンは、かえって売上を落としてしまうかもしれません。

たとえば、現代音楽のような分野においては、5,000円のCDを10人買っていればよかったかもしれません。ですが、その10人がCDを買わずに、Apple Musicのようなスキームでのみ音楽を聞くようになったとします。そうだとすると、現代音楽はこれまで以上のリスナーを獲得しなければ同じ売上を得ることはできません。

そうだとすると、音楽はどんどん人気さえあればいい、とか人気がなければならない、という方向に流れることはないでしょうか?

いや、人気があるのはいいことです。ですが、芸術というのは人気とは相容れない部分もあることは確かです。民主主義と同じで、多数決が良いとは限りません。
そうだとすると、私には、このリスナーにとって、経済的に実にリーズナブルであるApple MusicやSpotifyに代表されるストリーミングによる音楽配信は、実際には、音楽というものを衰退させる者になりうるのではないか、と思ってしまいます。

これは、もちろんいろいろな方がおっしゃっていることだと思っています。

また、音楽だけではなく、その他の文学や技術がどんどんコモディティ化しているという昨今の私の世界認識もかさなっています。

希望はあるのか?

救いとして考えられるのは、Apple Musicがうたっているように、ユーザーが1億人、あるいはそれ以上になって、もっと音楽を聞く人が増えることです。そうすれば、かつてのAmazonで生じたロングテールのメリットというものが出てくるはずです。先に触れた、裾野の広がりを想像以上のものにするのです。

先ほど書いたような、現代音楽を聴く10人が、もしかすると100人に増えるかもしれません。あるいは、1万人になるかもしれません。そうすると、逆にニッチな音楽が生き残ることができるという事態にとうたつするかもしれないのです。

ともかく、これが、後世にあって「音楽を破壊した」などと言われないように祈るのみです。我々にできることといえば、せっせと好きな音楽を聞き続けるということだけでしょう。あるいは、たまにはCDを聴くとかコンサートに行くとか。

私は、完全にこれまでCDを買っていたレガシーな音楽リスナーが、Apple Musicに移ってきたという視点で書いています。この10年ほどのストリーミングやiTuneストアに代表されるダウンロード型のコンテンツに慣れた方々であれば、別の感想を持たれると思います。新鮮味もないでしょう。

これが、もし革命だとしたら、私は早く新しい世界観に慣れなければならないはずです。ですが、古い時代を知っている人間には、そうした古い時代を生きてきた経験を、新しい革命後の世界においても生かさなければならないのでしょう。ちょうど、戦前派と戦後派のせめぎあいのように。

おわりに

きょうはついつい長くなってしまいました。ここまで書くと、最近キーボートにいまいち慣れていなかったこともあり、指がなんだか変な気分です。これは、ちょうど数日サックスをサボったあとに感じるあの指の違和感に似ています。

次回は、今日書いた懸念とは別の懸念を書こうと思います。つまり、それは音楽と相対する我々の変容の可能性です。

それはまた。おやすみなさい。グーテナハトです。

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