最後の4つの歌に至るまでには。


VIER LETZTE LIEDER/ORCHES


VIER LETZTE LIEDER/ORCHES

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R. STRAUSS
PHILI (2007-05-15)
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これまでにないいろいろなことが起きて、咀嚼するのに苦労している毎日。良いことも悪いことも。でも、咀嚼はできるのです。私の場合、そう言う咀嚼は泳いでいる間にやります。週に3日ほど、仕事帰りに泳いでいます。10分ほど泳ぐだけですが、そこで規則的に呼吸をして、規則的に体を動かしながら、色々と考えると、いろんな事が咀嚼できる感じ。ありがたいことです。

そんな昨今、なんだか、聴きたくなったのが「最後の4つの歌」。リヒャルト・シュトラウスの白眉。オーケストラ付き女性独唱曲。最後のロマン派音楽、なんてことを思ったりします。戦後に作られたのですから。最晩年の深淵は味わい深く静謐です。そういう境地にたどりつくためには、数多の壁を乗り越えなければ。そうでないとそれは無意味です。

ネトレプコ、ハルテロス、ノーマンを聴き比べるのですが、今の気分としては、ノーマンがフィットするかなあ。深みとエッジ。そして、これがゲヴァントハウスの音か、みたいな。

また明日から新しい色々なことをやらないと、と思います。

やっと立春ですが、まだ寒い日が。みなさまもどうかお気をつけてお過ごしください。

ショルティのエレクトラを聴きながら。

この一年間ほどはこの先に向けて、力を入れる分野を絞り込んでいますが、さすがにこれからプロの音楽家になることもできませんので、演奏の方は休止しており、オペラやコンサートもしばらくはお預け状態。もっぱらの楽しみは、AppleMusic なんですが、やっぱり実際にオペラやコンサートに行きたい気分は満載です。まあ、仕方がありません。

で、いろいろ思い出しながらこちら。ショルティの《エレクトラ》。


Elektra


Elektra

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Vienna Philharmonic Orchestra
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昔、新国立劇場でウルフ・シルマーが指揮をした《エレクトラ》を観ました。鋭利で重い演奏で、あーこれがシュトラウス最先鋭のサウンドかー、と思った記憶があります。

ショルティの演奏も勢いとか激しさはシルマーと何か通じるところがあるような。シルマーにある、うねりのようなものはショルティにはなく、ショルティの演奏がさっぱりしたもののように思います。

《エレクトラ》は、ベームの演奏する映画版?DVDを観たのも懐かしいです。おどろどろしい映像の数々でしたが、前半のクリュソテミスが歌うところが印象的でした。激昂する姉に対して、常識的市民的な幸せを歌い上げるクリュソテミスが、何か芸術家が、芸術と市民生活のあいだで引き裂かれているということを感じさせたりしたのでした。


Bohm conducts Strauss Elektra [DVD] [2005] by Catarina Ligendza





縦糸と横糸

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最近、近所を自転車で走っている話は何度か書きました。

今年の冬から、春となり、夏来る、という感じで、同じ場所でも、風景は本当に変わります。

冬枯れの草原が、春になって花が咲き乱れ(本当に咲き乱れるのです)、桜が舞い散り、若葉に満ちるわけですが、最近は、その若葉も色濃くなり、青年の雄々しさを持つようになりました。

それどころか、早咲きのひまわりが、先週はその顔を空へ向けていたのが、今週になると、まるで老年のようにこうべを垂れて、勢いをうしない、人生の晩秋を感じさせたりもします。

あるいは、草原にも立ち枯れた草がすでに目立ち始めました。一方で蝉の鳴き声を聞いたりすると、また新たなサイクルが始まったということも思います。

ともあれ、同じ風景の中に、こうした違いを見出すということは、まるで、同曲異演を楽しむかのような感覚があります。

昨日も書いたように、シュトラウスの最後の四つの歌を、かつては、アンネ・トモワ=シントウで聴いて感激していたのが、昨日はジェシー・ノーマンの声で違う感動を感じる、といったような、そういう楽しみです。

それは、まるで縦糸と横糸を組み合わせるようなものでしょう。

機織りで長く張られた縦糸に横糸を通すと、絢爛な布地が出来上がるかのような。曲をたくさん聴くのが縦糸なら、様々な演奏を楽しむのが横糸。あるいは色々な場所に旅するのが縦糸だとすれば、同じところにとどまって季節の移り変わりを楽しむのが横糸です。

仕事も同じらしく、本来業務と言われる、収益を上げる仕事ばかりやっていてもうまくいかず、周辺事項や視点を変えた仕事も織り込まないといけないようです。

縦糸だけ伸ばしても本質は掴めなさそうです。質料と形相の関係に似ているような気もします。

ただですね、それでもやはり縦糸を伸ばすことに憧れます。理論上は無限に伸びる縦糸ですので。新しい楽曲を聴きたいし、新しい土地にも行きたいですね。それがなくなった時、初めて大人になるということなのかも、と思いました。

今日はこちら。やはりジェシー・ノーマンの(ナクソス島のアリアドネ》。

クルト・マズアの指揮はゆったりとしたもので、ジェシー・ノーマンの深みを十分に引き出しているように思えます。80年代の演奏ですが、冷戦のさなかにアメリカ人のノーマンがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と共演するというのは興味深いです。しかし、こう言う演奏の違いがわかるようになって少し嬉しい反面、寂しさも感じることもあります。もっと新しい音楽、つまり縦糸を伸ばすことをやってみたいなあ、と思います。


Strauss, R.: Ariadne auf Naxos (2 CDs)



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人生謙虚に全力で。

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休日。随分早くに目が覚めたのですが、なにかいい感じの夢で目が覚めて、気分が良かったです。今日、近所の市民センターにいたところ、広場に生い茂る木々から蝉の声が聞こえました。まだ梅雨あけもしておらず、6月もまだすぎませんが、ひたひたと夏が迫っています。ことしも猛暑だそうです。どうやって過ごそうか、という感じです。

そんな初夏に聴いたのはこちら。すこし季節にはあいませんが、ジェシー・ノーマンの歌うリヒャルト・シュトラウスの歌曲集です。


Richard Strauss: Four Last Songs; 6 Orchestral Songs



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昨日聴いた「はじめてのジェシー・ノーマン」というプレイリストには入っていた「Morgen」という歌曲が入ったアルバムで、1983年にクルト・マズアがライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と一緒に録音したもののようです。「四つの最後の歌」がメインディッシュですね。33年前のアルバム。あの頃はまだ東ドイツがあってホーネッカーがいました。

メゾ・ソプラノような深みで歌われると、「四つの最後の歌」なども、重心がひくくなり、随分と落ち着いた味わいになります。たしかに、人生の晩秋の諦観とした静かな気分を想像させるに事欠くことはありません。この演奏を聞きながら、太陽の光を浴びながら死に至る場面などを想像してしまいます。この曲を聴いて急に後ろに引っ張られるように頭から血流が失われていく感覚。それはまるでヴィスコンティの「ヴェニスに死す」から、毒気のようなものをぬいた、常識的で大人な場面。マーラーの「アダージェット」よりも安らぎにみちている気もします。そのように人生を閉じれるように生きれるといいのですが。もちろん自分の努力だけでそれはなし得るものではないですね。世界や国、社会、あるいは自然や災害がどうなるかで簡単にどうとでもなるものです。昨日の常識は明日の非常識。そういう世界で、安らぎを得るのは、ただひたすら、偶然的なものに対する願いと祈りと感謝でしかないのかも、と思います。人生謙虚に全力で、というところですかね。

ではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

あらゆるものはどうとでも。

仕事場から港が見えます。晴海埠頭が。かなり遠くではありますが。大型客船が泊まっていたり、南極観測船しらせが泊まっていたりしたこともありました。

今日は、私の勝手な想像では気象庁か水産庁の調査船が泊まっているように見えました。あまり大きくない船でしたが、きっと日本近海か、外洋か乗り出していく船です。内航船ではありません。

ふと思ったのは、勝手ながらも、その船の船長が感じる自由のようなもの。補給さえきちんとできれば、世界中のどこへでも理論上いくことができるという自由。これは、本当にすごいことではないか、と。

これ、MacなりPCなりでツールが揃い、なんでも作れる状況になるような感覚と似ているなあ、と。無限の可能性を得たと感じるあの瞬間と同じ。きっと東京の晴海埠頭からサンフランシスコでも、サンディエゴでも、あるいはナポリでもアルハンゲリスクでも、ケープタウンでもどこでも行けるわけですから。

ただ、現実はそうはいかないです。船もやはり船主の意向次第。ツールが揃っても、すぐに何かができるわけではなく、時間や技術の壁に当たるわけです。

ただ、それでもなお、埠頭に接岸し、船橋から外洋を見やったときに感じるだろう自由と束縛の感覚は、酢いいものでありながらも、酔いしれるものもあるのかもしれず、酔いが醒めるのをわかっていながらなおも酔うということなんだと思います。とことん酔って、その先に何か誰も手にしたことのないものがあると信じたいものです。往々にして、酔いが覚めて良い夢だったということになりかねませんから。

今日はこちら。


Strauss: Orchestral Works


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シュトラウスの若き日の作品から「ツァラトゥストラはかく語りき」を。この絢爛でありながら皮肉に満ちた音楽は、ダブルスピークのような解釈多様性を持っている気がします。私は、物事全てを字義通り捉えることができません。全てが逆の意味を含み得ることがわかっているからです。そうであっても、意味が正の意味を持つか負の意味を持つのかはフィフティフィフティです。この曲を聴いて、それが本当か嘘かはさておき、少なくとも半分は極度に美しいのだから、それだけでいいのではないでしょうか。

私が若くて若くて、つまりまだ2歳だか3歳だった頃、この曲が大好きだったとのこと。当時はまだ無限の可能性があって、世界に乗り出す可能性もありました。理論的には。つまり、大洋へと出帆する船と同じだったというわけです。

今はどうか。願わくば、大洋を乗り越えている船のように生きているといいたいものですが、はたしてどうか。大洋しか知らなければ、それが太陽かどうかはわからない。あるいは、大洋でないと思っても、それが大洋かどうかもわからない。そんなところでしょうか。

結局、自由かどうかは、わからないということ。あらゆるものはどうとでも取れる。そういうことなんでしょう。

ではみなさま、よい週末を。グーテナハトです、

世の中変化球

うーん、書いた文章が全部消えてしまった。

気を取り直して。思い出しながら書きます。

昨日はシュトラウス。シュトラウスの大人の知恵が好きです。《エレクトラ》で前衛をあきらめ、《ばらの騎士》でモーツァルトに回帰する大人の知恵。

作品の登場人物も大人ばかり。若い恋人をあきらめる《ばらの騎士》元帥夫人、二人の求婚者のどちらを選ぶか結論を出さない《カプリッチョ》の伯爵夫人マドレーヌ。

音楽的にも、美しいながらも不協和音や変拍子に溢れています。綺麗なんだけど、肩透かしのようにその旋律はどこかに過ぎ去ってしまったり。

結局世の中を変えるのはそういう大人の知恵なんだろうなあ、と。

辻邦生のテーマは「性急な改革の失敗」です。結局、若さで押し切ることは、行き詰まるだけです。時間がかかっても、じわりと改革をする知恵が勝つのかもしれません。

きっと今も、目立たないようにひっそりと、あるいはまったく別物に姿を変えてわからないように何かの改革が動いているのかも、と思います。その改革がよいことでありますように、と願います。

ですので、世の中は直球勝負では勝てません。変化球や、ときに四球を与えながら買っていくものなのかも。がゆえに、身の回りでもいろいろなことが起きますね。

はしごをはずされる感覚、というのもその一つですまあ、慣れていますので、普通に対処できてはいますが、少しばかりの寂しさは避けようはないですね。

先日読んだ本に、本来人間は種の保存のために助け合うことに快感を覚える本能を持つ、といったようなことが書いてありましたが、その逆もあるわけで、そうだとすると、それに寂しさを覚えるのも理性外の本能のようなもんなのでしょうか。

で、今日は、「ダナエの愛」を。絢爛で巨大な音楽。昨年、二期会の公演に出かけましたが、本当に楽しく充実したしたものでした。オペラは素晴らしいものですが、気づくとこの一年見に行けていないです。また行ける日が来るといいなあ、と思います。


Richard Strauss: Die Liebe der Danae



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ではおやすみなさい。グーテナハトです。

シュトラウスとショルティの姿が。。

2014年、生誕150年だったリヒャルト・シュトラウス。当時録画していたドキュメンタリーを昨日からたまたま観ていました。

その中に驚きの映像があったのです。

戦後、資産を幾らか失ったシュトラウスは、コンサートに出演するなどしていたらしいのです。「ばらの騎士」をピットで振る映像が放送されたのですが、エスコートする精悍な顔つきの男が気になりました。

あれ、どこかで見たことあるような。

あ、ショルティじゃない!?、と。

特に字幕もコメントもありませんでしたが、そうではないか、と。

(写真載せていいのか悪いのか。。しばらく載せたら削除します)

IMG_5872

ウィキなどを調べてみると可能性はかなり高いです。戦後、ショルティは、バイエルン国立歌劇場の音楽監督に抜擢されました。これは、名だたる指揮者は亡命していたのと、残った指揮者も非ナチ化政策で就任できなかったからです。

シュトラウスはバイエルンのガルミッシュに住んでいたわけですから、バイエルン国立歌劇場のピットに入ってもおかしくありません。

また、ショルティは晩年のシュトラウスと面識があり、指導を受けていたということもききますしね。

ということで、こちら。


Solti Conducts Richard Strauss


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今日は、本当に本当に久々の本当の休日だった気が。3月上旬から休日もこころが休まりませんでしたので。。

ではまた明日。おやすみなさい。

今日は《ナクソス島のアリアドネ》

いやあ、さすがに厳しい1日でした。おかげで泳げず。こういう日もあります。

今日はこちら。《ナクソス島のアリアドネ》。初めて聞いたとき仰天しました。執事役は俳優が演じて、歌ではなくセリフです。一つの意味としては、確か、芸術の世界に生きる人と、そうでない人を区別するため、ということだったはずです。
今日聞いたシノポリ盤で執事を語る俳優さんの喋り方が結構過ぎで、何度聞いても惚れ惚れします。


R. Strauss: Ariadne auf Naxos (2 CDs)



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もう少し書きたいこともありましたが今日はここまで。

それではおやすみなさい。グーテナハトです。

ダフネのことなど


Strauss: Daphne


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Karl Bohm
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今日はこちらをApple Musicで聞きました。

「ダフネ」を東京二期会の公演で見たのはずいぶん前になってしまいました。あの時はまだ若杉弘さんがお元気で、文化会館で若杉さんのタクトをずっと見ていたのを記憶しています。

改めて今聞きなおすと、「ダナエの愛」のような豪華さはない、何か渋みのある曲だなあ、と思いました。もう少し繰り返して聞くとまた違う印象が生じることと思います。

ダフネといえば、ローマのボルケーゼ美術館にあるアポロとダフネ像を思い出します。ずっと昔にローマでこちらを見に行ったことがあります。予約をし万全な体制で行ったのですが、道路工事の影響でバスが回り道をしたり(その時、ジャコモ・プッチーニ通りを通ったのです!)しながら、ようやくたどり着き、また積年の疲労で体が動かなくなるなどコンディションの悪い状態で見ることになってしまいました。それでも透き通るような像の芳香に触れたような気がします。

行きの飛行機(ルフトハンザ)で、ベルニーニの参考書を見ていたら、CAの方が、それを見つけて、興奮しながら、ベルニーニの素晴らしさを語っていたのを思い出しました。回りながら空へと飛び立つような像の躍動感に感動した、みたいなことをおっしゃっていたと思います。


By Int3gr4te投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0,

さて、今日はこちらを読んだりしました。先日Kindleで安売りしていたのでついつい。


イノベーション・オブ・ライフ ハーバード・ビジネススクールを巣立つ君たちへ



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なかなか面白いです。ふふふ。

では、また。おやすみなさい。グーテナハトです。

カプリッチョつれづれ その2

今日は、昨日少し触れたこちらを。


Capriccio


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最近聞いていなかったので、ずいぶん懐かしい気分です。この音源ですと、フィッシャー=ディースカウが伯爵を歌っているのですが、それが本当に素晴らしいのです。朗々と自由に羽ばたくように歌っているのですね。すべてを分かって歌っている、という安定感があります。
また、伯爵夫人を歌うヤノヴィッツもいいのです。ビブラートがほとんどない澄んだ清らかな声です。

ちなみに、私、この伯爵夫人という訳語がどうも気になっています。一応、このオペラの主人公である伯爵夫人マドレーヌは若くして未亡人になった方。原語では、Gräfinとなっています。伯爵の女性形です。わかりにくいのですが、登場人物の一人である伯爵は、伯爵夫人マドレーヌの兄になります。要は伯爵家の兄妹ということになるわけです。

そうすると、マドレーヌの名乗る伯爵夫人というのは、どういうこと?

<案1>
未亡人とあるので、死んだ夫もやはり伯爵で、その夫人だったということで伯爵夫人と名乗るのか?

<案2>
あるいは、伯爵家の血筋を引いているから、伯爵の女性形であるGräfinを名乗っており、その訳語がたまたま伯爵夫人となっているだけであり、要は伯爵位を持つ女性が伯爵夫人、ということになるのか。確かに、伯爵夫人ではなく伯爵令嬢という訳語を当てているケースもあるようですし。

いろいろ調べると、結局、女性が爵位を持つケースはあり、その場合、呼称は爵位の女性形になるようです。なので区別がつかないみたいです。イギリスだと、その後に何らかの補足的な表現(in her own rightなど)をつけるようです。

まあ、爵位は一人のものですので、伯爵家の娘だからといって、兄妹で伯爵を名乗るわけにはいかないような気もします。案2かなあ。

ちなみに、カプリッチョの舞台はフランスですので、フランス貴族です。

というわけで、また明日。おやすみなさい。グーテナハトです。