久々にワーグナー二枚

休む間もなく心身を使うなか、音楽が聴けなくなりつつあるのですが、さすがに仕事場を離れて③日目の午後にようやく音楽を聴く気になりました。ワーグナー。それもリング。この、重層的な不協和音の濁りのなかに吸い込まれていってよかったです。全曲聴くわけにも行かないので、さしあたり、ワルキューレの第一幕を聴いてみました。多分、一番好きな幕です。そういえば、フンディングを歌わせると、クルト・モルが素晴らしかったなあ、なんていう懐かしいことを思い出したりもしました。この盤では、マッティ・サルミネンが歌ってます。

Wagner: the Ring

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Bernard Haitink
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ついでにこちらも。リオバ・ブラウンのワーグナー歌曲。
ヴェーゼンドング歌曲集のなかの「Schmerzen」で感動してしまいました。このアルバムの指揮はペーター・シュナイダー。かつて、シュナイダーの指揮に圧倒されたことを思い出しました。11年前のお話。

さしあたり、連休の前半は終了。とにかく、ヘトヘト。明日からまた頑張ります。

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キースのステラを聴く

キース。キースといえば、キース・エマーソンかキース・ジャレットか。私にとっては、キース・ジャレット。代表的なアルバム「星影のステラ」を。

当時、みんな夢中になってなっていたアルバムだった記憶があります。

星影のステラ

星影のステラ

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キース・ジャレット・トリオ
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学生時代は、一枚一枚買ったり借りたりしなくてはならず、大変で、優先度的に、このアルバムを聴くところまでは至らなかった記憶が。おそらく、大学を出てからはCDを購入し、なんどか聞いた記憶はあるけれど。

最近は、AppleMusicがあるから、お金がなくて聞けない、時間がなくて聞けない、という言い訳は難しくなりました。以前も書いた記憶がありますけれど。

結局、お金があるかないか、とか、レコード屋に行けるか行けないか、見つけられるか、見つけられないか、ではなく、好きか嫌いか、意識を向けたか向かないか、ということに尽きるようになっています。これが良いのか悪いのかわかりません。中古レコード屋に行って、掘り出し物を探し当てたときの喜びは今はないのでしょう。

あるいは、当時もやはり、優先度をあげなかった、という点では、今とあまり変わってないのかもしれないです。私の最優先はキース・ジャレットではなく、マイケル・ブレッカーでした。

しかし、素晴らしいアルバム。このリバーブに灼かれた方々は多かっただろうなあ。Stella by Starlightのイントロ。アウトしたインプロヴァイズの向こう側に、Stellaのコード進行とテーマが朧げに姿を現し始め、回帰するところ。なにか、灼きれた先にある喜びのように思います。まあ、こうした感想も、きっと、キースを聴き込んだ方には反論されそうです。

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歳を重ねると音楽の嗜好は変わるのか?

「アデライン、100年目の恋」と言う映画を観ました。Amazone Primeの特典映画でしたので通勤電車の中で2時間弱ほど。

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アデラインは1908年生まれですが、29歳で落雷に遭い、それ以降、老化しなくなってしまったと言う設定でした。美女が歳をとらないというのは、まあある種の夢なのでしょうけれど、それはそれで苦労があるのです。FBIに逮捕されそうになったり、自分の娘の方が歳をとったり。

もたろん、恋愛事件がさまざまおこるのですが、映画の趣旨はともかく、最も印象に残ったのが、恋人となるエリスの部屋を訪れたアデラインの台詞でした。最初は、ストレート・アヘッドなジャズが流れていたのですが、そこでは特にうるさいともうるさくないともアデラインはおもわず、むしろ好意的な表情だったように思うのです。そのあと、エイト・ビートのジャズが流れるのです。アデラインは「この曲はうるさいから止めて」という。エリスは「ジャズは嫌い?」と尋ねる。「いいえ、ジャズは好きよ。でもこれはジャズじゃない」。

以前から、人はおそらくは若い頃に接した音楽からのがれられないのではないか、と思うことがあります。NHK-FMの毎週日曜日に「洋楽グロリアスデイズ」という番組がありますが、70年代80年代の洋楽が取り上げられます。「あの頃のグロリアスな思い出を」という趣旨の番組だったりします。当時若い頃を過ごした世代に向けた番組。私ももちろん記憶に残る時代なので、懐かしさもありつつ、流れる曲を聴いていい音楽だなあ、と思うことがよくあります。

懐メロと言う言葉がありましたが、懐メロが指す音楽は、年を経るにつれて変容していくはずです。もちろん、それが「懐メロ」ではなく「グロリアスな音楽」と言われたりするように、その名称自体が変わるのでしょうけれど。

この文脈から、アデラインにとっては、おそらくは若い頃に触れたジャズはフォービートだけだったはずで、それを逸脱するジャズ、つまり、エイトビートはジャズではないと感じている、ということを表現したやりとりだった、と推測しています。

ただ、気になるのは、そこでかかっていたジャズはおそらくは60年代以降のものだったはず。当時、アデラインは容貌はともかく年齢としてはすでに50歳代だったはずで、そのころの音楽が若い頃の音楽、といえたかどうか?ベニー・グッドマンが青春時代の音楽ではなかったのか?と。ただ、108歳という長い人生において、若い年代という定義自体が変わっているのかも、とも。人生の前半が若いとなると、まあ、50歳代までの音楽は許容できるのだろうか、などと。そうすると、長生きすればするほど、音楽の許容度は拡大するのだろうか? もっとも、このアデラインの描写は、実際に108歳の方の意見を参考にしているのかどうか、とも思います。実際、歳を経るとどのように音楽の嗜好は変わっていくのだろうか。あるいはそもそも変わるものなのだろうか?

最近、なんだか音楽というものに関して、さまざま思うことがあり、いろいろと考えてしまいました。私たちは、新しい音楽に出会うことができるのか?という切実な課題に直面しているからこそ、こういうことを考えてしまいました。

ちなみに、この映画にハリソン・フォードが出ています。めちゃ上手い…。感動。

それではみなさま、おやすみなさい。Gute Nachtです。

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最近好きな音楽は?

最近、好きな音楽はなに? と聞かれたとして、リヒャルト・シュトラウス、とか、マイケル・ブレッカーなどと答えることになると思うのですが、実際のところどうだろう? という思いにとらわれます。

最近、どうも、新たな音楽に飢えている気がするのです。クラシックもジャズも好きです。が、驚きがないような気がします。最近は、AppleMusicを聞く毎日。以前のように、実演に触れる機会もなく。

あるいは、なにか心を喪っているということもあるのでしょう。今、辻邦生「背教者ユリアヌス」を読んでいますが、以下の言葉が胸に響いたのです。主人公ユリアヌスを陥れようとさまざま画策した宦官エウビウスが、ユリアヌスの皇帝即位後の自らの処刑判決に際して語ったこの言葉が。

「私に言わせればこの世は悪が支配するのであり、悪こそが最も現実的な生の形である。人々がそれに気づけば、すべてを悪の前提に立って処理することができ、なまじ見せかけの善を介入させるよりよほど始末がつけやすいものだ」

辻邦生「背教者ユリアヌス」第4巻 中公文庫 79ページ

この苛烈な現実認識がどうにも心を離れません。

音楽は、おそらくは19世紀以降において、そこに善意を含むものとなったはずで、そのイデオロギー性が苛烈な現実認識と乖離しているように思えるわけです。しかしこの乖離こそが正念場であることも間違いありません。

この乖離を超えるものは探さないと。あるいは、この乖離こそが居場所なのかも、とも思います。

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エウセビア、マルシャリン、つれづれ

「背教者ユリアヌス」。

実は、読みはじめたものの、なかなか進まなかったのです。

この3ヶ月、あらゆることが、まるで崖から岩が何枚も剥がれ落ちるような、そんな3ヶ月。そして、それはまだ終わっていないという状況なのかも。

ですが、まる裸に剪定された木々が、春になると、驚くほどの勢いで葉をつけることがありますが、あの勢いに似たように、少しずつまた手に取れるようになったのでした、

本当に、うつし世の濁りゆく流れの激しさと言ったら、筆舌に尽くしがたいものがあります。ときおり、浮く瀬に身を寄せ、息をつきたいもの。辻邦生を読むということ、あるいは、文学を読むということは、そういうことなのかもしれません。どちらが本当の世界なのか、わからなくなります。

そんなことを思いながら、まだまだ「背教者ユリアヌス」は二巻の半ば。皇后エウセビアの庇護を受けたユリアヌスがアテナイへ向かうシーンまで到達。

エウセビアはまるでシュトラウスの楽劇「ばらの騎士」のマルシャリンのよう。世間をまだ知り抜かないオクタヴィアンを諭すシーンを思い出しました。そうか、ここまで親密だったか、とも。本当に久々に読んだので、新鮮です。

きっと辻邦生も、「ばらの騎士」をパリで見ていたはず。手記を調べて見ます。あるいは浅草の経験などもあるのだろうか、などと。また、アテナイへ向かう海にイルカが泳ぐシーン、きっと、自身の旅の経験が昇華したものなんだろうなあ、と思いながら、遠くに過ぎたことがこうして半世紀経って蘇るということに驚いたり。

というわけで、まだまだ読みます、背教者。

みなさまも、新年度、お気をつけて。おやすみなさい。グーテナハトです。

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新年度

いやあ、新年度ですね。

町には、フレッシュマンが溢れており、眩しいかぎり。これから大変なんだろうなあ、と思いながらも、もしかしたら全く別のものを作る方々もいるのかなあ、などと。

そんなことを思いながら、淡々と仕事をして、離脱中。聴いているのはバッハ「音楽の捧げもの」。読んでいるのは辻邦生「背教者ユリアヌス」。

世界がどこに向かうのか、私もどこに向かうべきか。ともかく強く進まないと。

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リベルタ!リベルタ!

カタルーニャの独立問題。以前から、スペインというEU構成国において、独立運動が発生し、中央政府と激しく対立している、ということ自体、なにか奇異なことの用意思われ、関心を持っていました。先日、フォーサイトという新潮社のウェブで、カタルーニャ州の首相だったプチデモン氏が、ドイツで逮捕拘束された、という情報を得ました。それは、大野和士さんの奥様の大野ゆり子さんが書いておられる記事においてでした。その中で、バルセロナのオペラ劇場(リセウ劇場と思われる)で、「リベルタ!リベルタ!(釈放!釈放!)」という叫びの合唱が起きた、というエピソードが紹介されました。
http://www.fsight.jp/articles/-/43496
確かに、調べてみるとそうした事実はあったようです。

https://amp.marca.com/tiramillas/actualidad/2018/03/28/5abb5700268e3e664d8b4685.html

https://vozlibre.com/actualidad/gritos-libertad-puigdemont-tras-una-opera-liceu-barcelona-12963/amp/

以下のTwitterの動画も重要なソースなのですが、「カタルーニャの春:など、独立派のアカウントのようにも思われますが、動画はそれぞれ別アングルの別のもののように思いますので、実際にバルセロナと思われるオペラ劇場で、カタルーニャ国旗が掲げられて、観客が「リベルタ!」と叫んでいたというのは事実だと思います。

https://twitter.com/jsblanch/status/977979505703874560

この話を読んで、こちらを以前読んだことを真っ先に思い出しました。18世紀から19世紀にかけてのオペラというのは激しく政治的だったというもの。私も実際そう思います。「フィガロの結婚」は貴族制度への反発ですし、喜歌劇「こうもり」もドタバタ喜劇ではなく、貴族制度や身分制度への批判が縫い込まれています。

このリベルタは自由という意味であり、釈放という意味もありながらも、カタルーニャ独立を目した「リベルタ!」であったようにも思えたりしました。桟敷席からカタルーニャの旗が掲げられたりするのをみると、もちろん仕込まれた事件だなあ、とも思いますし、動画を昇華しいているTwitterアカウントの一つは「カタルーニャの春」です。上演されていたのが、フランス革命をとりあげた「アンドレア・シェニエ」ということもあり、オペラというのは政治色満載な装置なのだ、と言うことをあらためて思いました。欧州の土俵に乗った上での感想ですが、成熟した文化がいまも息づいているのだなあ、と思いました

今日は4月1日。これがエイプリルフールでもありませんし、あるいはフェイクニュースでもないとおもわれます、ということでしめておきます。

それではみなさま、新年度もどうぞよろしくお願いします。おやすみなさい。

 

 

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