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金曜日、仕事場で熊本城の石垣が崩れている写真を見て、なんだか切ない気分になりましたが、実際にはそれからが大変なことになってしまいました。修復には20年かかるという話も出ていたり。

その後、どんどん被害が拡大していて、まさに現在進行系の地震で、心が痛みます。昨日は、やらないといけないことがたくさんあったにもかかわらず、なんだか手につかない感じでした。やれることをやるしかないのですけれど。

昔、大分に住んだことがあり、よそ者にもかかわらず、本当にお世話になったり、城下町ならではの矜持あるみなさんとお付き合いができたりと本当にいい思い出ばかりの大分や、修学旅行や家族旅行で行った熊本が傷ついているのを見ると、本当に悲しい気分です。

日本にいる限り、こうした自然災害の脅威にさらされるわけですが、それが日本人のメンタリティに影響しているのかなあ、ということを漠然と思ったりしました。農耕民族で、協力して稲作をしなければ食べていけないがゆえの帰属意識ということもあるのでしょうが、こういう自然災害の時に助け合わなければならないという記憶が、日本人ならではの帰属意識を醸成しているのかも、なんてことを思いました。

ヨーロッパや中国だと火山も地震も少ない地域もあり、そうだとすると、災害というのは外敵の侵略のようなものになるわけで、おのずと処世術が変わったり、あるいは自然をコントロールできるという感覚のようなものも生まれてくるのかもしれないですね。

1994年に神戸で震災があり、2004年に中越で震災があり、2011年に東日本で震災があり、そして2016年に熊本で、ということで、震災に会わずに生きることなんてできないのかも、と腹をくくったりもしました。

がゆえに、自然が神格化されている神社の神様にお祈りをしたくなったりもする感覚が明るような気もしたりします。

本当に日本人は自然の中で生きているんだなあ、と実感します。

もっとも、キリスト教だって砂漠という厳しい環境で生まれた宗教ですね。大学の授業では、イスラエルという土地は砂漠ばかりではなく温暖な土地もあるのだ、ということで、キリスト教が普遍的な宗教であるということが示されましたが、砂漠と地震では少し趣が違うのかもなあ、とも。日本の場合は、いつもは温暖なのにあるとき地震で破滅的、みたいな感じですが、砂漠は常に破滅的。がゆえに、砂漠と戦うのが西欧で、日本は平時は自然と触れ合い、いざとなると平伏してしまう、みたいな感じなんですかね、なんて。

まあ、日本に住む以上は、地震に勝てるわけもなく、ただただ備えつつ、無事を祈るしかないのだなあ、とということなのですね。

そうであっても、明日は仕事。がんばらないと。

きょうはこちら。西欧の自然が少しわかるかも。雲が沸き起こり雷鳴が轟き村人たちが逃げ惑う姿が見えます。そういえば、西欧音楽で「地震」とか「火山」とかないな。。やはりメンタリティも文化も環境によります。その後、牧童の笛で閉じるというのも、なんとも奇想画のようです。

Beethoven: Symphony No. 6 in F-Dur, Op. 68 Pastorale - Mozart: Symphony No. 33 KV 319 (1953 Recordings)
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きっと、こういう世界なんだろうなあ。国立西欧美術館にある「踊るサテュロスとニンフのいる風景」のような風情。これはひとつのアルカディア。憂のない調和のとれた世界。

踊るサテュロスとニンフのいる風景 Landscape with Dancing Satyrs and Nymphs

ではみなさま、おやすみなさい。