楽曲を語ることと演奏を語ることと。

日曜日、マーラーについて書いてみましたが、なんとなく書くことに抵抗がありませんでした。逆にいうとこの数ヶ月、あまり書くことができませんでした。それは、環境変化などあり、多忙だったということもあるのでしょうけれど、なにか違う理由を見つけた気がするのです。

この一か月、モーツァルトを聴き続けていました。特に、これまで聞いたことのなかった初期交響曲や弦楽四重奏、あるいは、合唱曲やオルガン曲などを。

そこで、もちろんなにがしかの感想は持つのですが、それを言語化することができなかった、ということなのではなかったか、と。

それは、意欲という観点もあれば、技術的知識的な観点もあったはず。音楽の差異を語ることよりも、演奏の違いを語ることの方が、取り組みやすいという状況なのかもしれない、と。聴きなれたマーラーの5番を聴いてなにがしかのことを書くということは抵抗なくできた、ということかと。

今、ラトルが振ったモーツァルトの交響曲39番、40番、41番のライブ録音をAppleMusicで聴いています。

これを聞くと、ラトルらしい、うねるようなダイナミズムが感じられ、ああ、ラトルって、いいなあ、と思うのです。ベルリンフィルを手中にして響かせる手腕の素晴らしさ。輪郭のある演奏は、対位法を浮き上がらせ、モーツァルトの構築美、それは何か、18世紀の優美な絵画を思い起こさせるような。という具合に、何か語ることができるわけです。それは、取りも直さず、この3曲を何度も聞いているわけですし、ラトルの演奏も何度も聴いているからこそです。

一方で、モーツァルトの初期弦楽四重奏を聴いて、その楽曲自体を語ることについては、何か抵抗のようなものがあり、越えられない壁があるように思ったのでした。それは、越えるべき壁なのか、あるいは、楽理のリテラシーがなければ超えられない壁なのかはわかりません。少なくとも、昨日触れた身体的感覚として手に触ることのできるような感覚は、初期弦楽四重奏を聴いていた時には感じませんでした。

初期弦楽四重奏が楽曲として面白くないかというと、そうでもないのです。滋味にあふれた曲だったと思うのですが、そこに何かを語るまでには至らなかったわけです。語るまでには理解していない、というのが、まずもっての答えです。

ですが、あるいはこれは、楽曲の違いを語ることと、演奏の違いを語ることということに繋がるのかも、とも思いました。

私に中では、楽曲の相違と、演奏の相違というのは、なにか対立する概念のように存立しています。それは、ジャズとクラシックの関係に似ているもののように理解していました。ジャズは、コード進行に基づき、セッションによってフレーズが異なります。クラシックはフレーズはいつも同じですが、それ以外の差異で表現をするわけです。

なにか、これまでは、ジャズ的な楽曲相違の方が自分にはわかりやすい、と思っていたのですが、実は演奏相違の方が語りやすい、ということに気付いて意外だったのです。

それを前向きな変容とみるか、後ろ向きな変容とみるか。少し、議論が先走るかもしれませんが、それは、もしかすると、年齢を重ねたからということなのかもしれないとも。同じものの微細な変化で十分楽しめて、環境の大きな変化を許容できなくなっているという事に繋がるのかも、と思うと、「機微がわかるようになったなあ」といった前向きな変容とお気楽に捉えるわけにもいかないのかも、と思ったりします。

楽曲の違いも乗り越えて書いてみないと、と思います。

そうこうしているうちに、ラトルの41番は最終楽章。この颯爽としたスピード感で聞くフーガはとんでもないです。カルロス・クライバーの《運命》を彷彿とさせるパラダイムシフトかも。みなさま、これは必聴です!

それではみなさま、お休みなさい。

ベルリンフィルのスター・ウォーズ

今日、たまたま、ラトル&ベルリン・フィルのスター・ウォーズのテーマをAppleMusicで観たのですが、なんだか素晴らしくて、二回も見直してしまいました。

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この曲自体の迫力が、ラトルとベルリン;フィルによって改鋳され、何か別のものに生まれかわった感覚です。

かつて、ウェルザー=メスト&ウィーン・フィルののスター・ウォーズも素晴らしかったと紹介したことがあると思いますが、ベルリンフィルはまた別の素晴らしさです。

ウィーンフィルのスター・ウォーズはこちら。。


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ウイーンの方は、やはり何かウィーン的なたゆたう感じがあったのですが、ベルリンフィルは、ソリッドに統率された引き締まった演奏で、ラトルのテンポの揺らぎも実にダイナミックです。最後の締めくくりもさすが。ただ、ラトルを正面から捉えた映像を見ながら聞いていると、そういう気分にさせられてしまうという可能性もあります。ホルンセクションがみんなダース・ベーダーのマスク・ウォーズ、という感じです。
週末は、いろいろと時間が取りにくい状況なのですが、しばし時を忘れました。

明日は、お休みですが、仕事関係の講習に出かけます。

それでは。

フォーレの組曲《ペレアスとメリザンド》をベルリン・フィル・デジタル・コンサートホールで聴く

本当にラトルって、スゴイですね。あらためて凄さを感じました。

ベルリン・フィル・デジタル・コンサートホールでフォーレの《ペレアスとメリザンド》を聴きました。

ラトルの凄さは、微細なテンポと音量のコントロールにあるといつも思っていましたが、この映像はまさに真骨頂という感じです。いや、確かにライヴですので、オケに何かしらの疵はあるのかもしれません。

しかしながら、数値化できない微妙なテンポの揺れが音楽に陰影と味わいをつけているのがよくわかります。音楽はメトロノームではなく、こうした微細な心遣いによるものなのだ、と改めて思います。

それにしても、蜜月のラトルという感じですね。

2011年1月21日の収録。

※冒頭の画像はイメージで、記事の音源ではありません。

ここからはおまけです。

いや、それにしても寒くなりました。東京地方も冬模様です。東京の冬はカラッとした晴天が続きます。これは世界的に見ても恵まれた冬景色なのかもしれません。前にも何度か書いていますが、とあるドイツ人は、東京の冬の晴天を観光資源だと捉えていたそうです。

私も2001年にドイツに行った時、恐ろしく晴れた冬空のもとを歩いた記憶があります。

こちら。冬の西日に輝くライヒスターク。竣工まもなくのはず。

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そして、ジーゲスゾイレから眺めた東ベルリン方面。かすかに見えるブランデンブルク門。乱立するバウシュテレのクレーン。壁崩壊から10年ぐらい立った頃です。

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それではグーテナハトです。

《短信》ベルリン・フィル・デジタル・コンサートホールなど

コンサートになかなか行く時間がなくなってしまった今日このごろ。ちょっとなにか刺激がほしい今日このごろ。

で、ベルリン・フィル・デジタル・コンサートホールを少し観てみました。2005年フレンチナイトです。

https://www.digitalconcerthall.com/ja/concert/14811

恒例のリンケ《ベルリンの風》ではラトルがパーカスに入ってて面白かったです。

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で、さすがにタクトを振る人が居なくて、ベルリン・フィルも少し乱れが見える、という状況がなかなかおもしろかったです。まあ、最後は余興ということでイイんでしょうけれど。

あとは、プーランクの《2台のピアノのための協奏曲》がスゴイです。ラベック姉妹が出ています。映像付きなので、というのもあるんでしょうけれど、本当に切れのある演奏です。やっぱり、プーランクはいいなあ。

ラベックし姉妹。お姉さんのカティアは、ジョン・マクラフリンと結婚していたんですね。。

で、こちらがラベック姉妹が出演していたサントリーのCM。二十歳になったら21です。バブルの香りただようCM。

では、グーテナハトです。

《短信》1996年のベルリン・フィルのジルヴェスターコンサート

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若かりし頃のアバド。

1996年のジルヴェスターコンサートです。

ベルリン・フィル・デジタル・コンサートホールにて。

FBで勧められていたので、夏休みで時間があるのでついつい見入ってしまいました。

 

ハンガリー舞曲、なんか、漆黒のサラブレットが駆けているような。脈打つ筋肉の波動が見える気がします。あとは洒脱さ。微妙にテンポを動かして

 

それで、めちゃ若いシュテファン・ドール。いやー巧い。

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コンマスは安永さん。オーボエにはシェレンベルガーが入っています。こんなかんじで吹いておられたのですね。

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その後のラ・ヴァルスもすごい。この官能の波。19世紀への惜別。

アバドの指揮は、テンポを微妙に動かして、ためとか遊びを作り出しています。指揮棒も流れるように、なめらかな弧線を描いています。弦のポルタメントもなんか享楽的で泡沫的な風情をよく表しています。

 

なんだか、この曲を聞くと、来るべきオーストリア帝国の没落なんて夢にも見ないで芸術をめでた世紀末ウィーンの儚さに思いいたってしまいます。これってなんだか今の日本に似ているのかも。

この映像、感動したんですが、逆に落ち込んだ気もします。。これを映像でしか見られないなんて。。これって、日のささない地下室で南国の太陽を夢見るのと似ているので。。