ベルリンの記憶、ふたたび。

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1999年に行ったベルリンは、先輩のYさんと一緒でした。昨日出てきた倫理学の先生というのがこのYさんです。

このベルリンの夕方は、たまには別行動をということで、Yさんは美術館、私は東ベルリン中心部への散策という感じでした。

その時の記録が出てきて懐かしかったので引用します。

アレクサンダー広場の少し西側、鉄筋コンクリート造りの古い郵便局にテレホンカードを買うべく入って行った。怖そうな窓口婦人がこちらを睨みつけて早くこっちに来い、と怒鳴っていた。どうやら若干ご機嫌がわるいらしい。慌てて彼女の窓口へ向かう。ここに来るまでに何度も反芻していた言葉(「ここでテレホンカードを買うことは出来ますか? Kann man hier Telefonkarte kaufen?」)をゆっくり口に出してみる。彼女は大きく、もちろん、とうなずき、「50マルク、○○マルクがあるけれどどっちにするのよ?」と尋ねてきた。国際電話で使うのだから「50マルク御願いします」と答える。彼女は「わかったわ」と50マルク分のテレホンカードをカウンターに差し込み、度数が確かに50マルクであることを示す。「ありがとう」「どういたしまして…」。こうして東ベルリン郵便局での老獪な窓口婦人との戦いは終わった。テレフォンカードにはペルガモン博物館の美しいアラビア絨毯の写真が印刷されていた。時刻は丁度17時。郵便局内の電話で日本へ電話をかけた。「今東ベルリンにいるんだわ…。」

とっぷりと日の暮れた東ベルリン中央部からフリードリヒシュトラーセへと戻る。連れのY氏との待ち合わせ時間までしばらく間がある。テーブルのついた、日本でいえばさしずめスターバックス風の店に入りホットドックとコーヒーを入手し、本を読む。とうぜん見知らぬ日本人の隣のテーブルにつく人は居ない。何かしら敬遠されているような気配を感じる。いたし方あるまい。日本では感じられぬ「Minorityであること」を自覚する。だが、これは何も不思議なことではないし、それを受け容れるだけの理解力も持ち合わせていた。外国に出ると日本では決して感じることのできない日本という国とのつながりを考えざるを得ない。

  

そう。いろいろ思い出してきました。ドイツ、特に北ドイツはなかなか厳しい風土でした。私の大学時代の先生は「北ドイツ人は本当に厳しく冷たいのですよ。まるでK先生のように。あ、K先生はミュンヘン生まれですが」とよく言っていました。もちろん冗談めかしてですが。

ベルリンもやはり北ドイツですので、そうそう優しく接してもらえるわけではありません。ましてや外国人ということも有りますので、なかなか難しい局面も多々ありました。当時そのYさんとその件について散々話しました。フランクフルトの魚料理屋でした。いささか飲みながらしゃべっていたので、店員に「飲み過ぎね」と言われました。

しかし、人間というものはやはりどこにあっても異質なものに対する拒否反応を示すことに成ります。それはおそらく原始的な本能に拠るものなのだと思います。逆に言うと、異質なものを許容できる包容力こそが、人間の高度な能力なのかもしれません。

私は当時もいまも、この原始的な本能というものの重要性を理解しているつもりですが、一方で、それを乗り越えることの必要性も理解しているつもりです。

ほんとうに寒い毎日です。みなさまもどうかお身体にはお気をつけて、風邪やインフルエンザにご注意ください。
ではグーテナハトです。