影ということばから──星影のステラを聴く その2

昨日の「星影のステラ」の続きです。
あまりジャズ・スタンダードには詳しくなく、グローバー・ワシントン・ジュニアが、かっこいい「星影のステラ」Stella by Starlightを吹いていた記憶もありましたが、他の音源はないかな、と重い、AppleMusicで探すと、マイルス・デイヴィスの音源がずいぶんでてきます。そのなかから、The Complete Live At the Plugged Nickelという音源に入っているもの。

https://en.wikipedia.org/wiki/The_Complete_Live_at_the_Plugged_Nickel_1965

冒頭は静かに始まるんですが、フレージングが急にぞんざいな感じで崩れ初めて、ピアノのハービー・ハンコックがなんとかそこに合わせに行き、その後テンポが倍になって緊張感のあるテイクに。そのうち、あのMilestonesのフレーズがでてきたりして驚いたり、なんだか緊張感満載でした。どこかに飛んで行ってしまいそうなマイルスを、係留索でなんとかつなぎとめようとするリズム隊。影のようにフロントのマイルスを支えながらも、しっかりとバンドの行く先を照らしている感じです。バンドのコミュニケーションがわかったような気がします。

もちろんこれは私が感じたものでしかないので、実際はそうではないかもしれませんが。予定調和なジャズではなく、何が起きるかわからないジャズという感じで、ああ、ここまでできるのはさすが天才たちだなあ、と感嘆しました。

このアルバムのメンバー、マイルス・デイヴィス、ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズなので、あのV.S.O.Pクインテットのメンバーとトランペット以外は同じでした。

さて、寒い日々が続き、また体調崩し気味。胃腸炎的な。昨日今日でずいぶんよくなりました。どうも睡眠が足りておりません。今日は早く寝ようと思います。
みなさまもお気をつけてお過ごしください。おやすみなさい。グーテナハトです。

1+

影ということばから──「星影のステラ」を聴く

今朝、仕事場に向かう電車で、「影」という言葉に思い当たりました。古語辞典では、影とは、星や灯火の光を指します。普通、影というと暗いイメージですが、逆の意味で使われるという、なにか座りの悪さを感じます。もちろん、この知識は高校一年の古文の授業でならったはず。ですので、常識といえば常識ですが、日本語の不思議な感覚です。葦(あし)を葦(よし)と読ませたり、なにか物事を逆から説明したり捉えたりするような、そういう感じです。

次に思い出したのが「星影」という言葉で、前述のとおり、この文脈で影とは光のことなので、これは星の光、という意味です。星の影が、光とは、と少し不思議な感覚。

それで、「星影」という言葉から連想されたのが、「星影のステラ」。ジャズスタンダードのStella by Starlightという曲でした。この曲、昔から好きで、多分大学のころはサックスで吹けたんですが、最近はなぜか吹けなくなってしまいました。なにか不思議な捉えどころのない曲になってしまい、もちろん、私が下手になってしまった、ということなのか、まったくかみあわなくなってしまったのでした。この曲、はまると結構気持ちがよいのですが。

それで思い出したのがこちらの動画。平原まことさんが吹く「星影のステラ」Stella by Starlightの映像。

 

平原さんの使っておられるマウスピースはJAKEというマウスピースなはずで、私も同じものをつかっており、なんだか音がとてもよく似ていて、勝手に親近感を感じています。で、この映像は本当に素敵な演奏で時を忘れます。

で、他も聞いてみようと思ったのが、マイルス・デイヴィスが吹く「星影のステラ」Stella by Starlightでした。

今日はここまで。また次回です。

0

本を読む工夫──Romain Collin “Press Enter”

ともかく、最近は本を読む時間を捻出するために、いろいろと工夫しています。

第一の工夫は、紙の本を読むときにストップウォッチをつかってみよう、というもの。紙の本は電車のなかか、風呂につかって読むことにしていますが、なんだかいつも30分読むと疲れを感じていました。そこで、ストップウォッチでいったいどの程度の時間なら読むことができるのか、計ってみよう、と思ったわけです。ストップウォッチで計ると、逆に30分以上本を読まないと、という風に思うようになり、紙の本を読むのがずいぶんはかどるようになりました。

第二の工夫は、Kindleの読み上げ機能を使うというもの。iOSのKindleですと、少しクセはありますが、大抵の本を読み上げてくれます。画面はKindleのままにして、二本指で画面を上からスワイプすると、読み上げを開始します。画面をそのままにしておくと、ページめくりも勝手にやってくれます。これだと、オーディオブックを買わなくとも、耳で聞きながら読書ができましてすごく便利ですね。歩きながら、洗濯しながら、掃除しながら、という感じで、本を読み進められるというもの。便利です。

やり方はこちらをご参考にしてください。

http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/1701/21/news018.html

というわけで、どんどん本が読めるといいのですが。

 

今日は、こちら。

フランス生まれのジャズピアニスト、Romain Collinの2015年のアルバム。バークレー出身。ジョー・ロバーノやウェイン・ショーターハービー・ハンコックなどとテイクしたりしているようです。このアルバム、ピアノのソロアルバムの様相が強いのですが、ケンドリック・スコットが参加していたりもしています。Apple Musicのプレイリストでこのアルバムに含まれるRound about midnightの、静かなアレンジにこころを惹かれたからでした。夜中に独りで聞くのがいい感じです。ということで、夜中に独りで聞いているところです。

さて、インフルエンザが流行っているらしく、休まれている方の話を聞くようになりました。私は、今年はタイミングがわるくインフルエンザワクチンを受けていません。有効性はよくわかりませんが、ここ何年もインフルエンザにかかったことはありませんので、効いていたのでしょう。今年はどうでしょうか? ともかく免疫力のために早く寝ないといけないのですが、夜更かし癖がついてしまい、やれやれ、という感じです。

それではみなさま、おやすみなさい。

1+

天才がまた一人。無知を深く恥じる。──ジェイコブ・コリアー「Djesse vol.1」

最近、新しい音楽に出会いたいなあ、と思い、Apple Musicで提供されているさまざまなプレイリストを聴いています。ざーっと聴いて、これは、と思う曲を見つける喜びは、なにか、大都会の雑踏なかですれ違う人の中に一人はいるであろう、話も合い、気もあう友人候補を見つけるのに似ています。

必ず、満員電車にのる1000人の中に、一人はそういう人がいるはずですが、絶対に会うこともありませんし、言葉を交わすこともなく、自分の手持ちのカードを見せることもなく、過ぎ去っていくわけです。私の懐にしまわれたカードは、おそらくは51枚を超えるはずで、隣にいつも座る白髪のサラリーマンは、おそらくは100枚以上のカードを持っているはず。

そんなことを思いながら、多くの音楽を聴いていました。

今日は、昼休みに近所の書店に行きました。最近は、新書本を眺めるのが好きなのです。集英社新書で、三島由紀夫と永井荷風に関する新刊が出ているなあ、とおもったその時に、耳に入ってきたのが、何か、ポリリズムのようなリズムと、アカペラのグルーヴ。それは聴いたことのないもの。

なにか普通の音楽とは思えませんでした。このミュージシャンがスナーキ・パピーと共演していたことを知って、あ、そういえば、スナーキ・パピーのようでもある、ということは、あとから思ったことです。

プレイリストは「ジャズでチルアウト」というもの。ですので、一応はジャズミュージシャンが演奏していることになっていますが、ジャズを当然逸脱しています。いや、ジャズというのは逸脱する歴史ですので、この逸脱は妥当であるのですが。

とっさに、ミュージシャンを確認枝葉としたところ、手が滑ってしまい、別の曲を再生してしまったのです。iPhoneのミュージックアプリは、アルバム単位、プレイリスト単位では、履歴は見られるのですが、アルバムやプレイリストの中でどの曲を聴いたのかはわかりません(私はしらないのです)。あわてて、プレイリストの曲を一曲一曲確認するのですが、なかなか見つかりません。

時が過ぎること十数分、やっとみつけたのがこちら。ジェイコブ・コリアーの「Djeese」からAll Night Long。

アフリカ的リズムから始まりますが、リズムは何度も何度もその色彩を変えます。まるで、色彩の海を高速航海しているような気分。通底するテーマはあるのですが、その色彩は、幾重にも幾重にも花開き、万華鏡のようにその世界を自己増殖させていきます。ボーカルはどうやらコリアー本人。多重録音で世に出た方なので、どこまでコリアー本人の演奏かは分かりませんが、どうもベースは本人ではないか、と。実に巧い。

こちらにその記事が。

https://www.cdjournal.com/main/news/jacob-collier/81280

いやあ、すばらしいです。

アルバム全体も帰宅しながら聴きましたが、クラシック音楽的な要素も含みつつ、なにかプログレロックのような物語性を感じる曲ばかり。しばらくは何度聴いても飽きないぐらい濃密な世界に満ちあふれています。天才というのはこういうものなんだ、と改めて思います。天才には天才の苦悩があるとは思いますが、ここまで自在に音楽を操れるというのは本当にすごいですし、きっと楽しくもあるんだろうなあ、と思いました。2011年からYoutubeで有名になり、2016年にクインシー・ジョーンズに見いだされデビュー。2017年にグラミー賞。やれやれ、無知を深く恥じます。

リンク先にすごい写真がありました。

http://mikiki.tokyo.jp/articles/-/10280

ハービー・ハンコック、クインシー・ジョーンズ、チック・コリアと、このジェイコブ・コリアーが並んで写っている写真。おそらくは、彼らに並び立つミュージシャンになっていくんだろうなあ、と考えざるを得ません。

今日は、実質的な仕事始めと言うことで、朝から極めてブルー。ディープ・ブルーな一日でしたが、この音楽を聴いたことと、一昨日紹介した「グッド・フライト、グッド・ナイト」をずいぶんと読んだと言うことで、夜になって気分が良くなりました。まあ、明日になるとまた深い深いマリアナ海溝ほどのブルーな気分に苛まれることいなるんですが。

と言うわけで、みなさまも寒い日々をどうかご自愛ください。おやすみなさい。グーテナハトです。

0

疲れた心にあう感じ──パオロ・フレス「Tempo di Chet」

休みに入って1週間近く経っています。幸い、扁桃炎の再発も抑えつつ過ごしています。大掃除をまあまあやりましたので、今日は少し養生。明日は予定があるので、今日が休息も最後かな、と。

たまっていた仕事もなかなか片付きません。結局スプレッドシートを使った仕事をしようとすると、どうしてもExcelを使いたくなりますが、我が家ではMac中心の設定になっていますので、Excelをつかうにも、仮想マシンを立ち上げてどうこうしなければならず、かなり作業効率が落ちていました。

それで、正月休みにしかできないぐらい作業負荷が高いと思っていた、かつてのWindowsデスクトップマシンを2年ぶりぐらいに起動してみました。それで、なんとか動きまして、やれやれ、と言った感じです。Excelも快適に使えそう。さらに、とても助かったのは、あやまって削除してしまったと思っていたファイルが見つかったことです。こうしたファイルをクラウドにあげておいたほうがよい、と考えているのですが、クラウドはクラウドでコストがかかりますので、どうしたものかなあ、と思っているところです。

今日はこちら。大掃除をしながらApple Musicのジャズのプレイリストを聴いていて見つけたアルバム。パオロ・フレスのTempo di Chet。おそらくはチェット・ベイカーに捧げられたアルバム。フレスはイタリアのトランペット奏者。サルジニア生まれだそうです。何というか、欧州のジャズは、アメリカのジャズとはひと味違う洒脱さがあるように思います。疲れた心には実に合う感じ。なにか、冷えた白ワインを飲むような感覚。一緒にブルーチーズを食べて、太陽に灼かれている感じがします。プレイリストに入っていたEverything happens to meが実に鮮やか。

明日で休みはおしまい。また頑張らないと。何を頑張るのか、というのが問題ではありますが。

それではみなさま、お休みなさい。グーテナハトです。

1+

ケルンでもウィーンでもなくパリ

Photo

寒い一日。

体調を戻すため、昨日も今日も家で過ごしました。

夕方、少し時間が出来たので、聞いたのは、キース・ジャレットのパリコンサート。

1988年10月17日の録音。30年前の録音ですか……。キース・ジャレットのソロコンサートと言えば、ケルンコンサートが一番有名だと思いますが、私はパリが一番好きです。ウィーンもケルンもスカラも好きですけれど。

何か、儚い美しさを感じる演奏、と思います。パリはパリでも、雨に濡れるパリという感じ。パリに行ったことはありますが、パリは雨だったかどうだか。マレ地区の安いホテルに泊まって、夜道をバスティーユオペラに向かったことを覚えています。

今日の東京の日の入りは16時半。17時になると藍色の水の中に沈んでいる感じがします。きっと雨のパリも、藍色の水に浸っていて、街路を行く車のテールランプの赤い光が、まるで魚の群れのように見えるのでは、と思います。

さて、明日からまたウィークデー。みなさまもお気をつけてお過ごしください。

おやすみなさい。グーテナハトです。

1+

くたびれた?──ウォルト・ワイスコフ

あまり、くたびれた、とか、疲れた、とか、書かないようにしています。

ただ、今日は、特にくたびれた、という感じがします。細かいことは書きませんが、まあ、くたびれた、という感覚。この、感覚は、肉体的というよりは、むしろ精神的なもので、今日がとりわけ、というものではなく、10年以上溜め込んだくたびれが浮き出してきたような、そんな感じ。

で、いつものようにプールで10分ほどクロールで泳ぎ、帰宅。夜半前の暗い道で、Apple Musicのプレイリストを聞いていたら出てきたのが、ウォルト・ワイスコフでした。

昔、Apple Musicで聴いていたのでレコメンドされたのだと思います。ピアノはブラッド・メルドー。聞いた瞬間に、あ、こっちが本物の世界だ、と思いました。サックスのノンビブラートのロングトーンも素晴らしい。しばらく聞き惚れてしまいました。くたびれた中で、ふと、なにか柔らかい羽毛のようなものに触れた気がしました。

私の中では、あらゆる美こそが、本当の世界で、美と美はあちら側の本当の世界でつながっている、ということになっています。おそらくこのアルバムを聞いた瞬間、あちら側の世界に心が触れたのだと思います。芸術とはそういうものなのかもなあ、と最近思っています。

明日も引き続きくたびれる予定。しかしながら、もしかすると今日のような美と触れられるかもしれないです。楽しみです。

それでは、みなさまおやすみなさい。グーテナハトです。

2+

Chick CoreaのSummer Nightを聞く。

今朝、とある女性ピアニストのアルバムを聞きました。確かにとても上手いのですか、ピアノとかくぐもったような感じで少し違和感を書きました。

この感覚、昔、感じたことがあります。確か十代の女性ピアニストが弾いていたピアノコンチェルト。実演で聴いたのですか、どうも音が悪いのです。幼い音だなあ、と表現したのを覚えています。

それで、強いタッチのピアノが聴きたいなあ、と思い選んだのがチック・コリアです。

Summer Night。1987年のライブ。アコースティックバンド名義のトリオのアルバム。ドラムのヴェックルと。ベースのパティトゥッチが加わったアルバム。懐かしのカルテットNo.1など、楽しみました。このカルテットNo.1は、一度バンドでやりましたが、難しかったなあ、とか。チック・コリア、シャープな音がたまらないです。夏ではなく秋ですが、Summer Nightで秋の夜を楽しみました。

それにしてもめまぐるしい毎日。今日は会議が朝から9回……。

それではみなさまも秋の夜長をお楽しみください。おやすみなさい。グーテナハトです。

1+

ジャズがわかった気がしたとき。あるいは名画を見たときの思い出。

_MG_0090
まず、ジャズの話です。

今日、家族で話していたこと。演奏のよしあし、あるいは好みというのはどうやれば分かるのだろう、という問いに対して答えるとすれば、大学の文化祭などのジャズサークルの演奏を一日中あるいは、期間中、ずっと聞いているのがいいですよ、となるなあ、ということ。

これは私の実体験ですが、大学2年生の時だったか、三日間の文化祭の期間中、すべての演奏を朝から夕方まで聞いていました。午前中は、1年生や2年生などまだ経験の浅いバンドが出てきて、午後になると3年生や4年生の上手いバンド、夕方とか、あるいは最終日になると、OBのバンドや時にプロなどが登場します。そうすると、自ずと、経験の浅いバンドと上手いバンドの差というものがよく分かるようになります。で、その演奏について、友人たちと夜にあーだーこーだ話をする、というのが良いのかなあ、と。

よく「とにかく上質な演奏を聴け」というアドバイスがありますが、上質な演奏だけを聴くと、それが当たり前になってしまい、ほかとの差違がわからないように思うのです。経験の浅い演奏と経験のある演奏を聞いて、批評とまでは行かずとも、誰かと語ること、あるいは自分なりに考えをまとめること、というのが、大切で、振り返ってみると、あの三日間で私はなにかジャズがわかった気がしたように思います。実際にどうかはまだ分かりません。ただ、楽しんだり、ほかの方とジャズについて会話が出来るようになった、と思います。

あるいは、これは、どんな芸術についてもおなじ、とも思います。

ヨーロッパに旅行に行って、美術館に入ると、もちろんそこの目玉の絵画というものがあるのですが、それ以外の絵画も想像を超える量が飾られています。このブログのタイトル画像(2018/10/14現在)は、ドレスデンの絵画館です。中央の絵は、ラファエロの「システィナの聖母」。実に有名な絵画。その他の絵画ももちろん有名ですため息がでるものでしたが、いろいろな違いを感じた記憶もあります。ラファエロが一点ある中で、私が知らないだけなのかもしれませんが、日本ではあまり語られない画家の作品がたくさん並んでいるわけです。そうすると、やはりそこにある何かしらの差違というものを感じずにはいられないというときがあるのです。それはもちろん優劣をつけるということではありません。しかし、個人的好みという観点で言うと、なにか違いを感じます。日本で行われる企画展でもたまにそういう差違を感じることがありますが、あのヨーロッパの美術館にある絵画の数と、その数のなかで感じる差違というものは知らなかったものでした。

とにかく、音楽であっても、文学であっても、絵画であっても、有名なものや良いとされているものだけしか相手にしない、という方法ではなく、さまざまなものをたくさん聞いたり、読んだり、見たりして、その差違を感じ言葉にする、ということが、目を養うと言うことなんだなあ、ということをあらためて思い出しました。

2+

Don’t Let Me Be Lonely Tonight

昨日の続き。

Nearness of youはマイケル・ブレッカーのアルバム。2000年にリリースされた。もう18年にもなるのか、という驚きとともに、この文章を書いている。

Nearness of youは全曲バラードのアルバム。2007年に白血病でこの世を去ったマイケル・ブレッカーが、どういう思いでこのアルバムを作ったのかはよく分からない。

そして、このアルバムにジェームス・テイラーがThe Nearness of you、そして、Don’t Let Me Be Lonely Tonightの両曲にボーカルとして参加している。

このDon’t Let Me Be Lonely Tonightが、あのジェームス・テイラーのOne man dogに収められているのだ。One man dog は1972年のアルバム。若かりしマイケル・ブレッカーが参加しジェームス・テイラーと共演。そして、2000年のNearness of youでも、もちろんマイケル・ブレッカーと共演している。

ジェームス・テイラーの歌声は、歌い上げたり、こぶしを入れたりしない。ビブラートも抑制気味。静かで淡い歌声。恋人に別れを告げられ、それでもなお、嘘でもいいからそばにいて欲しいと願う、哀切な歌詞。それを、なにか冷めた感覚で眺めるように、歌っている。

これがいつか覚める夢であるかのように。恋人が去ったのが夢であるかのように。だが、おそらくは、それは夢ではなく、過ぎた時間は決して戻ることはない。そういう諦念を感じる歌声だ。

このNearness of youに収められたDon’t Let Me Be Lonely Tonightを聴いて、改めて、1972年のOne Man Dogに収められたDon’t Let Me Be Lonely Tonightを聴き直した。古い録音。マイケル・ブレッカーの音も違う。アレンジもなにか少し明るみを帯びたものだ。だが、そのインプロヴァイズは、リリック=叙情的でもある。跳躍する音階はなにかスリリングでもある。

四半世紀たってようやく先輩の思いを理解した気がする。

このDon’t Let Me Be Lonely Tonight、さまざまなアーテイストにカバーされている。エリック・クラプトン、アイズレー・ブラザーズ、ダイアン・シュア。

Don’t Let Me Be Lonely Tonight、名曲だ。

1+