Murakami Haruki

雷雨
暑い毎日。

ですが、この週末、東京はずいぶん雷雨に見舞われました。土曜日の雷雨はずいぶん激しいもので、今日街を歩くと泥が側溝にたまっていて、周囲の道路も冠水していたようでした。

さて、先週は村上春樹「スプートニクの恋人」を読んでいました。

村上春樹作品はそんなに読んでいるわけではありませんが、通底するものがわかる気が致します。リアリティのあるアンリアリティ、という表現が胸の底の方から湧き上がってきました。現実とは何か、と言う問題。我々が現実と思っていることは、じつは現実ではない、のでは、とか、あの非現実は、実は現実ではないか、という思いです。

「結局いちばん役に立つのは、自分の体を動かし、自分のお金を払って覚えたことね。本から得たできあいの知識じゃなくて」という一節がなにか引っかかりました。これも、なにか常日頃思っていながらできていないことです。こういう箴言めいたものが心に残るというのも、村上春樹作品を読んでいてよく感じることです。

辻邦生の文学にこころが奪われていなながらも、村上春樹の文学に共感しているということはどういうことなのか、ということも考えないと、とおもいました。

来週はお盆の週。静かな週だとよいのですが。

それではみなさま、おやすみなさい。

Murakami Haruki

昨夜、村上春樹が出演する村上RADIOがオンエアされたということを、辻文学関連でお世話になっているYさんから伺いました。ほんとうにありがたいことです。

村上RADIO

私は、昨夜は聞き流したので、radikoで聴いています。radiko、よくぞタイムフリーで聴かせてくださいました。

いやはや、村上春樹の声を初めて聴きました。

iPod7台持っているとか、2シーターのオープンカーを何年も乗っているとか、なかやか面白いです(きっと賛否両論なんだとおもいますけれど)。

オンエアされている曲は、村上春樹がランニングするときに聴いている曲だそうです。が、音楽の選曲的は結構幅広いと感じました。個人的には趣味として合うところも合わないところも。昔、音楽嗜好について書いたことがありますが、そのことを思い出しました。

音楽嗜好総体のようなもの

マイウェイが好きじゃない、と言ってたのは、なかなか面白いと思いました。また、ペットショップボーイズは懐かしいなあ、と。演奏中に村上さんがコメントするのがなかなか面白いです。これは、音楽を聴いている人の頭の中身を覗いた気分です。音楽から書くことを学んだ、というのも共感できる気がしますが、共感していると錯覚しているだけかも。

夜の小説を読む時間を細々と続けていますが、今日はこちらを聴いて終わってしまいました。

村上さん、69歳なんですね。きっと、普通に暮らしている35歳より若いと思います。肉体的にも精神的にも。

さしあたり今日ははここまでです。みなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Literature,Murakami Haruki

今日も村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」を読みました。

【ネタバレ注意】

 

第三部の最終においては皮剥ぎボリスの話が出てきます。この強制労働のイメージ、炭鉱の描写が鮮烈で、あまりにショックです。

先日も書いたように、私は小説において現実と小説世界の境が分からなくなることがあります。今置かれている状況とこの強制収容所のシーンがあまりに密接に絡み合っているような気がしています。

この強制収容所のイメージは、おそらくは人間にとっては普遍的なイメージなのだと思います。

人間は誰しも何か閉じ込められているという状況なのではないか。そこから飛び出そうとしてもなかなか飛び出せないと言うイメージは人間にとって普遍的なものではないだろうか、と。

それは、家庭に閉じ込められているでもいいし、とある地方に閉じ込められているでもいいし、会社に閉じ込められているでもいいし、あるいは国に閉じ込められているでもいいし、地球に閉じ込められている、ということでも良いのです。おそらくは人間の普遍的な要求としての「解放」と言うものがここに現れているのではないかと思うのです。

それにしても、本当に胃が痛くなる気分の悪さを味わっています。それは、別に村上春樹の文学が悪いわけではありません。それほど深く共感してしまったということです。それほどに強い文学、ということなんだと思います。(疲れ切った身体には応えます…)それは、先日も書いたように、辻邦生の文学を読んで、そこにある理性の明るさがあまりに眩しくて目が潰れてしまう気持ちを味わったのと似ています。

おそらくは、辻邦生と村上春樹は逆の方向を向いています。しかしながらそれはぐるっと回って同じところでつながっている気がします。真実を語っていると言う意味において。

もう少しで「ねじまき鳥クロニクル」を読み終えます。次は何を読むか。あるいは、ブログに書くのは続くのか?

みなさまも、ゆっくりお休みください。おやすみなさい。グーテナハトです。

Literature,Murakami Haruki

今日はほとんど小説を読む時間が取れません。ただ、そうはいっても5分ぐらいは読んでみようかなあ、と思い、手に取りました。

引き続き村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」です。

て、運命に関する記述があり、とても驚いたのです。しかも、通奏低音と言う言葉とともに。

運命の力は普段は通奏低音のように静かに、単調に彼の人生の光景の縁を彩るだけだった。

昨日、私がは「通奏低音のように何か運命性のようなもの」と書きましたので、その偶然に少し驚いたのです。

村上春樹は、音楽音楽を愛好していますので、そうしたメタファーを使うのは自然だと思います。私もジャズもクラシックも大好きですので、このような偶然があっておかしくはないと思います。先日も書いたように、こうした村上春樹の間口の広さが、多くの人に受け入れられる理由であるように思います。

明日からまた仕事です。休む間もありません。せめて早く寝て明日に備えます。

それでは皆様、おやすみなさい。

Literature,Murakami Haruki

今日も、少しだけ小説を読んでみました。

村上春樹です。今日は週末ですので自宅におりましたので、電車に乗っているわけでもなく、別に小説を読む時間があるわけでもないのですが、まあ、せっかくなので少しは読んでみようかなあと思い、5分ほど時間を見つけて読んでみた次第です。

それで、村上春樹を語るほど村上春樹を読んでいるわけではありませんが、それでも何か語りたくなるような欲求を抑えないわけにはいきません。

今日、私があらためて感じたのは、物語の中にまるで通奏低音のように何か運命性のようなものが流れていることを感じる。それもほとんど超自然的な運命性です。

辻邦生においてもやはり超自然的な運命の出会いであるとか、あるいは幻覚や天変地異あるいは天文学的な現象等によって、運命性を感じさせる場面があります。例えば、背教者ユリアヌスでは、ローマの神々がユリアヌスの前に姿を現し、ユリアヌスに様々な示唆を与えます。

村上春樹においてはそれを超えるような超自然的運命的な事柄が描かれているわけです。「ねじまき鳥クロニクル」では、ノモンハン事件、満州国、井戸と言ったキーワードで、場所や時間を超えたつながりが描かれていると思います(もちろん、まだ読み終わっていないので全貌がわかっているわけではありません)。

私は、昔から思うのですが、小説においては、普通では説明のつかない、現実を超えた、あるいは科学では説明できない超自然的現象が、何かしら語られていることが多いように思います。

小説の起源が、おそらくは古代において口伝えで伝えられた神話であるということからして、あるいは、18世紀以降の小説が未知の世界を伝えるメディアだったということからして、小説が自分の理解や知識を超える何かを伝えるものだとすれば、小説が超自然的なことを伝えることに関して何の不思議もなく、むしろその本質の1つなのではないかと思います。

などと言いつつ夜も更けてきました。そろそろ眠りについて、明日に備えないと。

それではみなさまおやすみなさい。グーテナハトです。

Literature,Murakami Haruki

今週月曜日から始まった小説を読む時間。今日で5日目になります。今日も引き続き、「ねじまき鳥」を読んでいます。

村上春樹の小説は間口が広く、だれもが何か共感できるチャンネルを持っているのが強みだと思います。歴史、音楽、政治、芸能…。この間口の広さが、普遍性の秘密なのだなあ、と。これはやはり「騎士団殺し」でも感じたことです。プロットはあるような無いような。しかしながら、伏線と謎が縦横に張り巡らされているように感じられ(もしかすると、それは、伏線があるかのように読者が受け取るように仕組まれたものとも思えますが)、ページをめくる手が止まらないわけです。

ただ、ときに、その手が止まることもあるのは何故なのか。もしかすると、この特異すぎる世界観を理解することは精神的な負担が強い、ということではないか、と。現実世界で生きているなかで、村上春樹の文学世界はあまりに苛烈に真実で、心が焼き切れてしまいそうなのです。

それは、辻邦生を読むときにも感じることです。あまりに現実と離れた理想の世界を見たときに、感じる脂汗をかくような疲れにも似たものです。おそらくは、真実は、現実にとっては都合が悪いことなんでしょう。だから脂汗をかいてしまうということなのかもしれない、と思いました。

今日の東京地方はとても良い天気でした。朝の雲1つない空は筆舌に尽くしがたいものでした。明日も明後日も良い天気。そしてそれ以降は梅雨が来そうです。皆様もよい週末をください。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Murakami Haruki

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ようやく「騎士団長殺し」読み終わりました。第2部の後半は少しスピードアップして読んでしまいました。良いのか悪いのか。

たぶん話し始めると1時間も2時間もかかるネタなんだろうなあ。この感覚は、オペラを見たあとに、その演出をめぐる解釈をひたすら考える感覚と似ています。ですので、読み終わりながら思ったことは、本当にオペラ演出のように解釈多様性のある小説だったなあ、と思います。

個人的には、住んだことがあったり、行ったことのある土地がいくつも出てきて、描写に表れる対潜哨戒機も何度も満たし、小田原近辺で正午になるチャイムも聞いたことがあったりと、イメージが目に浮かびました。こういう読み手の共感を呼ぶポイントが多くあるのが人気のひみつなんだろうなあ、とも思いました。つまり、みんなが自分のために書かれた小説ではないか、と思うということ。それが、小説の価値なんだろうな、と思います。

今日はこちら。気だるい夜。

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それではみなさま、おやすみなさい。

Murakami Haruki,Richard Strauss

村上春樹「騎士団長殺し」で、ショルティの《ばらの騎士》が取り上げられていました。

リヒアルト・シュトラウスがその絶頂期に到達した至福の世界です。初演当時には懐古趣味、退嬰的という批判も多くあったようですが、実際にはとても革新的で奔放な音楽になっています。ワグナーの影響を受けながらも、彼独自の不思議な音楽世界が繰り広げられます。いったんこの音楽を気にいると、癖になってしまうところがあります。

152ページ

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おっしゃる通り、どうやら癖になってしまったようで、今日もシュトラウス。しかし、この退嬰的で懐古主義だが、奔放な音楽であることを1枚で味わえるアルバムを聞きました。

Strauss Heroines

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アメリカのソプラノ、ルネ・フレミングがシュトラウスを歌った一枚。これを聞けば、《ばらの騎士》のようなシュトラウスのオペラを味わうことができると思います。もちろん、シュトラウスは《ばらの騎士》のようなオペラだけではなく、若い頃はいくつもの長大な交響詩や交響曲を書きましたし、《サロメ》や《エレクトラ》といった当時の前衛オペラも書きました。あるいは、《インテルメッツォ》や《ナクソス島のアリアドネ》のような洒脱なオペラも。ですが、やはり《ばらの騎士》とか《カプリッチョ》のような豊かで甘い音楽がリヒャルト・シュトラウスの魅了を占める部分であることには間違いなく、このアルバムだけ聞けば、それの多くを理解できるのではないか、と思うのです。また、演奏も他の演奏に比べて、一層甘くて豊かで、指揮するエッシェンバッハも、オーケストラをかなり分厚くゆったりと官能的に鳴らしていて、それが何か少しやりすぎのような気もする場面もあるのですが、そうはいっても、これが西欧の甘美な豊かさなのだ、と説得されてしまうような感覚があるのです。

このアルバムを聴いて、仕事場への行き帰りを終始しました。なんだかいい気分でした。

明日は木曜日。気がつけば、木、金、土と、三連続で山が連なっています。なんとか乗り切らないと。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Japanese Literature,Miscellaneous,Murakami Haruki

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引き続き騎士団長な日々。思った以上に面白く、また示唆に富んでいて、本当に面白いです。

村上春樹が多くの受容者を得るのは、村上作品にある間口の広さなのではないか、という気がしています。音楽、絵画、文学、ミステリー、大衆性、経済、歴史、古典といった様々な要素が盛り込まれていて、詠み手に何かしらの共感を得られるようになっている、ということなのかも、と思います。その間口の広さは、単に広いだけではなく、深いもののように思えるということもあるのだと思いました。やはり、村上春樹の古い読み手にはなかなか叶わなさそう、と思います。

今日は、やはりこちらを聴き通しました。ショルティらしい推進力や爆発力がある《ばらの騎士》でした。

Der Rosenkavalier

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しかし、考えることたくさん。どうすればいいんだろうか、と。ただ進むだけですけれど。

というわけで、今日は短く、おやすみなさい。グーテナハトです。

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日本の大方の村上春樹ファンはすでに読み終わっているはずの「騎士団長殺し」。

私はなかなか読む時間が持てませんので、少しずつ読んでいる感じです。どうも、小説は読むのが遅くなりがちです。飛ばし読みができませんので。小説ではない新書などはざっと読んで、大事なこところを頭に入れる、という感じなのですが。

で、少しずつ物語は進みますが、《ばらの騎士》が出てきたのは面白かったです。ショルティ盤を聴く場面が出てきて、あのCDですか、と思う次第。

Der Rosenkavalier
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本文中では、カラヤンか、エーリッヒ・クライバー(単に、クライバーと書かないところが、オペラをよく知っておられることを物語っているのですが)が好みですが、聞いてみましょう、ということにっていました。カラヤンは、2枚あるうちのどっちかな、と思ってみたり。

ともかく、このショルティ盤の《ばらの騎士》を聞きながら、作品中で、登場人物たちが同じ音源を聴いているのを想像してみたりすると面白いです。聞きなおすと、ショルティ盤もなかなかいけている感じがします。村上春樹もこの盤を聞きながら書いていたのかも、と想像したり。

ちなみに、この作品に登場するオペラや日本画、いずれも2002年ごろから個人的に興味を持ち始めたテーマですし、以前少しばかり物語の舞台の小田原近辺にも縁があったりしましたので、なんだか読みながら、親近感を覚えながら読んでいます。誰しも、作品には親近感を覚えるものですので、それはそれで特別なものではないのかもしれませんけれど。何か複雑な気分です。こう言う文学もあるのだなあ、ととても親近感を覚えます。

ちなみに、「騎士団長」とは、《ドン・ジョヴァンニ》に出てくる騎士団長から来ていました。そう言った指摘はすでに題名発表の直後に鋭い方は予想されていたようです。確かに「騎士団長」という言葉には突拍子も無いのですが、個人的にはそんなに違和感を覚えることもなく、という感じでした。それもまた親近感なのかも、と。まあ、親近感などというと手練れな村上春樹ファンに怒られそうです。

今日はそろそろ眠らなければ。明日もまたいろいろありそうな1日な予感。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。