ジークフリートはなぜブリュンヒルデを口説けたのか?

むむむ、もう私のなかはリングだらけで、毎日のように「ジークフリート」と「神々の黄昏」を聴いています。今はブーレーズの1980年のバイロイトでブーレーズが振った音源です。これ、かなり強力な演奏です。

  • 作曲==リヒャルト・ワーグナー[ヴァーグナー]
  • 指揮者==ピエール・ブーレーズ
  • 管弦楽==バイロイト祝祭管弦楽団
  • ヴォータン==バリトン==ドナルド・マッキンタイア
  • ミーメ==テノール==ハインツ・ツェドニク
  • ジークフリート==テノール==マンフレート・ユング
  • ブリュンヒルデ==ソプラノ==ギネス(グィネス)・ジョーンズ

この音源については一寸置いておいて、ジークフリートとブリュンヒルデの関係について考えてみたいと思うのです。
私は、これまで、どうにもジークフリートのことが理解できませんでした。
育て親のミーメが、黒い裏心を持っているとはいえ、多少は感謝の心を持ってもいいのではないか。確かに恐れを知らぬ英雄だけれど、恐れを知らぬとは、結局無知であることを知らないに過ぎない。
ソクラテスは「無知の知」が重要であるといいますが、ジークフリートは明らかに無知によりすぎている。世間知らずの怖いもの知らず。これはもう、堅気ではない。不良中学生と変わらないではないか、と。
その一方で、いざブリュンヒルデに出会った途端に、彼が女性であることを見抜く。ジークフリートは女性と話したことがあるのでしょうか? 森の小鳥ぐらいではないか。まあ、動物のつがいを見たことはあるようで、人間にも男性と女性がいることぐらいは知っていたかもしれませんが、ミーメはジークフリートに「俺はお前の父でもあり母でもある」なんていうでまかせを言わせてしまうぐらい、ジークフリートは外面上、男性と女性の区別について理解を進めていなかったと思われるのです。
それが、最終幕のブリュンヒルデとの邂逅と目覚め以降、饒舌な求愛の言葉を口にし始める。どうして、ジークフリートほどの奥手な男が、元は神の一員でもあったブリュンヒルデを口説けてしまうのだろう、という疑問。これには、どうにもアプリオリな(先天的な)記憶の遺伝がなければ説明がつきません。
この問題を解くのは難しそう。でも、凄く考えがいがありそうで、今日も仕事しながらブツブツと考えていました。。
私は昨年の夏にバイロイト音楽祭「トリスタンとイゾルデ」をウェブ映像で見ています。ブリュンヒルデの目覚めのシーンを見た途端、あ、これは「トリスタンとイゾルデ」第一幕なんだ、と直感したのです。作曲順で言うと、「ジークフリート」の第二幕の作曲を終えたワーグナーは、いったん「ジークフリート」を離れて「ニュルンベルクのマイスタージンガー」と「トリスタンとイゾルデ」を完成させ、その後「ジークフリート」の第三幕に戻ってきます。
ご存知のとおり「トリスタンとイゾルデ」第一幕の最終部においては、侍女のブランゲーネが、トリスタンとイゾルデが要求した毒杯の代わりに、媚薬を飲ませることで、トリスタンとイゾルデは禁じられた愛情関係に陥ってしまう、というもの。
では、ジークフリートとブリュンヒルデの間には、なにがあったのでしょうか?
今日、机を立って、ブラブラとトイレへと向かうときに、閃きました。
ああ、ジークフリートは大事なものを持っているではないか、と。
続きは明日。もう少し考えをまとめる必要がありますので。
* ワーグナー作品というよりワーグナー文学、ワーグナー思想の守備範囲の広さと解釈多様性。考えれば考えるほど楽しいですが、もっと勉強しないといかんですね。
*っつうか、最近思いつきで仕事している気がする。歳食ったんだなあ。。。気をつけないと。