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先だってなくなった伯父のことを、最近もずっと考えていました。この10年会えずじまいだったのは、最初の半分はこちらの問題ということもあったのですが、ついつい疎遠になって会うきっかけがつかぬままずるずると時が過ぎていき、この数年は伯父が体調を崩して会いに行けるような状態ではなかった、というのが実際のところです。

先日、NHK-FM「世界の快適音楽セレクション」の後悔と反省の音楽の回で、ゴンザレス三上さんが、会うべき人に会えないという後悔についての話を、たまたまされていて、確かにね、と思いました。時機を逃すと何もできなくなるということで、それはそう思った時には既に手遅れなのだ、ということなんだろうなあ、と。

そうした手遅れを何度も何度も重ねるのが生きるということなのかもしれない、と思います。生きれば生きるほど、業を背負っていくということ。このことを二十歳ごろに気づいてしまったのですが、もしかすると早すぎたのかもしれません。業を背負う、なんて諦めてしまったから、こうなったのかも、などと。

伯父には、音楽も教えてもらったし、オーデイオの楽しさも教えてもらったわけですが、何より教わったのは、新しいものを柔軟に取り入れる、という気概だったと思います。それは、私の血や肉になっているはず。

それから、私の理想の生活こそ、定年後の伯父の生活だったんじゃないか、とも。海辺の町に住んで、夏は海で泳ぎ、冬もプールで泳ぐ。夕方早く夕食を食べて、早く寝て、朝は早く起きる。私が、会社帰りに毎日プールで泳いでいるのも、実のところ伯父の真似をしているのだ、ということに改めて気づいたのも、伯父の訃報を聞いてからでした。

それにしても、伯父と見た日本海に沈む夕日は忘れられないです。

これ以上辛くて書けないこともありますし、やろうと思っていることもありますが、今日はこのあたりで。

おやすみなさい。グーテナハトです。