Edward William Elgar

最近エルガーを聴いていますが、大曲「ゲロンティアスの夢」をきちんと聴いてないなあ、と思い、そういえばCDがあったはず、とゴソゴソとCD棚を探していたところありました、「ゲロンティアスの夢」。DECCAで買った記憶もありましたが、それはブリテン「戦争レクイエム」で、「ゲロンティアスの夢」はEMIでした。サー・ジョン・バルビローリがハレ交響楽団を1964年に振った古い録音。今はワーナーになっているんですね。

ブルックナーやマーラーほどに聴きこんでいないですが、そうか、この曲、実にドラマティックなオラトリオで、 年老いて死を迎える人物が魂となって天国へ行く課程を描いた作品。

天使の導きと、悪魔の激しい嘲笑と教唆の合唱。悪魔の合唱は歌詞の意味を追わなければ格好の良い合唱なんですが、そこにはやはり何かしらの胡散臭さがつきまとっています。で、歌詞を確認すると、やはりね、、という感じ。巧い話には裏があります。以下の歌詞は、現代社会においてもなにか通用する悪魔のささやきのように思い、少しゾッとします。

地獄の業火の恐れ、
憎しみに満ちた炎、
臆病者の嘆願。
彼の値段を教えてやれ,
聖人だろうが構わない。
抜け目ないセンスで、
賃金のためにあくせく働くだろう、
はは!

オペラ対訳プロジェクトより https://w.atwiki.jp/oper/pages/3304.html#2

繰り返し、かついくつかのバージョンで聴いてみて理解を深めてみる必要があるとともに、詩を作った19世紀の枢機卿ジョン・ヘンリー・ニューマンという方もすごい方で、もう少し調べ見ないと行けない、と思った次第です。

さて、また雨の酷い週末になっているようです。最近の雨はこれまでとは違いますのでどうかみなさまお気をつけて。

おやすみなさい。グーテナハトです。

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Edward William Elgar

なかなか昼間は落ち着いて音楽を聴けませんが、夜になってようやく時間ができました。AppleMusicでエルガーのプレイリストを見つけてざっと聴いていますが、いやあ、なんだかいいですね、エルガー。これまでも聴いてなかったわけではありませんが、この一ヶ月ほどで急に私の中で存在感を増しつつあります。AppleMusicのプレイリストの注記には「イギリス版ブラームス」と書かれていて、もし、それが妥当な表現だとすれば、昨年の秋からブラームスに助けられてきた身に取っては、エルガーにたどり着いたのは必然だったのでしょう。

しかし、うかつにもヴァイオリン協奏曲は初めて聴いたかもしれないですね。チェロ協奏曲はあまりに有名ですが。ラトルがナイジェル・ケネディと演奏したヴァイリン協奏曲の静謐な美しさと激しい情感の間を揺れ動く波は半端ないです。
どうもエルガーを聴くと、イギリス的でもありながら、北欧の風景を思い出します。大昔に行ったベルゲンや、フィヨルドの中を船で通った時の記憶がなぜかよみがえります。まあ、スカンジナビアのバイキングが作った王朝もありましたからね。英語もたくさんの言葉が混ざってできていますし。

そうそう、期待のAppleMusicの音質向上ですが、日本時間の2021/06/01の21:18現在においては、まだドルビーアトモスもロスレスオーディオも来ていないようです。以下リンク先に「まもなく登場」と記載されていることもあり、もう少し待たないと行けないようですね。6月1日といっても、多義的ですから。

https://www.apple.com/jp/apple-music/

ということで、もう一晩眠りAppleMusicのレベルアップを待ちましょう。
おやすみなさい。グーテナハトです。

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Edward William Elgar

緊急事態宣言が延長となり、またまた水泳が遠ざかってしまいそうです。

もちろん、こんな呑気なことしか書かないのも意味があることなのでお察しください。

さしあたり一週間が終わり、さまざまなことを整えながら過ごしております。

こういうときに音楽があるのは本当に助かります。

今日聴きたいなあ、と心から思ったのはこちら。エルガーの交響曲第2番です。

日本では、ドイツ系音楽中心に受容が進んだこともあり、イギリス音楽はいくばくか違った路線感を醸し出しているわけで、ドイツ系のきっちりした形式張った音楽ばかりきいていると、この曲の旋律感や構成感になにか違和感とは言わないまでも新鮮味を感じまして、それは初めて聴いたときもそうですし、繰り返し聞いたあとであっても、やはり小学校の授業で取り上げられるようなドイツ系音楽とは違う感じに酔うような気がいたします。ミュンヘンに行ったときに「イギリス風庭園」なる庭園が公園にありまして、たしかそれは形式のない自然の感じを残した庭園だったと記憶していますが、大陸的なシンメトリーではなく、もう少し自然で複雑な(複雑系的な)音楽形式を持っているのでは、と思います。

私は、いつもこの曲はシノポリの演奏で聴くのですが、今日はサー・コリン・ディヴィスの指揮で。少し話がずれるかもしれないですが、私はドイツ系音楽をイタリア系指揮者が振る演奏が大変好きです。もしかするとシノポリが指揮するエルガーも同じくイタリア系指揮者によるものなので好んでいたのではないか、と思います。形式張った感じではなく、形式のなかで歌わせる感覚がイタリア系指揮者には少なからずあるような気がします。サー・コリン・ディヴィスの指揮は、イギリス人であるというバイアスにとらわれていますので、安易に「イギリス的な指揮」などと書いてしまいそうですが、昔聴いた記憶ではずいぶんと角張った指揮だなあ、と思った記憶があります。つまりあまり良い印象は持たなかったというkとことです。しかしながら、いま改めてもう一度聴いてみると、そんなことはあまり思えず、幾分かドラマチックな情感のこもった演奏である、という印象です。そういえば、昔聴いたサー・コリン・ディヴィスが振った魔笛もやはり激しい演奏だったなあ、と言う記憶が(テノールがペーター・シュライアーで、情感激しい歌だったから、ということかもしれないですが)。

さまざまな苦悩が溢れる世の中ではありますが、せめて音楽を聴くことで、何かが善くなるのかもしれない、というテーゼを措定してさらにそれを信じたい、そんな気分です。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

 

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