つれづれ

不要不急の外出はしませんが、散歩は許されているとのことで、近所の林へ。

限られた空間ですが、周りの建物が見えなくなると森の中を歩いている気分になります。

週に2時間自然の中に入るのが重要とのこと。

https://forbesjapan.com/articles/detail/28490

コロナ前は、毎日泳いでストレス解消していましたが、いまはそれができません。林にいくぐらいは引き続き実践しないと…。

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つれづれ

さしあたり近所の畑。これは菜の花のようですが、多分違います。ただ、なにか慰められる思いでした。

世界が変わって5ヶ月(?)。少しずつ慣れてきました。緊急事態宣言が外れても、かつての日常は戻りません。産業も変わると思います。

写真の畑もいつまであるか…。住宅やマンションに変わるのかな、と。

変化を恐るな、適応せよ、と言うことがよく言われます。変化にも、善し悪し、あるいは中立があります。願わくば善し悪しを意識して、自分の芯にある価値観との差異を咀嚼しながら変わらないといけないです。

世界は波打ちながら変転しますので、変化は必然ですが、どうやってその波に乗るかだな、と思いますが…。

とはいえ、春には花が咲き、梅雨が来て、夏が来ると言う四季の巡りは、向こう100年は変わらないでしょう。そういう不変もまた楽しみなのかもしれません。

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歴史が変わる

緊急事態宣言以降、なるべく外出せずに自宅で過ごすようにしています。仕事もなんとか自宅でやれるようになりました。通勤がないので楽ですが、一方で夜中まで仕事をしてしまうので、仕事のプライベートの分け目がなくなります。

まあ、こうなると、仕事も家事も趣味もすべて一つの枠の中で考えていくことになるのだろうな、と思っています。会社に行って、タイムカードを押して、そこで仕事が始まる、という世界は終わるのだろうし、今回のコロナショックで、そうした流れは一層大きく早くなったんだろうな、と思います。

もう、平成にはもどれないな、と思います。

問題は、家で仕事をすると、体を動かす機会が減ります。AppleWatchを使ってカロリー計算をしているのですが、惨憺たるものです。やれやれ。人気のいない朝早く起きて、少し散歩させてもらえるといいのですが……。

それではみなさま、どうかお気を付けてお過ごしください。

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歴史のまっただなかに

まだまだ静謐な風景。ですが、歴史は大きく動いています。

先日、コロナウィルスに関連して、国連事務総長が第二次大戦以来の危機である、というコメントを出しました。

身震いを禁じえません。

歴史のまっただなかにいるな、と思います。同じことを、9.11の映像を見ながら感じた記憶がありますが、あのときの歴史はまだ小さいものだったのだな、と思います。

未来というものはわからないものです。見通しているつもりでも、未来は見えません。

緊急事態宣言、だなんて、半年前に想像できたでしょうか。本当に想定を超えた動きです。やはり、平坦な歴史などはありません。常に波を描くものなんですね。

静謐な過去は帰ってきません。ですが、未来の違う幸福をめざして、各自の持ち場で頑張るしかありません。

私も持ち場ができたようですので、緊急事態宣言下という慣れない仕事の環境のなかですが、一人の人間として全力を尽くそうと思います。

とはいえ、休みも必要です。どうかみなさま、お身体におきをつけて。

おやすみなさい。グーテナハトです。

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SAKURA2020

今年も春が参りました。

今はいいニュースもありませんし、個人的には別れの季節でもあり、憂いと嬉しさの混ざり合った複雑な思いで迎える春になりました。

それでもなお変わらず桜が咲くというのは嬉しいものです。結局はこうした嬉しさを常に見つけ続けることが生きていくことなんだろうな、と思います。

この週末、首都圏はあまり遠出はできないですね。自宅で溜まった仕事をして過ごします。

みなさまも、どうかお身体に気をつけください。この難局を乗り切りましょう。

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危機の時代にあって

今日は、縁あって音楽教室の発表会に来ました。この危機の時代にあって、どうにもあまり気が進まず、開演に少し遅れて会場に入ったのですが、そのまま2時間、子どもたちの音楽に聴き入ってしまいました。

グローバルでは戦争にも比される状況でもあり、これから訪れるであろう経済危機を思うと、不安の時代に入ってしまったようにも思うのですが、そんななかにあっても、一生懸命奏でられる音楽は、予想以上に心に響きました。

かつても書きましたが、こうした幸福の雫を探して、厳しい時代を乗り越えないと、と思います。

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世界は美しかった

世界は美しいですね。

先週、冬空の公園へ行きました。太陽の光をたっぷり浴びました。心地よい幸福な瞬間。そうした幸福の瞬間瞬間が永遠です。幸福そうな人々が歩き集い、なんとも素晴らしい雰囲気でした。

また、明日も美しい世界であるように、と願わずにはいられません。

では、おやすみなさい。グーテナハトです。

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謹賀新年

あけましておめでとうございます

本年もよろしくお願いいたします。

最近仕事が忙しくて、なかなか更新できず、思うようにいかないのですが、昨日も書きましたように、文学や音楽は社会にとって大切なものであると言う信念は変わりません。何かしらの発信をすることが、わずかながらでも何かを変えるきっかけになるのではないか、と言う思いです。

最近は、テクノロジーが発展して、文章の書き方も変わってきました。昔はキーボードで入力していたものが、スマホや携帯で入力できるようになり、今私は音声入力でこの文章を書いています。こうしたテクノロジーを利用して、普遍的な価値や概念をうまく表現していく、というのが、私のミッションだと思っています。

時間がない中、忙しい中ではありますが、少しでもインプットしアウトプットする活動を続けようと思います。

写真は、今朝方撮った初日の出です。今朝方の東京地方は、東方に低い雲が流れており、日の出を見るコンディションではありませんでした。ですが、幸いにも私のいるところからは雲の隙間から鮮やかな初日の出が見られました。雲の隙間から放たれる光が新宿の高層ビル群に降り注ぐ様子は何か神々しいものです。

今年が皆様にとっても良い年でありますように。

そして、あらためまして本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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ゆくとしくるとし

もう一年経ってしまいました。早いものです。

今年もめまぐるしい一年でした。今年は「変わる」ことを目標にする、としましたが、どうだったでしょうか。変わることはそれなりに負荷がかかるものですが、さいわいなことに、今年は体力も気力も随分と充実していたようで、そうした負荷にも耐えられています。

このブログの更新ももう少しふやしたいなあ。私としては、世界を支えるのは最終的には、音楽や文学だと思っています。資本主義の世界にあって、すべての価値が金銭で測らてはいますが、たかだか数百年のことでしかありません。数千年の人類の歴史において、語られ、奏でられ、祈られたものにはそれなりの意味があります。

来年は充実したやりがいのある一年になります。世界を支える真善美信を見やりながら、先に進んでいこうと思います。

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生命の流れとは──辻邦生『桜の国へ そして桜の国から』

生命の流れとは、この胸を突き上げてくる大きな歓びであった。ただ地上に生きてあること──そのことがすでに酔うような歓びであった。桜は自らもその歓びに酔いしれながら咲き誇っていた。

生きるための仕事(それはそれで困ったことに面白いのですが)に精一杯な状況に追い込まれ、それはあと数年は続くのだろうなあ、という予想を抱きながら、週末はただひたすら営業日の疲れを癒やすためにハイバーネーションに勤しんでいるのですが、日曜日の夜になるとようやく時間ができる感じです。

サイトウキネンオーケストラのブラームスを聴きながら、1993年3月に読んだ辻邦生の『神々の愛でし海』の納められた短篇『桜の国へ そして桜の国から』を読みました。

100の短篇の最後(実際にはエピローグの一つ前)を飾るにふさわしい美しさを湛えた短篇で、おそらくは10年ぶりぐらいに読んだのですが、目頭が熱くなる思いを抱きました。

日本も西欧もおなじものである、という感覚。それは、日本のおける戦時中の思想弾圧も、フランス中世の宗教弾圧や近世革命の殺戮も、やはり同じ人間のなすべきものであるし、あるいは料亭の庭や建物の美しさも、フランスのレストランのギャルソンの芸術的挙措もやはり、同じ人間のなすべきもの。日本だけが、とか、西欧だから、とか、実際はそういう区別はないのではないか、という感覚。

そして、年老いた母と、自らの子を宿したフランス人の妻が二人で歩く姿をみて、こう語り、100の短篇は幕を閉じるわけです。

母たちがつねに永遠なるものに向かって行き、そして永遠なるものから来る人であるのを私はその時ほど強く信じたことはなかったのだから。

永遠なるもの。それは人間一人一人の一生であり、人類という我々の種の永遠性でもあります。人類はこれからどうなるのか、そういうことを考えながら、なにか答えのない現代への抗いのようなものを感じながら短篇の余韻に浸っています。

また、明日から生きるための仕事にもどります。

おやすみなさい。グーテナハトです。

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