彼岸への扉

昔から、ベルクには何か不可思議な思いがありました。オーストリア皇帝の隠し子であるヘレーネと結婚し、ハンナ・フックスという友人の奥さんと不倫関係にあり、虫さされが原因で敗血症でなくなる、という怪しげな空気。ほんとうに、冥界だか魔界なんかに引き込まれてしまうような、怪しさをかんじるのです。

そんな時に、この音源を聴くと、なおさらその思いを新たにします。

結構リバーブ感のある音源ということもあって、果てのない地下迷宮に引きずり込まれていくような感覚を持ちます。なんだか、このまま吸い込まれて消えてしまう、というような。

藤子不二雄のSF短編で、鉄道模型にはまった男の子が、消えてしまう、という話があったはずです。30年も前の記憶ですが。何か、そうした彼岸への扉が開いてしまうのではないか、という不安を感じながら来ている感じです。

明日、水曜日。ウィークデーは長いですね。。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

愛好家にとっての音楽の愉悦

山のように積み上がった仕事。時間切れで帰宅中。

絶対音感を持たないと、音楽なんてわかったうちに入らない、ということをおっしゃった方がいるそうですが、そうかもしれないとはいえ、この感覚は、そうは言っても音楽を分かるということにおいてすこしは示唆的かも、と思ったり。

この感覚というのは、ベルクの「管弦楽のための3つの小品」聴いた途端に、ぎゅーっとなにかが身体の中に入ってきた感覚で、なんだか身体がしぼられて音楽になってしまう感覚。

いまとなっては、当時の感覚を思い出しながら書かざるをえず、認識と反省の問題のようではあるのですが。

そういう意味では、なんとか音楽を楽しめているのかも、と思ったり。

今朝、無上の幸福感に包まれて目を覚ましました。夢の中で、楽器演奏を褒められてしまい、そのままの状態で目覚めたから。そんなこと現実ではないのですが、あの幸福感は極め付けでした。やはり、音楽を聴いて、楽器を演奏するというのが、幸福には欠かせないということなんだろうなあ、と、夢はもちろん夢のままで、楽器の世界は、天才ですら到達できないところですから、演奏を褒められるということはないにせよ、受容と表現は不可分なんだろうなあ。

昨年末に、とあるバンドにお誘いを受けたのですが、事情がありお断りせざるをえませんでした。さすがに、コンスタントなバンド活動は今の私には無理なのですが、やはり、いつかは復活したいなあ、と思いました。あと5年はかかりそうですけれど、まだチャンスはあるかも、と思っています。あるいはセッションぐらいはいかないと…。

今日はこちら。ベルクをがっつり聞くのはかなり久しぶりです。かつて、私がもっともっととんがっていた頃の熱気のようなものをふたたび感じました。懐かしい感覚。


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それではみなさま、グーテナハトです。

また地震──ベルク《抒情組曲》

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なんだか、また戦時中のような感覚に戻ってしまいました。

今日の地震をうけて、なんだかそんな気分になりました。

2011年、あの震災直後の状況は、いわば戦時下のような事態だったなあ、といま思い出しています。

私なんて、関東西部に居て、そんな大きな被害は受けていませんので、なんだかんだいう資格はないのかもしれません。

ですが、信号機の灯が落ちて、真っ暗闇の交差点を車が恐る恐る走っていく様を観たり、翌日の電車の運行状況を駅で必死に調べたり、灯りの落ちた仕事場でデスクライトの灯りを頼りに書類を読んだり、なんていう経験をしました。

あの頃は異常が通常で、人間というものはこんなにも簡単に異常に慣れるものなのか、と半ば驚いたりもしました。

というか、あれは本当に戦争だったのかも、と思います。自然からの戦争に当然負けてしまったわれわれ、という感じ。

で、そうしたこともこの東京地方では、ずいぶんと前のことと思っていましたが、今日の少し大きめな地震で我に返った気がします。

あの時のそこはかとない不安。晴れた昼下がり、青空とさんさんと降り注ぐ太陽の光をみながら、でも、すでに昔のような牧歌的な気分にはなれないのだ、という、大きな喪失感のようなものを感じたりしたことを思い出しました。

今日の地震は、私の部屋も損害を蒙りまして、エレピの上にアンプが落ちてくる、という惨事でした。エレピには深い傷が。。ですが、音は鳴ってくれましたので、なんとかかんとか、というところです。

まさか、あの重いアンプが落ちてくるとは。そして、そのアンプ受け止めながらもエレピが壊れなかったという幸運に感謝している状況です。

世界が平和でありますように。

今日の一枚。なぜか、この心情には「抒情組曲」を聴きたいと思いました。冷たい織物の向こう側に救いはあるのでしょうか。この曲、実はベルクの不倫相手アンナ・フックスのイメージが隠されています。想像するに、そこはかとないアンバランスがここにはあるはず。安定しないのが世界というもので、常に先への不安が存在するわけですが、そういう気分が、根拠なき不安と通じるのでしょうか。

この全集の2枚目に収められています。ラサール弦楽四重奏団による演奏です。アルバン・ベルク弦楽四重奏団の師匠筋です。

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ではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

ヴォツェックへの哀切なる追悼曲

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昨日から聴いているヴォツェック。第三幕第四場、ヴォツェックが死に至った後の間奏曲に心を打たれました。

ヴォツェックは錯乱して、妻のマリーを殺してしまい、その後酒場で酒を飲んでいます。すると、酒場の女に返り血を浴びていることを指摘されてしまいます。で、凶器のナイフを池に捨てようとするんですが、そのまま池にはまって溺れ死んでしまいます。

その後に流れる哀切で深刻な音楽が、ヴォツェックへの追悼曲なんでしょうね。「わたしら貧乏人には!」という強烈な旋律がここぞとばかりに響き渡るところ、感動的というか厳粛というか。ヴォツェックへの心からたむけられた花でしょう。マーラーのような哀感のある重い弦楽器の旋律、怒りに満ちたティンパニの打撃など、聞きどころがたくさんあります。三分余りの音楽ですが、本当にドラマティックです。

で、皮肉なのはその後です。ヴォツェックの息子が登場するんですが、ワルガキどもが「お前の母さん、しんだってよ!」と言いながら、遺体が発見される池へ駆け出していくシーンになります。で、息子も一緒に木馬に乗って走って行くんです。まったく。。皮肉というか悪趣味というか。。。追悼で終わればいいものを、その後、息子をからめてその凄惨な人生模様をさらに引き出しているということになります。でも、こうした背理こそ現実なんですけれど。

今日はケーゲル盤。たしか、これはドレスデンに行った時に記念に買ったんだと思います。ドレスデンといえばケーゲルですから。ケーゲルらしいとんがった演奏です。割りと好きだなあ、と思います。

こちらは新国立劇場2009年の模様。余りに凄惨でホラー映画のような舞台ですので、子供には見せられません。登場している子役の男の子はトラウマになったりしないんだろうか、と心配です。

今日も暑い一日でした。今日は、幸いにも上着を着なくても仕事場で過ごせました。少しまともに体温調節ができるようになってきたのかも。良かったです。

それにしても心配なのは広島の件。胸が痛みます。今朝方のラジオを聴いていたところでは、これから危険のある地域として対策をとろうとしていた矢先におきてしまったのだとか。これをお役所仕事と批判するのは簡単ですが、実際にはどうだったのでしょうか。お役所の仕事の遅さということなのかもしれませんが、きっと規則でがんじがらめになっていたり、仕事量が膨大だったり、と事情があるんではないか、などと想像してしまいます。巨大な組織は難しいですね。

ちなみに、私が好きなLifehackerというウェブサイトの記事に以下の本が紹介されましたら。あるある、って感じで面白かったです。本は読んでませんけど。

悪人のススメ いつまで「いい人」を続けるのですか (自己啓発)
川北 義則
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では、おやすみなさい。

ヴォツェックは貧困批判ではないのかもしれない。

《ヴォツェック》以来、どうも「倫理が贅沢」という言葉が頭から離れず、という感じです。
《ヴォツェック》を単純に貧困批判と捉えるべきなのか、という考えがずっと頭から離れません。オペラ劇場に足を運ぶ人々が、ヴォツエックと同じ貧困状況なくとも、なぜか共感するからです。
貧困非難ではなく、文明批判であり、人間批判なのでしょう。
ヴォツェックが囚われている貧困は、経済的な支配被支配関係といえるのでしょう。がゆえに、全ての人々は経済的支配非支配関係に従属しているはずで、時にヴォツェックのように抑圧された存在になるのです。我々もまた生きるために自我を殺し振る舞います。
時に大尉のように社会倫理をもって他者を抑圧します。時に医者のように理性で人間を扱うこともかあるでしょう。
貧困に倫理がないのではありません。抑圧に倫理がないのです。だからこそ、私は、ヴォツェックを愛おしく思うだなあ、と思いました。

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こちらのアルバム。メッツマハーのライヴ盤です。全体的に感情が濃厚で、かなり気に入っております。
ではグーテナハト。

道徳は贅沢──新国立劇場《ヴォツエック》その2

ヴォツェックについては、今日も色々考えて、なかなかおもしろいアイディが出てきましたが、少し時間を置いてから書こうと思います。
今日も遅いので少しだけ。
とにかく、今回のゲオルク・ニグルのヴォツェックは素晴らしかったですね。2009年のトーマス=マイヤーは、かなり低音の質感のある声でしたので、ヴォツェックの凶暴性が際立っていたようにも思いましたが(ビデオで見直しました)、ニグルの場合は、打ちひしがれ絶望の淵に立った苦悩するヴォツェックでした。
それにしても、《三文オペラ》で語られるように、「道徳は贅沢」なんですかね。

もし自分が金持ちで、帽子をかぶり、時計や、鼻眼鏡、それに立派な言葉がありゃ、道徳的にもなれる理くつだ!

第一幕の大尉ともダイアローグで語られるヴォツェックの言葉です。
ここが問題なのです。
では、グーテナハト。

世界を写す真実の水面──新国立劇場《ヴォツェック》

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偉大な民族というものは、自らの歴史を三通りの原稿、つまり行いの本、言葉の本、芸術の本によって書き表す。この三冊中のいずれも、他の二冊を読まなくては理解できない。しかし三冊の中で信頼に値いするのは、最後に上げた本だけである

孫引きですいません。ケネス・クラーク「芸術と文明」のなかに出てくるラスキンの言葉です。

今日の新国立劇場の《ヴォツェック》をみて、文明の真実がまさに凝縮されたパフォーマンスだったと強く思いました。それは文明の歪みを文明が健全に表出したものだったのだ、と思います。文明の歪みをすくい上げるということこそが、文明を文明たらしめているものではないか。そういう意味でも「美が世界を支える」という辻邦生が言うところのテーゼを確信することができたと思います。
ただ、今日のパフォーマンスは、世間一般の《美》ではないのでしょう。ですから、耐え切れなくなった方は途中で席を立ったのだと思います。
ですが、私は、掛け値なしに最高に美しい舞台だったと思います。これは2009年の舞台を観た時よりも一層そう思いました。
冒頭のポスターに描かれた酒場のシーンがまさにそうでしょう。
天井から吊り下げられたボックス、舞台に貼られた水、水の反射面のゆらめきが劇場中に反射している、グロテスクな酒場の客、舞踏のシーン、無表情に演奏するバンダ、バンダを支える黒子あるいは労働者、そして唯一人間らしいヴォツェックとマリー。
このめちゃくちゃな不統一感こそが、世界を映し出す真実です。世界は不統一でグロテスクで不条理なものです。身悶えするヴォツェック、理不尽な要求を哲学的論説に隠してヴォツェックをいたぶる大尉、科学技術信奉のためにならなんでもする医者の姿は、既視感にあふれています。舞台上は現実世界そのものです。
そんな中にあって、水面がゆらめき、ライトアップされた舞台の背面の波打つ文様に心を打たれ、そして忘れることのできないほど美しいエレナ・ツィトコーワーの歌声が響き、ベルクの管弦楽が波打ちうねります。
今回のパフォーマンスの意図はこちらのリンクを御覧ください。演出家本人が2009年に新国立劇場のオペラトークで話された内容をまとめてあります。
ヴォツェック・オペラトーク@新国 (2)
今日はこれで書き終えようと思いましたが、大事なことをもう一つ、明日に伸ばさず今日書きます。
本当にレベルの高いパフォーマンスでした。最も感銘をうけたのはエレナ・ツィトコーワのマリーでした。2003年でしたか、《フィガロの結婚》のケルビーノで新国立劇場に登場で聴いて、2007年《ばらの騎士》のオクタヴィアンを聴いて、本当に凄い方だと思いましたが、今回もそのときの驚きと同じかそれ以上の感動を覚えました。
他の方もすごかったのですが、取り急ぎ次回へ。ではグーテナハトです。

オッターの歌うシュトラウスとベルク

可愛らしいカワウソ。日本のカワウソは絶滅してしまったそうです。カッパのモデルにもなったそうです。英語ではオッターと言います。



こちらはデハビラントカナダ社のDHC-6という小型旅客機。通称Twin Otter。日本語ではツイン・オターと書きます。オッターではありません。オッターは語呂が悪いのです。飛行機なので。これは実話で、私のダジャレではありません。



次が今回の主人公のオッター様。


アンネ・ゾフィー・フォン・オッター。スウェーデン生まれのメゾ・ソプラノです。

私の中では、クライバー指揮「ばらの騎士」でのオクタヴィアンが最も印象的。あとは、シルマー指揮で、フレミングも出ていた「カプリッチョ」で、強気なクレロンを歌っていたのも思い出深いです。

あとは、一昨年でしたか、アバドがベルリンフィルを振ったマーラーの大地の歌ですかね。最後、感極まって涙を感極まって流していたのを覚えています。

今日聴いているのはLove’s Twilightというアルバム。シュトラウス、ベルク、コルンゴルトの歌曲集です。




冒頭のシュトラウスのRosenbandが素晴らしいです。この曲の素晴らしさはこのアルバムで学びました。ゆったりと遅めのテンポでふくよかに歌ったいます。転調しながら上昇するあたりの昂揚感は絶品です。

あとは、ベルクの七つの初期の歌、ですかね。こちらもかなり緩いテンポ。無調の浮遊間とあいまって、聴いている方も揺蕩う感じ。この無解決感が、底の見えない真っ青な湖の底を覗き込む時の不安と崇高を感じさせるのです。

残念ながら実演で聴いたことはないです。歌は録音では分からないことがたくさんありますので、きっとすごいんだろうなあ。

今晩のプレミアムシアターはモイツァ・エルトマンの「ルル」です!

美貌のソプラノ、モイツァ・エルトマンの「ルル」、今晩のプレミアムシアターで放送です。

http://www.nhk.or.jp/bs/premium/

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以下予告編です。

 

 

ルルって、ほんと、怖いオペラだ。。

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でも、惹かれてしまう。。

この、ドイツ的センスが素敵すぎる。

観る時間あるかな。。

会社帰りに夢があった。──日本フィル定期演奏会


会社帰りにサントリーホールに行けるという僥倖。私の夢でしたが、ありがたいことにこれも叶ってしまいました。仕事たまってますが、月曜日に早出しますので許してください。
曲目は以下の通りです。

  • ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
  • モーツァルト;交響曲第31番「パリ」
  • ベルク:ルル組曲
  • ラヴェル:ラ・ヴァルス
    うーん、この組み合わせは、少し不思議なんですが、私的には垂涎ものでした。これはオールパリプログラムなのだそうです。「ルル」の全曲盤初演がパリだから、ということだそうです。ブーレーズが振ったあのCDのこと。。そうか、なるほど。。
    指揮者は、1979年生まれの俊英、山田和樹氏です。もちろん初めて聴くのですが、経歴をみるとすごいことになっています。東京芸大でコバケンと松尾葉子に師事し、2009年にブザンソン国際指揮者コンクールで優勝してしまう。その後BBC交響楽団とかパリ管弦楽団を振って、再演を決めてしまう。N響の副指揮者。で、32歳ですか。。
    ビゼー&モーツァルト:二つのハ長調交響曲
    山田和樹
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    前半のドビュッシーに泣いた。。


    山田さん、最初のフルートソロで、手をほとんど動かさなかったです。最初をほとんどフルートに任せてしまった感じ。その後も、オケにクリックを正確に与えるようなことはなく、ダイナミズムとクリティカルなタイミングを指示するのみ。大時代的な杓子定規なものはないかんじです。その指揮ぶりは、なんだか天から振ってくる音を拾い上げて、オケに伝えていると思えるぐらいです。
    実は、半年ほど前にも日フィルの「牧神の午後への前奏曲」を聴いているんですが、今回は落涙度二倍ぐらいでした。弦のうねりが美しすぎて。癒されました。

    ルル組曲で震えた。


    ルル組曲、さすがにこの曲は難曲です。さすがの第一楽章の冒頭は、いろいろな音のパーツがあちこちで錯綜しているような感じでした。しかし、中盤に向かっては徐々にオケも暖まってきた感じで、充実した響きを見せてくれたように思います。
    数ある見せ場では、私のイメージを超えたカッコよさににんまりしながら聞いていました。弦楽器がうねり歌うところとか、トランペットが泣き叫ぶところとか、サックスの媚態のような音なんかが入り乱れて、忘我状態でした。
    複雑で混乱にも聞こえるリズムと音程の中に通底する危険な抒情性に心が揺さぶられ、苦しくもあり快くもありました。十二音技法を使った危険で魅惑的な旋律群が幾重にも繰り出されてくるあたりは、ベルクもすごいですが、指揮者もオケの皆さんも本当にすごいです。それから、曲のダイナミクスレンジをきちんと聴かせる演奏でした。最高潮の部分、何度ものけぞりました。そうしたオケの機能性を十二分に楽しむことが出来ました。
    ルルのアリアを歌うのは林正子さんでした。残念ながら私の席からは十分にその声質を確認することが出来ませんでした。座席は、P席の横、打楽器を目の前にしたような席で、林さんの背中を観ながら声を聴いていたような状況でしたので。ですが、ピッチの狂いもなく、膨らみのある豊かな声だったのではないか、と推しています。
    このとき既に、私は座席を間違ったことに気づきました。S席にしておけば良かった、と。というか、最前列、全然空いていました。休憩時間に移れば良かった。。。(ウソ)。
    この曲の最終楽章ですが、切り裂きジャックにルルが喉を掻き切られる場面があります。ブーレーズが振っているCDでは、ここでソプラノの強烈な悲鳴が録音されていて、ホラー映画のように死ぬほど怖いんですが、さすがにそれはありませんでした。ちょっと期待したんですが。それにしても、この場面でベルクが描くルルの断末魔は実に写実的で身震いするほどでした。首から血が噴き出し、大きく数回痙攣し、力を失い倒れていくルルの最後の姿が目に浮かびます。
    個人的には、サックス奏者の端くれとして、サックスパートがとても気になりました。アルトでしたが、メチャいい音です。もちろん、マウスピースはラバーですので、ジャズのよなギラギラした感じや、ざらついた感じは全くないです。艶やかで滑らか、それでいてエッジを感じる音でした。心が洗われました。私には絶対に出せない音です。
    ルルについては、こんな文章を書きましたので、よろしければどうぞ。
    <参考>「ルル」を巡る不思議なエピソード

    ラ・ヴァルスで盛り上がった。


    最後のラ・ヴァルス。これがすごかった。この曲で盛り上がらない方がおかしいのですが、山田さん、ここでも相当盛り上げました。テンポは早々動かしませんでした。ただ、金管を歌わせるところは少しテンポをあげてアクセントをつけていたように聞こえました。最高潮のところは、全身で大きな振りを見せました。怒濤のフィナーレで、このときばかりは割れる拍手がフライング気味で、ブラボーの絶叫が飛び交いました。演奏後のオケの皆さんの顔も悦びに溢れている感じでした。

    反省


    今回の座席は、二階席のちょうどオケの左側面に面したところでした。これは完全に失敗でしたorz。オケの音が直接聞こえてくる感じがしません。一度ホール内で反射した音を聞いている感じです。間接音みたいな。最前列で聴いていたら、もっともっと感動したはず。悔やまれます。。

    まとめ


    山田和樹氏が千秋真一ばりの才能の持ち主であることが分かりました。しかしながら千秋真一よりも腰が低いし、オケにすごく気を遣っているのが分かります。最後なんて、オケの全パート立たせてたしなあ。
    それから、今後は、座席選びは(家計も大事だが)悔いのなきようベストを尽くします。
    今回の日フィル定期も本当に楽しかったです。
    ラ・ヴァルスの感動の余韻に浸りながら、明日は新国に「こうもり」を観に行きます。