人間の芸術と自然の芸術、そして本の芸術──辻邦生生誕91年によせて

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一昨日の秋分の日に、NHKで放送されている「らららクラシック」の再放送を見ました。エリック・サティの回で、ジャズミュージシャンの菊地成孔さんが出てました。成孔さんは、実は大学時代のサークルにゆかりがあって、一度だけお会いする機会があってセッションしたことがあります。成孔さんのサックスが壊れたのだが、レコーディングに使わなければならず、当時私がとある方からお借りしていたカイルスベルスのテナーを使われる、ということで取りにいらした時でした。今はもう遠い方ですけれど。

番組の中で、サティは、モンマルトルで音楽を書いて、みたいな話のつながりで、成孔さんは「自然のなかでは落ち着かない。歌舞伎町のような街中でないとだめ」という趣旨のことをおっしゃっていました。逆に、自然の中でないとだめな方もいるわけで、番組では、「人間の芸術と自然の芸術のふた通りがある」という話になりました。

以前にも聴いたことのあるようなコンセプトだったりしますが、辻邦生はどうだったのだろう、と思ったり。たぶん両方だったのだろう、と。

辻文学は、自然描写も凄まじいですが、人間を見入る力も凄まじいです。

私にとって忘れられない自然描写は、おそらくは、「背教者ユリアヌス」の冒頭、霧の中から城さいが現れるシーンでしょう。それから、人間を見る目、という意味でいうと、「ある生涯の7つの場所」に出てくる女性たちが忘れられず、エマニュエル、朝代、咲耶と言った女性たちは、時代設定は古いですが、何か新しい時代を自由に生きる人間の姿を感じさせ(女性の姿ではなく、人間の姿、です)、忘れることはできないです。それから、雨の都会が好き、というフレーズを何度となく読んだ記憶があります。確か、「言葉の箱」だったかと記憶しています。

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ですが、もう1つ。辻邦生の場合、「本の芸術」、というのもあるな、と思いました。以前にも書いた気がしますが、菅野昭正さんが、週刊朝日百科で、辻文学を「本の小説、小説の本」と称していたはずです。
http://museum.projectmnh.com/2016/03/21225416.php

歴史小説とは、歴史という「本」からインスパイアされるものである以上、辻文学は「本の芸術」という側面もあるのではないか、ということだと理解しています。歴史だけではなく、多くの哲学書を読まれていて、それらを活かしたというのも、やはりまた「本の芸術」といえるのではないか、と思います。
こうして、辻文学は、「人の芸術」でもあり「自然の芸術」でもあり、「本の芸術」でもある、なんてことを勝手に思いついてしまったというわけです。

自分のことに翻ってみると、芸術家ではないにしても、個人的にはやはり自然が好きなんだろう、と思います。街の喧騒も嫌いでありませんが、静かな山奥でひっそりと過ごすことにも憧れます。育った場所や、親の記憶、自分の記憶などがそうした志向を形成しているのだと思いました。

あとは、やはり本も。昔読んだ子供向けの西欧小説の記憶も。「若草物語」「家なき子」「パール街の少年たち」「ゆうかんな船長」「ロビンソン・クルーソー」「海底二万海里」「十五少年漂流記」などの記憶は薄れることなく、あのような世界に立ち返りたいという欲求は抑えがたいものがあります。辻邦生の小説、特に西欧を舞台にした小説に共感するのも、こうした記憶があるからではないか、と考えています。

今日、9月24日は辻邦生の誕生日です。1925年生まれということですので、91年目ということになります。

それではみなさま、良い1日を。

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