フルトヴェングラーのブル9 1944録音

ああ、失敗。大事な申請を忘れてしまい、半年間途方に暮れることに相成りました。このところタスクが溢れかえっていて、夏バテだったりと、今ひとつでした。ちょっとタスク多すぎですわ。容赦ないです。

http://ml.naxos.jp/album/298244
というわけで、ブルックナーの交響曲第9番をフルトヴェングラー&ベルリン・フィルの演奏で。1944年の録音のようです。
第一楽章では、第一主題で突然高速になり、驚きます。そして、落とすところは相当にローギア。こんなに大胆なのですね。大時代的というのがこういうものなのでしょう。これを実演で聴いたら卒倒でしょう。かなり気に入りました。
最近はこういう振り方をする人がまた増えてきたように思いますけれど。
モノラル録音ですが、なんとか聴けます。
戦争末期の録音なので、色々と想像してしまいます。誰が聴いていたんでしょうかね。
週末もお仕事です。
ではグーテナハト。

運命・失神・鐘楼。神はいるのかもしれない。エーリヒ・クライバーと朝比奈隆

先日も書いたとおり、エーリヒ・クライバーの伝記を読んでいます。
その中で紹介されていた失神に関するエピソードを。

運命の失神

1927年3月、ベートーヴェン没後百年祭の演奏会のこと。
ボンでエーリヒ・クライバー指揮による演奏会で交響曲第5番が取り上げられました。その日はどんよりと曇った日でした。
スケルツォから終楽章へ突入する瞬間、雲の切れ目から一筋の太陽の光がガラスの屋根から差し込んできました。
途端に立ち見で聴いていた学生たちが気を失ったそうです。
戦時中、エーリヒ・クライバーが夫婦で南米の小さい町を歩いていると、男が近づいてきて「私は、あのベートーヴェン百年祭演奏会で気を失った学生の一人なんです」と話しかけてきたそうです。
これは伝説とされていますが、先日出版されたエーリヒ・クライバーの伝記で紹介されているエピソードです。
あそこで突然光が差し込むなんて、出来過ぎた話です。本当なら私も失神したはず。

神は存在する?

これって、朝比奈隆がザンクト・フローリアン協会でブルックナー交響曲第7番を降った際に、第二楽章が終わった途端に、教会の鐘がなった、というエピソードを思い出しました。神様はいるのかも。
このアルバムです。


私はかなり遅い目のテンポをとり、広間の残響と均衡をとりつつ、演奏を進めた。十分な間合いを持たせて第2楽章の和音が消えた時、左手の窓から見える鐘楼から鐘の音が1つ2つと4打。私はうつむいて待った。ともう1つの鐘楼からやや低い音で答えるように響く。静寂が広間を満たした。やがて最後の鐘の余韻が白い雲の浮かぶ空に消えていった時、私は静かに第3楽章への指揮棒を下ろした。
朝比奈さんの言葉です。
第2楽章はレクエイムです。ザンクト・フローリアンに眠るアントン・ブルックナーに演奏が届いたのかもしれません。
ここでも私は失神するかもしれません。
鐘の音を確かめるためにCD聴き始めましたが、このアルバム、いろいろ言われていながらも、かなり感動的です。おすすめ。
ドライブした演奏。朝比奈さんがグイグイ引っ張ります。デュナミークの統率感は格別。
1975年の録音ですから、もう38年前ですか。

失神とは?

先日、読響の《アメリカン・プログラム》で、失神寸前と書きましたが、まあ、音楽で失神をするというのはよくある話なのでしょう。
失神とは「大脳皮質全体あるいは脳幹の血流が瞬間的に遮断されることによっておこる一過性で瞬間的な意識消失発作」です。
この内、音楽を聞いて失神するのは「神経心原性失神」のうち「血管迷走神経反射性失神」と呼ばれています。長時間の起立、驚愕、怒り、予測外の視覚、聴覚刺激、ストレスなどによるものが多いようです。
おそらくは、立ち見の学生は、立った状況で、予測外の視覚と聴覚刺激によって血流が脳から失われ、崩れ落ちたのでしょうね。
というわけで、また明日。

夏休み(?)七日目 箱根帰りの昼食 今日のCDは佐村河内守&ブルックナー

旅行二日目

夏休みに入って、宵っ張りの生活が続いていましたが、今朝は早起きでした。理由は宿屋の朝食の時間に間に合わせるため。。

宿屋を9時半にチェックアウトして、強羅駅まであるくんですが、日差しはあるもの、微細な雪が輝きながら舞っていました。相当寒いです。

箱根登山鉄道とロマンスカー

箱根登山鉄道は乗る度にいつも混んでいるイメージです。昨日も、15時半ごろ箱根湯本の駅から強羅行き電車に乗ろうとしたんですが、通勤ラッシュ並みで閉口しました。

ですが、月曜日の朝と言うことで、乗っている方はそんなに多くありません。乗っておられる方は、有閑な感じの年輩の方が多かったように思います。

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さて、箱根湯本の駅からは、まあ小旅行なので、気が大きくなっており、ロマンスカーにて新宿駅へ向かいました。

ロマンスカーもなかなか旅情がありますが、小田急線は丘陵を縫うように進んでいますので、カーブが多く、運航本数も多いとあって、スピードがなかなか出ません。まあ、その方が長い間乗っていられるのでいいんですけれど。

ロマンスカーは、10年ほど前、毎日のように乗っていたので、なんだか目新しさがなく、写真を取り損ねました。。

昼食

新宿でも、また奮発してしまい、小田急百貨店7階のトロワグロカフェで昼食をいただきました。

カフェですので、そんなに気張らず入れますし、価格もまあリーズナブル(?)なので、気楽に楽しめます。

ゆり根のポタージュだそうです。なかなか濃厚な味わい。

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こちらは、サラダなんですが、ドレッシングが絶妙すぎて、卒倒しました。

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トマトカレー。牛肉付き。これも美味すぎる。

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こちらのリゾットも濃厚な味わい。生ハムがうれしい一品。

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昼食後は、奥さんの仕事につきあい、スタバでまたVBAプログラミング。まったく楽しいです。

旅は一泊二日でしたが、東京ライフをずいぶん楽しめました。ほんとうにありがたいことです。

 

今日の音楽

佐村河内守:交響曲第一番「HIROSHIMA」

まずはこちら。

佐村河内守さんの交響曲第一番「HIROSHIMA」。

今日、東京芸術劇場で東京初演があったのですが、故有って参れませんので、CDを購入してなんども聴きました。

というか、何回聴いて分かるような曲じゃありません。あまりに壮大気宇です。演奏時間も1時間半に迫りますし。

これはブルックナーとマーラーへの壮大なオマージュではないかと思います。あとはニールセン、メシアンも聞こえました。

特にニールセンの「不滅」に関しては、弦のフーガがそっくりな場面が出てきます。カッコイイです。

もちろんこれは今のところの感想。もっと聴けば違うものがいくつも出てくるはずです。

ほんとうにコンサート聴きに行きたかったですが、このCDだけでもほんとうに満足です。

というか、理解するにはまだ聴き足らないですね。もう何日か繰り返し聞いてみる必要がありそうです。

ヴァント&ベルリンフィル:ブルックナー交響曲第五番

その次はこちら。

先日の読売日響のブル5の予習アルバムの一つ。

ヴァントとベルリンフィルが組んだブルックナー交響曲第五番です。

ブルックナーのことなんて、恐れ多くて書けないんですが、私的にはこれがデフォルト盤です。

枯れてるんですが、枯れてもなお淡々と熱い演奏。

もっとブルックナー勉強しないとなあ。

 

では明日からまた戦場に戻ります。

夏休み(?)二日目 下野竜也指揮読売日響でブルックナー交響曲第5番

行ってきました、下野竜也指揮読売日響でブルックナー交響曲第5番。

みんな大好きブルックナー。

私も大好きです。でも、さすがにみんなに聞こえるぐらい大きな音で、ブル5第二楽章を鼻歌を歌う方がいるのには驚きました。

 

アウフヘーベン

それにしても、今回はこの曲のことをよりいっそう理解できた気がします。

第四楽章の冒頭で、第一楽章と第二楽章のテーマが出ますが、それをクラリネットが否定するんですね。

一語、「否」、みたいな。

で、クラリネットの否定に屈して、弦楽器がフーガを奏で始める、という構造。

ほんと、弁証法的です。

確か、ベートーヴェン第九の四楽章もそんな感じで、止揚していくんですよね。

本当にドイツ的だと思います。

 

論理的

そんな、論理的なドイツ音楽を下野竜也さんは、論理的緻密さで構築しきっていたように思います。もう本当に隙のない論理性で、マチュピチュの石垣のようにナイフが隙間に入らないぐらいぴったりと組まれた石組みの構造でした。

あとは一つ一つの石組みをきちんと見せてくれました。たとえば、ゲネラルパウゼの長さが残響を意識して取られているなど。

そのため、くっきりと鮮やかに個々の構造が見て取れたと思います。

ただ、私の勉強不足なんですが、そうすると全体の流れを捉えるのが難しくなったなあ、と思いました。自分が何処にいるのかはわかりますが、その場所がどういう意味を持つのか、認識するのが難しかったように思います。

テンポはかなり緩く、インテンポ。もちろん、加速するところは加速しますが、過度なテンポチェンジはありませんでした。こういう淡々としたところも論理的に思えた所以と思います。

でも、さすがに最終楽章最終部はみんな熱くなっていて、ビオラの方が凄くうれしそうに弾いていたのが印象的です。

ホールの音

全体の音量、音圧が小さく思えたのは、ホールと私の席のせいでしょう。今日もいつものように一番前で聴いたので、金管の音が頭上を抜けていったように思いました。以下のウェブでもそうしたことが指摘してあります。もうすこし後ろの席にすれば良かったのですね。

http://www.zankyo.com/hall/tokyo_detail.html

ステージから離れる程、両サイドの壁が遠くなって行くため、1・2階の中央席で聴くと音が頭の上を通過するようで落ち着かない。比較的高い壁のある2階の両サイドの席が、音が鮮明で落ち着いて聞こえる。

 

恐怖のエスカレータ

さて、先ほどの記事でも触れたように東京芸術劇場に来るのは久しぶりでした。恐怖の直線エスカレーターは以下のように作り替えられていました。

 

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上から見るとこんな感じでした。やっぱり怖いかも。。

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明日は縁あって上野に出張るかも。。

それではまた。

雲海を見ながらブルックナーという贅沢

今日は移動日。

この写真は紀伊半島の南を対地速度567ノットで飛行中のものです。ヘディングは055。高度は3万5000フィート。順調でした。

客席から見るとボーイング747のエンジンは大きく見えます。

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飛行機に乗るとブルックナーを聴きたくなるようです。

雲海をみながらブルックナーなんて、本当に贅沢に過ぎます。

ブルックナー:交響曲第8番
ジュリーニ(カルロ・マリア)
ユニバーサル ミュージック クラシック (2004-01-21)
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ジュリーニのブルックナーを初めて聴いたのは1998年でした。

このころはブルックナー狂いでしたので、毎週渋谷のタワーレコードに通ってはブルックナーを買いあさっていました。

ちょうどチェリビダッケのブルックナーボックスが発売になったころ。

レコード芸術誌上で名だたる評論家の方々が「この暑さの中チェリのブルックナーを何曲も聴くのは辛い」とこぼしておられたのを覚えています。

クワイエットコンフォートでジュリーニのブルックナーを聴いているんですが、実に素晴らしい。

このCDの第一楽章がはじまった9分ぐらいのところ。初めて気聴いた1998年に、この圧倒的な情感の膨らみに圧倒されたのでした。

全体にテンポは緩めですが、チェリビダッケのそれほどエキセントリックではありません。マグマのような熱塊が地面の下からゆっくりと昇ってくるようなエネルギーを感じます。

ウィーンフィルが良く鳴っていて、本当に素晴らしいです。

 

この録音を聴いて、同曲異演の面白さに開眼した記憶があります。

 

録音場所は楽友協会大ホールにて1984年5月。

明日からは通常業務に復帰です。

それでは、You have.

チェリビダッケのブル5を聴いてみる。

ブルックナーの交響曲を好きな順番に並べてみると。。
5=7>9>8>6>4>3
という感じでしょうか。五番には本当に愛着があります。でも、録音でいうと、あまり印象に残っていない。あえて言うならチェリビダッケ&ミュンヘンフィルの録音でしょうか。
そういえば、2007年にはティーレマン&ミュンヘンフィルを聴きに行きましたし。あのときの緊張感も忘れられない。ティーレマンはかなりの年輩になっていて、渋みすら感じさせていました。若々しさのような甘っちょろいものは全くない感じでした。
http://museum.projectmnh.com/2007/11/04195214.php
好きなブルックナー振りは、チェリビダッケとジュリーニですねえ。実はどちらもラテン系。チェリビダッケはルーマニア系です。ルーマニア人はラテン系といわれています。ルーマニア語はロマンス語系だそうですので。まあ、いわゆるローマ時代にダキアとしてローマの植民地ですからね。
それで、私は思ったもんです。私はドイツ人がドイツ音楽を振る音源より、ラテン系の指揮者がドイツ音楽を振るのが好きなんじゃないか、と。
ブルックナーの交響曲第五番を久方ぶりにチェリビダッケ指揮で聴いてますが、いいですねえ。この指揮っぷり。テンポが遅いのはまあ常識的ですが、遅いだけじゃなくて緊張含みの熱い演奏です。辛うじてピアノ線で舞台上につるされている感じ。このこのまま止まってしまうんじゃないかとも思える速度で、いやいや、止まらないでちゃんと緊張感とか統制感を保ちながら演奏しますよ、という感じ。だからといって、遅いばかりじゃない。第三楽章の冒頭なんてかなり速度揚げて迫力とダイナミズムを巧く表現している。さすが。
しかし、ミュンヘンフィルは相当しごかれたはず。チェリの可愛がりは怖いです。でも、理想のためには仕方ないですね。最初から二番になろうとしていたら一番にはなれない。「二番じゃいけないんですか?」 ダメです。じゃあ「何でも一番!」これもダメ。人生も歴史も選択の連続です。
でも、最近、私は、全部やらないと行けない、とまたまた思い始めました。
ミュンヘンフィルもかわいそうでした。チェリがレコーディングしたくないから、経済的にもきつかっただろうなあ。で、チェリの次はレヴァインで、その次がティーレマン。でも、CD不況で新録音はすくないでしょうから。
そう言う意味で言うと、ベルリンフィルはチェリじゃなくてカラヤンでよかったかも。ベルリンフィルのいないグラモフォンなんて想像つかない。
五番は印象的なコントラバスのベースラインから始まり、木管が印象的な美しい旋律を奏でます。私はここはジャズに転用できると思っていますが、まあ素人考えでしょうね。弦楽器のピッチカートが支配する場面が多いのでわりとインテンポでも聴けそうなんですよね。
今朝は悪夢で目が覚めて、しばらく動悸が止まらなかった。稼働システムが障害を起こしている夢。名寄せとか銀行引き去りとか、そんな感じのことがうまくいかなくて、夜中に修復している夢。
というのも、最近、稼働させるシステムが、稼働ごとにインシデントを出しまくっているからでしょうねえ。
まあ、僕も悪いんですが、僕だけが悪いわけでもない。ソフトウェア、ハードウェア、環境、周りの人間、全部がそろわないと、きちんとしたものは出来ません。SHELLモデルと言うんだそうです。

ブルックナーのことなんて、おそれおおくてかけない

 でも書いちゃいます。だって、そうでないと、いつまで経っても書けないままでしょうから。

ブルックナー好きの方は誰しも一家言お持ちだと思います。それが自分にあるのか、と問われると答えに窮してしまう。10年ほど前に狂ったようにブルックナーを聴いていた頃ならまだ語れたかもしれません。それでも不完全燃焼感がありました。 今の状態はといえば、オペラのほうに時間を割いてしまっていて、ブルックナーを語るほど聞き込めていない。しかし、いつ聞き込むのか? いつ語れるのか? とはいえ、語れないからといって沈黙を続けるのは逃避だといえましょう。ここは果敢に書いてみましょう。

書こうと思ったのは、昨日のお昼休みに、急に交響曲第9番の旋律が頭に浮かんできて離れてくれないからです。

とりあえずは、昨日はiPodでチェリビダッケ=ミュンヘンフィル盤を聴いて家に帰りました。家では、ブロムシュテット=ゲヴァントハウス管盤を聴きました。今日の昼休み、バーンスタイン=ウィーンフィル盤を聴いて、ジュリーニ=ウィーンフィル盤を帰宅時に聴いた次第。

チェリビダッケ盤がテンポを抑えることは有名です。発売当時のレコ芸で、レビューした音楽評論家の方でさえ「この暑さの中、チェリビダッケの演奏を聴くのは辛い」とこぼしておられたほどですから。ですが、失速寸前までテンポを落として歌い上げるところは見事としかいえないです。それでもやはり指揮に楽器がついてこれないところもあったりするのですが、ご愛嬌でしょうか。

家で聴いたブロムシュテットは、少々ながらで聴いていましたが、ダイナミックレンジの大きさに感嘆しました。第二楽章のマッチョな感覚もすごい。

昼休みに聞いたのはバーンスタイン盤の第三楽章。ゆったりしていますが、チェリビダッケ盤ほどではない。甘くて耽美的。ですが、思ったより個性が感じられないです。これはちょっと意外。

今日の帰宅時に聴いたのがジュリーニ=ウィーンフィル盤。これは絶品です。第三楽章を中心に聴いているのですが、テンポもチェリビダッケほどは遅くないですが、それでも歌うに十二分なため方です。華麗に歌い上げるところも実に感動的。冒頭の弦楽器のポルタメントも実に艶やかです。バランスでいうとジュリーニ盤が一歩リードでしょうか。

いずれにしても、音楽についてなにを語り得るのか。考えることしきり。まあ、悩んでいたら語り続けよ、というところだと思うのですが。がんばりましょう。