今日はカプリッチョ

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凄烈な夕空でした。これは夕暮れの東の空です。夕焼けといえば西空ですが、反対側の東空を振り返ってもなかなかの風景があります。

Capriccio
Capriccio

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Karl Bohm
Deutsche Grammophon (2005-09-13)
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今日はカプリッチョ。グンドラ・ヤノヴィッツの心あらわれる声を楽しみました。意外とテンポがダイナミックで驚きました。最近良く聞いていたのがシルマーなので、なおさらそう思ったのかもしれません。

オペラにおいては、詩か、音楽か、いずれが優位なのか? あるいは演出は? という問いを投げかけるオペラです。この問いを、伯爵夫人マドレーヌが、詩人オリヴィエと音楽家フラマンのいずれを選ぶか、というラヴストーリーになっているというのがなかなかおもしろいのです。私は、きっとマドレーヌは音楽家フラマンを選ぶと思いますが。

このオペラ、作曲されたのが、第二次大戦まっただ中なのです。初演は1942年です。まだ戦局は一進一退のころです。何を思ってこうしたオペラを書いたのでしょうかね。
ユダヤ人排斥のなかにあって、台本作家ツヴァイクとオペラを作れなくなったり、ナチスとうまく行かなくなったり、大変な時期だったはずです。

がゆえに、こんな、あるい意味他愛もない世間ずれしたオペラを書いたんだと想像してしまいます。

そういえば、オーウェルの「1984」の二重思考を思い出しました。。これも二重思考なのかもしれません。「戦争は平和なり」とか、「自由は隷従なり」という「1984」に登場する「二重思考」の言葉のように、この他愛のなさがあまりに不気味です。「1984」では、イングソックという社会主義的政権がアメリカやイギリスを支配しています。そこでは「2+2が5」とされていれば「2+2は5」と言わなくてはならず、「2+2は4」と言えない世界なのだそうです。先日書いたショスタコーヴィチは、交響曲第5番に隠されたメッセージを込めているという話のように、シュトラウスも、ナチス政権下にあって、言いたいことを言えなかったが故に、なにかを込めたんじゃないか、という漠然とした想像をしてしまうのですが、どうでしょうか。

それではおやすみなさい。グーテナハト。