このブログについて
書いている人について
- 書いている人 Shushi 。名前を音読みしてます。
- 一応アマチュア文筆家あるいはアマチュアサクソフォン奏者ということで。
- 音楽はクラシックとジャズばかりです。日本語の歌詞のある曲はあまり聴きません。
- B型さそり座という組み合わせは問題かもしれません。
- 好きな作曲家は、リヒャルト・シュトラウス、リヒャルト・ワーグナー。最近ベーラ・バルトーク。
- サックス奏者で言うとマイケル・ブレッカー。
- 指揮者で言うと、ペーター・シュナイダー、カルロス・クライバー。
- 好きな作家は辻邦生。それから、岡本かの子とか、アニタ・ブルックナーとかもよく読んでました。プルーストも好きです。最近気づいたのは実はSFが好きでした。アシモフ、ハインラインなどを読んでいますね。中学時代はファンタジーも読んでいました。レイモンド・E・フィーストなど。アーサー・ランサム、リンドクレーンも。小さい頃から外国の本のほうが好きでした。日本文学は先に触れた辻邦生ばかり、と思っていましたが、このところ村上春樹も好きになってきました。
- 趣味はあまりないです。音楽も読書も本職と思うようにしました。
沿革など
- そもそも、大学卒業直前に初めてHTMLでウェブページ書いて「あ、こんなに簡単に自分の活字を公開できるのか!」という驚きを得たのがルーツだと思います。
- 1997年から1998年ごろは、そのころやっていたバンドのホームページに日記的なものを書き連ねていました。バンド活動が終わってからも、ほそぼそと日記サイト的なものをMicrosoft Frontpageで作っていました。
- 2003年の9月にMovabletypeを知って、速攻でXREAのレンタルサーバーを借りてブログを作りました。
- 旧ブログは2006年まで続けましたが、フレキシビリティがなく、FC2という商用ブログにうつりました。ですが、広告がうっとおしくなりましたので、Coreserverを借りて、Movabletypeに戻ったというわけです。それが2008年のこと。
- それから8年間Movabletypeで活動しました。ですが、最近いよいよメンテナンスが大変になりましたし、個人ブログはほとんどがWordpressになっているという状況に鑑み、2014年8月にWordpressに移行しました。これまで8年間にわたってご愛顧頂いたみなさまには感謝ばかりです。
(2014年8月31日)
ブログ名の由来
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おそらく、この二冊から影響を受けています。本の名前に「美術館」とか「博物館」をつけるセンスが素晴らしいと思い、付けたのだと記憶しています。当初はもっと美術記事が増えることを目論でいましたが、いまではそうなっていません。辻邦生のことと音楽のことばかりになってしまいました。本当は美術もそうですし、映画のことも書きたいんですが、美術も映画も触れる時間がなく、まだ予定になっています。
ディスカッション
私も辻邦生さんの『ある生涯の七つの場所』を、1993年の大学受験生の時以来、ずっと愛読しています。スペイン市民戦争の理想が崩壊した中の人々、その後の悲劇は、私の内に消えない足跡を残してくれています。
ゲオルグ、バジル、シュトリヒ等は、作中の人物でありながら、生涯の友のような気がしています。
ここで一つ質問ですが、2巻(『夏の海の色』)の「泉」では、ムーランの父が内戦時に、飛行機で逃亡する際に手の指を切り落とされた、と語られています。しかし、6巻(『椎の木のほとり』)の「黄いろい海」では、ミゲルが短剣で手を刺されたとなっています。これは辻先生の設定違いなのか、それともムーランが指を切られる物語があるのか、どちらなのでしょうね。
ナカヤマヨシオさま、
コメントいただきありがとうございます。同じ境遇で同じ本を読んでおられた、というのが本当に感慨深いです。私も、2度~3度ほど読みましたが、その後「嵯峨野明月記」や「春の戴冠」に向かいまして、読み返す機会を失っていて、「ある生涯の七つの場所」は無意識へと沈みつつあるようにも思います。とはいえ、やはり印象深いストーリーは多いですね。読み返せない理由は、エマニュエルとの別れと再会が辛い、というのがあろうかと思います。
ご指摘の部分、私もあらためて読み直してみました。確かに、2巻では指が切られるという点と、6巻では手を指されたという点が異なっていますし、2巻では手斧で切られた、6巻は短剣で、と描写が違いますね。
辻先生の設定違いととることもできるのでしょうけれど、なにか、それは人の記憶の醸成によって新たな物語が作られたというようにも捉えられないのかなあ、と思いました。歴史も事実ではないので、小説もやはり事実ではなく、こうした小さな相違というものは、実際にあり得るものなのだろうな、とも思うわけです。そうした記憶の相違同士から、重なり合う記憶を探すと言うことが、認識やコミュニケーションの一つの意味なのでは、などと、思ったりいたしました。
一方で、やはり設定にはご苦労されたということもどこかで読んだ記憶があり(確か辻佐保子さんの文章だったかと)、また「のんかあ。」さんのサイトでは「ある生涯の七つの場所」の年代についてかなり細かく分析されており、参考になります。
http://nonkar.jp/bookshelf/7places/first/index.html
もっとも、こうした年代相違は、同じような話になってしまいますが、記憶の変質に実際に起こりうるものだとも思い、歴史ではない物語としては、ありうることなのだろうし、こうした相違でもって、作品の価値が落ちることはない、とも考えています。
「おしらせ」にあげていますが、Facebookに辻邦生の読書グループがあり、そちらで「ある生涯の七つの場所」の人物表をまとめておられる方もいますので、もしご興味があればそちらでご参加などもご検討くださればと思います。
長文になってしまいました。またどうぞお越しいただけますとうれしいです。
ご返信、有難うございます。
確かに、物語の創作が進むにつれ、登場人物の関係や出来事も醸成されていくのでしょうね。百の物語を縦横に連環させて、一つのタピストリを織り上げていく、辻先生の創造力に圧倒されます。
また、ご紹介くださった『ある生涯の七つの場所』を分析したサイトも訪問してみます。
『春の戴冠』は、フィチーノやサンドロ、ピコの言葉に魅了されます。特にフィチーノの、あらゆる物事に神的なものが現れているという語り等は、慌ただしい日常に落ち着きを取り戻してくれます。
その他にも、辻先生のパリでのエッセイやパルテノン体験、リルケへの接近等、数え上げれば切がないほど、心打たれる言葉があります。
これ程の作家なのに、今日なかなか、その言葉に触れる喜びを共有できることがないため、今回、とても嬉しく感じました。
ナカヤマヨシオさま、
ありがとうございます。私も、なかなか言葉に触れる喜びに接する機会を喪いながら日々生活しています。
幸福な読書時代を思い起こし、またそんな日が来ることを願う毎日です。
私もコメントをいただき「ある生涯の七つの場所」を読み返す幸福を感じました。
コメントいただき本当にありがとうございました。また是非起こしください。
久しぶりに辻先生のことを想い出し、関係するブログを読み漁っているうちに、お宅さまのブログに出会いました。昭和43年、千葉県の片田舎から上京して不安な東京生活の中で、池袋の大学のフランス語授業で辻先生にお会いしてから「生涯の師」となりました。なので、年内に、初めて、多磨霊園に行くつもりです。ブログに感謝と共感です。2014.12.25
菅沢さま、コメントありがとうございました。辻先生の授業を受けられたとは本当に素晴らしい経験をされたのですね。私の先輩も某大学でフランス語の授業を受けたそうですが「フランスは自由の国です。授業を受ける受けないも自由です。ですが、他の人の邪魔をしないでください」といったことをおっしゃっていた、というのを聞いたことが有ります。今後も辻先生のことを書くと思いますので、是非お立ち寄りください。