音楽嗜好の変容

先日書いたように、演奏家の違いに身体的感覚を感じるようになったように思いながら、フルトヴェングラーやムターを聴いた1日でした。

私は、クラシック、ジャズ、文学などが関心領域ですが、その中でも、ずいぶんと間口が狭いみたいで、それぞれの関心領域の中でも、好みがずいぶんくっきりとしているように思います。先日書いた、音楽嗜好総体のようなものがあるとして、その大きさは小さいかもしれず、しかしながら中身はぐっと詰まっているような感じかと思います(そう思いたいものです)。なので、理解するのに骨が折れる音楽というものもたくさんあるみたいです。

実は、フルトヴェングラーは、私にとって難しく、なかなか遠ざかっていました。今日、AppleMusic のForYouに表示されたので聴いてみたのですが、やはり難しかったです。ドイツ的な暗い森のようなものを感じるのですが、そこに光が差し込めば、と思うのでした。もっとも、モノラル録音だから、という理由もあるとも思います。

フルトヴェングラー指揮 ベートーヴェン:交響曲全集
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ところがもうひとつ。実は、昔、ムターの《四季》を苦手に思ったことがありました。今から20年ほど前に出た録音だったと思います。ですが、今聞くと、普通に聞くことができるようになりました。

ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集「四季」(クラシック・マスターズ)
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実は、今では大好きなハイティンクも苦手だったことがありました。いまは、大好きけれど。

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その時々で、やはり音楽嗜好は変容するもので、それは、さまざまな音楽体験、あるいはその他のなにかしらの体験があって、そうした体験の積み重ねがあるとき質的変化を生じせしめて、嗜好の転回が起こるのだと思います。

また、かつてからもちろん演奏差異は認識していたとはいえ、そこになにかしらの身体的感覚を感じるようになったのは最近です。ですが、今まではあまりこういう、比較に加えて、嗜好について書くことが憚られる思いでした。でも、身体的感覚とともにであれば、少し考えてみよう、と思ったところです。

まあ、これも当たり前のことではありますが、自分で言語化して考えるということが大事なのだ、とも思いました。

それではみなさま、おやすみなさい。

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