ティエポロの思い出

今日もブルックナー。9番をやはりティントナーで。昨日は、柔和な、と書きました。なにか優しさを感じます。

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思い出したのが、新国立美術館にあるティエポロの絵でした。2017-02-10 23.44.47
昔、ウィーンだったか、外国の美術館で、老人がティエポロの絵の前で「ティエポロ」低い声で呟いたとのが忘れられません。ヨーロッパ人の彼と、日本人の私が感じるティエポロに違いがあるのかないのか。私の感動は、日本人だからなのか。彼はどういう思いで「ティエポロ」と呟いたのか。あるいは、そもそも彼はどこの国から来たのか。オーストリアなのか、ポーランドなのか、スロベニアか、ハンガリーか。

なにか、戦後の日本の発展のなかで、上へ上へと登っていって行きついた先がいまの日本で、それはそれで本当にありがたいことではありますが、そうしたありがたさとは違うありがたみが、ティエポロとかティントナーにはあるなあ、と。とにかく静謐で、落ち着いていて、浮つくこともなく、淡々とデューティをこなし、唯一人間だけが意識的に許されている美しさをつくる営為に寄与している、ということ。実際は、もちろん、報酬はあり、あるいはそうした西欧の落ち着きに植民地経営が寄与していたということも忘れることはできませんけれど。これは、経済と芸術の問題なのかなあ、などと。

今日、山を二つ越えました。今週の山は日曜日で終わり。また来週から新しい山がきます。

それではみなさま、おやすみなさい。

 

国立西洋美術館に寄り道

今日は出張で外出。18時半頃までみっちり。その後帰宅途中に上野を通りました。

早く帰ろうと思っていたのですが、本当に衝動的に下車してしまい、そのまま国立西洋美術館へ吸い込まれるように言ってしまいました。

入場券売場でわかったことは、なんと、ル・コルビュジエが設計した本館展示室は閉鎖されているということでした。ウェブでは見つけられないのですが、たしか記憶では1月ぐらいまで、だったでしょうか。

本館展示室にはオールド・マスタと呼ばれる18世紀以前の絵が多く納められているだけに、残念でしたが、幸い、幾つかの絵は、別室で展示されていました。

ここで一番好きなのがこちら。クロード・ロラン。初めてみたのは15年ほどまえかと思いますが、折にふれて見に来ています。この絵を日本で観られることに感謝です。

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そしてもう一つ。これも何度も紹介していますがギュースターヴ・ドレの作品。スペインのけだるいシェスタを表現した絵ですが、今日はこの絵の前でしばらくボーッとしていました。

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なんというか手前の日影と、奥の日向のコントラストが素晴らしく、なにか人生の陰影、あるいは世界の陰影を濃密に表現した素晴らしい作品だと思います。

以前の仕事場は、外で太陽が照っているのに、偉い人の以降で常にブラインドが閉められていました。そういう時本当に太陽の光が恋しいときがありました。

この作品を見ると日向の向こう、多分左側の先の太陽の差し込んでくるあたりに、なにか希望のようなものが感じられて、なんだか心がうごかされてしまいました。

先日書いたように、絵画というのは空間に閉じ込められた芸術ですが、何度も何度も時間をかけて見ていると、ある時、なにか弾けるように新しい意味が思い浮かんだり、あるいはこれまで見えていなかった装飾とかパーツとかが見えてくることがあります。

この絵が収蔵されたのは10年ほど前だと記憶しており、何度かブログにも書いている絵なのですが、それでもなお新しい意味を見出したり、新たな心の揺れ動きのようなものを感じて、絵画もなかなか奥深く一筋縄では行かないなあ、と思いました。

明日はおやすみ。明後日は仕事のようなもの。週末も光速で過ぎていくのでしょうね、きっと。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

東京国立近代美術館 竹内栖鳳展

東京国立近代美術館で開催されていました竹内栖鳳展に行ってまいりました。
10年ほど前、関西に出張する機会が何度か有り、そのたびに京都の平安神宮前にある京都国立近代美術館に出かけていました。そこで、日本画の素晴らしさや美しさの愉しみ方を覚えたものです。もちろんそれらの収蔵品の中には竹内栖鳳の絵もあったわけで、その淡い色彩が描くリアリティに感銘をうけたわけでした。
これはもう実物を見ないとわからないのですが、例えばカモやウサギの柔らかい羽毛を、絵の具のにじみの効果を使って表現している部分などは、おそらくは水の量を細かく調整するなどの緻密な計算のもとで成立しているものなのでしょう。その技巧の裏側には想像することさえ難しいほどの努力があるはずです。
明治から昭和初期にかけての風景が描かれている作品もいくつか有りました。画像では海の色の素晴らしさはわかりません。海の色は、深い群青色に緑色が加わったもので、現実の海を超えた美しさでした。
個々に描かれている海浜の風景は100年以上前のもので、我々はそれを現実として見ることはできません。ですが、我々は、かつての日本の海浜風景というものをなにか先験的に知っているはずで、その先験的知識と絵画を重ねあわせることで、一気に原体験へと昇華するのだと思います。それは実態を伴った、もしかしたら触ることすらできるほどのリアリティをもった体験でした。
このような芸術作品が持つ、現実へ働きかける力というのは、共通しているみたいで、私はこの直観をルーヴル美術館でヴェロネーゼの《カナの結婚》を観た時に感じました。
今日は一日中床に臥せっていました。ですが、一向に回復しません。明日は早出の召集がありましたので、早く寝ないと。
では、グーテナハト。

Miss you in New York

久々にTーSQUAREの Miss you in New York。
このアルバムでは、スクウェアを吹くマイケル・ブレッカーを堪能できます。何度も書いている気がします。すいません。でも良いアルバムなので。
このアルバムでのマイケル・ブレッカーは、正直本気を出していないはず。完全に歌モノのバッキングぐらいにしか捉えていないと思います。いや、カッコいいのですが、熱さやアウト感が足らないかも。もっと行けるはず、マイケル。
でもスクウェアを吹くマイケルが聴けるということ自体が凄いのですけれど。
とはいえ、アルバム全体のアレンジは、1995年当時の良質なフュージョンスタイルです。スクウェアの楽曲が、当時のニューヨークスタイルにアレンジされていて、結構いい感じ。そういう意味ではかなりおすすめ。
徐々に、いろんな環境が整ってきました。WiMAXが、地下鉄でも通じるらしく、そうであれば、ということで、再導入しました。これで、原稿をどこでも書ける体制が整いました。最近整理整頓大好き。やはり整理にある程度時間をかけないと成果は上がりません。

音楽室の作曲家肖像の謎 後編

酷暑です。電車で座っているだけでじっとりと熱くなります。アンチ夏。ビバ冬。

音楽家作曲家肖像画集

昨日の続きで、大貫松三さんの音楽室の肖像画についてです。
photo ネットの情報では今ひとつでしたので、二次文献にも当たりました。2005年に平塚市美術館で「湘南の洋画家・大貫松三展」が開かれましたが、そちらの展示記録を入手し調べたところ、間違いなく大貫松三さんが書かれたもののようです。
この肖像画は文部省標準学校教材規定に則った「音楽家作曲家肖像画集」というもののようです。
パレストリーナ、ウェーバー、ブラームス、コレッリ、ロッシーニ、サン=サーンス、ヘンデル、シューベルト、チャイコフスキー、バッハ、ベルリオーズ、グリーグ、グルック、メンデルスゾーン、リムスキー・コルサコフ、モーツァルト、リスト、プッチーニ、ベートーヴェン、ヴェルディ、ラベルなどが大貫松三さんのものとされています。
(後述しますが、その後の調査で、ベートーヴェンについては、別人の作品である可能性が高いそうです)

ベートーヴェンは誰が書いた?

こちらのブログに、「トリビアの泉」でこの話が取り上げられた時の記録が残っています。また肖像画は以下のリンク先でも見られますが、そちらの記載は、手元にある展示記録と少し違います。
http://ameblo.jp/patricia-o/day-20120210.html
リンク先では、大貫松三が、作曲家肖像のカレンダーの原画を手がけたという記載になっていますが、大貫松三が手がける前にすでにカレンダーができていたのだそうです。
そのカレンダーのために描かれたベートーヴェンの肖像が、そのまま音楽家作曲家肖像画集に使われたようです。ですので、この肖像画を描いたのは大貫松三ではなく、ホッタさんという別の方なのだそうです。
その後、カレンダーの評判が良かったため、大貫松三さんによって改めて肖像画が描かれ、音楽家作曲家肖像画集が完成したということのようですね。
たしかに、言われてみれば、ベートーヴェンだけ画風が違うのが納得できます。

おまけ

参考までにグーグル画像検索もどうぞ

編集後記

禁酒5日目。まだ耐えられます。体重は1キロ減りました。ですが、まだまだオーバーウェイト。ですが、睡眠の質がどうにも悪いようです。絶対に眠くならないはずの帰りの電車でも眠気がひどいです。これは、もしかして、アルコールを飲んだほうが生産性が上がるということでしょうか? という悪魔の囁きにさいなまれる今日このごろです。 

音楽室の作曲家肖像の謎 前編

はじめに

禁酒4日目。いい感じで耐えています。 
ですが、以前になく、夕方睡魔に襲われます。これって、眠れていない、ということ? 通説では、アルコールは睡眠の質を悪化させるものです。禁酒によって、睡眠の質が改善し、翌日のパフォーマンスが向上するはずなんですが。。
もう一つの謎。体重が減らない。予定では、アルコールにより過剰に摂取されているカロリーがなくなるので、体重がどんどん減っていくはずなんですが。。
もう少し様子を見ます。

大貫松三氏の絵

photo さて、今日の本題です。
二週間ほど前の日曜日、記念日ということで、都内某百貨店にあるレストランにまいりました。
そのレストラン、雰囲気もお味も素晴らしい。なにかあると決まってそこに行くことになってしまうのです。料金も良心的かと。
座った席は壁よりで、横にかけられていた絵が目に止まりました。
セザンヌのような果物の静物画でした。ただ、色合いは全く違います。
目を凝らして見てみると、全くキズがありません。本当のプロでないと、こんなに完璧な絵はかけないのです。これは、少ないながらもこれまで何枚も見た絵から得た暗黙知のようなものかもしれません。
しかもですね。構図がかっこいい。普通に考えると、果物のがあったとして、余白を3分の2ぐらい上にとります。というか、私の月並みな写真だとそういう構図をとってしまうのですが、それは違いました。余白が下にあるのです。
さらに、その余白を埋める色。茶色地なのですが、グラデーションの階調があまりにあまりに滑らかできめ細かいのです。
これはすごい絵だ、と直感しました。
ここまでならば、きっとお店の自慢の一つに違いない、と思い、スタッフの方に聞いてみました。
すると、シェフのお父様の作品だとのこと。
その後ネットで調べに調べたところ、作者のお名前がわかりました。
大貫松三さんです。
で、ネットで調べてみると、クラヲタ、音楽愛好家にとって馴染み深すぎるあの絵が、大貫松三さんの手によるものだと分かったのです!!
続きはコマーシャルのあとで。
明日に続きます。










明日の予告

と思いましたが、ググればわかるので書きます。
音楽室に飾られた作曲家の肖像画を覚えている方が多いと思います。
あの絵が大貫松三さんの手によるものなのだとか。
まさか日本の画家が描いておられたとは!
明日は、具体的な資料を入手しましたので、そちらを紹介します。明日に続きます。

国立西洋美術館「ラファエロ展」に行って来ました

国立西洋美術館で開催されている「ラファエロ展」に行って来ました。

ルネサンスの産んだ美の寵児ですからね。見に行かないわけには行きません。

しかし、本当に天才ですね。私の師(老ギタリスト)であれば、きっと前世で相当な努力を積んだ天才だ、と言うでしょう。

God the Father and the Virgin Mary (fragments of the Baronci Altarpiece)

  • 1500-01
  • Oil on wood, 112 × 75 cm (God), 51 × 41 cm (Virgin)
  • Museo Nazionale di Capodimonte, Naples

まず驚いたのはこの絵です。

のっけからのけぞりました。10代後半の作品にしてこの完成度ですから。確かに、左下の女性の手は荒削りですし、王冠の書き込みもまだまだ早熟な感はあるのですが、肌のグラデーションの美しさは感嘆するばかりです。

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以前であれば、神の不公平さを嘆くところですが、今の私は、師(老ギタリスト)によりインド風の輪廻転生を方法論的に使うことを覚えましたので、然るべくしてそうなった、と理解出来ます。

このシリーズ、少し続くかも。未だ書きたいことはあるのです。細密さ、グラデーション、布地の描き方、不自然な描写による自然な構図、などなど。

今日はしばしの休息。仕事終わらないけれど、最後につじつまを合わせるのがプロらしい。難しいけれど。

国立西洋美術館のこと

先週の木曜日、上野の国立西洋美術館にいきました。

日本にここまでの西洋絵画のコレクションがあるのは本当に驚きです。

ないのはラファエロとミケランジェロぐらい。

 

言い過ぎですね。すいません。

 

常設展にはセザンヌ、ゴッホは普通にあります。また、私の大好きなクロード・ロランもありますので驚きです。

そして驚きの一品がこちら。カルロ・ドルチの聖母像。

 

先日の新国立劇場の「タンホイザー」の解説書のなかのくだりで、こんな紹介がありました。ワーグナーはこのカルロ・ドルチの聖母像の模写を見てこう言ったのだそうです。

もし、タンホイザーがこの絵を見ていたら、ヴェーヌスベルクにとどまらなかったであろう。

模写を見たワーグナーにこう言わしめる絵が日本にあることの奇跡と言ったら驚きです。

しかも購入はつい最近ですし。

購入にあたってはきっとすごいかドラマがあるんでしょう。

ずいぶん立ち尽くして見続けました。やはり微細な筆致は実物を見なければわかりません。

この他にもがたくさんありますので、また紹介します。

ちなみに、常設展ではフラッシュなしであれば写真撮影可能です。係の方にも確認済みです。私のとった写真も著作権フリーになるそうです。撮影者には著作権はありません。

 

ちなみに、これを書いている時点では、今週末からラファエロ展がありますから、ラファエロづくしになっているはず。

 

年度末は忙しくてスリリングです。

 

それではまた明日。


ローマ紀行2008 その11 ヴァチカン美術館(3)

ヴァチカン美術館の至宝はいくつかあるけれど、その中でも最重要なものに数えられるのが、ラファエロの手による壁画で、特に有名なのが世界史の教科書や資料集の手合いには必ず登場する「アテナイの学堂」。だが、壁画の部屋には観客がすし詰め状態。山手線ぐらい込んでいて、ゆっくり見ることなんてできやしない。部屋は薄暗くて、写真をとってもちゃんとピントが合わない。だが、壁画が思った以上に大きいのには驚いた。

ローマに来てからのラファエロは少し変わってしまったようにいったんは思っていた。ローマ以前に描いた聖母子像のたおやかさは消えてしまい、なんだか実利的なお抱え宗教画家になってしまったような感があったのだ。そういう意味では、壁画の折衷的な雰囲気に少々さびしさを感じた。でもこの壁画を描いたのが1508年から1511年(25歳~28歳にかけて。あのドレスデンの絵画館にある「システィナの聖母」は1512年頃(29歳)。「システィナの聖母」をみたときの強烈な衝撃は忘れられない。まだまだラファエロの力は衰えるどころかまだまだ進化しているというのが本当のところだろう。下の写真が「システィナの聖母」で2006年の旅行で撮影したもの。

「システィナの聖母」の凛々しさは、「キリストの変容」の力強さへと続く。美術館の出口近くの展示室の「キリストの変容」を見て、やはりたおやかさは消えたけれども、そこには雄々しさとか強い意志が感じられる。すさまじい迫力。超自然的な神々しさ。野心的な色遣いや構図。

ラファエロは確かにローマで変わった。ローマで何が変わっていったのか、いつかラファエロの側に寄り添ってみたいと思うのだった。