つれづれ──NHK-FMで《エリア》やってました。

今日は、ゆえあって自宅にて待機。最近疲れ気味で、午後、うとうととしてしまったのですが、NHK-FMをつけると、サヴァリッシュが1986年にN響を振ったメンデルスゾーンオラトリオ《エリア》が流れていました。

メンデルスゾーン:エリア 全曲

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で、あらためて驚いたんですが、ルチア・ポップが歌っていたんですね。日本に来ていたとは。。テノールは、ペーター・ザイフェルト。バリトンはベルント・ヴァイクル。いずれもドイツ系の名だたるみなさん。本当に透徹とした歌で、ウトウトしながら聴いていてごめんなさい、という感じでした。サヴァリッシュの指揮も堂々たるものでした。

私、この《エリア》が録音された1986年ごろから本格的に音楽を聴き始めています。この《エリア》の演奏会の録画放送の予告編を見た記憶があります。あれから28年ですか。。早いものです。。

あ、レリス「オペラティック」も引き続き読んでいます。京劇やハイチのブードゥー教までもが言及されています。刺激的。っつうか、もっとオペラ見ないとなあ、とあらためて思いました。

それでは取り急ぎグーテナハトです。

チェリビダッケが振るフォーレ《レクイエム》


刻一刻の夏が終わりに近づいています。一週間前の猛暑に比べると随分過ごしやすいです。昨今のウィークデーの過ごし方が巧くいっていなくて、生活が不規則です。しわ寄せはどうしても週末へ。なかなかうまく週末が過ごせません。もう少し身体をきちんと使わないと長続きしないでしょうね。何事も。などと考える今日このごろ。即効性のある答えはありませんが、だからといって手をこまねくわけにも行かないでしょう。

さて、今日も色々聞きましたが、先日読んだ《カラヤンとフルトヴェングラー》に登場したチェリビダッケのCDを聴いています。この本の中で中川右介さんは、このようなことを言っておられます。
カラヤンは、本当はフルトヴェングラーを全てにおいて凌駕したかった。その手法の一つとしてレコード録音があった。だからあんなにもカラヤンは録音を行ったのだ。だが、皮肉なことに、フルトヴェングラーの録音も夜に出回ることになり、フルトヴェングラーの偉大さが永久に残されることとなった。死んだ孔明が仲達を走らせたのと同じように。
そして、もう一つの皮肉がチェリビダッケです。
録音嫌いだったチェリビダッケも、その死後にBOXセットが幾つも登場し、いつの間にか最も充実したCDのラインアップを誇る指揮者になていたというわけです。これをカラヤンがみたらどう思うでしょうか。本来、フルトヴェングラーの次のベルリン・フィルの国王は、フルトヴェングラーと共同統治をしていたチェリビダッケであったかもしれなかったのですが、カラヤンは電撃的にそれを簒奪したのですから。カラヤンにしてみれば完膚なきまでに叩きのめしたチェリビダッケが、その死後、カラヤンとは違うアプローチで影響力を出しはじめたということなのです。
このフォーレの《レクイエム》は、ミュンヘンフィルを1994年に振ったライブ盤で、マーガレット・プライスとアラン・タイタスが歌っています。このアラン・タイタスという方、新国立劇場でファルスタッフとヨカナーンを歌っていたと思います。円熟味のある静謐な歌声。マーガレット・プライスは少し調子悪いかもしれません。
テンポどりもゆっくりではありますが、必然的な遅さです。チェリビダッケ的な遅さというわけではありません。むしろこの程度遅いほうが味わい深くなります。
明日からまた戦場へ。
ではグーテナハト。

ブリテン戦争レクイエム続く

昨日からブリテンを聴いたりパルジファルを見たりと音楽が楽しい季節になりました。
やはり、私の帰るべきところはここでになるのでしょう。

戦争レクイエムを、作曲者自身の指揮によるあの有名な盤を聴きました。

ピーター・ピアーズもいいですし、フィッシャー=ディースカウがなによりいけてます。オーウェンの英語の詩とラテン語の典礼文の融合も素敵です。

ありがちかもしれんのですが、少年合唱に歌わせるとこれはもう、いわゆる天使の歌声的な趣です。

久々に聴いて、やっぱりカッコいいわー、と感動しました。昨日書いたように内容は重いのですが。

ピーターグライムスのほうも粛々と進捗中。しばらくはこれしか聴けないなあ。

ブリテンの「戦争レクイエム」にみる旧約聖書物語

はじめに

写真を。東京湾から撮った写真です。いい季節です。もっと涼しければなおさら。

もっとレタッチの練習をしないと。まだ改善できるはず。

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近況関連

このところ仕事が「充実」しまくっていて、ありがたいことです。スリリングな毎日です。しばらくは引き続き充実の予定。

「パルジファル」に行く手を遮られてしまった感があり、すこし留守にしました。

ほんとうは、今週末に二期会の「パルジファル」を見に行くつもりだったんですが、時間的に無理があり断念しました。無念。

 

戦争レクイエム

それにしても、シンクロニシティだな。。

新国立劇場「ピーター・グライムス」の予習にと資料を物色しているところで、ブリテンの戦争レクイエムの放送があったとは。昨夜深夜のプレミアムシアターで、アンドリス・ネルソンスの指揮にて。録画完了し、今晩から少しずつ見ないと。

バーミンガム市響をアンドリス・ネルソンスが振った映像で、今年の5月30日収録の新しい演奏のようです。

アブラハムのイサク献供の話

戦争レクイエムで私が最も恐ろしく思うのが、この部分です。

旧約聖書の中に、アブラハムが自分の息子であるイサクを生け贄に捧げる場面があります。

神から命じられたので、仕方が無くアブラハムはイサクを生け贄に捧げるべく殺そうとする瞬間に、神がそれをとめるという話です。

大学の先輩によれば、この挿話は、人体実験や臨床試験の倫理学的問題につながる問題なのだそうです。

神の命令に従ってまで自分の子供を殺すという自虐行為がどこまで赦されるのか。真理の探究のために人間を犠牲にすることがどこまで赦されるのか。

あるいは、国の大儀のため戦争に子供達を送り出すことは赦されるのか。

 

我が子を屠るアブラハム

この「戦争レクイエム」においては、この物語の派生であるウィルフレッド・オーウェンの反戦詩がオッフェルトリウムの歌詞として採用されています。

この中で、最後に神によって助けられるはずのイサクが死に至るという強烈な結末が歌われています。

 

「その少年に手をかけてはならない。見よ! 角を一匹の雄羊を。彼の代わりにこの高慢な雄羊を捧げよ!」

しかし、アブラハムはそれに従わない。そうではなく、彼は息子を我が手で屠ったのである。

 

強烈すぎる。

 

こうやって、人々は我が子を戦争に送るのか、という絶望感です。

きな臭い世の中においては、「神」といった必然の命に従わなければならない理由があると言うことでしょう。それはすなわち、我が子を屠るということまで想定しなければならないわけで、そこまでの覚悟を持って世界を生きなければならないと言うことなのでしょう。そんなことを思います。そこまで覚悟出来ているのか。

この解釈、先輩と話していたときはそこまで気づかなかったんですが、昨今のニュースを見たり、今回改めて考えたりしてようやく解釈がまとまった気がします。

 

明日から仕事ですが、最近三連休が辛いです。休みは二連休が限界。これ以上休むとリズムが狂います。

飛び石希望でお願いします。

アバドのヴェルディ「レクイエム」すげー!

最近ヴェルディが分かってきたわたくし。
先日の新国立劇場の「オテロ」で完全にヴェルディに苦手意識がなくなりました。
どうも、「アイーダ」以降のヴェルディにはすんなりと入っていけるようです。
「アイーダ」→レクイエム→「オテロ」→「ファルスタッフ」と続きますので、レクイエムは、私のゾーンに入っておりますね。
ヴェルのレクイエム、昔から好きでしたが、この音源を聴いてのけぞりました。
アバドの指揮は、キレがあってカッコイイです。
ゲオルギューも巧いですよねえ。もっと歌ってくれればいいのに。
この演奏を実演で聴けれたら幸せだろうなあ、と思います。
ヴェルディが苦手で、レクイエムの音源をあまり持っていないことに気づきました。というか、全然ない。。 カラヤン盤も名演とのことで、入手に勤めようと思います。
今日は短め。
短くても、回数を多く書いた方が良いのかもしれないですね。ライフログ的になるべく多く書くようにしたいところです。

パトリシア・プティボンとジークフリート・イェルザレムの「カルミナ・ブラーナ」

昨日は東京は雪でしたね。もう春は終わったんでしょうか。ちょっと寂しい写真。散り積もった桜の花びら。でもこれからもっと暖かくなって、若葉が生える季節となりましょう。昨日はかなりヘビーな一日でした。ちょっと図書館で本を借りすぎ&ノートPCを持ち歩いたので、体が痛いです。軽くて丈夫なノートPCを買おうかなあ、と思案中。

私のノートPC

私のノートはThinkpad X30でして、もう7年半も使っています。最近は液晶のバックライトがいかれてきて、バックライトがついたりつかなかったり。そろそろ寿命かな。

ちなみに、このThinkpad X30は、ミュンヘンの

Pinakothek der Moderne

(現代美術を集めた美術館)に展示されていました。下の写真の左から三番目がそれ。

ついでに、懐かしのバタフライキーボードをもつThinkpad 701Cも展示されてました。

カルミナ・ブラーナ

さて、いやあ、東京春祭のムーティ「カルミナ・ブラーナ」は行けなかったけれど、日本時間でいうと昨日の未明にバイエルン放送協会で放送されたダニエル・ハーディング指揮の「カルミナ・ブラーナ」の録音に成功しました。最近ウェブラジオは失敗が多くて凹んでいたんですが、今回は成功。やった!

「カルミナ・ブラーナ」は中学生の頃聴いて衝撃受けてました。レヴァイン盤でした。ですが、それ以降は特に聴いた覚えはない。というか、聴くのは10年ぶりに近い。

ジークフリート・イェルザレム

いやあ、ジークフリート・イェルザレムは凄いですね。この方のテノール聴いたとたんにのけぞりました。確かに年齢からくる若干に揺れはあるんですが、なにより声がすばらしい。ハイティンク盤のリングでおなじみだったはずですが、この演奏での丁寧に歌い上げるイェルザレムには少し驚きました。

パトリシア・プティボン

それから、パトリシア・プティボンは、初めて聴いたという御恥ずかしさ。若干のピッチの揺れはありますが、実にドラマティックですね。この方の録音はバロック系が多いのですが、先だって「ルル」を歌っているんですよね。これ、録音失敗してひどく凹んでいるんですが、プティボンのルルを聴いてみたいと強く願いました。来日も良くされているようで、いつも拝見している さまよえるクラヲタ人 さんのブログで取り上げられていて気にしていたので、今回は聴けてラッキーでした。CDほしいなあ。

レオンハルト、プティットバンドのミサ曲ロ短調

なんともかんとも忙しい一週間でした。私の仕事の進め方に問題があるのかしら……。まあ、仕事に限らない話ですが、うまく生きると言うことは、やらないことを決めることである、とどなたかがおっしゃっているのを聴いたことがあります。それから、岩波文庫の解説に、良い読書家は悪書を読まないと言うことである、ということが書いてあったのを覚えています。高校時代の私は、ああ、これは岩波文庫だけを読め、ということなのだな、と勝手に解釈していましたが、結果は岩波文庫ばかり読むわけはなく、ハヤカワ文庫に走っていたんですけれど。これ、今でも変わらないです。岩波文庫を最後に読んだのはいつだろう。社会人になってから「ワイマールのロッテ」を読んだのが最後かもしれない。。。
ともかく、今日は朝早く目覚めました。やはり早朝となると、バロックでしょうかね。単純にNHK-FMの「朝のバロック」の影響ですが。
中学生か高校生の頃、合唱音楽にはまったことがありました。モーツァルトのレクイエム、ベートーヴェンの荘厳ミサ曲、バッハのヨハネ受難曲などなど、鬼気狂ったことがありました。私は残念ながらキリスト者ではありませんが、それでもミサ曲の醸成する荘厳で神々しい空気には畏怖を感じていました。キリスト教についての基礎知識もないまま、キリエとか、クレドとか、オッフェルトリウムなんていうラテン語の輝きだけが印象深かったのを覚えています。
バッハのミサ曲ロ短調も、やはり中学生の頃に聴いたのが初めてでしたでしょう。90分のカセットテープに録音しました。演奏はどなただったか、忘れてしまいました。しかし、この曲も大好きな合唱曲の一つになりましたね。
そういうわけで、先だって入手したグスタフ・レオンハルト、オランダ・コレギウム・ムジクム・バッハ合唱団、ラ・プティット・バンドの演奏を聴いております。
古楽演奏のテンポは速めに設定されることが多いように思いますが、この演奏も私の印象よりも少し速いテンポで展開していきます。録音は高音ののびが美しく、清澄な空気をよく伝えてくれています。バロック音楽は基本的にはインテンポな音楽ですが、この演奏ももちろんこれにならったもの。
ジャック・ルーシェが、バッハの音楽をジャズに編曲して演奏していますが、あれは、インテンポなバッハだからこそできたものだと思っています。ジャズも基本的にはインテンポな音楽ですので、そういう意味で両者はきわめて親和性が高いのです。
この演奏ももちろんインテンポですが、冷静な演奏は実にすばらしいものです。私のデフォルト印象よりも速いテンポで展開していくのでそのイメージがとても面白くて、個人的にはスリルさえ感じます。
今週は本当にヘトヘトで、どうしようか、と思ったぐらいでしたが、こうして早起きしてバッハを聴くと、なんだか心現れる気分。週末の開放感もあいまって、いい気分になってきました。申し訳ありませんが、土日は仕事を忘れてリフレッシュすることにします。そんな甘いことを言っている場合ではないかもしれませんが。

デイヴィスによるフォーレのレクイエム

先日も触れた名曲探偵アマデウスでフォーレのレクイエムが取り上げられていて無性に聴きたくなりました。サー・コリン・デイヴィスがシュターツカペレ・ドレスデンを振ったフィリップス盤。それにソプラノはルチア・ポップですからね! 録音はやはりルカ教会です。この豊かなリバーブ感がたまりません。中音域にの柔らかさのしっとりとした感覚は至福の境地。ここは賛否両論かもしれませんけれど私はいいと思います。クライバーの「トリスタンとイゾルデ」もオケと録音場所が同じですが、印象はかなりことなります。クライバーはかなり高音によったサウンドですので。エンジニアの違いもありましょう。
しかし、この曲の持つ浄福感には癒されないわけがありません。

リベラ・メの緊張感は最後の裁きを待つかのような気分に。フォーレの管弦楽曲集で聴いた「マスクとベルガマスク」を思い出しました。いまから7年ほど前にプラッソンの全集を狂ったように聴いていたのを思い出しました。あの頃読んでいたプルーストが懐かしい。まだ半ばまでやっときたところなのですが。もちろん辻邦生先生の影響ですが。
ちょっと話がそれました。デイヴィス盤のレクイエムに話を戻しましょう。
Pie Jesuでのポップは素晴らしいです。透き通り金色に輝く啓示。神がいたとしたら、こんなふうに語りかけてくるに違いありません。他のソプラノの方の録音とも比べてみたのですが、ポップの歌は透き通るだけではなく、倍音を含んだ芯のある声と言うことが分かります。もちろんルカ教会ということもありますが。
ちょっとこれはしばらくこのCDに癒してもらわないといけません。仕事付き合いにもすこし飽きてきましたので。
今日は本を読む元気がなかったので、電車の中から携帯を使ってポストしました。ではまた明日まで。