NNTT:新国立劇場,Opera,Richard Wagner

あああ、またやられてしまいました。涙なしには観ていられぬ6時間でした。
というか、この三日間ほど風邪で微熱が続いていてあまり体調は良くなかったんですが、そんなもの吹き飛んでしまうほど強力なパフォーマンスでした。しっかり元を取った感じ。
やはり期待を裏切らないテオリン。
のっけから、強烈な歌声に痺れてしまう。少し強めのビブラートが強力なブースターとなって、劇場内に響き渡るイゾルデの怨嗟や歓喜は、胸のうちに直接差し込まれる赤く熱した鏝(こて)のようで、理屈抜きに直接心臓を揺り動かすもの。
テオリンについて言えば、まずは、第一幕の冒頭で、イゾルデが怒りをぶちまける場面ですさまじいパワーに涙がでてきました。おそらくは音圧に圧倒されたのでしょう。いわゆる崇高を感じた瞬間。
次は、第二幕で「一緒に死にましょう」とトリスタンと歌う二重唱のところ。あそこもすごかった。グールドもテオリンも譲らず、高いところで戦っている感じ。あそこは泣けます。もちろんワーグナーの偉大さもあってのことではありますが。あの台詞はきっとワーグナーが自分のことを書いているはず。天才のカミングアウトというのは本当にすごいものです。そして、それを時間を超えて伝えるテオリン、グールド、大野さんの素晴らしさ。
あとは、最終部分、イゾルデの愛の死のところ。テオリンも少し疲れが見えるが、それでもあの厳粛な場面で実に凛々しい女傑的イゾルデで、もうひれ伏すのみでした。
明日も続きます。しばらく続くかもしれません。

Opera,Richard Wagner

私が通っていた中学校の校歌に「弛まず倦まず」という歌詞がありましたが、あれは実に重要な一言でありました。続けた者にしか栄誉は訪れないでしょう。私も弛まず倦まずがんばろう。
というわけで、倦むことなくまたまた、シュナイダー、テオリン、スミスの「トリスタンとイゾルデ」。
この演奏のことばかり書いている気がしますが、本当に飽くことも倦むこともなく、まったく素晴らしい演奏。何が素晴らしいのか? 
やっぱりシュナイダーの指揮。オケのサウンドは複雑なレース編みのようにも思えるほどです。縦糸が音のダイナミクスだとすれば、横糸はしなやかなテンポコントロール。オケサウンドは絶妙な柔らかさとしなやかさを持ちながら、ひたひたと溢れるような淡い銀色の液体のように、聴く者を虜にし、聴く者の感涙を誘う。
素晴らしい!
それにしても、テオリン姐さんの歌はすさまじいです。ドイツ語の口蓋音までも聞こえてしまうというパワーです。あともう少しで実演に触れられるとは! 楽しみです。

Opera,Richard Wagner

通勤時間はサラリーマンに残された最後のリゾートである、という絶妙な文章をどこかの雑誌で読みましたが、どうやらそこにもスマートフォンが侵入し、仕事をやる人が増えてきたらしいです。
幸いなことに、当社は大変革新的な会社ですので、仕事をモバイルでやる、なんていう考えはどこにもございませんゆえ、私のリゾートはまだ守られています。個人的には、飛行機で欧州に行くときの12時間ほど、自由な時間は、この世には存在しない、と思っていますが、通勤時間も往復でたっぷり3時間もありますので、一週間通えば、欧州航路片道分に相当します。通勤時間が長いことは悪いことだけではないようです。
もっとも私の素晴らしい会社は関東地方の端にありますので、電車もバスもなんとか座れるわけで、だからこそこういうことがいえるのだとは思います。今年は異動ないしは会社移転のために私のリゾートも失われる運命にありますがけれど。それだけは残念。
今日のリゾートは、バーンスタインが振る「トリスタンとイゾルデ」です。バーンスタインの指揮はご存知のようにたゆたうテンポで、ゆったりとしています。まるでねっとりとした蜂蜜の中を泳いでいるかのよう。溺れてしまいそう。いっそ、そのまま。
この恍惚感はバーンスタインならでは。もう30年ほど前に、NHKFMで吉田秀和さんが、バーンスタインが振る「田園」を「恍惚とした感じ」と解説していたのを思い出しました。
バーンスタイン、ドイツ統一の時、第九の歌詞を変えた(歓喜freudeを自由freiheitに変えたんですねえ)のには、すこし引きましたが、この数年、いろいろ聞くようになって、いっそう好きになった気がします。もっと聴かないとなあ。

Opera,Richard Wagner

1月10日、新国立劇場の「トリスタンとイゾルデ」は千秋楽ですがなんとか無事に劇場へ行くことができそうです。イゾルデにイレーネ・テオリン、ブランゲーネがエレナ・ツィトコーワという垂涎のキャスティングでして、想像するだけでワクワクします。ネット上の「トリスタンとイゾルデ」関連の記事については、申し訳ないのですがブラインドを落として、目に触れないようにしております。どんな舞台なんでしょうか。

 

こちらの写真は2009年のバイロイト音楽祭で、イゾルデを歌ったテオリン様。指揮者ペーター・シュナイダーで、クルヴェナールはユッカ・ラジライネン。ユッカは、新国の「トリスタン」でもクルヴェナールを歌っています。

テオリン様

 

明日は、バーンスタインの「トリスタンとイゾルデ」を聴く予定。こちらは、トリスタンがペーター・ホフマン、イゾルデはヒルデガルト・ベーレンスです。

J.S.Bach

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

今年は、聴いて、読んで、書いて、考える一年にしようと思っています。まあ、インプットしないとアウトプットできないし、アウトプットしないと思考もままならないと言うことで。

今年も懲りずに目標を。

  • 読書はまた100冊を目指しますが、今年は内容にもこだわっていきたいところ。
  • 映画も20本ぐらいは見たいです。少ないですが少しずつ感覚を戻していかないと。
  • 音楽も、何か指標を付くってがんばりたいのだが……。
  • ブログをはじめとして、今年は書くことを自分に課していきたい。弛まず倦まず。
  • プロジェクトT、がんばろう。

今年は、総じて昨年より良い年になりそうな予感。いや、良い年にする。受け身ではいかんぜよ。

 

この年始休暇はNHK-FMを聴いておりました。今朝はリヒターの特集を諸石幸生さんの解説で。リヒターの指揮によるブランデンブルク協奏曲は、あまりにフィットしちゃって、なんだかもう全く違和感がない。この録音は、わたくしのiPodに数年前から入っていて、折に触れて聴いておりましたので、もうまったくデフォルト化してしまっています。安心感。だが、おそらくは、芸術のもう一つの方向として、驚愕とか苦痛というものもあるはず。そこを咀嚼するのが難しい。矛盾と区別こそが物事の意味を生成するのであるから。