演奏家の同定について。あるいはやわクラの思い出。

あいかわらず聴き続けているマゼールのブルックナー。本当に驚かされる瞬間が何箇所もあって、個性というものの素晴らしさを感じます。


Bruckner: 10 Symphonien


Bruckner: 10 Symphonien
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昔、まだまだクラシックを聴き始めて間もない頃、演奏んも違いというものをりかいすることの難しさに途方にくれていた頃がありました。中学生ころですかね。あのころ、小澤征爾の弟の小澤幹雄さんが「やわらかクラシック」という番組をFM東京でやっていました。クラシック音楽の曲名をあてるという番組で、いまでもNHKFMの「きらクラ」の「きらクラドン」のようなものですかね。

番組終了までしばらく聴いていたのですが、印象的だったのがマーラー特集でした。マーラー三昧の曲当てクイズだったのですが、わたしの記憶ではそのときに始めて演奏者を当てるクイズが出たのでした。この演奏は誰の指揮か?という問題。当然わかるべくもなく。。そりゃ、中学生で、何枚も何枚も同曲異演を聴いていて、当てられるだけの資力はありません。親がたくさんもっているとか、そういう環境なら別ですが、わたしはそういう環境にはいませんでしたので。そのとき、小澤幹雄さんは「演奏をきいて、その演奏が誰の演奏家わかるというのも、クラシックファンにとっては重要なことなのです」みたいなことをおっしゃっいまして、あー、これは無理だわ、と中学生ながらに感じたのでした。

このとき「演奏を聴いて、演奏者をを判別する」というのは二つの意味で捉えられるのだと思います。一つは、きいたことのある演奏を、同定するということ。もう一つは、聴いたことのない演奏をであっても、演奏者を同定するということ。

前者と後者、どちらのことを小澤幹雄さんがおっしゃっていたのかわかりません。ま、両方なんでしょうか。

これを初めてできたのが、多分その後10年経ったころだとおもいます。ジャズを演奏するようになって、音楽の機微が少しずつ分かってきたようなころでした。
で、これがなかなか微妙な思い出ですが、初めて演奏を聴いたことがないのに演奏者を当てたという思い出のこと。たしかベートーヴェンのピアノ協奏曲でした。ほんとうに苦手な演奏で、ふと「これはバレンボイムとラン・ランに違いない」とおもってしまったのです。当たりでした。これ以上は言えません。

そういうわけで、最近は、先輩の皆さんにはかなわないにせよ、少しずつ演奏者の同定ができるようになってきたような感じで、いろいろとの楽しみが増えてきた感覚はあります。

そんな中で、やはりこの数年好きになったマゼールは、特徴的で個性的なスタイルなのできっとわかりやすい部類なんだろうなあ、と思います。

長くなりました。電車の中でざっと書いてしまいました。。

ではおやすみなさい。グーテナハトです。

同曲異演の醍醐味とその深み。あるいは同曲異演沼

今日も「私を構成する9枚」から。

クラシックは、同曲異演こそが醍醐味で、というのは若い頃から知っていました。が、またCDしかない時代、学生には無理難題ですよね…。例えばご両親がマニアで、すでに家にたくさん音源がある、という事案であれば別ですが、そうそううまくいくわけもなく。

中学生の若い頃、当時流行っていたトム・クランシー「レッド・オクトーバーを終え」のなかでの話。
ソナー員がバッハの愛好家という設定になっていたのですが、彼が敵潜水艦のスクリュー音をバッハが録音されているなけなしのカセットテープに上書き録音せざるをえなくなり、艦長が申し訳なさそうにするのを聞いて、「いやいや、もっと良い演奏を持っているのでいいんです」みたいな話をするシーンがありました。

このシーンを読んで、若いなりに、演奏の違いというものとか、演奏の良し悪しのようなものを早く聞き分けられるようになりたいものだ、と思ったものです。

ですが、先に触れたように、さすがにそんなに同曲異演をたくさん聞けるわけもなくという日々が続いたわけですが、ある日、タワーレコードで、同曲異演のCDを買ったのですね。あの時は、本当にドキドキしました。こんな贅沢をしていいものか、と悩んで悩んで悩み抜いて、やっとの思いで買ったのでした。

で、それ以降、深みにずるずるとはまっていくのですが、このCDを聴いた時は、本当にたまげたものです。


Bruckner: Symphony No.8


Bruckner: Symphony No.8
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私は、このブル8の第一楽章の後半部分の強烈な高揚に時を忘れ、当時音楽を勉強していた友人と二人で感嘆したものでした。

同曲異演の深みはさらにふかく、底なし沼です。同曲異演沼。

(似た言葉にレンズ沼、というのがあります。カメラのレンズを買っても買っても満足しない状況の異だそうです)

私を構成する9枚のシリーズ、まだしばらく続くかも。

今日でウィークデーは終わり。週末も1日は「仕事」の予定。まあ、ありがたいことなのかも。

それではみなさまは良い週末をお過ごしください。グーテナハトです。

私を構成する9枚

「私を構成する9枚」というのが流行っているようです。昔も、「クラヲタに聞く100の質問」というのがありましたが、あれと似てますかね。まあ、こういうのは、自己顕示の表れだったりするのかもしれませんが、まあ、やってみようと思いました。

IMG_5130

直感的に出したところ9枚を超えたので幾つかは選外にしました。左上からコメント。まあ、古いアルバムばかりになります。苦楽を共にしたアルバムたちですから。つうか、DVDも入っているか。。

  • クライバーのトリスタンは、強烈でした。1998年に聴いたのだと思います。こんなに綺麗なものがあるんだ、と驚いたものです。

  • ジュリーニのブル8は、同曲異演の恐ろしさを知りました。

  • シェーフェーがルルを演じたグラインドボーン音楽祭の《ルル》。BSで放送されていたのですが、食い入るように見てしまいました。多分、オペラに初めて見入ったのがこちらでした。

  • 同じく、クライバーの《ばらの騎士》も、強烈。最初はばらの献呈の場面が好きでしたが、歳をとると、最後の三重唱が好きになりました。そのままでわかりやすい。。

  • ショルティのマーラー8番は、多分初めて買ったCDです。本当はマゼールの方が良いのかもしれませんが、ルネ・コロのテノールが素晴らしかった。何度も何度も聞いた一枚。

  • チェリビダッケの《展覧会の絵》も強烈。タワレコでかかっていたのを聴いて衝撃を受け、速攻で買ってしまいました。

  • フランクのヴァイオリンソナタも思い出深い一枚。ちょうどプルーストを読んでいた頃に聞きました。

  • シノポリの《マノン・レスコー》も美しすぎて衝撃でした。これを聞いたのがきっかけでミュンヘンのシュターツオーパーでマノン・レスコーを聴いたんでした。休憩なしで2時間のパフォーマンスでしたが、あんなに濃密なオペラのパフォーマンスはなかったなあ。

  • アバドの《ヴォツェック》が初めてのベルク体験でした。このCDはカミさんが買いましたが、私が貰い受けて、愛聴しているもの。

カラヤンのトゥーランドット、カラヤンのボエームは泣く泣く選外。カラヤンはスタイリッシュすぎるかなあ、と。ハイティンクの指環は、出会った時期が最近(と言っても10年ほど前?)なので、もう少し経つと圏内に入るかもしれない。

ジャズ系も別途ありますけれど、今日はこの辺りで。

明日の東京地方はまた雪でしょうか?  通勤時間はお気をつけください。

それではお休みなさい。グーテナハトです。

レニーのレニングラード

今日もレニングラード。バーンスタイン盤。レニーのレニングラード。ロジェストヴェンスキーは週末にiTunesに取り込まないと。


ショスタコーヴィチ:交響曲第1番&第7番「レニングラード」



バーンスタイン(レナード)
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シカゴ交響楽団をバーンスタインが振っているのですが、シカゴ交響楽団はすごいですよ、やはり。きめ細かさとパワーが半端ないです。金管のこう言うオケで聞くショスタコーヴィチはあまりに素晴らしすぎます。

なんだか、もっとソ連っぽいオケが恋しくなるという気も致しますが、どうでしょうか。

カップリングされている交響曲第1番も立派な演奏でした。

 

それにしても、もっとでっかいことをやってみたいなあ、と思いました。まあ、他の方のやっていることは大きく見えるものなのかもしれませんが。

明日は早起きの見込み。頑張らないと。。

ではお休みなさい。グーテナハトです。

ムラヴィンスキーのレニングラード


Shostakovich, D.: Symphony No. 7,



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今日は、ムラヴィンスキーのレニングラードを早速聞きました。

これは名演なんだろうなあ。第一楽章の緊張感と切迫感。フィナーレの暗い高揚。モノラル録音ではあるのですが、迫力はかなりのものです。

今日聞いて思ったことですが、わたし、この曲は、戦争への怒りが込められているとしか思えないのです。戦意高揚もあるにせよ、それはいわゆるダブルスピークでしょう。あの有名な第一楽章の繰り返しは、揶揄と皮肉としか思えない。徴兵され非人道的な戦いを強いた赤軍への大いなる悲しみと怒りにしか思えない。あの単純で大仰なフレーズは、赤軍兵士をもちろん尊敬してるのだけれど、まだ戦争になれないまま戦場に向かう兵士の不幸なんだろうなあ、と思うのです。おそらくは、ドイツ軍がどんなものかもしれずに進撃するのだけれど、いざドイツ軍との戦闘に入った時の混乱と苦悩とも言えるティンパニーの連打、そして残るのは悲しみだけ、というあまりに鮮烈な風景が見えてしまいました。

ショスタコーヴィチがそういう意図で作曲しているわけではないのかもしれませんが、そう感じさせるようなムラヴィンスキーの演奏だったのです。

独ソ戦をいろいろ調べると、それはそれはひどい話が出てきます。まあ、歴史というのは、恣意的なものですので、どこまでが本当なのかはわかりません。ロシア側もドイツ側も大変な状況。ロシアだけでなく、周辺諸国も大変な状況。ファティマの聖母ではないですが、地獄はある、ということなんでしょうか。

戦争をなくすために何をすればいいのかという議論は、多くあり、何が正しいのかは私にはわかりませんが、歴史と現実を見ることなんだろうなあ、と。先日どこかで読んだ話では、川をさかのぼり(歴史をさかのぼり)、海を渡る(海外を見る)、ということに尽きる、ということなんでしょうけれど。

ショスタコーヴィチの糸のようなものはあの有名な「証言」があるわけですが、こちらも偽書の疑いがあります。私はこの「証言」史観にさらされている感もあります。けれども、真実が必要というわけではなく、正しい解釈が必要ということになるのだとも思います。

今日も早く寝ようと思いましたがなかなか。そろそろ寝ようと思います。みなさまおやすみなさい。グーテナハトです。

アムステルダムのレニングラード

今日はこちら。


Symphony No 7 (Hybr)


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昨日取り上げたヤンソンスがレニングラードフィルを振っているのに対し、こちらはアムステルダムのロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団。いやあ、本当に音がいいです。オケの音もホールの音もとてもいいですね。それから、テンポが少し落ち気味になっていて、より大きな演奏になっているようです。

アマゾンのコメントを見ると、どうもこのあたりは賛否両論あるようです。レニングラードフィルの演奏は、一層ムラヴィンスキーの影響が色濃いのだとか。ムラヴィンスキー盤聴いたことないなあ、と思いつつ探してみると、Apple Musicには入っているようです。明日はそちらを聞いてみよう。

ショスタコーヴィチも奥深い。そういえば、交響曲を全曲聴いたことがあるだろうか? と思ったり。3番とか聴いてないかもしれない、などと。4番とかは強烈。11番も強烈。あー、12番とか14番とかも聴いているんですが、印象が薄いなあ。。何気に9番も印象薄い。。一応、交響曲全集はハイティンク、バルシャイ、ヤンソンス、ロジェストヴェンスキーと充実のラインナップを持っているんだ、ということに気づいたり。まだまだ修行が足らないです。

昨年が没後40年で、今年は生誕110年。うーむ。弦楽四重奏という巨大な塔もあるし、オペラの大作もあるし、「証言」というテクストもあるし、too hugeとも言える巨大な人格と才能だなあ、と。

立ちはだかるものの大きさを感じつつ今日は休もうと思います。おやすみなさい。

レニングラードの思い出

もちろん私はレニングラードに行ったことはありません。ましてやサンクトペテルブルクにも。ですが、つい最近写真を出したように、それらしき町の上を飛行機で通りかかったことはあります。そうではない可能性もあります。凍った海に砕氷船が作った航路がくっくり見えたりしていますね。

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今日のNHK-FMのブラヴォー・オーケストラは、井上道義指揮大阪フィルハーモニーオーケストラでショスタコーヴィチの交響曲第7番《レニングラード》でした。

この曲、中学三年の時に結構はまってました。当時、目覚まし代わりにカセットテープを鳴らしていたのですが、この曲もずいぶんと使いました。今から思うと、早朝、暗いうちにこの曲が響き渡るというのも、ずいぶんとシュールなもので、今ならげんなりとして起きることになるでしょう。ああ、今日も労働か、みたいな。

当時聴いていたのは、こちらの盤でした。マリスヤンソンス指揮。当時のマリス・ヤンソンスは若手注目の指揮者ということで売り出し中でした。音源はこちらだと思います。クレジットがまだ「レニングラードフィルハーモニー管弦楽団」となっているのも時代を感じさせます。


ショスタコーヴィチ:交響曲第7番「レニングラード」



ヤンソンス(マリス)
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《レニングラード》のあの偏執的な繰り返しは、きっと何かへの当てつけだったりするのではないか、と思うのは私だけでしょうか。ショスタコヴィチは権力へと笑みを浮かべながら振り返ってしっかり舌を出すような男だったと思うのです。二重の意味が隠されているに違いない、と思うってしまうのです。あるいは、そうれがそうでなかったとしても、そう思うのは作品が世に出ている以上聞き手のイニシアティブのもと行われざるをえないことです。意味があろうとなかろうと。

また明日からウィークデーが始まります。頑張らないと。

ではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

マリア・カラスの凄み

Photo

先日行ってきたIKEAより。夕暮れのレストランを、スウェーデンかドイツだかのレストランだと想像しながら、ヨーロッパ的食事を食べてきました。本当に、ドイツの大学のメンザか、あるいはルーブル美術館の地下レストランのような雰囲気です。

今日は1日家事をして過ごしましたが、それはそれで充実した1日でした。本当は、大学時代のサークルの家族ぐるみの集まりもあったのですが、残念ながらパス。大掃除というか、年賀状の作成というか、日頃の掃除の延長というか、そういうことをして過ごしました。

それで、今日、何より凄かったのは、朝9時からのNHK-FMの「名演奏ライブラリ」でオンエアされたマリア・カラスでした。

マリア・カラスは昔ずいぶん聴いたつもりでしたが、今日のラジオを聴いて、本当にすごい方だったのだなあ、と。どうも時代によるということもあるようですが。

今日、オンエアされていたのは、この盤だと思われます。残念ながら、Apple Musicでの提供はありません。iTune Storeでもでていないようです。

あの凄みのある迫力と繊細な気遣いはすごかったなあ。マダム・バタフライの激しい女の情念がほとばしっていたように思います。Apple Musicでは、カラヤン盤が聴けたのですが、私がラジオで聞いたセラフィン盤とはまったく違いました。セラフィン盤はまた聴きたい音源です。いつかApple Musicでも聴けるようになるといいなあ、と思います

プッチーニ:歌劇「蝶々夫人」全曲
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さしあたり、年賀状は8割ほど終えて、明朝投函の予定。元旦に間に合うといいのですが。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

音楽を聴いていると言いたくても言えない今日この頃

今日は、仕事場のお世話になっている方々と夕食。

それにしても、月に何度か会議で一緒になる方々なのですがやはり何かしっくりくる感じがあって、前々から話ししたいなあ、と思っていたのですが、やはり話していて、しっくりくるなあと、私は勝手ながらに思いました。本当にありがたい経験です。

帰り間際に、その中の一人の方が、クラシックがお好きだ、とおっしゃって、少し驚いたのです。というのも、私の場合、クラシックを聴き始めたのが10歳で、それ以来30年以上、「クラシックが好きです!」ということを周りにいうことができないという状況が続いているので。本当に新鮮です。何かをカミングアウンドしているような気分にすらなります。

クラシックには、アウトローの哀しみのようなものを感じるわけです。本来なら、アースとか、ボン・ジョビとか、そういうメジャーな音楽でキラキラいるべきなんじゃないか、みたいな感覚というものがあるからかなあ、と思います。

今日はこちら。Apple Musicで聞いたのですが、実にキビキビしていて驚きました。この切迫感は時代のなせるものでしょうか。


ショスタコーヴィチ:交響曲第10番



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今日はここまで。ありがとうございます。
おやすみなさい。グーテナハトです。

日の入りの時間が早くなりました──アバドのチャイコフスキー

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今日も休ませていただきました。やはり色々と疲れていたようですが、よく寝て、ひと泳ぎしたら持ち直してきたようです。

写真は、ちょうど3年前に撮った払暁の写真です。朝焼けで、ウロコ雲とくれば、天気が崩れる前兆だということはその後知りました。この日以降天気が崩れたのを覚えています。

Apple Watchには、日の出日の入りの時間が表示されます。購入以来、日の出日の入りに対する感覚が鋭敏になりました。

今日気付いたのですが、日没時間が数日前よりも早まりました。確か、16時26分ぐらいまで早まっていたのですが、今日見てみると16時30分となっていて、ああ、やっと暗い夕方が明るくなり始めるのか、と胸をなでおろしたのです。

とはいえ、冬至は12月22日なので、少し早いなあ、と思い、いろいろと調べてみました。

http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/dni/2015/hdni13154.html

どうやら、東京地方の場合、12月14日の16時28分が最も早い日没時間で、その後少しずつ遅くなって言うようです。

一方、日の出の方は、まだまだ遅くなります。12月14日は6時42分ですが、一番遅いのは1月13日の6時51分のようです。

当時の定義は、日中の時間が一番短い、ということのようですので・12月22日の6時47分の日の出、16時32分の日の入り。つまり、9時間45分というのが最も短い日中時間ということになるみたいです。

こういう常識のようでいて知らないことを、AppleWatchが気づかせてくれた感じです。

そういえば、小学2年生の夏休みの自由研究は、日の出日の入りの時間を毎日新聞を読んで記録しグラフ化する、というものでした。母親に「自由研究は毎日やるものにせよ」と厳命を受けた結果です。ですが、毎日やるのは意外と辛いのですね。。日の出日の入り、という言葉は、私にとってある種の苦味のようなものを感じさせるものです。

それにしても、今日も17時半に家を出て泳ぎに行ったのですが、夏のあの頃はまだまだ暑い盛りだったわけで、全く不思議なものです。当たり前ではあるのですが、同じ時間だということが信じられません。季節、場所で、こんなにもかわるということは、公転のスケールの大きさということもあるでしょうし、地軸の傾きがなせる不思議のようなものでもあり、本当に興味深いです。

辻邦生は、日没を見にご自宅のマンションの屋上に上がられたそうですが、住民の方に、変わり者だと思われていたそうです。高輪のマンションから見る日没はさぞかし壮麗なものだと思うのですが、そういう感性も辻邦生に教わったのかもしれません。あるいは元からそうだったのかもしれないです。あの自由研究のおかげかも。

日没といえば、小学生の頃に住んでいた武蔵野からだと、ちょうど富士山に太陽が沈む時期があり、みんなでそれを眺めた記憶があります。実は、今日、その太陽が富士山に沈むダイヤモンド富士が見られる日だったようなのですが、私が写真を撮ろうとしたところからは残念ながら見えませんでした。

今日はこちら。

チャイコフスキー:交響曲第5番/地方長官
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アバドのチャイコフスキー交響曲第5番。アバドの演奏というのは、本当にたおやかですね。絶妙なボリュームコントロールは甘すぎない生クリームのような微細な気遣いがあります。今日のNHK=FMの「きらクラ」で流れたベートーヴェン《運命》もやはりアバドでしたが、その時にも感じたことです。

それでは、お休みなさい。グーテナハトです。