アバドの交響曲第5番を聞きながら思うロマン派音楽のことなど。

短いエントリー(と思った長くなりそう)。

マーラー:交響曲第5番
マーラー:交響曲第5番
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アバド(クラウディオ) ポリドール (1997-09-05)
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帰宅時に聞いたアバドのマーラー交響曲第5番が素晴らしくて。
アバド、艶が合って、ダイナミックな演奏で、なんだか本当に懐かしい気分になりました。
まだまだ美しさが信じられた20世紀の所産、という感じ。
マーラーの時代は、まだまだ美的なものへと迫っていくことができた気がします。そしてなお、平和の喜びに溢れていた1990年代、バーンスタインが、ベートーヴェンの歓喜の歌の「フロイデ=喜び」を「フライハイト=自由」を読み替えて歌わせることが許されてしまうような時代。夢のような時代。

いや、これはもう、何か、自分が齢を重ねて、世の中がわかってしまったように思ったが故に、かつてのようなまだ歴史があった頃を思い出した時に感じる懐かしさのようなものなんだと思います。

私は、クラシック音楽の中でも18世紀古典派以降のクラシックというものは、そこに政治的啓蒙主義から市民革命へと向かうイデオロギーがあった、と思っています。そう感じたのは、ヨハン・シュトラウス《こうもり》を新国立劇場で見て思ったのでした。あの、ウィナーワルツのヨハン・シュトラウスの傑作オペラに、多様な政治的意図が満ち溢れているということを、気づいてしまったわけです。ここにはそれを書くことはあえてしません。それは、おそらくは、現在の日本においては当たり前すぎてわからないのだけれど、当時の状況に思いを寄せた時に、そこに溢れている政治的意図のようなものを見て取ってしまい、そこで様々なものに糸が通るような思いを感じたのでした。

リヒャルト・シュトラウスの死、いや、そうではなく、リヒャルト・シュトラウスのメタモルフォーゼンの最後、ベートーヴェンの葬送行進曲のフレーズをを書いたところで、ロマン派は終焉を迎え、以降世界は変わったのではないか。何か、そうした思いを感じるわけです。

R.シュトラウス:死と変容/4つの最後の歌
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 カラヤン(ヘルベルト・フォン) ヤノヴィッツ(グンドゥラ) ユニバーサル ミュージック クラシック (2009-10-21)
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言葉が言葉通りとならず、美的なものが美ではなく、あるいは、真善美というイデアがない時代にあって、何が規範となるのか。その答えが懐中にあったとしてもここには書くことはできないでしょう。ただ言えることは、大きなことではなく、小さなことから美しさを作ることしかできない、ということです。世界は変わりません。ですが、自分は変われます。そういうことなんだと思います。

ますます冬が近づく今日この頃。皆様もどうかお身体にお気をつけて。

おやすみなさい。グーテナハトです。

ムーティが振るスクリャービン

うーむ、スクリャービンをあまり聞いたことがない事に気づきました。

いや、聞いたことはあるのですが、理解するまでには聞いていないなあ、と。かつて、交響曲全集を買ったものの、CDラックに収まったまま。
で、Apple Muicでムーティが振るスクリャービンを聴いています。

Sym 1-3
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A. Scriabin Angel Records (2001-08-17)
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これは実に難関。難関というのは、理解し難いとか、好きじゃないとか、そういう意味ではありません。素晴らしく、美しい音で満たされているのですが、この奥行きのある世界を理解するのはしばらく時間がかかりそう、というのが本音です。
スクリャービンは独自に神秘和音を作り出し、調性を崩したことで、現代音楽の一つの源流となっているようです。

確かに、そうだなあ。マーラーやベルクの耽美的な部分を取り出した感じですが、本当に危険を感じるほどの美しさで、近寄ることを躊躇する感覚があります。ブルックナーやブラームスに親しんでいた向きには、何か近寄ると大火傷をするような美人に感じる危険を感じたり。トーマス・マンの「小フリーデマン氏」を思い出します。

それにしても、19世紀の音楽はオプティミズムに彩られているよなあ、と改めて思います。例外はあるのかもしれませんが、啓蒙主義からフランス革命に至り、市民革命が各地に広がる、というヘーゲル的な進歩史観がまだ有効だった時代だなあ、と思います。この辺り、以前にも書いたことがありますが、また改めて書いてみたいテーマです。

さて、今日の東京、夕方になって実に涼しいです。秋が来てしまいました。寂しい限りです。今年の残暑はどうなるでしょうか。

みなさまも、残り1日の8月の夜をお楽しみください。
おやすみなさい。グーテナハトです。

今年もフィンジ

この日曜日、NHKFMの「きらクラ」を聞きました。ふかわりょうさんがお気に入りとしてオンエアしたのが、ジェラルド・フィンジの《エクローグ》でした。昨年もオンエアしていて、どうやら毎年夏の終わりに取り上げてくださっているようです。

本当に夏の終わりには本当にぴったりな曲。

で、このアルバムをApple Musicで探し当てました。エクローグ以外の曲も実に素晴らしいです。

Finzi: Introit
Finzi: Introit
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何よりサクソフォーンがふんだんに使われているのが嬉しいです。私もサクソフォーン奏者の端くれとして、とても惹かれるアルバムです。例えば、Five Bagatellesなどは、クラリネットとピアノのための室内楽をオケとサクソフォーンのために編曲しているようです。クラシックにあったアルトサクソフォーンの音色が、夏の夜の気だるい感じに実によく合います。まるで、名探偵ポワロのテーマ音楽のようなアンニュイな感じ。

昨年、フィンジの映画が作れそう、という話を書いた気がします。どうやら、曲から勝手に物語を作り出そうとしているようです。レベルは違うかもしれませんが、どうもこういう感興が楽興と呼ばれるものであり、それこそが辻邦生の書いた「楽興の時」なんじゃないかなあ、と思いました。
昨年の記事はこちら。

園芸家ジェラルド・フィンジを聴く

もう少しで8月も終わり。季節は巡る。あと何度この季節の巡りに立ち会えるのだろう。そう思うことが生きる歓びとである、と辻邦生なら描きそうです。

とにかく、みなさま、暑熱の中どうぞお身体にお気をつけて。

おやすみなさい。グーテナハトです。

映画版「のだめカンタービレ」を今さら見て

日曜日。やっと少し時間が取れました。

とにかく、時間が取れない。ですが、それは言い訳です。時間は掠めとるものです。映画を見る暇もありませんが、Amazon Primeで見られる《のだめカンタービレ》を、通勤電車の中でなんとか見たのです。

筋書きは、みなさまご存知の通り。面白かったです。

ですが、何が一番すごかったかって、最後のシーン。のだめが、千秋真一との落差にショックを受けて、パリをさまようシーン。マーラーの交響曲第5番アダージェットが流れる中で、パリの街並み。
夕日に輝くセーヌとノートルダム寺院。白い壁の並ぶパリ。そして、雨が降り始める。夕立を逃げ迷う人々。雨に濡れるのだめ。
その時思い出したのが、この絵でした。

Paris Street; Rainy Day

By Gustave Caillebotte5wEUCOlEf-EaVQ at Google Cultural Institute maximum zoom level, Public Domain, Link

なんという美しいシーン。ギュスターブ・カイユボットの絵。「パリの通り、雨」と言う絵で、シカゴ美術館にあるそうです。この絵は、アマティ四重奏団のCDのジャケットで知っていました。

音楽だけでもなく、映像だけでもなく、両方あってこその美しさ。こればかりは、もう映画やオペラには何をも勝つことのできない美しさなのだと思うのです。

Franck: Piano Quintet/Faure: String Quartet
The Amati Quartet Divox
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のだめカンタービレの映画版は、前編後編の二つあります。映画版は時間の制約から、千秋真一とのだめのラヴストーリーが結論となって居ました。
ただ、漫画版は、確かそうではなかったと言う印象です。確か、フランスの地方の城館でのだめがモーツァルトを演奏するシーンで終わったはず。音楽とその体験の幸福な融合が体現された場面だったと勝手ながら思って居ます。それは、以下の本で学んだこと。

音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 (中公新書)
岡田 暁生 中央公論新社
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音楽だけではなく、音楽を演奏する人を見つつ、その前後の体験、つまり食事であるとか会話であるとか会場の様子であるとか、そうした全ての体験が音楽を聴くことである、と言うこと。岡田暁生さんは、イタリアでのコンサート体験を例にとってそうしたことをおっしゃっていたと記憶しています。

映画でも、いつも聞いた時には感じない感動をえたような気がします。映画の中では音楽は短縮されているのですが、それでもショパンやバッハのピアノ協奏曲、序曲1812年がいつもと違う色彩を帯びて聞こえてきて本当に驚きました。

そう言う意味では、通勤電車の中でApple Musicで聴く音楽というのは、実際のところどうなのかなあ、などと思ったりもしました。ちゃんと音楽を聴けるようになるのはもう少し先になりそう。それまでは、せっせと別の勉強をしなければ、と思いました。

音楽映画、他にも色々とあるので、また見てみようと思います。

楽曲を語ることと演奏を語ることと。

日曜日、マーラーについて書いてみましたが、なんとなく書くことに抵抗がありませんでした。逆にいうとこの数ヶ月、あまり書くことができませんでした。それは、環境変化などあり、多忙だったということもあるのでしょうけれど、なにか違う理由を見つけた気がするのです。

この一か月、モーツァルトを聴き続けていました。特に、これまで聞いたことのなかった初期交響曲や弦楽四重奏、あるいは、合唱曲やオルガン曲などを。

そこで、もちろんなにがしかの感想は持つのですが、それを言語化することができなかった、ということなのではなかったか、と。

それは、意欲という観点もあれば、技術的知識的な観点もあったはず。音楽の差異を語ることよりも、演奏の違いを語ることの方が、取り組みやすいという状況なのかもしれない、と。聴きなれたマーラーの5番を聴いてなにがしかのことを書くということは抵抗なくできた、ということかと。

今、ラトルが振ったモーツァルトの交響曲39番、40番、41番のライブ録音をAppleMusicで聴いています。

これを聞くと、ラトルらしい、うねるようなダイナミズムが感じられ、ああ、ラトルって、いいなあ、と思うのです。ベルリンフィルを手中にして響かせる手腕の素晴らしさ。輪郭のある演奏は、対位法を浮き上がらせ、モーツァルトの構築美、それは何か、18世紀の優美な絵画を思い起こさせるような。という具合に、何か語ることができるわけです。それは、取りも直さず、この3曲を何度も聞いているわけですし、ラトルの演奏も何度も聴いているからこそです。

一方で、モーツァルトの初期弦楽四重奏を聴いて、その楽曲自体を語ることについては、何か抵抗のようなものがあり、越えられない壁があるように思ったのでした。それは、越えるべき壁なのか、あるいは、楽理のリテラシーがなければ超えられない壁なのかはわかりません。少なくとも、昨日触れた身体的感覚として手に触ることのできるような感覚は、初期弦楽四重奏を聴いていた時には感じませんでした。

初期弦楽四重奏が楽曲として面白くないかというと、そうでもないのです。滋味にあふれた曲だったと思うのですが、そこに何かを語るまでには至らなかったわけです。語るまでには理解していない、というのが、まずもっての答えです。

ですが、あるいはこれは、楽曲の違いを語ることと、演奏の違いを語ることということに繋がるのかも、とも思いました。

私に中では、楽曲の相違と、演奏の相違というのは、なにか対立する概念のように存立しています。それは、ジャズとクラシックの関係に似ているもののように理解していました。ジャズは、コード進行に基づき、セッションによってフレーズが異なります。クラシックはフレーズはいつも同じですが、それ以外の差異で表現をするわけです。

なにか、これまでは、ジャズ的な楽曲相違の方が自分にはわかりやすい、と思っていたのですが、実は演奏相違の方が語りやすい、ということに気付いて意外だったのです。

それを前向きな変容とみるか、後ろ向きな変容とみるか。少し、議論が先走るかもしれませんが、それは、もしかすると、年齢を重ねたからということなのかもしれないとも。同じものの微細な変化で十分楽しめて、環境の大きな変化を許容できなくなっているという事に繋がるのかも、と思うと、「機微がわかるようになったなあ」といった前向きな変容とお気楽に捉えるわけにもいかないのかも、と思ったりします。

楽曲の違いも乗り越えて書いてみないと、と思います。

そうこうしているうちに、ラトルの41番は最終楽章。この颯爽としたスピード感で聞くフーガはとんでもないです。カルロス・クライバーの《運命》を彷彿とさせるパラダイムシフトかも。みなさま、これは必聴です!

それではみなさま、お休みなさい。

マゼールのマーラー交響曲第5番を聴きながら

6月も気がつけば半ばに迫っています。東京地方は6月7日に梅雨に入ったそうですが、雨が降っているという印象はあまりありません。

昨日も30度を超える真夏日で、熱中症気味でしたし、今日もどんより曇るだけで、雨が降ることはありません。これから梅雨前線が北上し、梅雨らしい天気になるのだと思います。

もっとも、この季節の晴天は宝のようなものです。爽やかな晴天の下で、散歩をしたり、自転車で走ったりするのは、幸せです。
さて、今日はこちら。マゼールのマーラー交響曲第5番。マゼールのマーラー交響曲全集のボックス盤から取り出して聞いてみました。

Mahler:Symphonies 1-10
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この音源、25年ほど前に初めて聞いた時にはまったく受け付けませんでした。以下のジャケットでした。

マーラー:交響曲第5番
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ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ソニー・ミュージックレコーズ (1996-10-21)
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私にとっては、このジャケットは、何か苦手な音源を聞いた、という気分を想起させるのです。そもそもこの曲の理解が定まっていないとか、マゼールの音楽というものを体感として理解していなかった、ということもあるのだと思います。

この濃厚な音楽の作りは、おそらくは普通の小学生や中学生に理解せよ、と言っても難しいのかも。幼い頃は何か「かっこいい」というプリミティブなキーワードを元に音楽を聞いていた記憶があります。

その文脈でマーラーを捉えることはできませんでした。

マーラーの音楽に含まれる様々な要素、ある時はスタイリッシュな音楽であり、ある時は土着の民謡であり、ある時はユダヤ音楽であり、ある時はワーグナーであり、と言った複雑に織り混ざったものを、一言で捉えたり、一言で語ったりする、一言で理解することはできないということなのだと思います。

長い間音楽を聴いて、あるいはこの曲をCDやライブで何度か聴いたことで、あるいは、実際にウイーンの空気を吸ったり、世界史をかじったり、現代の政治をみたり、そう言った経験があって、体感として理解が深められた、ということではないか、と思うわけです。

昨年も同じようなことを書いてました。

演奏差異が身体的感覚でわかるか?

音楽嗜好の変容

今日聞いたマゼールのマーラーも何か得心しながら聞けたのは、おそらくは、マーラーというものをかつてよりはよく聞いていたし、交響曲第5番もかつてよりはよく聞いていたし、マゼールもかつてよりはよく聞いていたから、ということなんだと思います。

主体の成長とともに認識も徐々に変容するということ。主体だけでもなく、客体だけでもなく双方によって整理するものであるということなのだと思います。おそらくは、音楽だけではなく、文学や絵画だけでもなく、あらゆるものがそういうことなんだとも思います。

さて、最近、もうなんだか放心したような毎日が続いていたんですが、なんとかここから脱却しないと、と思う今日この頃です。本も全然読んでいないし…。

それでは、みなさま残りの週末を楽しくお過ごしください。

ペーター・シュナイダーの思い出

今日もペーター・シュナイダー。
昨日紹介した音源を繰り返し聴いてしまいました。

ペーター・シュナイダーといえば、もう本当に懐かしい思い出がたくさんある指揮者です。2007年に見た新国立劇場《ばらの騎士》は、私にとって最大のオペラ体験でした。ずっと泣いていたのです。感動して感動して。

そういえば、ドレスデンで見た《カプリッチョ》を振っていたのもやはりペーター・シュナイダー。その頃はまだシュトラウスのオペラを分かったとは言えない状況ではありました。それから、東京フィルを振った《ばらの騎士》組曲の思い出も。新国立劇場で《ローエングリン》もみましたし、インターネットラジオで聞いたバイロイトの《トリスタンとイゾルデ》もやはりペーター・シュナイダー。

しかし、さすがの私もそろそろ記憶が変容してきたようです。今はなにか華々しい記憶ではなく、なにか落ち着いた熟成した記憶へと変化しているような気がします。以降、二回、合計で3回同じプロダクションを見ているということもあるでしょうし。
ただ、圧倒的な祝祭感は、2007年のプロダクションに勝るものは無いなあ、とおもいます。恐らくは、記録映像などを見ても同じ気分を持つのことはないでしょうし、あるいは、同じ気分を持てないという恐れがありますので、記録映像を見ることもないでしょう。こうして、あの記憶は、おそらくは少しずつ変質しながら、わたしのなかに留まり続けていることになりそうです。記憶が愛おしく思える今日このごろ。人生とは記憶ではないか、とも思います。

人生こそ記憶。あるいは記憶こそ人生。それはまるで、歴史こそ実在、と言い換えられるような状況でもあります。

では、おやすみなさい。グーテナハト。

シノポリのシューマンは素敵だ!

Photo

今日は本当に素晴らしい秋晴れ。秋はこうでないと。でもまた明日から雨ですか。。

最近、音楽に関するワクワク感がないなあ、などと思いながら、Apple Musicでジャズボーカルを聴き漁ったりしましたが、どうもしっくりきません。

そういえば、ブラ2な日々は楽しかったなあ、などと追憶に浸ったり。。

http://museum.projectmnh.com/2016/09/02073537.php

まだ、ブラ2もたくさん聴くものがあるんですが、1ヶ月ぐらい聞いていたので、別の曲にしないと、と思い、ブラームスとくればシューマン、みたいな感覚で、シューマンの交響曲を聴いてみました。

まずは、こちら。レヴァインのシューマン。うーむ、なかなか難しい。リファレンス的な正当な演奏のように聞こえます。

で、次に聞いたのがこちら。シノポリのシューマン。

シューマン:交響曲全集
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シノーポリ(ジュゼッペ) ユニバーサル ミュージック クラシック (2001-09-21)
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いやあ、これはすごい! 音量とかテンポとか、いちいち(?)面白くて、次はどうくるのか、みたいなワクワク感があります。この感覚、シノポリの「マノン・レスコー」を聴いた時も思ったこと。やはりシノポリは面白いんですね。

もっとも、この残響感たっぷりでありながら、引き締まった演奏というドレスデンの音も、この音源を魅力的にしている要因の一つでしょう。きっとルカ教会なんだろうなあ。

交響曲第1番「春」も清冽で素晴らしかったし、交響曲第3番「ライン」も見事すぎます。なんだか昔抱いたドイツへの憧れのようなものを思い起こしました。あの頃は、まだ今ほど世界は悪くなかった気がします。

シューマン。一時期ずいぶん聴きこんだ時期がありました。その時の感覚が戻ってきた感じです。しばらくはシューマンを聴き込む日が続きそう。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

園芸家ジェラルド・フィンジを聴く

昨日のNHK-FMの「きらクラ」。やはり、ラジオはいいです。最近知ったいい曲はほとんどがNHK-FMです。スクリャービンのピアノ協奏曲もこの番組で知りましたが、今回知ったのはジェラルド・フィンジ。イギリスの作曲家で、1901年に生まれ1956年に亡くなりました。今年没後60年。ヴォーン・ウィリアムズよりふた回り、ベルクよりひと回り下の世代です。
昨日はオンエアされたのは、《牧歌(エクローグ)》という作品。Wikipediaによれば、初期のピアノ協奏曲の断片をもとに作成されたもののようです。

Centenary Collection
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なんというか、エンニオ・モリコーネの《ニュー・シネマ・パラダイス》のような雰囲気を持った作品で、懐かしさと優しさに包まれる曲です。

聴いていると、なにか悲しみさえ覚えてしまうぐらいです。なぜなら世の中とはまったく違うものなので、その存在が幻想であるということがわかってしまうので。願わくば、こういう世界が現実であればいいのに、と思うのですが、それは能わないことがわかっていますので、悲しみを覚えるわけです。
最期、調性は短調で暗くなるのですが、本当の最後はピアノの長調の和音で静かに終わり本当に良かったです。これが短調で終わってしまうのはあまりに悲しすぎますので。
ジェラルド・フィンジという方の人生も劇的で映画になりそう。ホルスト、ヴォーン・ウィリアムズ、ボールトとの親交を結び、田舎でリンゴを育てる園芸家でもあった。余命10年を告げられ、自作の初演をラジオで聴いた翌日に生涯を終える。なんという人生なのかと思います。映画のシーンが勝手に現れてきます。ヴォーン・ウィリアムズとか出てくるんだろうなあ。きっと、フィンジの楽曲がふんだんに使われた映画になるはず。

こういったボックスも発売されるようです。今年アニバーサリーだからでしょうか。

A Finzi Anthology
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幸運な巡り会いに感謝しつつ、おやすみなさい。

 

 

ベルリンフィルのスター・ウォーズ

今日、たまたま、ラトル&ベルリン・フィルのスター・ウォーズのテーマをAppleMusicで観たのですが、なんだか素晴らしくて、二回も見直してしまいました。

スクリーンショット 2016-07-17 16.56.13

この曲自体の迫力が、ラトルとベルリン;フィルによって改鋳され、何か別のものに生まれかわった感覚です。

かつて、ウェルザー=メスト&ウィーン・フィルののスター・ウォーズも素晴らしかったと紹介したことがあると思いますが、ベルリンフィルはまた別の素晴らしさです。

ウィーンフィルのスター・ウォーズはこちら。。

シェーンブルン宮殿 夏の夜のコンサート 2010 [DVD]
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ウイーンの方は、やはり何かウィーン的なたゆたう感じがあったのですが、ベルリンフィルは、ソリッドに統率された引き締まった演奏で、ラトルのテンポの揺らぎも実にダイナミックです。最後の締めくくりもさすが。ただ、ラトルを正面から捉えた映像を見ながら聞いていると、そういう気分にさせられてしまうという可能性もあります。ホルンセクションがみんなダース・ベーダーのマスク・ウォーズ、という感じです。
週末は、いろいろと時間が取りにくい状況なのですが、しばし時を忘れました。

明日は、お休みですが、仕事関係の講習に出かけます。

それでは。