冬の日

Photo

今日の東京の日の入りの時間は、16時28分とのことで、とうとう16時半より前に日が沈む季節になりました。おそらくこれ以上遅くなることはなく、次は、日の出の時間がどんどん遅くなります。冬至に向けてあと30分は遅くなります。あともう1ヶ月で冬至ですが、それからどんどん夏へと向かうことになります。この辺りの感覚は、AppleWatchの日の出日の入り時間を見るようになってからきにするようになりました。こうしたITのツールで自然を感じるというのもまた良いものです。

それで、今日も、仕事場の窓の外は、冬晴れの中、光に満ち溢れていました。海も見えるのですが、太陽の光を反射して金色に輝いていて、ヴィスコンティの「ヴェニスに死す」を思い出してしまいました。最後の場面、タッジオ少年が光の中に溶け込んでいる風景。ただ、あの映画はさすがに難しかった気も。

それから、徐々に日が沈むにつれて、ビルが夕日を反射してオレンジ色に光り輝いているのを見たり、水平線の向こうが、鈍色とモーヴのグラデーションに染めあがっていたり。冬の澄んだ空気は、どのような光であっても、風景を絵画のように仕立て上げる力を持っているように思いました。

今日はこちら。バーンスタインの第九。


ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」



ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 バーンスタイン(レナード) ジョーンズ(ギネス) シュヴァルツ(ハンナ) コロ(ルネ) モル(クルト) ウィーン国立歌劇場合唱団
ユニバーサル ミュージック クラシック (2008-09-03)
売り上げランキング: 59,388




別に、年が押し迫っているから、とかそういう理由ではなく、マーラーの9番かと思いAppleMusicで再生したら、実は第九でした、という感じ。ですが、聞くとやはりバーンスタインらしい恍惚とした素晴らしいベートーヴェンで、2回ほど聞いてしまいました。明日も少し聞いてしまいそう。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

恍惚とした、という感覚。

今日は、「はじめてのバーンスタイン」というプレイリストを。AppleMusic のレコメンドに現れましたので、聴いてみました。
スクリーンショット 2016-06-30 23.39.30
プレイリストの2曲目が《田園》だったのですが、こらはさすがに懐かしいものでした。懐かしさというより、何か過去へと引き戻される感覚でした。

これも以前書いたかもしれませんが、また書きます。
この音源は、私が音楽を聴き始めた80年代半ばに、父が録音していたカセットテープで何度も何度も聴いたものでした。それは、NHK FMの「名曲の楽しみ」をエアチェックしたものでした。カセットテープは、最初の出だしが少しかけたもので、テープのたるみを拾って、音がユラユラと揺れるところから始まっていたはずです。当時の私の理解では、交響曲の楽章というものは、必ず途切れるものだと思っていましたので、なぜ楽章数が足らないのか悩んだりしたものです。
曲が終わると、吉田秀和のアナウンスが入りました。
「いまのは、ま、言うまでもないんですが、ベートーヴェンのパストラール。レナード・バーンスタイン指揮の、ウィーンフィルハーモニー楽団の演奏でした」
という感じでした。たしか、パストラール、と言っていたと思います。その後、バーンスタインらしい「恍惚とした感じ」と、この演奏を表して、「では、まだ時間があるようですので、もう一度最初から聴いてみましょう」という感じで、また第一楽章がオンエアされる、という感じでした。
小学生の私には、この「恍惚」という言葉がよくわからなかったのですが、おそらく、その後の「恍惚」の理解においては、この演奏がひとつの要素を占めていたのだと思います。
それにしても、今日、この演奏を聴いた時、引き戻された感覚というのは、これが、プルーストのいうマドレーヌ体験のようなものではないか、と思いました。演奏の機微のようなもの身体が覚えていて、まったく違和感を感じません。デフォルト音源です。こういう、演奏がフィットするという感覚は、おそらくは《田園》の他の演奏音源を聴いたために、逆に強く意識するようになったものだと思います、恍惚、というのは置いておいて、たおやかで柔らかく、絶妙な起伏を持った演奏だのあらためて思います。あらためてすごい演奏を小さい頃から聴いていたのだなあ、と思いました。もっともらこの音源を聴いていたから、この音源が素晴らしいと思える、ということもあるのだとは思います。この音源によって耳が形成された、ということです。

まあ、繰り返しになりますが、AppleMusicのプレイリストはいいですね。思いもよらない曲を聴いて、今日のようなセレンディピティが起こります。

さて、今日は、ギリギリまで働いたのですが、なぜか心が落ち着くのです。ざっと、VBAでデータ処理のスクリプトを書いたところ、思いのほか上手く動いて、気分が良かったのかも。

明日は早出です。起きられるか?

ではおやすみなさい。グーテナハトです。

ピンカス・ズーカーマンを紀尾井ホールにて

最後に追加した項目-275
今日は仕事帰りに紀尾井ホールで、ピンカス・ズーカーマンを聴いてきました。


Mozart Sonatas for Violin & Piano


Mozart Sonatas for Violin & Piano

posted with amazlet at 15.05.19


Pinchas Zukerman
Sony Classical Imp (2013-04-30)
売り上げランキング: 14,008




ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第一番と第五番「春」、それから奥さんのアマンダ・フォーサイスを加えてのピアノ三重奏曲「大公」の3曲です。

ズーカーマン。音には甘みというよりも鋭さのようなものがあるのですが、そうでありながら水がしたたるような潤いがある音でした。

急に行くことになったので、特にヴァイオリン・ソナタ第一番の予習がいまいちだったんですが、それでもやはりソナタ形式や、ロンド形式だったりしますので、楽曲の構成がよくわかります。だいたいの全体観をつかみながら、ああ、こうくるか、みたいな頭の体操を楽しんだかんじでした。

音楽というのは、演奏するには訓練とか才能とかが必要で、私はどうやらそうした才能にはあまり恵まれていないのではないか、と思うこともしばしばですが、聴くことに関してはずいぶん訓練してきたなあ、と思います。ただ、楽譜の裏付けがないので、そこが永遠の課題です。

それにしても、「春」とか美しいですよね。あれ、下手でもいいから弾いてみたいと思いました。バルトークの教え「下手でもいいから楽器をやれ」(?)を最近忘れているので、そろそろ初めないとなあ、と思いました。

ちなみに、紀尾井ホール界隈ですが、20年ほど前の記憶があって、その頃と比べると、街路樹が鬱蒼と生い茂っていて驚きました。なんだか森のなかに道があるようでした。すごくいい雰囲気です。

最後に追加した項目-264

それでは、みなさまおやすみなさい。

クライバー《運命》の画期性を理解するためには?

はじめに

今日も暑い一日。ですが、まだ晴れているだけ良いのかもしれません。西日本では晴天の日が少なく、経済への影響が懸念されているようです。広島の件は本当に心が痛みます。

今日も一日家で休息をしました。休まなければ次に続きません。

カルロス・クライバーの運命

でもコレは書かないといけません。先日ご紹介したRadio Classiqueですが、今日も聴いていました。するとこちらが登場です。

Beethoven:Symphonies 5 & 7
Beethoven:Symphonies 5 & 7
posted with amazlet at 14.08.24

Deutsche Grammophon (2003-05-13)
売り上げランキング: 7,624

カルロス・クライバーがウィーンフィルと演奏したベートーヴェンの《運命》。

クラシックファン必聴の名盤ですが、初めて聴いた人に、その画期的であることはどういうことか、ということをいろいろと話したのですが、まあなんだか私一人が話しているだけでした。いまひとつ。言葉で話しても意味が無いということなのかもしれません。もしかしたらその場でフルトヴェングラーの音源などを聞いてもらうとよりわかったかもしれません。

やはり、歴史的な文脈の中でしかその音楽の位置づけとか評価というものはなかなか判断できないということなのでしょう。あの聞く人によれば重いフルトヴェングラーの運命を聴いてから、この演奏を聴くと、その画期的な意味が分かる、ということなんでしょう。書いていながら、あれ、カラヤンやトスカニーニだってこんな感じだったのになあ、と思いましたが、録音やホールの音響なども相まって、この音源の価値があるのだと思います。

音楽を理解するために

ということは、絶対的な価値判断というものはなかなか難しいということなんですね。言わずもがなですけれど、改めて思いました。音楽の理解には時間が機会が必要です。寸暇を惜しんで何枚も何枚も聴かなければ成りません。あるいは何度も何度も劇場やホールに足を運ばないと行けないのかもしれません。それを全うできるのは本当に限られた幸運な人々だけなのだろう、と思います。私はそこまで行けていません。努力はしていましたが、少し休んでいました。これからまた努力をしなければと思います(クラシックもジャズも)。

何度も引用して恐縮ですが、あらためて、小澤征爾と村上春樹の対談を思い出します。

舞台と客席の断絶は広く深いのか。
続 舞台と客席の断絶は広く深いのか。

小澤征爾さんと、音楽について話をする
小澤 征爾 村上 春樹
新潮社
売り上げランキング: 8,539

音楽を聴く環境は整ってきている?

ただ、そうした事情も、もしかすると徐々に変わってきているのかも、などと思います。

もちろん劇場やホールに足を運ぶのは物理的時間的成約があり難しいのかもしれません。地方に住んでいる人にとってみれば、東京であまた開かれているコンサートやオペラに足を運びなさい、といってもよほどめぐまれていないと難しいです。

ですが、ナクソス・ミュージック・ライブラリーやベルリン・フィル・デジタルコンサートホール、ウェブ・ラジオなどのウェブを通じた音楽聴取の機会というものは本当に増えています。もちろん実演に比べるとその情報量は下がりますので、本当に音楽を聞けているかというと疑問ですが、それでも、かつてに比べて安価に音楽を聞けるチャンスは増えたのです。

ただ、問題は、普通の会社勤めや学生の方々はきっとそんな時間もないのかもしれない、ということだけですが 。その場合は、音楽評論家のCD評論や音楽愛好家のネットにおける情報をたよりに効果的に音源を選ぶこともできるかもしれません。

そう言っても、もとの議論に戻りますが、名盤だけでなく凡盤(?)も聴かなければ、名盤の良さは分からないので、効果的に良いものだけを聴くというやり方にも問題はあるとは思いますね。

いずれにせよ、思うほどチャンスは縮まっていないのではないかとも思います。時間さえあればですが。

結局のところ、落ち着いて一時間とか二時間とか音楽を聴ける時間と、ウェブにつながる環境があれば、どこに居ても、どんな方でも、その気になれば音楽を楽しみ学ぶ環境が整っているのが現代の日本なのではないか、と思います。

繰り返しになりますが、問題は時間がない、ということに尽きるのです。悲観的なのか楽観的なのかわからない結論ですが、そう思います。そして、私に足らないのは時間だということも再認識しました。時間は作れ、ともいいますが、限界もまたありますので。

明日は朝から喚問されます。無事におわるといいのですが。というわけでグーテナハトです。

夢の風景二つ

IMG_1271.jpg
一つ目の夢の風景。
日枝神社に参詣する老夫婦のシーン。こういうのが日本人の原風景なのかもしれない、と勝手に思っています。先日イギリス人と話をしたとき、神社に参拝したという話をしたのですが、本当に信じているのか? と問われて困りました。
まあ、神社で何かを祈念するというのは、神に祈るというより自分に向けて決意を新たにするという側面が強いのでしょう。そういう意味では、効果はあるはずで、信じているということもあたっているのかもしれません。
この鳥居は山王鳥居というらしく、日吉大社系列の日吉神社、山王神社などに共通の鳥居です。街なかでは有りますが神々しいものです。
二つ目の夢の風景ですが、これがまた奇妙でした。
昨日の明け方に観た夢です。
妻の実家からレコードが発見され、それが渡邉暁雄の《運命》の幻の録音、という設定でした。
聴いてみるとこれが凄い演奏でした! ちゃんと音が聴こえていたでsが、実にビビッドな演奏でした。テンポは中庸から少し速いぐらいで筋肉質なたくましい演奏でした。だれたり、もたれたりしない。リタルダントやディミヌエンドを使うことがないが、エッジが聞いていて、要所要所が素晴らしい、そんな演奏でした、
偉そうな夢の中の私は「これは人類の宝だ!」と言うわけです。全く。。。
で、現金なもので、この演奏をCD化して収益をあげよう! という話になるところが、いかにも市民的な発想で申し訳ないです。
今日はこちら。ベートーヴェンのピアノ協奏曲は、沸き立つように素晴らしいです。聴いたのは10年ほど前。それまで苦手だったハイティンクですが、このCDを聴いて好きになった記憶があります。

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番&第5番
ブレンデル(アルフレッド)
ユニバーサル ミュージック クラシック (2005-06-22)
売り上げランキング: 41,029

ではグーテナハト。

カッコ良すぎるアバドの「英雄」

いまさら感もありますが、ちょっと感動したのでエントリーします。



アバドがベルリン・フィルと作ったベートーヴェン交響曲全集のなかから「英雄」を聴いてみたのですが、あれ、こんなにカッコ良かったでしたっけ? みたいな驚き。


これ、ポルシェかフェラーリかわかりませんが、スポーツカーのように強靭でしなやかでスタイリッシュな演奏です。無駄な装飾を廃し、必要最低限のダイナミズムで、磨かれたボディのつややかさを感じます。


これ、アバドの凄さとベルリン・フィルの凄さの相乗効果です。ここまで機能的に動けるのはベルリン・フィルだからこそでしょう。


ネット上には、つまらん演奏だ、とありますけれど、カラヤン的新即物主義的でありながら、そこに幾ばくかの控えめな装飾を載せるような洒脱さがあって、私は気に入っています。


IMG 2608

なんだか休んだ気がしない連休ですが、「休め、整えよ」、という感じで過ごしています。

チェリビダッケの第九を聞いてみる。

いやあ、久々にチェリビダッケで感動。
最近、つとめて第九を聞くようにしているのですが、久々にチェリビダッケらしい演奏で感動しました。10年ぐらい前に発売されたチェリビダッケボックスから第九をば。
テンポの緩やかさは相変わらずですが、それが巧い具合にフィットしていて、たゆたう感じがすごく良いのです。特に第三楽章は本当に素晴らしい。白磁か青磁を思わせる端正で静謐な世界です。会社帰りに聞いていたんですが、結構癒されました。
この感じで田園をふるとどうなるんだろう。早速聴いてみたいと思います。
いよいよ年の瀬ですが、なんだか仕事はやまほどある。公私にわたって。だが、やることが多いと言うことは幸せでもある。くじけずこつこつがんばろう、

ハイティンク&ブレンデル/ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番

今日の関東地方は幾分と涼やかになりました。昼食は近所のレストランで食事。外食するのは結構久しぶりでした。昔は、あんなに外食していたのに。外で食事を取らないと行けないときは、店になんて入らずに、軽食で済ませてしまいますので。まあ、家庭を持つと、家の食事が一番になってきますね。ラーメン屋の行列をみても、あまり食指が伸びませぬ。

昨日、ハイティンクのことを書いて、15年ほど前、高校生の頃の記憶がよみがえりました。ふとつけたNHK-FMであまりに刺激的なベートーヴェンの交響曲第四番を聴いた記憶です。それは第三楽章でして、激しく熱い演奏に心が震えました。アナウンサーが告げた演奏家はハイティンクとブレンデルでした。

私はあまりピアノ曲は聴きませんが、そんな中にあってブレンデルの録音にはひとかたならぬ思い出があります。ブレンデルの演奏をたまたま録音したのですが、それはシューマンの「交響的練習曲」と、リストの「巡礼の年第二年イタリア」でした。「交響的練習曲」の疾走感、躍動感、そして「巡礼の年第二年」の瞑想的な静謐さに、年若いからこそかもしれませんが、ずいぶんとのめり込んだ記憶があります。

そのブレンデルの才気が迸り、ハイティンクの明晰で怜悧な指揮だからこそ、ここまでにも興奮を呼び覚ます刺激的な演奏となったのでしょう。初めて聴いたときは、8ビートロックを聴いているのか、と思ったほど。第三楽章を今日改めて聴いてみると、やっぱり凄いのです。緻密で乱れのないリズム、大きな振幅、絶妙なスピードコントロール。F1的とでもいいましょうか。録音は1976年ですので、いまから33年前。うーん、すごい。終幕にいたる高揚感は、最終コーナーを回ったサラブレットがゴールを駆け抜ける気分。

ちょっとこれは聞き込みたい気分です。元気のない時に身を奮い立たせるのにも良さそう。早速iPodに入れましょう。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲

なんだか最近時間の経つのが早いですね。ともあれ、記事の更新が滞りがちなのは私の精神力のなさでしょうか。最近、音楽を聴いて語ることに何か引っかかりのようなものを感じているのも関係ありましょうか。というか、もし音楽の才能があれば、楽譜も読めただろうし、もっときちんと書くことも出来るのでしょうけれど、なかなか、というところ。逃げちゃいけないんですが。

昨日からベートーヴェンを聴いておりまして、昨日は交響曲第二番、今日はピアノ協奏曲第二番です。前者はアバド盤、後者は内田光子&ザンデルリンク盤。心洗われるというのはこういうこと。内田さんのピアノは、軽やかで舞うような気持ちになります。水面に落ちる水滴の音。特に第二楽章アダージョの静謐な空気にはなんだかたゆたう気分を。会社の昼休みに聴いていたのですが、しばし別世界でした。

アバド/ベートーヴェン交響曲第二番

東京はすっかり春めいてきました。黄砂が訪れたかと思うと、南からの暖気に覆いつくされた感じで、昼休みの散歩も爽やかな気分。木々も花を咲かせ始めていますし、タンポポやスミレがいたるところに見られるようになりました

。今朝の往路は英語のお勉強。ヒアリングしながら英語の文書を読む感じ。基本的に辞書はその場では引かないで、とにかく量を読んで覚えていこうという魂胆。でもあとで引くんですけれどね。

会社の昼休みは、先だってラトルの指揮で聞いたベートーヴェンの交響曲第二番をアバドが振るベルリンフィルの演奏にて。ラトル盤よりも重心が低く落ち着いているのですが、それでいて彩度も高いです。もちろん技術的な面では堅牢ですので、まったく不安感を感じさせない。音量調整もラトルほど先鋭的ではないです。アーティキュレーションが強調されていてそこがこの曲のアバドらしさといえるでしょうか。

ベートーヴェンの交響曲はこの数年間はあまり聞いてきませんでしたが、先日のペーター・シュナイダーさんの振る4番の実演に接したら、その魅力にとらわれたという感じでしょうか。古典的とはいえ、かなりアグレッシブで意表をつくフレーズが出てきたりして面白いのです。これはモーツァルトの魔笛を聞いていたときにも思っていたことです。ただ心地よいだけじゃなくて、そこにはバラの棘のように引っ掛かりがなければならない、ということなのだと思います。ブルノ・ワルターが「音楽は晴朗な地中海などではなく、黒々とした大西洋なのだ」といったようなことを言っているのですが、まさにそういうものですね。

個人的なカミングアウトですが、この2週間はそういう意味ではちょっと日和見的な音楽選択に終始していました。本当はオペラを聴かないといけないのに、フュージョン音楽を聴いていましたので。まあ懐かしかったので良かったのですけれど、昔良かったと思えた曲が、今聞くとまったく満足できなくなっているというのは、時代が進んだからなのか、私の歳のせいなのか、というところで、ちょっとさびしさを覚えた次第です。