若々しさの横溢──山田和樹の指揮でフランス音楽を聴く

今日は、山田和樹とスイス・ロマンド管弦楽団のCDを聴きました。お世話になった方からのメールにインスパイアされてしまいました。

Arlesienne Suites 1 & 2/Ballet
Bizet Gounod Faure
Pentatone (2013-11-19)
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データ

  • ビゼー:アルルの女組曲第一番
  • ビゼー:アルルの女組曲第二番
  • フォーレ:マスクとベルガマスク
  • グノー:歌劇「ファウスト」バレエ音楽
    指揮:山田和樹
    演奏:スイス・ロマンド管弦楽団
    2013年11月発売

    演奏の印象


    山田和樹の若々しさが横溢しているアルバムでした。組曲第一番の前奏曲のメリとハリの強調は特筆すべき物があります。聞く人によれば、やり過ぎであるというかも知れません。それぐらい曲のストーリーを拡大して見せてくれる演奏です。
    組曲第二番の一曲目のPastoraleのテンポの緩やかさも特筆すべきものです。これ以上遅くすると、おそらく品のない演奏になるはずなのですが、ギリギリのラインで踏みとどまり、テンポのゆるさで雄大な田園風景を描き切っていると思います。牧童の笛が聴こえてくる、ゆるやかに丘陵が幾重にも広がっている、そういう風景を想い起こしながら聴くことができるでしょう。
    きっと実演を聞いたら体を揺すりながら聴いてしまうんだろうなあ、と想います。
    それにしてもビゼーのエキセントリックな美しさは素晴らしいと思います。親しみやすい美しさの中に奇想天外な要素を入れ込んでいるような。ワーグナーと決別したニーチェが惚れ込んだのも分かる気がします。

    山田和樹の指揮


    それにしても表情豊かな指揮だと思います。自分の意志をきちんと持ち、それを適格に伝える事ができる技術もあるのだと思います。その意志というものも実に奥深いものだと思います。私はこうしたスタイルの指揮はとても大好きです。じつはこういうスタイルがフランス音楽の典雅なスタイルに合っているのかも、とも思いました。
    山田和樹の実演は以下の二つの日フィル定期で経験済みです。いずれも素晴らしい演奏会でした。
    会社帰りに夢があった。──日本フィル定期演奏会
    日フィル定期でストコフキーを聴く!
    山田和樹さんはこんな方です。

    おわりに


    今日はいろいろトラブルとなった一日。明日にも引きずってしまうという問題。。無理してはいかんのですね、はい。
    ではグーテナハト。

感涙したネルソンスの「ばらの騎士」組曲

はじめに



今日は、ベルリンフィル・デジタル・コンサートホールで、ベルリンフィルハーモニーのマチネがネットで生中継されました。ベルリンとの時差は7時間ですので、18時から聴けるという恵まれた条件でした。

ネルソンスの「ばらの騎士」組曲


ネルソンスの「ばらの騎士」組曲。最初、なんだかもたついている感じがありました。オケもばらついている感じで、線がそろっていない。あれれ、こんなはずじゃないのに、とハラハラしていたのです。
けれども、「ばらの献呈」のあたりから、空気が変わり始めました。もたついているのが、豪華絢爛な重みに取って代わってきたんですね。
ここ、オーボエのアルブレヒト・メイヤーと、ヴェンツェル・フックスがユニゾンでゾフィーとオクタヴィアンのパートを歌い上げるところで、流れが変わりました。この部分、「ばらの騎士」のなかで最も感動的な場面の一つなのです。

なぜそう思うのか。ネルソンスの姿が、カルロス・クライバーに重なって見えました。その音楽に純粋な悦びを見いだした少年のような笑顔は、クライバーと同じです。
最後の部分、つまり、元帥夫人、オクタヴィアン、ゾフィーの三重唱の部分。ここは「ばらの騎士」の決定的な場面、テンポを落としネルソンスは旋律のパワーをためにためて、最後に炸裂させました。この微妙な間合いは、ペーター・シュナイダーの洗練された間合いよりも、はるかに原初的で人間的なもので、洒脱さはなくとも、絢爛さがある、そういう感じでした。
この場面、独りノートパソコンで見てたんですが、涙出ました。。

最後に


先週、NHK-FMで東京ジャズのライブ放送を聴いて、すごくワクワクしながら聴いていたのですが、今日のベルリンフィルデジタルコンサートホールでのライブ中継も同じぐらい興奮しました。ネットやラジオで音を聞いているだけですが、「そのとき一度」という機会の持つ魔力は思った以上に強いことが分かります。
ベルリンフィルデジタルコンサートホールの生中継はだいたい明け方なんですが、これからはちゃんと起きて聴こう、と思います。

日フィル横浜定期でドイツ後期ロマン派を聴く。


はじめに


今日も、ご縁で日本フィルの横浜定期演奏会に行って参りました。ブラームスのヴァイオリン協奏曲と、リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」という19世紀後半のドイツロマン派音楽をたっぷりと90分。濃密な時間で、まばたきに思えるほどあっという間でした。

堀米ゆず子氏のブラームスヴァイオリン協奏曲


前半はブラームスのヴァイオリン協奏曲でした。
ヴァイオリンソロの堀米ゆず子氏、マジですごかった。
私は一番前の席に座っていたので、彼女の細かい表情や息づかいまでよく分かったのです。眼光鋭く、苦悩とも恍惚ともつかない厳しい表情をみて、私は野武士のような気迫を感じました。そんな激しい気迫がほんの数メートルから発せられているのですから、もうなんだか気圧された感じ。音も分厚く激しい。北海の波浪。時折現れる流麗なフレーズさえもなんだか酔いしれるのに罪悪感を感じるほど。ブラームス的謹厳さでした。

ツァラトゥストラ!


後半は、ドイツロマン派最後期の巨匠、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」でした。
「ツァラトゥストラはかく語りき」は、リヒャルト・シュトラウスの音楽の中で最も知られた曲ではないでしょうか。もちろんあの「2001年宇宙の旅」の冒頭の音楽だからということもあるでしょう。

幼き日々の記憶なき思い出


この「ツァラトゥストラはかく語りき」は、私が生まれて初めて好きになった曲らしいのです。幼き日々の思い出は、両親の語り聴かせにより創り出されるものかもしれません。ゆえに、それは直接経験ではなく間接経験です。つなり記憶なき思い出。
ともかく、厚い図鑑を重ねて指揮台にして、その上で鉛筆を振り回していたらしい。まったく、今も昔もごっこ遊びが好きらしい……。

再発見


実演に触れるのは生涯二回目で、初回は20年前なので(お恥ずかしい)、今回は新たな発見がたくさんありました。
この曲、室内楽的要素や協奏曲的要素を持っていることに改めて気づきました。前半では、まるでシュトラウス最後のオペラである「カプリッチョ」冒頭の弦楽六重奏かと思うような合奏があったり、後半のワルツのところは、ほとんどヴァイオリン協奏曲だなあ、と。
それも、前半でヴァイオリン協奏曲を聞いているものですから、なおさら、協奏曲的に聴いてしまいました。それにしても日フィルのコンミスの江口さんも素晴らしい。柔らかくたおやか。

サウンド


オケのサウンド、前回聴いた広上さん指揮のときより少しおとなしい印象がありましたが、ツァラトゥストラの音響は十分すぎるぐらいリッチです。最前席で聴いていそるということもあって、大音響のまっただ中に放り込まれているようで、あまりに幸福でした。
サウンド的にも最前列はすごく面白くて、弦のソロが合奏にすっと吸い込まれていく様子がすごく不思議。ただ、やはり最前列だと、当然ながら管については聞こえづらくなります。
あとは、みなとみらいホールのこと。このホールの響きは硬質で、残響も長すぎずまとまっていてとても好感を持ちました。青葉台のフィリアホールに似た響きです。空間系サウンド大好き。

指揮者の高関健さん


指揮は高関健さんでした。実直な指揮ぶりで、正確に刻まれた演奏でした。といいながらも、テンポも速すぎない程度に動かして、ダイナミズムがすごく伝わってきました。予習にとある有名指揮者B氏の演奏を聴いていたのですが、なんだかテンポが速過ぎて軽く感じていたのですが、そんなことを感じることもなく、最後まで充実した演奏でした。

おわりに


オケのコンサートはこの数ヶ月で三回ほど行きましたが、オペラとは違う楽しみがあり、こちらにも捨てがたい魅力を感じました。こういう機会を頂いたのも、チケットのご縁で、本当に感謝してもしきれません。ありがとうございます。
岡田暁生氏の書かれた「音楽の聴き方」という新書に、音楽は聴くだけではだめで、観ることも重要なのである、というくだりがあったと思います。それを強く実感しています。来シーズンは、オケの定期会員になってみようかな、などと画策中です。

日フィル横浜定期にてフランス音楽を聴く


先週の土曜日、あるかたからチケットをお譲りいただいて横浜みなとみらいホールにて日本フィルの定期演奏会に行ってまいりました。

  • ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
  • ラヴェル:ピアノ協奏曲
  • ドビュッシー:交響詩「海」
  • ラヴェル:バレエ音楽《ダフニスとクロエ》第2組曲
    指揮:広上淳一
    ピアノ:小菅優
    管弦楽:日本フィルハーモニー交響楽団
    久々のオーケストラのコンサートでした。席はほとんど最前列で、指揮者の真後ろ。さすがにこの列になると、オケ後方の金管や木管は聞こえにくいですが、最大音量の迫力はもうなんともいえないもの。幸福でした。
    フランス音楽に詳しい友人がいることもあって、なんだかフランス音楽を聴いて云々するのは昔から苦手でした。いきおい、自分から聞く機会も少ない。そういう意味では、今回のコンサートはすごく新鮮で楽しかったです。
    まあ、良く言われるように、ドビュッシーは印象派的であるというわけですが、そういう御仕着せな連想は当然浮かぶのは仕方がないです。ラヴェルの「ダフニス」は、大好きですので、幸福感絶頂です。冒頭、鳥の鳴き声がたくさん聞こえて楽しいです。田園や巨人とはまた違う鳥のさえずりでした。
    ラヴェルのピアノ協奏曲、久々に聴いたのですが、ジャズ的といわれているとおり、ガーシュインと見まがうテンションフレーズで、ニヤリと笑ってしまいました。
    指揮は広上さん。予定されていたピエタリ・インキネンが来日できず、急遽登板でした。すこし粘っこさのある音作りではありますが、それは同じく2月の新国立劇場「椿」での広上さんの指揮を聞いたときも少し感じました。しかしながら、それ以外の違和感を感じることはなく、逆に、弦楽器を緩く歌わせるあたりは、実に感動的で、涙を流してしまいました。ダフニスとクロエなんて、もう私自身が溶融してしまった感じ。
    岡田暁生氏の「音楽の聴き方」に「音楽は見て分かることもある」という一説がありましたが、あれ、まさにその通りです。舞台がすぐ傍にありましたので、演奏者が何をやっているのかつぶさに見ることができました。そういう意味でもすごく楽しかったです。やはり実演はいいですね。ですが、今後はそうそう行くこともできなさそうで、落ち込んでいる次第。
    最後、日本フィルが、被災地で音楽活動をするとのことで協力を促すスピーチがありました。その中で広上さんは「自粛を自粛しよう」とおっしゃっていました。こういうとき、真っ先に切られるのは文化活動ですので、我々も自身でできる範囲で何かしら支えていく努力が必要だ、と思いました。原発問題も経済復興も大切ですが、そうした動きに何かしらの違和感を感じてしまうのも事実ですので。
    あとは、あらためて思ったのが、客層の平均年齢が高いということ。これは少し残念。新国立劇場でもそうですが。音楽全体が力を失っていますが、クラシックもその中にあって、ますます力を失っているセクターでしょう。何をすればいいのか。文化全体を考えるだけではなく、社会全体を考えないといけない。コンサートホールやオペラハウスに閉じこもっていてはいけないのだなあ、と思います。

ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」のひみつ

とある、裁判のおかげで、私の仕事は大変なことになってきました。みんな大変なんですけれど。
昨日は、「音楽探偵アマデウス」でラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」が取り上げられていた回を食事しながら見ました。あのあまりに有名な第18変奏の秘密など。
当然なのかもしれませんが、あの18変奏は主題とコード進行は同じであることは気づいていました。ですが、あの旋律が、主題の鏡像形というのには気づかなかった。この鏡像形とか、反行形なんかを耳で聞き取るのは私には至難の業です。なので、楽譜見て類推するしかないんですけれどね。
あと、面白かったのは、この曲の第一変奏は、主題の旋律がないのです。コード進行をオケが刻むだけ。これも面白い。これってとてもジャズ的じゃないですか? 最初にコード進行を提示して、そこに主題を載せ、あとは自由に変奏していくという構造。ジャズっぽいです。ラフマニノフはアメリカにわたりましたので少なからず影響を受けたのか? この曲の作曲は1934年。でインプロヴァイズが重要視されはじめたビバップの時代が1940年代以降ですので、ビバップからの影響は考えにくい。1930年代ビバップ以前のスイングジャズの時代。そこからヒントをえたのかしら。おそらくは楽曲構成はキメキメでしょうけれど、コード進行上でソロを回したりするスタイルだったでしょうから。などなど、妄念が膨らむ。
あと、衝撃的だったのは18変奏の右手と左手が四拍三連状態になっていること。つまり左手で三つたたくと同時に右手は四つでたたくという不安定なもの。和声が極めて不協和音な状態から解決に至るという、和声的には緊張と弛緩の繰り返しによって形作られていますが、まさか拍節にまでそうした仕掛けがなされていたとは。。。
ちなみに、私は三拍四連を叩けません。学生のころ、必死に練習したのですが、きちんと叩けたことはないと思います。それどころか、三連符も大の苦手。二拍三連も必死でした。やはり、音楽には数学的才能が必要です。
監修はもちろん野本先由紀夫生。先生は、本当に嬉しそうに楽曲の説明をしてくださいます。自分の発見した楽曲の秘密をそっと教えてくれるときって、きっと嬉しさでいっぱいなんだろうなあ。自分の考えた解釈って、わが子のように愛おしいものに違いないです。私もああいうことを、この場でやってみたい、と常々思っています。時々、楽譜を書くのもそうした欲求の表れです。
野本先生は東京藝大大学院を卒業してハンブルクに留学したのだそうです。尊敬する方。あ、お姿を実際にお見かけしたこともあります。そして、少々言葉を交わしたこともあります。うふふ。

帝王カラヤンの家庭は?

やることが多くて、逆にわくわくする感じ。そういう感じで、なんとかくらいついていかないといけないですね。山登りと一緒です。辛くても登り続ければいつかは頂上にたどり着きますので。途中に山小屋もあれば渓流や滝もありましょう。頂上からの景色はきっとすばらしいはず。

さて、カラヤン盤「家庭交響曲」を聴きました。EMIの録音で、少々録音が古く思えます。1973年録音なのですけれど。やっぱりカラヤンらしい流麗さとか、ポルタメントとか楽しめました。最終部の圧倒的な盛り上がりへの牽引力はすばらしいです。テンポを少し緩めながらも、制御を失わずに、飛び続ける大型旅客機的な感じ。カラヤンもパイロットでしたので(あまり巧くなかったようですが)、そうした感覚があるのかも知れません。

そしてカラヤン盤を聴くとなにか安心感を感じるのです。私が最初にクラシックを聞き始めたのは、カラヤンづくしでしたので、カラヤンを聞くと安心しきってしまうのかもしれません。あるいは、カラヤンほどの大家であれば、その後の演奏に大きな影響を及ぼしているでしょうし。

ただ、マゼール盤の個性的な演奏を聴いた直後ですと、なにかオーソドックスな演奏だと感じてしまうのは、贅沢でしょうか。

これで、家庭交響曲は、ケンペ盤、プレヴィン盤、マゼール盤、カラヤン盤で予習しました。今週末の日曜日はNHKホールでプレヴィン指揮のN響で家庭交響曲を聴きます。もう少し予習をしたいですし、ここに書かなければならないこともありますので、土曜日にがんばろうと思います。

ツァラも大きいぜ、マゼール。

昨夜は、大学時代からの先輩を自宅にお招きして食事会でした。 いろいろご苦労されながらも教壇に立っておられる学者でいらして、私なんて大学時代からお世話になりっぱなしです。まあ、私も頑張らないと、と思います。

さて、今日もマゼールのシュトラウスを聴くシリーズの第三回目です。今日は「ツァラトゥストラはかく語りき」。この曲、私が最初に心弾かれた曲らしい。私の記憶にはありませんが、2歳だが3歳の頃、この曲をかけてくれ、と両親にねだっていたそうです。誰の指揮だったんでしょうね。古いLPはもう残っていないでしょうから、探すこともあたわないでしょうけれど。

マゼールの指揮は、やっぱり堂堂としたものです。テンポはそうそう早くはない。もちろんギアは動かしますけれど。やっぱりうねる官能性のようなものが垣間見えますし、わき上がる高揚感も。本当に分厚くて大きい。カラヤンの流麗な感じに比べると、本当に巨躯をのっしりと動かしながら歩いている感じ。真面目一徹とも思えます。良い意味で不器用な感じ。つまり自分の意志を隅々まで浸透させようとしている。そう言う意味では、すこし癖のある演奏とも言えましょうか。八方美人的演奏じゃない、ということです。

この曲、シュトラウスが32歳の時の曲なのですが、10年後に作曲しているサロメやエレクトラが随所に聞こえてきます。シュトラウスの生真面目な方面ですね。それからばらの騎士に見られる戯けたシニカルな面も聴いてとれますし、なんだかニーチェを揶揄するようにも思える部分も。ともかく、シュトラウスは本当にすてきです。

ちなみに、このCDには「ばらの騎士」組曲も入っていますが、洒脱な感じと言うよりは堂堂とした、という感じの演奏ですよ。こういう「ばらの騎士」もありですね。

ハイティンク・シュトラウス・ラヴ

今日はハイティンクについて。ブルックナー7番を聴いたのですが、どうも最近ブルックナーを聞き慣れていないらしく、ハイティンクらしさを今ひとつ掴みきれませんでした。

ところが、シュトラウスの「ツァラトゥストラ」と「ドン・ファン」を聴くと、これがまた素晴らしいハイティンクの棒さばきでして、躍動感と華麗さと高揚感が十全に伝わってくる名演です。こういうハイティンク、大好き。ハイティンクの演奏で私の中でフィットしているのは、ワーグナー、リヒャルト・シュトラウス、ショスタコーヴィチ、それからベートーヴェン。実は、マーラーとブルックナーも聴いてみたんですが、ワーグナーやシュトラウスに感じるワクワク感が少し足らないような気がします。これは、ハイティンクが悪いわけではなく、おそらくは今の私にとって、マーラーやブルックナーの音楽を聴く準備が整っていないと言うことだと思うのですが。

しかし、「ツァラ」も「ドン・ファン」も良い曲だよなあ。これが初期シュトラウスにおいてすでに確立されているというのが天才たる所以でしょうか。私はここまでシュトラウスを好きになるとは10年前には少しも思っていませんでした。やっぱりオペラを見始めたことが、シュトラウスに開眼できた理由なのだと思いました。

ハイティンク/シュトラウス交響詩「ドンファン」

 今日もジムにいきました。自転車を一時間こぎ続けてヘトヘトです。

今日は、ハイティンクの「ドンファン」を何度も聞きました。数日前に初めて聴いたとき、私は目から鱗が落ちましたですよ。冒頭の激しい疾走感に身震いがして圧倒されました。それからその後の女性的美麗なところの恍惚感はすばらしいです。

ハイティンクのシュトラウスやワーグナーは本当にすばらしいですね。

ラモーを聴きながら

最近ただれた生活が続いていて、月曜日、火曜日と不調でしたが、何とか回復。原因は睡眠不足と糖分の不足ですね。ちと体を休めつつ、仕事につかれたらチョコレートを食べることにしましょうか。

さて、疲れたときはラモーでしょう。ジャン・フィリップ・ラモーの組曲「アナクレオン」をナクソスレーベルにて。カペラ=サヴァリアの演奏、マリー・テイレイ=スミスの指揮。女性の指揮者ですね。 清澄だけれど厚みのある演奏。録音の残響も柔らかく深みがある感じで、胸がきゅうっと締め付けられる。懐かしい手触り。こんな曲を聴きながらフランスの田舎をドライブできたら幸せでしょう。

ラモーは1683年生まれですが、和声や調性を体系的に初めて理論化した方。ここから始まるのです。 バロックが聞きたくなるとき、けっして調子がいい状態ではないのですが、昼休みにヘッドフォンをかぶって大きな音で音楽に浸るととても気分が良くなります。こういう聞き方してはならないのでしょうけれど。