つれづれ──文字入力の記憶

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公園の鶏。この子たちは、別にゲージに入っているわけでもないのに、いつもここにいます。人間も、結局はこういうものなのかもしれないですね。

さて、先日、PCのOSをアップグレードしました。OSはEl Capitinになりました。

で、感動的だったのは、日本語変換です。これ、変換ボタンを押さなくても、どんどんと変換をしてくれるのですね。このブログでは、専門用語とか、文学的表現をあまり使わないので、この自動変換で随分助かっています。

私は高校時代にキーボードでブラインドタッチができるようになったと記憶していますが、そのうちに、別の日本語入力機構が出てくるはずで、それに対応できるかどうか、不安を覚えていたとも記憶しています。高校時代から未来の新しい未知のテクノロジを恐れていた感があったのだと思います。

実際には、そうした文字入力のテクノロジは、20年ほど前のポケベルへの文字送信であったり、ガラケーの文字入力であったり、あるいはiPhoneのフリック入力だったりするわけです。そういった文字入力に、ある程度は同調し、今でもフリック入力は随分と使っています。ですが、やっぱり一番早いのは、キーボードで入力するブラインドタッチです。

これ、私にとっては当たり前の帰結なのですが、もしかすると、年代が変われば、そうとも言えなくなるのかも、とも思っています。フリック入力のほうがキーボード入力より早いという若者はたくさんいるのではないでしょうか、などと思ったり。

また、キーボード入力も、QWERTYではなく、親指シフトの方が早い、という話もありますし。

いずれにせよ、同じ場所に安住することなく、次の新しいテクノロジを咀嚼し取り入れないと、と考えています。鵜呑みはいけませんが、味見はしないと、という感じ。

お金はかかるかもしれませんが、抑えるところは抑えて、でも今後生きていく上で必要なものにはきちんと投資しないと。これはもう設備投資と一緒の世界です。企業も個人も同じですね。

今日は短くこの辺りで。おやすみなさい。グーテナハトです。

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