Miscellaneous

Apple Watchを使い始めて半年以上が経ちました。いろいろと変わったことがありますが、一番変わったことは、1日の長さを実感している、ということだと思います。
Apple Watchには、日の出と日の入りを感じさせる幾つかの仕組みがあります。一つは、そのままですが、日の出日の入りを知らせてくれるもの。これは特に言うまでもない機能です。以下の画面ですと、右上に日の出と日の入りの時刻が表示されています。
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ただ、私は、これを見て、改めて、東京地方の場合、冬の太陽が16時半には沈んでしまう、ということを認識しました。これ、感覚的には早すぎ、という気がしてしまいます。

また、こちらの文字盤ですと、地平線と太陽の位置関係が分かります。1日の長さが実感できるのです。

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デジタルな機器でありながらも、こうした自然の感覚を分からせようとする仕組みは、とても面白いなあ、と思います。Apple製品のこういうセンスが好きだなあ、と思います。

今日で一つ仕事を終えました。来週からまた別の仕事に没頭する予定です。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

Photo

夏休みも終わり、明日からはまた日常が戻ってきます。
普段はいけないところにいろいろいけましたので、いい休みでした。

今日は、こちらも少しお休みです。

おやすみなさい。

Miscellaneous,Richard Wagner

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いや、ほんとうにすいません。夏休みシリーズということで、普段行けないところに行っているのですが、今日は関東某所のIKEAに行ってきました。

2年ほど前にも行ったことがありますので、今日が2回目。

で、建物の中に入ったとたんに妙な感動が。

えーっと、ドイツの空港の匂いがするのですね。これ、なんですかね。ドイツっぽい匂い。むんむんくる、ドイツの匂い。

この匂い、べつにビールの匂いでもなく、ザワークラフトの匂いでもなく、塗料とか接着剤とか、そういう化学的な匂いなのです。

それだけで、もうテンションが最高潮に沸騰してしまいました。

レストランでもハイテンション。なんだか、ドイツの美術館とか、大学のメンザの雰囲気がさく裂していて、無駄にたくさん注文してしまいました。でも2年前に行ったときに比べて、食事の値段は上がったような気が。円安ですから仕方ないのかなあ、と思っています。

売っている品も、なかなかおもしろくて、美術館を見ているようでした。ちなみに、いつものように、家族はどんどん先に行ってしまい、私だけじっくり見る、というパターン。これも、美術館に行った時と同じパターン。

しかしなあ、IKEAは商売がうまいですよ。順路が固定されていて、その順に歩いていくと、購買意欲がどんどんそそられていくのですから。最初に、部屋のコーディネート例をいくつも見せられるのですが、これが本当におしゃれで、狭い空間を本当にうまく使って、しゃれたコーディネートができますよ、というプレゼンテーションになっているわけです。その後、そこに使われていた製品順路上に何度も何度も登場します。フロアもまさに美術館のように順路で構成されていて、IKEAの意図通りの順番で商品を見て回るということになるわけです。

(ちなみに、抜け道がいくつかあるので、それがわかるとなお面白いのですが。)

先ほども言ったように、順路に従って歩いていくと、いろいろな商品が繰り返し登場するのですが、子供向けのぬいぐるみなどは、アクセントのように随所に現れ、子連れ客はその都度その都度対処が大変そうでした。全然関係のない売り場に突然ぬいぐるみが売っているコーナーが出てきますので、サブリミナルのように、何度も何度も子供に刷り込まれるという感じ。食器売り場のぬいぐるみにご執心になってしまった子供に困ったお母さんの独り言がみみにはいってきたのですが、「ここで売っているわけじゃないのかな、あ、でもバーコードついてるから、買っても大丈夫そうだね」なんてことを言ってました。

極めつけは、展示フロアの2階から、倉庫のある1階へ降りたとき。そこにも、なぜか子供向けのおままごと道具がディスプレイされていて、「あれ、買い忘れてません?」というIKEAのメッセージを感じたりしました。

この繰り返し繰り返し現れるというのは、まるでワーグナーのライトモティーフのよう、なんて。いやいや、欧州人はそういう構築美には長けていますから、共通するものがあったりして。

でも、ホスピタリティは十二分だと思います。素晴らしいなあ、とおもいました。やはり、二度来てもらうためには、お客を楽しまさなければなりませんし、失礼があってもよくないわけで、そういう意図はいろいろと感じて、さすが!、と思いました。

というわけで、北欧にちなんだ楽曲を。といっても、ワーグナー。

Wagner: Tristan und Isolde (3 CDs)
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スウェーデンの生んだ名歌手、ビルギット・ニルソンによる≪トリスタンとイゾルデ≫。まったく化け物のような楽曲なんですが。今日は、そこから最後の愛の死を聞いています。やっぱり、巧いのですが、なにか醒めた冷静さのようなものも感じたり。ベームもベームらしい雄大なもの。古き良き欧州って感じです。

それではまた。おやすみなさい。グーテナハトです。

Book

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先日、大学時代の友人と会った時、私は、これからはネットの時代だから、本もどんどん電子化されていくはずであり、徐々に紙ベースの書籍というものは淘汰されていくのではないか、ということを話しました。それ自体別に珍しくもない言説で、プロである彼にそんなことを力説するのは実際失礼にあったのかもしれないと、後から振り返って反省しました。

私は、iPodが2001年に発表された後の事が頭にあったのでした。iPodまでは、音楽といえばCDでした。ですが、iPodを買ってからは、購入したCDをせっせとPCにインポートして、それをiPodに入れて持ち運ぶ、というスタイルを実践して行ったのだと思います。

その後は、私の感覚では、CD文化は徐々に廃れてきたというふうに思っていて、若い人たちはiTuneなどのストリーミングで音楽を聴くか、ライブで音楽を聴くか、という状況のようです。

ですので、CDというものの形をしている媒体が徐々に意味を失っていった、というのが、iPod発売以降の音楽受容の歴史で、今となっては、iTuneでストリーミングを買う、という行為すら失われ、SpotifyやApple Musicといった定額課金制の音楽サービスが主流になっているのではないか、というのが、私の中での音楽媒体史観です。

その史観を本に持ち込んで考えているのが、先日までの私でした。本もいずれは、デジタル化され、KindleやiBook、あるいはKinoppyといった、電子書籍媒体でやり取りされるようになるだろう、というものでした。

ですが、やはり、それは違うのかも、というのが、この一週間の感想です。

それは、池袋のジュンク堂に行ったからですかね。ジュンク堂は言わずと知れた、大書店で、揃わない本はない、というのが売り文句だったと記憶しています。池袋店が出来たのは20年ほど前でしょうか。当時、図書館にもない本があって、研究している院生だかが、「貸してください」と書店員に頼んだ、というエピソードがあったのを記憶しています。

そのジュンク堂を回ったのですが、いや、これはもう、市営の図書館よりも当然ながら蔵書が充実していて、本当に楽しいのです。図書館の蔵書というのは、得てして古いものが残留しているような状況だったりします。もちろん、ツタヤ図書館のような不適切な蔵書剪定ではないのでしょうけれど、10年も経過した後の蔵書はさすがに何かしらの複雑な思いを抱くことがあります。新刊書が入るスピード感もありません。もちろん、それは公営図書館であるから当然のことではあるのですが、そうは言っても、時代の流れのようなものを感じるには限界はあります。

書店は、当然新刊書を並べますので、そうした時代の流れのようなものをリアルに感じることができますね。ネットでも検索の仕方などでは、そうしたことが可能だとは思いますが、平台に山積みにされた新刊書を見ると、さすがにあの迫力にはかないません。これは、音楽で言えばライブの感覚と似ているのではないか、と思います。

もちろん、ネットの利便性というものは否定できません。iPhoneにKindleを入れて、何冊も本を持ち運んだり、Apple Musicを使って、自分の持っている曲をクラウドに入れて、どこでも聴くことができる、というのは、リアルな書籍、リアルなCDには絶対にできないことでしょう。

ですが、選定となると別なんでしょうね。確かに、Apple Musicでも、プレイリストやアルバムのサジェスチョンで、新たな音楽に会える機会というものはあります。ですが、それは、Apple Music側にその選定の多くを依存してうrわけです。ネットでの検索性や一覧性はまだ不十分で、私はまるで視界の狭いゴーグルをつけて、海を潜っているような錯覚を覚えることがあるほどです。

リアル書店やリアルCDショップは、やはり五感を使って、いろいろな情報を入手できますし、視界は本当に広いです。いろいろな付随情報が視界の中に入ってくると、自ずとそちらに注意が向いて、セレンディピティのようなものを感じられます。時間はかかりますし、書店やCDショップまで足を運ぶという時間もかかりますが、それは、ネットでは得られないものです。

もちろん、音楽においてもタワーレコードやHMVなど、大型のCDショップがあります。そこで、最新の状況などを感じることはできるわけで、何が違うのだ、という話もあります。

書店とCDショップの決定的な違いは、中身が見られるか見られないか、ということに尽きるのではないか、と思います。書店の場合、中身を見て、どのような内容なのかを確認できますが、CDショップではそれはできません。20年ほど前には、試し聞きができるようなマシンが銀座の山野楽器に置いてあった記憶もありますが、当然全曲聞けるわけではなく、一部のみ聞ける、というような状況だったと記憶しています。

書店の場合は、リアルなものに手で触れて、活字を読むことができるというアドバンテージがあります。これは先ほども触れたようにCDショップにはないものです。

セレンディピティのようなものに会えるのは、書店もCDショップも変わらないのかもしれませんが、中身を自由に見てから、購入するかしないかを決められるのは、やはり書店の特権すね。この、中身を自由に見られるか見られないか、という点において、CDと書籍の違いがあります。CDと書籍では、リアウ店舗のアドバンテージが大きく相違するのだと思います。

電子書籍も否定はしませんし、今後も使うと思います。ですが、リアル書店の持つ、五感を使ったセレンディピティの可能性というものを、私の友人は言いたかったのかも、と思います。

もっとも、テクノロジーが進めば、リアル書店とネットの境目はどんどんなくなっていくのかも、とも思います。かつて流行ったSecond Lifeのように、自分がアバターとなって、バーチャルな書店の中に入っていき、バーチャルな書店で電子書籍を買う、というようなことは、あと数年で現実になるのかもしれません。テクノロジーの進歩は、そこにビジネスチャンスあるいは戦いの勝利のきっかけがある場合は、無限に進むものです。

今日も長くなりました。今日はこちらを静かに聞いています。マイケル・ブレッカーの遺作とも言えるアルバムです。悲しみに満ちたアルバムであることには間違いはありません。

聖地への旅
聖地への旅

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マイケル・ブレッカー
ユニバーサル ミュージック クラシック (2007-05-16)
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それではまた、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

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良い天気の1日でした。夏休みは4日目に突入しました。折り返しというところ。今日は武蔵野丘陵のとある観光地へ出かけました。広葉樹の木々が生い茂っていましたが、幼い頃の思い出を思い出します。

私の通っていた幼稚園は、武蔵野の雑木林を擁していました。ちょうど今頃、秋の風情の中その雑木林の中を散歩したものです。本当か嘘か知りませんが、大きな落とし穴と呼ばれる穴が二つほど空いていて、これは誰が掘ったのか、と聞くと、悪い人が掘ったのだ、という答えが保母さんから帰ってきたのだと思います。私はその時の悪い人のイメージというのが、タツノコプロの「ヤッターマン」に出てくる悪役三人組でしか思えなくて、ああ、そんな人たちが本当にいるのかあ、と不思議な気分になったのを覚えています。

西行花伝 (新潮文庫)
西行花伝 (新潮文庫)

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辻 邦生
新潮社
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それにしても、私がいつも辻邦生を読んでいたあるいは読んでいるので、辻邦生の考え方が体験として身についてしまっているから、ということなのかもしれませんが、辻邦生の文章を読むと、いつも、その時思ったり悩んだりしていることについての言及を見つけることになるわけで、こればかりは、高校生の頃に生意気にも言っていた「キリスト者に聖書があるように、私には辻邦生がある」みたいな考えが、実は本当なんではないか、などと思ったりしてしまう今日この頃です。

これをシンクロニシティ、という言葉で説明するとするならば、これはまた後日触れる可能性もありますが、お世話になった方に譲っていただいたとある本の中から、おそらくはあまり知られていないであろう、辻邦生・佐保子夫妻が参加したという座談会の記録の中に、箴言とも言える辻邦生の実に興味深い言葉を見つけたばかりだったのです。

今日、西行花伝で見つけた言葉はこちらでした。

あなたも何が正しいかで苦しんでおられる。しかしそんなものは初めからないのです。いや、そんなものは棄てたほうがいいのです。正しいことなんかできないと思ったほうがいいかもしれません。そう思い悟ってこの世を見てごらんなさい。花と風と光と雲があなたを迎えてくれる。正しいものを求めるから、正しくないものも生まれてくる。それをまずお棄てなさい

辻邦生「西行花伝」 新潮文庫 37ページ

完全に文学的で直感的な表現ですので、賛否両論があるのはわかっています。またこの言葉だけで世界を動かすことはできません。

この世には人々がいるだけ、それだけ公正な生き方があるのです。すべての人は自分は正しく生きていると思っています。それをどう塩梅し、より広い人たちが安堵を得るかが大事です。羅生門に住む鬼どもでさえそう思っているのではないでしょうか。

辻邦生「西行花伝」 新潮文庫 37ページ

あたかも価値相対主義とも思えてしまうこの言葉。ですが、誰でも正しいという完全にサジを投げたアナーキーな状況ではありません。結局、正しいものなどはなく、「ほとんど正しければ良い」のでしょう。この「より広い人たちが安堵を得る」という言葉がそれを物語っています。おそらくはそこには論理はありますまい。あるのは善き人間の知恵でしかないのではないか、と思います。

この言葉は、若い語り手が、朝廷による紛争の裁定に不満を持っていたことに対して、西行が語った言葉、という設定になっています。

今もかつても、世界においては、良いとか悪いとか、そういう価値判断を求められることがあって、それは結局は虚しいことで、なんてことをこのご時世に考えるというのも、何か切迫したものを感じたり、いざ自分が巻き込まれた時に何ができるのかということを思ったり、という感じです。

それではまた。おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

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夏休み3日目。もうすぐ半分。早いものです。

各国ともトリコロールを掲げて、パリのテロについての何らかの意思表示をしています。

昨日取り上げたように、Amazonのトップ画面にもフランス国旗の写真が載りました。ルネ・フレミングのフェイスブックのプロフィール写真は三色旗になりました。都庁や東京タワーもトリコロールに染められたようです。シドニーのオペラハウスも三色にライトアップされました。

世界各地でそうした動きがあったようです。

で、やはりあるのがそれに対する否定意見です。中東地域では、軍事作戦による民間人への被害があるのだから、ここでフランス国旗だけを掲げるのはおかしい、という議論。

おっしゃる通りです。

でも、トリコロールはフランス国旗である以上に、フランス革命のシンボルでもあるわけです。

ウィキぺディアによると、1789年にラ=ファイエット(あるいはバイイ)によって発案され、パリ市民軍の旗となったというものなのだそうです。世界史でも習った「自由・平等・博愛」という意味が象徴されている、とされます。それぞれの色がどの理念を示すのかは俗説なんだそうです。

興味深いことに、もともとは、青と赤がパリ市民軍の標章だったものに、ブルボン朝の象徴である白百合からの引用で白を加えたということなのだそうです。

この自由・平等・博愛という何か面映いほどの理念的な言葉が象徴するトリコロールが、ルーマニア、イタリア、チャド、メキシコなどの国旗に継承されているのだそうです。

おそらくは、今の文脈で捉えるのは、二つ、です。

一つはフランス国への連帯を示すためのトリコロール。もう一つは、フランス革命で成し遂げられたとされる普遍価値としてのトリコロール。

後者だとしたら、自由、平等、博愛という言葉を支持するという意味においては、別にパリのテロだけを追悼するものでもないということになるのでは、と思います。

ただ、ですね、こうした西欧の普遍的理念というものは得てして二重の意味を持つものです。その適用範囲というものが、西欧の中にとどまるのか、その外にまで波及するのか、という点。これが、西欧の持つ重層性ではないかと思っています。

これは、まるで一神教の言説と同じなのではないか、と。そのアガペー、つまり神の愛は異教徒には差し伸べられることはありませんから。

そしてなお、その理念は、時間が経つにつれ骨抜きにされ、権力に収斂されていくという問題もあります。

昨日も少し書きましたが、これは普遍価値のせめぎ合いであると同時に、普遍価値の本当の姿が何か、という問題でもあるのだとも思います。

結局のところ、あらゆる理念的なものは、時間とともに自壊していくものではないか、と思うのです。例えば、短期的には、1789年のフランス革命もやはり自壊していきました。1815年からのウィーン体制下での王政復古においては、フランス国旗もトリコールではなく、真っ白なブルボン朝を象徴する旗に戻ったのだそうです。

インターネットも、かつては自由の象徴だった気がしますが、今は様々な制限がかかったり、ウィルスやサイバー攻撃などの舞台になりましたし。

歴史の終わりのようなものを感じるばかり。これからどうなっていくのか。きっとなすすべなく笑い飛ばして見守るしかない、そんな気がします。辻邦生が「嵯峨野明月記」で語っていた境地なのではないか、と思います。

ちなみに、冒頭の写真は、それでもやはりフランスっぽいものを、ということで、雄鶏を載せてみました。

もう、本当に平和になるように願いつつ、事象の裏を見据えようとしつつ、おやすみなさい。

Miscellaneous

もう、何を書いても空々しいものになりそうなのですが、パリの同時多発テロの件については、本当に暗澹たる思いでニュースを見たり記事を読んだりしました。今朝、目が覚めたのが6時半前ごろ。Apple Watchをつけてトイレに行こうとした途端に、BBCのニュース番組の聞きなれたジングルがiPhoneから聴こえ、なんだろうね、またジハーディ・ジョンのニュース? と思ったら、パリのテロのニュースということで、驚いた次第。その後もBBCのアプリはニュースを伝え続け、はてはコンサートホールで100名の方が犠牲になったというニュースや、フランスが国境を封鎖した、というニュースなどがどんどん入ってきました。
BBCの速報に遅れることだいたい20分ぐらいで、日経の速報が入るという感じ。NHKは同じニュースをくりかえす、ということで、日系ニュースのスピード感などになんだか??という思いでした。BBCは、記者のツイートがリアルタイムに流れるというスピード感なんですが、なんだか、時代に遅れる組織と遅れない組織の違いはなにか、という、いつも思っていることを感じたり。
Amazonを夕方に開くと三色旗の画像が。

このスピード感。スピード感。スピード感!

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本当に見習わなければなりません。早ければいいと言うものではない、という言葉をよく聞きますが、それはもう20世紀的な古い考え方に過ぎないのではないか、と。この20年で世界は十二分に変わっているのに、変わらない地域や領域もあり、変わらないことや戻ることを美徳とするという状況。
変わっているのはテクノロジーだけではない、ということも。西欧的な普遍的価値が揺らいでいるのではないか、という思いも、改めて感じるのです。テロがパリで起きたということは、それを象徴しているのではないか、と。フランス革命が起きたパリという地で、大きな反動が起きているのではないか。ウィーン体制が反動と思えないほどのという、なにか底知れない不安です。
絶対真理の存在があることを捨てざるをえなかった西欧文明に、この状況を思想的に支える力はあるのだろうか、とも。学者ではないにせよ、文学をすこしばかり学んだ身にとっては、簡単には答えが出せない状況です。
世界の変化のスピードはどんどん早くなるわけです。情報や人の動きがかつてないスピードになっているわけで、かつての100年スパンの歴史の動きがどんどん短くなっているのではないかとも。だとすると、この激しい動きはどこへ行くのか、それがわかるのはそう遠い未来ではないのかもしれない、などとも思ったり。
もちろん、今回の事件が、報道通りのものかどうかはわかりません。これはもしかすると、真珠湾攻撃のように、今後の展開にとって大きな意味を持つものである可能性もありますから。
今日は、仕事場の同僚が入っているオケの演奏で、ブラームスの交響曲第1番を。この19世紀という西欧文明にとっては稀有な幸福な世紀の記憶が詰まっているものと思います。こうした記憶の意味がどうなっていくのか、見て考えなければなりません。
私は、最終楽章のホルンとフルートを聴いて、世界の変わりようを思い、涙を流してしまいました。
辻邦生が存命ならなんと言ったか、そればかり思います。
では。また。おやすみなさい。

Book

今日から夏休みに入りました。法定年次休暇です。が、今年はどこにも出かけず、いろいろと諸事をこなすことにしました。

今日はとりあえずは、池袋へ向かい、久々の大型書店へ。ジュンク堂に行ってきました。

7月中旬に、閉店間際の池袋リブロに行ったとき以来なので、4ヶ月ぶりです。

ジュンク堂の所蔵の多さは大変有名ですが、改めてすごいなあ、と思いました。まあ、これだけの本を読むと逆に選ぶことの大切さということを知らされました。

大学時代の先輩の本が置いてあったり、加藤陽子さん書店があったり、なかなか刺激的でした。

仕事関連の本も多く置いてあり、久々にハヤカワ文庫や新潮文庫の棚の前で時間を過ごしたり、新潮クレストブックの棚の前で追憶にふけったり。

楽しいひと時でした。

棚を回った後、喫茶コーナーで少し休憩しました。雲の合間からちょうど日が差してしばしの平和。

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で、こちら。

双生児(上) (ハヤカワ文庫FT)
クリストファー・プリースト
早川書房
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これ、ハヤカワ文庫のNVではなく、FTなんですが、その理由がよくわかりました。恐ろしい本かも。。ネタバレになるので何も書けません。言えるのは、この本は歴史小説ではありません、ということです。舞台は、第二次世界大戦なんですが。思わず、ゲッベルスの経歴を確認して、あ、なるほど、と思ったりしました。

何書いているかわかりませんが、ネタバレになるのであえて。。

皆様も良い週末をお過ごしください。

Johannes Brahms

一日中ダッシュしてなんとか仕事を終えました。明日からまた5日間の休暇をいただくことになりまして。。

大まかな部分では問題ないんでしょうけれど、多分細かいレベルで色々やり残したことはあるんだろうなあ、と思いながら、そんなこと思うのは、社畜というか家畜というか、という感じでもあり、なかなか複雑な心境です。

ただ言えることは、おそらくは3日経つと仕事を忘れるということです。

今日はこちら。マゼールのブラ1。

ブラームス:交響曲第1番
ブラームス:交響曲第1番

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マゼール(ロリン)
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いや、本当にマゼールはすごい個性です。みなさんご存じのとおり、あれ、そうする? みたいな驚きがあります。

この、テンポの揺らぎ、なぜ、こうするのか、私には全く理解できません。どういう発想なのか。でも、それがなんだかすごくかっこいいわけですね。

私にはこれはもうほとんど現代アートのようにしか思えません。当たり前、と思うものを思いっきり捻じ曲げて見せるような、そういう価値の転倒を感じます。

それにしても、この指揮についてクリーブランド管弦楽団もすごいなあ、と思います。もちろん、慣れているというのもあるでしょうし、リハなどできちんと合わせていたりするのかもしれませんが。プロの恐ろしさを感じます。

先日、オケをやっている方とメールで少し話しましたが、やはりオケを遣っている方は、聞き方が違うなあ、と思います。その彼は「音楽の聴き方は百人百様だからね」と言ってましたが。思わず、村上春樹と小澤征爾の対談の件その1その2を俎上に載せようと思いましたが、思いとどまりました。

多分、彼なら、もっと違う見方で、クリーブランドの偉大さを語れるような気がします。

この問題、最も悩んでいるところかも。

では皆様、御休みなさい。グーテナハト。

Johannes Brahms

Brahms: The Symphonies
Brahms: The Symphonies

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今日は、ハイティンクのブラームス交響曲第1番を。

実は、ラトル&BPOも聴いていたのですが、このハイティンクがコンセルトヘボウと録った盤の方が、今日の気分にはぴったりでした。

これは、もともとハイティンクが好きだったというバイアスはもちろんあるはず。でも、1日聞いて、やっぱりしっくりくるのです。

録音が比較的よく、Apple Music&BOSEクワイエットコンフォートの組み合わせで聴いても、ずいぶんと良く聞こえるのです。

演奏も気をてらうことのない、演奏なのです。ですが、ときおり見えるきらめきのようなものがあるのです。

それから、音が実に緊密で、スタイリッシュなのです。何か、当たり前のことをきちんとやっているという感じです。

今日に限って言えば、ラトルの、あのうねるような躍動感が、なにかかえって足枷のように思えてしまうのです。

以前は、驚きこそが意味だ、と思っていました。ですが、どうもそうではなく、驚かない中にこそ真理がある、ということなのかも、と思うようになりました。これは、オペラを観ている中でわかってきたのように思います。特に、ペーター・シュナイダーの指揮に触れてから、だと思います。

良い演奏というものは、実は演奏それ自体が目立たないもの、なのかもしれません。演奏の面白さというよりは、そこにある音楽自身の面白さのようなものが大切である、そういうことなのかもしれないです。

それでは、皆様、おやすみなさい。