「なぜ腹がたつの? これが世の中なのに」

さまざま、巧く行かないことが多い最近だなあ、と。まあ、面白いぐらいに本当に巧く行かないのですが、しぶとくやってます。周りに迷惑をかけているのなら申し訳ないなあ、とも思いながら。

まあ、人生いい時も悪い時もあるのかなあ、と。

とにかく、悪い時は、身を低くしてでも粘り強く生き続けないと、と思います。スランプの時ほど作家は机について書き続けると言いますし。

これまで何度も修羅場のような場面をくぐり抜けましたが(それすら修羅場ではないのかもしれませんが)、まだなお生きてますので、まだまだ粘らないと、と思います。

今日もばらの騎士。ハイティンク盤を聴いています。

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人生の儚さを歌うマルシャリン、つまり元帥夫人のモノローグ。

2年ほど前に新国立劇場でばらの騎士を観た時、この言葉にガツンとやられたのでした。

「なぜ腹がたつの? これが世の中なのに」

以来冒頭言にしています。

静かに歌われる、過ぎ行く時間とままならぬ人生。それを雄々しく受け入れ手放す心意気,。これこそが、大人の粋な生き方だなあ。

あえて怒ることはあろうとも、それは別になにか空虚なもののように思います。本当はどんなにいきどおろうとも、なにも変わらないのですから。

昔は、第二幕、ばらの献呈のシーンが一番好きでした。次に、第三幕終幕の場が好きになりました。今は、第一幕最後の元帥夫人のモノローグが一番好きだなあ、と思います。

それでもなお、元帥夫人も人間です。早くに返してしまった恋人のオクタヴィアンへの未練がまだある。そうした、非合理もまた大人の粋でしょうか。

ではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。
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マーラー5番からばらの騎士へ

寒い日々が続きます。みなさまいかがお過ごしですか?

さて、11月末から先日まで、新国立劇場で、ウルフ・シルマーのばらの騎士が上演されていました。ジョナサン・ミラーの演出。2007年に初めて見た新国立競技場のばらの騎士では、最初から最後まで泣きっぱなしでした。指揮はペーター・シュナイダーでした。以来3回ばらの騎士を新国立劇場で観ました。どれも素晴らしい思い出。2011年は震災直後の4月公演で万感迫るものがありました。
今年も、本当に本当にいきたかったのですが、行けるわけもなく断念。次にオペラに行けるのは数年単位で先になりそうです。

代わりにといってはなんですが、ばらの騎士を聴き比べててみようか、と思いました。

この二ヶ月、マーラー5番ばかりで、じっとしていると、マーラー5番目が心に浮かびぐらいになってましたが、そろそろ別の曲もいいかなあ、と。

というわけで聴き始めたばらの騎士、本当に素晴らしいです。

洒脱と諧謔。悲しみと高揚。マーラーの世界とシュトラウスの世界は、入り口は違っても、同じことを言っている気がします。今日はショルティ。「騎士団長殺し」に登場する音源です。

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ショルティ(サー・ゲオルク) ユングヴィルト(マンフレート) クレスパン(レジーヌ) ミントン(イヴォンヌ) パヴァロッティ(ルチアーノ) ヴィーナー(オットー) ドナート(ヘレン) ディッキー(マレー) デルモータ(アントン) ラクナー(ヘルベルト) ユニバーサル ミュージック クラシック (2012-10-17)
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ショルティの躍動感、くっきりとした輪郭。ますますショルティが好きになります。

オペラで感涙したことを思い出しました。涙はカタルシス、浄化。そうでないとやっていられません。

さて、それにしても長い労働。週末休めるだけでもありがたいと思わないと。毎晩のワインが美味しい毎日です。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

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アバドの「四つの最後の歌」を聞く

先日から辻佐保子さんの「『たえず書く人』辻邦生と暮らして」を読んでいます。

「たえず書く人」辻邦生と暮らして (中公文庫)
辻 佐保子 中央公論新社 (2011-05-21)
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その中に、シュヴァルツコップの「四つの最後の歌」に関するエピソードが出て来ます。

1998年の夏に、お二人で「四つの最後の歌」を聴かれていたというものです。

こんなにも深い夕映えに包まれ 、歩み疲れはてた私たちがいる 。これがもしかすると死なのだろうか。

夕映えの中でIm Abendrotの最期の歌詞は、辻佐保子さんが、辻邦生の晩年を回想するなかで、引用されているものです。リヒャルト・シュトラウス最晩年の静かな美しさに満ちた曲です。

昨日から、アバドが指揮しカリタ・マッティラの歌う音源を聴いています。アバドらしい、柔らかいうねり。なんだか、ベルクを聞いているような、妖しさも感じました。

Strauss;Four Last Songs
Strauss;Four Last Songs
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R. Strauss Matilla Abbado Bpo Deutsche Grammophon (1999-11-09)
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なんだか騒がしい世の中になっています。できることは限られています。できる範囲でやれることをやるしかない、と思います。

ではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

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アバドの交響曲第5番を聞きながら思うロマン派音楽のことなど。

短いエントリー(と思った長くなりそう)。

マーラー:交響曲第5番
マーラー:交響曲第5番
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アバド(クラウディオ) ポリドール (1997-09-05)
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帰宅時に聞いたアバドのマーラー交響曲第5番が素晴らしくて。
アバド、艶が合って、ダイナミックな演奏で、なんだか本当に懐かしい気分になりました。
まだまだ美しさが信じられた20世紀の所産、という感じ。
マーラーの時代は、まだまだ美的なものへと迫っていくことができた気がします。そしてなお、平和の喜びに溢れていた1990年代、バーンスタインが、ベートーヴェンの歓喜の歌の「フロイデ=喜び」を「フライハイト=自由」を読み替えて歌わせることが許されてしまうような時代。夢のような時代。

いや、これはもう、何か、自分が齢を重ねて、世の中がわかってしまったように思ったが故に、かつてのようなまだ歴史があった頃を思い出した時に感じる懐かしさのようなものなんだと思います。

私は、クラシック音楽の中でも18世紀古典派以降のクラシックというものは、そこに政治的啓蒙主義から市民革命へと向かうイデオロギーがあった、と思っています。そう感じたのは、ヨハン・シュトラウス《こうもり》を新国立劇場で見て思ったのでした。あの、ウィナーワルツのヨハン・シュトラウスの傑作オペラに、多様な政治的意図が満ち溢れているということを、気づいてしまったわけです。ここにはそれを書くことはあえてしません。それは、おそらくは、現在の日本においては当たり前すぎてわからないのだけれど、当時の状況に思いを寄せた時に、そこに溢れている政治的意図のようなものを見て取ってしまい、そこで様々なものに糸が通るような思いを感じたのでした。

リヒャルト・シュトラウスの死、いや、そうではなく、リヒャルト・シュトラウスのメタモルフォーゼンの最後、ベートーヴェンの葬送行進曲のフレーズをを書いたところで、ロマン派は終焉を迎え、以降世界は変わったのではないか。何か、そうした思いを感じるわけです。

R.シュトラウス:死と変容/4つの最後の歌
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 カラヤン(ヘルベルト・フォン) ヤノヴィッツ(グンドゥラ) ユニバーサル ミュージック クラシック (2009-10-21)
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言葉が言葉通りとならず、美的なものが美ではなく、あるいは、真善美というイデアがない時代にあって、何が規範となるのか。その答えが懐中にあったとしてもここには書くことはできないでしょう。ただ言えることは、大きなことではなく、小さなことから美しさを作ることしかできない、ということです。世界は変わりません。ですが、自分は変われます。そういうことなんだと思います。

ますます冬が近づく今日この頃。皆様もどうかお身体にお気をつけて。

おやすみなさい。グーテナハトです。

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《ばらの騎士》つれづれ

「騎士団長殺し」を読み終わり、忘れられないのは、作中に《ばらの騎士》が登場したこと。題名の騎士団長が、モーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》から取られたものであるということもあり、何かオペラとの関連を強く感じつつ、ショルティの振る《ばらの騎士》が何度か登場するということもあり、先週来、なんども《ばらの騎士》を聞いています。
Photo 《ばらの騎士》を3バージョン。

左は、カルロス・クライバーがウィーンで振ったもの。フェリシテ・ロット、アンネ・ゾフィー・フォン・オッター、バーバラ・ボニー。伝説なんですかね。私はこれをNHK-BSの放送で初めてみて、卒倒しました。当時はビデオで撮ったんですが、もうみられなくなってしまいました。そこでDVDを買った次第。映像でいうとこれが一番すきかも。

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右上は、私が最近一番好きな《ばらの騎士》。ハイティンクの鮮やかでスタイリッシュな音作りが聞けます。ハイティンクは本当に素敵です。

Der Rosenkavalier
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右下は、「騎士団長殺し」に登場するショルティの《ばらの騎士》。これは、これまではあまり得意とする音源ではなかったので、もう少し聞いてみないと。

Der Rosenkavalier
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ちなみに、実演で最も感動したのは、新国立劇場2007年のパフォーマンス。ペーター・シュナイダーの溶けるようなたゆたう美しい指揮に、カミッラ・ニールント、エレナ・ツィトコーワのコンビで、ジョナサン・ミラーの心の底から美しく思えるフェルメールのような淡い色彩の演出に、3時間ほど泣きっぱなしでした。あれから10年。早いものです。

夜更かしをして、現実を忘れました。明日も頑張らないと。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

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平坦な毎日の中にエーリッヒ・クライバーの《ばらの騎士》を。

Photo

それにしても、いろいろなことが起きるこの頃。まあ、平坦な世の中なので、何が起きても何も変わらないものです。先日も書いたように、大切なのは、その中で現れる燦きのような個人的な感動だけだと思います。そういう感情的なものが確実なもので、大事にしなければいけません。こればかりは、他者によって規定されるものでなさそうです。何か内向きなら考え方にも思えますが、外界との闘いのなかで得た方法論的な処世術なようにも思います。
今日はこちら。エーリッヒ・クライバーの《ばらの騎士》。

R. Strauss: Der Rosenkavalier
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Vienna Philharmonic Orchestra Decca (2009-03-31)
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「騎士団長殺し」では、第2部でも《ばらの騎士》が登場します。この盤はざっと聴いた印象だと、洒脱と豪華の中にもスタイリッシュな背骨がくっきりと浮き上がるような芯のある演奏です。

それにしても「騎士団長殺し」の世界のように、けだるい午後に、安い白ワインを飲みながら、《ばらの騎士》を聞くというのは贅沢な楽しみだなあ、と思います。いつかそんな日が来る予感がしますが、そればかりだときっとつまらないのかもなあ、と思ったりもします。結局仕事が好きみたいです。

今日も仕事場で数字合わせを丸一日やりました。明日からもまた数字あわせ。加えて、年度末に向けたたくさんの仕事をこなす予定。書類仕事もあれば、そうでない仕事も。

花粉もひどくなってきたようです。皆様もどうかお気をつけて季節、仕事、学業の変わり目をお過ごしください。グーテナハトです。

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リヒャルト・シュトラウスを味わう一枚。

村上春樹「騎士団長殺し」で、ショルティの《ばらの騎士》が取り上げられていました。

リヒアルト・シュトラウスがその絶頂期に到達した至福の世界です。初演当時には懐古趣味、退嬰的という批判も多くあったようですが、実際にはとても革新的で奔放な音楽になっています。ワグナーの影響を受けながらも、彼独自の不思議な音楽世界が繰り広げられます。いったんこの音楽を気にいると、癖になってしまうところがあります。

152ページ

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編
村上 春樹 新潮社 (2017-02-24)
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おっしゃる通り、どうやら癖になってしまったようで、今日もシュトラウス。しかし、この退嬰的で懐古主義だが、奔放な音楽であることを1枚で味わえるアルバムを聞きました。

Strauss Heroines
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Vienna Philharmonic Orchestra Decca (1999-09-14)
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アメリカのソプラノ、ルネ・フレミングがシュトラウスを歌った一枚。これを聞けば、《ばらの騎士》のようなシュトラウスのオペラを味わうことができると思います。もちろん、シュトラウスは《ばらの騎士》のようなオペラだけではなく、若い頃はいくつもの長大な交響詩や交響曲を書きましたし、《サロメ》や《エレクトラ》といった当時の前衛オペラも書きました。あるいは、《インテルメッツォ》や《ナクソス島のアリアドネ》のような洒脱なオペラも。ですが、やはり《ばらの騎士》とか《カプリッチョ》のような豊かで甘い音楽がリヒャルト・シュトラウスの魅了を占める部分であることには間違いなく、このアルバムだけ聞けば、それの多くを理解できるのではないか、と思うのです。また、演奏も他の演奏に比べて、一層甘くて豊かで、指揮するエッシェンバッハも、オーケストラをかなり分厚くゆったりと官能的に鳴らしていて、それが何か少しやりすぎのような気もする場面もあるのですが、そうはいっても、これが西欧の甘美な豊かさなのだ、と説得されてしまうような感覚があるのです。

このアルバムを聴いて、仕事場への行き帰りを終始しました。なんだかいい気分でした。

明日は木曜日。気がつけば、木、金、土と、三連続で山が連なっています。なんとか乗り切らないと。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

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最後の4つの歌に至るまでには。

VIER LETZTE LIEDER/ORCHES
VIER LETZTE LIEDER/ORCHES
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これまでにないいろいろなことが起きて、咀嚼するのに苦労している毎日。良いことも悪いことも。でも、咀嚼はできるのです。私の場合、そう言う咀嚼は泳いでいる間にやります。週に3日ほど、仕事帰りに泳いでいます。10分ほど泳ぐだけですが、そこで規則的に呼吸をして、規則的に体を動かしながら、色々と考えると、いろんな事が咀嚼できる感じ。ありがたいことです。

そんな昨今、なんだか、聴きたくなったのが「最後の4つの歌」。リヒャルト・シュトラウスの白眉。オーケストラ付き女性独唱曲。最後のロマン派音楽、なんてことを思ったりします。戦後に作られたのですから。最晩年の深淵は味わい深く静謐です。そういう境地にたどりつくためには、数多の壁を乗り越えなければ。そうでないとそれは無意味です。

ネトレプコ、ハルテロス、ノーマンを聴き比べるのですが、今の気分としては、ノーマンがフィットするかなあ。深みとエッジ。そして、これがゲヴァントハウスの音か、みたいな。

また明日から新しい色々なことをやらないと、と思います。

やっと立春ですが、まだ寒い日が。みなさまもどうかお気をつけてお過ごしください。

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ショルティのエレクトラを聴きながら。

この一年間ほどはこの先に向けて、力を入れる分野を絞り込んでいますが、さすがにこれからプロの音楽家になることもできませんので、演奏の方は休止しており、オペラやコンサートもしばらくはお預け状態。もっぱらの楽しみは、AppleMusic なんですが、やっぱり実際にオペラやコンサートに行きたい気分は満載です。まあ、仕方がありません。

で、いろいろ思い出しながらこちら。ショルティの《エレクトラ》。

Elektra
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Vienna Philharmonic Orchestra Decca (2007-05-08)
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昔、新国立劇場でウルフ・シルマーが指揮をした《エレクトラ》を観ました。鋭利で重い演奏で、あーこれがシュトラウス最先鋭のサウンドかー、と思った記憶があります。

ショルティの演奏も勢いとか激しさはシルマーと何か通じるところがあるような。シルマーにある、うねりのようなものはショルティにはなく、ショルティの演奏がさっぱりしたもののように思います。

《エレクトラ》は、ベームの演奏する映画版?DVDを観たのも懐かしいです。おどろどろしい映像の数々でしたが、前半のクリュソテミスが歌うところが印象的でした。激昂する姉に対して、常識的市民的な幸せを歌い上げるクリュソテミスが、何か芸術家が、芸術と市民生活のあいだで引き裂かれているということを感じさせたりしたのでした。

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縦糸と横糸

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最近、近所を自転車で走っている話は何度か書きました。

今年の冬から、春となり、夏来る、という感じで、同じ場所でも、風景は本当に変わります。

冬枯れの草原が、春になって花が咲き乱れ(本当に咲き乱れるのです)、桜が舞い散り、若葉に満ちるわけですが、最近は、その若葉も色濃くなり、青年の雄々しさを持つようになりました。

それどころか、早咲きのひまわりが、先週はその顔を空へ向けていたのが、今週になると、まるで老年のようにこうべを垂れて、勢いをうしない、人生の晩秋を感じさせたりもします。

あるいは、草原にも立ち枯れた草がすでに目立ち始めました。一方で蝉の鳴き声を聞いたりすると、また新たなサイクルが始まったということも思います。

ともあれ、同じ風景の中に、こうした違いを見出すということは、まるで、同曲異演を楽しむかのような感覚があります。

昨日も書いたように、シュトラウスの最後の四つの歌を、かつては、アンネ・トモワ=シントウで聴いて感激していたのが、昨日はジェシー・ノーマンの声で違う感動を感じる、といったような、そういう楽しみです。

それは、まるで縦糸と横糸を組み合わせるようなものでしょう。

機織りで長く張られた縦糸に横糸を通すと、絢爛な布地が出来上がるかのような。曲をたくさん聴くのが縦糸なら、様々な演奏を楽しむのが横糸。あるいは色々な場所に旅するのが縦糸だとすれば、同じところにとどまって季節の移り変わりを楽しむのが横糸です。

仕事も同じらしく、本来業務と言われる、収益を上げる仕事ばかりやっていてもうまくいかず、周辺事項や視点を変えた仕事も織り込まないといけないようです。

縦糸だけ伸ばしても本質は掴めなさそうです。質料と形相の関係に似ているような気もします。

ただですね、それでもやはり縦糸を伸ばすことに憧れます。理論上は無限に伸びる縦糸ですので。新しい楽曲を聴きたいし、新しい土地にも行きたいですね。それがなくなった時、初めて大人になるということなのかも、と思いました。

今日はこちら。やはりジェシー・ノーマンの(ナクソス島のアリアドネ》。

クルト・マズアの指揮はゆったりとしたもので、ジェシー・ノーマンの深みを十分に引き出しているように思えます。80年代の演奏ですが、冷戦のさなかにアメリカ人のノーマンがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と共演するというのは興味深いです。しかし、こう言う演奏の違いがわかるようになって少し嬉しい反面、寂しさも感じることもあります。もっと新しい音楽、つまり縦糸を伸ばすことをやってみたいなあ、と思います。

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