Ludwig van Beethoven

またまたプロムス2010。

“http://www.bbc.co.uk/proms/2010/broadcasts/":http://www.bbc.co.uk/proms/2010/broadcasts/
ヤルヴィ指揮ドイツカンマーフィルによるベートーヴェン交響曲第五番。7月28日の録音。
“http://www.bbc.co.uk/iplayer/console/b00szy7f":http://www.bbc.co.uk/iplayer/console/b00szy7f
いきなり淡泊な入りでびっくりです。拍手が鳴り止まぬ内から運命の動機。しかも、全然伸ばさない。フルトヴェングラーの対極に位置する。同じ曲とは思えません。
小編成なので、サウンドもかなり淡泊。でも、これがオリジナルの運命なんだろうなあ。
第二楽章もなんだかモーツァルトを聴いているかのようなすがすがしさです。最終楽章の絶頂もなんだか凄く心地よいすがすがしさ。運命でこんなにすがすがしくていいのだろうか、という罪悪感さえ感じてしまいます。
でも、拍手は超熱狂的。オペラのカーテンコールより凄い。こんなに淡い演奏なのに。アナウンサーが過剰に興奮するのはプロムス的だけど。Absolutely wonderful play! ってかんじ。日本だとこうはいかない気がします。やっぱりプロムスは夏祭りなんですね。しかも、アンコールまである。交響曲第八番の第二楽章。最近の日本の演奏会ではアンコールにあった試しがないので新鮮でした。
しかし、運命っていいっすね。もうあっしはダメダメ、みたいな第一楽章から、第二楽章で癒され、第三楽章でリハビリと訓練、そして第四楽章で巨大なコーダーの勝利へと続くビルドゥングス・ロマン。つうか、運命があるからゲーテなのか、ゲーテがあるから運命なのか、みたいな。三十代半ばの仕事をバリバリやっているころのベートーヴェン。さすがだわ。
暇さえあればこうやってプロムスの音源聴くことにしよう。持っているCDを繰り返し聞くも何かと思います。

Concerto,Ludwig van Beethoven

今日の関東地方は幾分と涼やかになりました。昼食は近所のレストランで食事。外食するのは結構久しぶりでした。昔は、あんなに外食していたのに。外で食事を取らないと行けないときは、店になんて入らずに、軽食で済ませてしまいますので。まあ、家庭を持つと、家の食事が一番になってきますね。ラーメン屋の行列をみても、あまり食指が伸びませぬ。

昨日、ハイティンクのことを書いて、15年ほど前、高校生の頃の記憶がよみがえりました。ふとつけたNHK-FMであまりに刺激的なベートーヴェンの交響曲第四番を聴いた記憶です。それは第三楽章でして、激しく熱い演奏に心が震えました。アナウンサーが告げた演奏家はハイティンクとブレンデルでした。

私はあまりピアノ曲は聴きませんが、そんな中にあってブレンデルの録音にはひとかたならぬ思い出があります。ブレンデルの演奏をたまたま録音したのですが、それはシューマンの「交響的練習曲」と、リストの「巡礼の年第二年イタリア」でした。「交響的練習曲」の疾走感、躍動感、そして「巡礼の年第二年」の瞑想的な静謐さに、年若いからこそかもしれませんが、ずいぶんとのめり込んだ記憶があります。

そのブレンデルの才気が迸り、ハイティンクの明晰で怜悧な指揮だからこそ、ここまでにも興奮を呼び覚ます刺激的な演奏となったのでしょう。初めて聴いたときは、8ビートロックを聴いているのか、と思ったほど。第三楽章を今日改めて聴いてみると、やっぱり凄いのです。緻密で乱れのないリズム、大きな振幅、絶妙なスピードコントロール。F1的とでもいいましょうか。録音は1976年ですので、いまから33年前。うーん、すごい。終幕にいたる高揚感は、最終コーナーを回ったサラブレットがゴールを駆け抜ける気分。

ちょっとこれは聞き込みたい気分です。元気のない時に身を奮い立たせるのにも良さそう。早速iPodに入れましょう。

Concerto,Ludwig van Beethoven

なんだか最近時間の経つのが早いですね。ともあれ、記事の更新が滞りがちなのは私の精神力のなさでしょうか。最近、音楽を聴いて語ることに何か引っかかりのようなものを感じているのも関係ありましょうか。というか、もし音楽の才能があれば、楽譜も読めただろうし、もっときちんと書くことも出来るのでしょうけれど、なかなか、というところ。逃げちゃいけないんですが。

昨日からベートーヴェンを聴いておりまして、昨日は交響曲第二番、今日はピアノ協奏曲第二番です。前者はアバド盤、後者は内田光子&ザンデルリンク盤。心洗われるというのはこういうこと。内田さんのピアノは、軽やかで舞うような気持ちになります。水面に落ちる水滴の音。特に第二楽章アダージョの静謐な空気にはなんだかたゆたう気分を。会社の昼休みに聴いていたのですが、しばし別世界でした。

Ludwig van Beethoven,Symphony

東京はすっかり春めいてきました。黄砂が訪れたかと思うと、南からの暖気に覆いつくされた感じで、昼休みの散歩も爽やかな気分。木々も花を咲かせ始めていますし、タンポポやスミレがいたるところに見られるようになりました

。今朝の往路は英語のお勉強。ヒアリングしながら英語の文書を読む感じ。基本的に辞書はその場では引かないで、とにかく量を読んで覚えていこうという魂胆。でもあとで引くんですけれどね。

会社の昼休みは、先だってラトルの指揮で聞いたベートーヴェンの交響曲第二番をアバドが振るベルリンフィルの演奏にて。ラトル盤よりも重心が低く落ち着いているのですが、それでいて彩度も高いです。もちろん技術的な面では堅牢ですので、まったく不安感を感じさせない。音量調整もラトルほど先鋭的ではないです。アーティキュレーションが強調されていてそこがこの曲のアバドらしさといえるでしょうか。

ベートーヴェンの交響曲はこの数年間はあまり聞いてきませんでしたが、先日のペーター・シュナイダーさんの振る4番の実演に接したら、その魅力にとらわれたという感じでしょうか。古典的とはいえ、かなりアグレッシブで意表をつくフレーズが出てきたりして面白いのです。これはモーツァルトの魔笛を聞いていたときにも思っていたことです。ただ心地よいだけじゃなくて、そこにはバラの棘のように引っ掛かりがなければならない、ということなのだと思います。ブルノ・ワルターが「音楽は晴朗な地中海などではなく、黒々とした大西洋なのだ」といったようなことを言っているのですが、まさにそういうものですね。

個人的なカミングアウトですが、この2週間はそういう意味ではちょっと日和見的な音楽選択に終始していました。本当はオペラを聴かないといけないのに、フュージョン音楽を聴いていましたので。まあ懐かしかったので良かったのですけれど、昔良かったと思えた曲が、今聞くとまったく満足できなくなっているというのは、時代が進んだからなのか、私の歳のせいなのか、というところで、ちょっとさびしさを覚えた次第です。

Concert,Ludwig van Beethoven,Opera,Richard Wagner,Symphony

今週はなかなか忙しい日々でしたが、ずっと「指環」を聴いていました。そのわけをカミングアウトすると、またシュナイダーさんのコンサートに行ってしまいました@サントリーホールというわけです。いや、あの日曜日(25日)の演奏を聴いたら、また行きたくなりますよ……。あれやられちゃあなあ。写真はアークヒルズのライトアップです。

いつも愛読しているyokochanさんの「さまよえる歌人日記」でもこの演奏会のことを取り上げられていらっしゃいます。素晴らしいレポです。

幸いというか何というか、家族の用事で午後に都内に出たのですが、その用事を済ませて慌てて溜池山王から地下トンネルを走ってサントリーホールへ。間に合いました。サントリーホールは、昨年、ティーレマン&ミュンヘンフィルでブルックナーを聴いて以来。ホールの中に入ると、あれ、こんなに小さかったっけ、みたいな。新国ばかり行っているからでしょうか……。

最初はベートーヴェンの交響曲第四番。これがまた良いのですよ。日曜日の「ジュピター」のような繊細で端正で良心ある演奏とでもいいましょうか。東フィルを室内楽的な繊細さで鳴らしています。これがまめやかな演奏というのですね。しかも、ベートーヴェンがこんなに面白くて、複雑怪奇で、緊張と弛緩の波を乗り越えていくとは思いませんでした。そうした構造をより際だたせる指揮だったのだと思います。

先だって、ラトルが振る二番を聴いたときもかなり眼から鱗が落ちましたが、シュナイダーさんの指揮でもまたベートーヴェンをよりいっそう理解できた気がします。

それにしても、四番の演奏は特に音が良いと感じました。四楽章で弦楽器がフレーズをバトンしていくところがあるのですが、あのあたりの音が移動していくニュアンスは安いオーディオセットではなかなか再現できないのではないでしょうか。サントリーホールの残響音も柔らかく少し長めのリヴァーヴで、心地よかったです。    

15分の休憩のあと、いよいよリングです。これはオランダの作曲家であるヘンク・デ・ヴリーガーが1991年に編曲したもので、主要部分をオケ版に編曲したもの。つなぎに多少違和感がありましたけれど、おいしいところは詰め込んだ大のごちそうです。

個人的には、「ジークフリート牧歌」のフレーズをブリュンヒルデが歌う部分が盛り込まれなかったので残念だったのですが、十二分に楽しめました。

ホルンがジークフリートの角笛を吹くところも良かったですし、神々の黄昏のブリュンヒルデの愛のテーマのあたり、ヴァイオリンの高揚感がすさまじくて、涙が出そうになりました。凄いなあ、本当に。シュナイダーさんの指揮は、決して熱血的ではないのですが、指環の構造を熟知した上で抑制した棒振りのなかで十二分にオケの音を引き出している感じでした。

でもやっぱり最終部分の悲しみと寂しさを併せ持ったところに到達すると本当に寂しくなってしまいます。60分で指環を駆け足で回ってきて、ああ、これで終わったのか、という安堵感とともに寂寥感。あの何とも言えない気分は、指環を回った最後だからこそなのだと思います。

演奏が終わるとブラボーの嵐。私も叫ぼうかと思いましたが、ちょっと気恥ずかしかった。でも叫べば良かったなあ。日頃練習しないと。シュナイダーさんは何度も何度も拍手に呼び戻されていました。楽団員もシュナイダーさんに賛辞を浴びせていました。楽団員も演奏後は充実した顔をしていたように思えました。

ちょっと、しばらくは指環を聴けそうにありません。シュナイダーさんの演奏を出来るだけ長く記憶にとどめておきたいので。それで、頭の中は神々の黄昏の最終部分がぐるぐる回っている感じです。

またまたで大変恐縮ですが、明日は新国で「こうもり」を鑑賞予定。なんだかこの一ヶ月はコンサートばかりだった気がするなあ。良い一ヶ月でした。

やっぱり生のコンサートは凄いです。CDを聴いているだけでは分からないことがたくさんあります。けれども、時間と経済の制約がなければ良いのですが、それを望むのは無理というもの。ともかく日頃はせっせとCDで音楽を聴いて、時にコンサートに行くという感じになりそうです。

Ludwig van Beethoven,Symphony

早いものでもう1月も終わりですね。先週の土日の初台疲れで、今週はなんだか調子が今一つ。ブログ書けずじまいでした。

今週から夏目漱石を読み始めました。水村美苗さんが書かれた「日本語が亡びるとき」を読んでインスパイアされた感じ。「日本語が亡びるとき」では、日本近代文学の興隆が奇跡的出来事であるという風に語られていて、まあ、鴎外とか漱石といった日本近代文学を大事にせねばならぬということが視点のひとつとして取り上げられていたので、というところ。

ともかく、漱石は10年ほど前に集中的に読んだ記憶がありますが、十全には読めていない気分ですので。とりあえず本棚にあった「行人」から。漱石節炸裂で懐かしい。古い時代の高等遊民的能天気とでもいいましょうか。あるいは、その高等遊民的な斜に構えて事物を見るあたりが、面白いです。ほとんど浮遊霊的な視点を持つ主人公の心情描写。ストーリー的にはこれから面白くなっていくんでしょうけれど、まずは語り口的にすごいなあ、と思います。

さて、尊敬する方からインスパイアされて、ベートーヴェンの交響曲第二番をラトル指揮VPOにて聴いております。 第一楽章には、マエストーソな感じのアダージョで、この入り方、モーツァルトの38番とクリソツだな、と思って確認してみるとみると、入りの和音はまったく同じ。というか、僕には同じ和音にしか聞こえない。スコアをあたってみると、やっぱり。同じだ。って、有名な話しですかね。

http://imslp.org/wiki/Symphony_No.2,_Op.36_(Beethoven,_Ludwig_van)

http://imslp.org/wiki/Symphony_No.38_(Mozart,_Wolfgang_Amadeus)

アレグロ・コンブリオの快速な旋律に突入すると、すでにラトル節で、小気味よいフレーズ回しと、羽毛ほどに柔らかい音量調整が心地よいです。音量のダイナミクスがすばらしいのがラトルの指揮のなかでも気に入っている要素でして、この曲の第一楽章はいいところが全開という感じ。

全体ですが、リズムに多少の瑕が感じられるところはありますが、リズムはカチカチと固まっていて安心。ロック音楽のようにリズムが派手に聞こえる。ほぼインテンポな感じだからでしょう。

そう考えると、ラトルはそんなにテンポをいじらないですね。テンポを動かして いるのを聴いて、すごい! と思った記憶がないです。 もう10回ぐらい聴いていますが、なかなか飽きが来ないです。

ほかの方はどういう風に振っておられるのだろう?手持ちをiPodに入れてみます、という感じです。

Classical,Ludwig van Beethoven

徐々に涼しくなってきました。夏はもう終わりましたね。ただ蝉の鳴き声だけがまだ残っています。これから徐々に本当の秋へと進んでいくわけですが、秋は涼しくて好きな反面、日が落ちるのが早くなるので、寂しい気もしますね。冬至への道程もそろそろ半分と言ったところでしょう。

まあ、仕事をしていれば、おのずとトラブルに巻き込まれるわけですが、今は複数トラブルに見舞われている感じで少々大変。今日もお客様に謝罪に行きました。まあ、お客様も納得してくださったので今回は何とか乗り越えた感じ。

さて、今日は珍しくベートーヴェンを聴きました。というのもiPodのアーティスト画面ではBergの上にBeethovenがきますので。ベルクを聴こうと思いながらも、ついつい(?)ベートーヴェンに踏み入れた感じです。 聴いたのは弦楽四重奏曲第8番ホ短調作品59-2「ラズモフスキー第二番」です。これがすごく良いのです。

正直申し上げて、私はベートーヴェンの弦楽四重奏の世界にきちんと足を踏み入れたことはありません。ただ、10年ほど前に買ったABQ(アルバン・ベルク弦楽四重奏団)の全曲盤でを買いました。今は廉価版で出ていますが、当時は高かった……。あまりまとまって聴いているわけではなく、少しずつ聴いていたぐらいです。ちなみに、ABQはベートーヴェンの弦楽四重奏を二度録音していますが、私が聴いているのは一度目の方です。だから廉価版が出ているのです。残念。

ベートーヴェンの弦楽四重奏になれていなかったとはいえ、不思議なことに今日はなにかこうズシンと来たのですね。ようやくベートーヴェン弦楽四重奏世界の国境線を越えることができたようなイメージ。これまでは入国管理官が厳しくて中に入れてくれなかったのですが、ようやく足を踏み入れてみると、いいですねえ、これは。ABQの演奏もすさまじくいい。一挺の弦楽器でここまで豊かな音が出せるんだ! という驚き。オケ的な豊かさといってもいい。それに四人ともめちゃめちゃうまい。あたりまえですかね。ピッチもいいですし(私的にピッチ感については少々自信はないのですが)、音も豊かで、律動的なグルーヴ感もすばらしい。

ABQは今年の七月に解散して残念ではありますが。

この曲はホ短調ということになっていますが、長調の調性と、単調の調性の色彩がほどよく混ざっている感じ。印象的なのは第二楽章でして、慈愛に満ちた静謐な世界。やはり長調と短調の混ざり具合が気持ちいいです。ベルクの弦楽四重奏もよかったですが、ベートーヴェンも良いですね。この2年ほどはオペラを優先的に聴いていて、弦楽四重奏は手薄でしたので、これからきちんときいてみようか、という感じです。